他大学大学院の2023年度秋入試(2022年実施)を外部受験し、辛くも合格を勝ち取った通信制大学生が、「大学院入試をやっていてつらかったこと」について書いていく。
自己紹介
本題に入る前に、簡単な自己紹介をする。
筆者は現在、通信制大学に在籍しており、心理学科所属の4年生である。予備校には通っておらず、試験勉強は専ら独学だった。
自己否定感が非常に強く、事あるごとに自分を責め立てるのが日課となっている。
性格は根暗であり、必然的に陰キャコミュ障でもある。そのため在籍大学に友人はおらず、他大学の院生や教授とのコネクション等も一切ない。
頭の方もあまりよろしくなく、以前在籍していた大学では完全なる出来損ないだった。教授陣から掛けられたネガティブな言葉は数知れず。「君こういうの苦手?」「ちゃんとやらなくちゃダメだよ」「そんなんじゃ社会出てやっていけないよ」「それはさっき説明したやろ」「ちゃんと話聞いていたのか?」「何やってんだか笑」「もうええわお前」「何でこんなことしたの?」「こんなことしたって意味なんかねえんだよ」等、これだけとっても結構な落ちこぼれ具合が見て取れると思う。
自身の頭の悪さに絶望し、知能検査を受けた経験もある。全体IQは平均的(※やや下ではある)であるが、下位検査において致命的な凹(※なお、凸はない模様)が見つかっている。
というわけで、私は自身が低スペ受験生であることを自覚している。その上で「大学院入試でつらかったこと」について書いていこうというわけであるから、その内容も決して褒められたものではないということを、予め申し上げておきたい。
「大学院入試でつらかったこと」▼目次
1. 圧倒的な情報不足
2. 他の受験生が自分より優秀に見える
3. 研究計画書の書き方が分からなかった
4. 勉強しても学力がなかなか上がらなかった
5. 落ちたときのリスクがまあまあ大きかった
6. 面接対策で苦労した
7. このつらさを他者と共有することができなかった
つらかったこと①圧倒的な情報不足
「院試は情報戦」と言われるが、私はその「情報戦」において劣勢に立たされていたし、それを自覚もしていた。
院試で良い結果を残すためには、まず志望校の過去問を取り寄せ、そこから何がどのレベルまで問われているのかを把握し、合格レベルの解答を試験本番までに作成するために、どのテキストをいつまでにどれくらいの質で勉強することが求められるのかを分析することが重要である。
そのため、そうした情報収集を精力的に行う受験生も少なくない。研究室訪問やSNSでの繋がり、予備校や同じ道を志す友人との情報共有等を駆使して、出来る限り有益な情報を集めようとするわけである。
が、一方で私は根暗の陰キャコミュ障なので、そうした行動力に著しく欠けていた。情報共有のネットワークに一切、組み込まれることはなかった。
完全な孤独なる受験生。絶海の孤島に取り残されたような心境だった。志望校の過去問を入手することくらいはできたものの、その解答については全く分からなかったし、解答を作れるようになるためにはどのようなテキストを使用すれば良いのかも、よく分からなかった。仮に解答らしきものを自力で作ることができたとしても、それが果たして合っているのかが分からなかったし、文字数もどれくらいにまとめれば良いのかも分からなかった上、その解答を書けたところで、何点ほど加点されるのか、また試験全体で何割ほど得点できれば合格基準に達するのか、といったことについても皆目見当がつかなかった。
他の受験生がどれほどの学力を備えているのかも分からず、自分の実力がどれほどの位置にあるのかさえ分からない。孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆からず」の言葉に則れば、「相手のことも自分のことも知らない。即ち何戦したところで危うさしかない」状況であり、受験期は常に前途暗澹、五里霧中を彷徨っている不安感に襲われていた。これは、なかなかメンタルに来るものがあった。
つらかったこと②他の受験生が自分より優秀に見える
私の目には、他の受験生が自分より優秀に見えていた。
受験生時代、私は時々、今の自分に合格の見込みがどれほどあるのかを見極めるため、他の受験生がどのテキストをどの程度やり込んでいるのか、また他の受験生はどれくらい試験で点数を取ってくるのかについて、検索エンジンで調べたものだった。
すると、各予備校や個人ブログの、過去の合格体験記がヒットするわけである。ただそこには、
・私より遥かに多くのアウトプットの練習を積み、
・予備校にも通い、
・私よりも遥かに院試に関する情報収集を行っている方々
の体験記が載っていたので、私は都度、絶望したものである。「こんな優秀な人達と少ない枠(定員)を争わなければならないのか」、と。元々のスペックが普通の人より低く、予備校にも通わず、情報戦でも劣勢に立たされている私が付け入る隙はないように思われ、モチベーションが非常に低下したものだった。そんな中でもどうにかして勉強を続けるのは結構、メンタル的にキツかったわけである。
つらかったこと③研究計画書の書き方が分からなかった
研究計画書の作成にも随分、苦労させられた。
私は卒業論文を履修できなかった(※私の実力不足により、大学では履修できるレベルにあると認められず履修届を受け取って貰えなかったのだ)ため、心理学系の論文を書く機会に恵まれなかった。教授による指導を一切受けられなかったということもあり、研究計画書を作成する上で欠かせない研究の新奇性や、それを行うことの社会的意義をどのように示せば良いのかといった要領を、なかなか掴むことができなかった。
特に苦労したのが「テーマ決め」で、設定に至るまでに4ヶ月くらい要したのではないかと記憶している。「テーマ」もロクに定まらないまま刻一刻と出願期間が迫ってくる不安感に加え、研究計画書作成に時間を取られるあまり試験勉強が十分にできていない焦燥感が合わさり、かなりの精神的苦痛を抱え続けたものだった。
結局のところ、
・「過去論文の一部を改変する」ことによりどうにかテーマを決定し、
・関連書籍や論文を読み込みつつその新奇性や社会的意義を明確化し、
・「デルタプラス」というところに研究計画書の添削をお願いし、修正を重ねる
というステップを踏み、どうにか出願期間までに作成することができたものの、その後は試験勉強に時間を割けなかった代償に苦しめられることになってしまったわけである。
つらかったこと④勉強しても学力がなかなか上がらなかった
研究計画書の作成に試験勉強が圧迫されたのに加えて、圧倒的な情報不足、更に私の出来の悪さもあって、勉強してもなかなか試験を受けられるレベルまで学力が上がらなかった。
テキストを読んでも読んでも一向に内容が頭に入ってこず、試験一ヶ月前を迎えても尚、「心理学科入学以前とあまり変わらない状態」から抜け出せずにいた。「アセスメントって何?」「オペラント条件づけって何?」「カクテルパーティー効果とは…?」「中枢神経系?」「気分一致効果?」「成熟優位説?」「フォーカシング?」「双極性障害?」…何も説明できなかったのである。酷い有様だった。
このような惨状から、僅か一ヶ月という期間で合格点を狙える状態に持って行くためには、思い切って勉強範囲を極限まで限定させ、限定させた狭い範囲の内容を何度も繰り返し学習し、少しでも知識を自分のものとした上で、あとは試験本番の運に懸けるという方法を取らざるを得なかった。
ただし、自身がそうした悲惨な状況にある一方で、他の受験生は私よりもずっと良い準備をして試験に臨んでいるはずだった。どう考えても勝算を見出すことはできず、特に試験本番一ヶ月前からは「研究計画書が完成しない不安/焦燥」を何倍も上回るそれに押し潰されそうになっていた。
つらかったこと⑤落ちたときのリスクがまあまあ大きかった
試験に落ちた場合は2月に行われる春受験に臨むつもりだったが、そこでも不合格だった場合、就職をする気でいた。しかし、何の資格もスキルも無いアラサーが就職活動をすることを想像すると少々、恐ろしいものがあった。
また、私の受験を知る周囲の人達に不合格を報告しなければならないというのも、かなり気が重かった。私は前職の人達に「心理師になる」ことを宣言しており、今でも何人かの先輩、上司とコンタクトを取り続けている。その方々に「不合格」を伝えることになれば前職の社員全員にその情報が伝わるのは必至であり、何とかそれは阻止したい気持ちで一杯だった。
加えて、昔からの友人に不合格報告をするのも、なかなかつらいものがあった。私の友人は結構優秀な人が多く、全員が今やそれなりの企業に勤めて、安定した収入を得ている。また、これくらいの歳になってくると恋人や配偶者を持つ者も多数派(というか殆ど)を占めている。そんな中にあって、「院試に失敗したので就職することになった」ことを報告しなければならないのは、相当つらいものがあると予想された。たしかに、自分と他人と矢鱈に比較するのはナンセンスなのかも知れないが、そうは言っても、さすがに全く意識しないというのは無理があるだろう。
他にも、不合格の事実を伝えたくない相手がいた。過去に私を振った女性である。この方に、私の「不合格」が伝聞されてしまうことは何としても避けたかったのである。
たしかに、私がその女性に振られたのは、私の人間としての魅力が欠如していたからに他ならないだろう。けれども、そんな私であっても、その女性が思うような「ただの雑魚」ではなかったのだぞ、やればここまで出来るのだぞ、それくらいのポテンシャルはあったのだぞ、というところを、何としてでもお示ししたかったのである。そういう意地やプライドのようなものも、院試に落ちたときのプレッシャーとして、私に重くのしかかることになっていたのであった。
そして、最も「不合格」を伝えたくなかったのが親であった。私は幼い頃から、親によって生き方を決められていた。「お前はこうでなければならない」「ああいう風になってはいけない」「それが出来ない人間はダメな奴だ」等、長いこと親の価値観を植え付けられ、それに沿った生き方をしてきた。敷かれたレールの上を歩み続けた。けれども、あいにく私にはそれに適う結果を残し続けるだけのポテンシャルが不足していた。次第にその期待に応えられなくなってくると、叱責され、失望され、ついには無能の烙印を押された。私はもう、親の価値観を満足させられるような人生を歩むことは決してできない。
しかし、私には私なりの価値観というものがあり、適正があり、欲求があり、それに従う自由、そしてそれに伴って歩む人生があるのである。私はあなた達が思っているほど無能ではなく、自分の適性を見極め、自分でそれに適した道を切り開いていくことはできるのだ。確かにそれは親の期待するそれとは全然違うものかも知れないけれど、私には私の人生があるのだ。ここで院試に合格して、大学院を修了して、心理師として生計を立てた暁には、「やっぱりお前はダメな奴だ」とか、「お前はその程度の人間だ」とか、「だから親の言う通りにしておけばよかったんだ」とか、そんなこと、絶対に言わせない、今に見ていろよ、きっと見返してやる――そのような野心の灯火を消さないためには、親への報告が「不合格報告」であってはならなかった。きちんと合格して、「こんな私でもできるのだ」ということを、見せる必要があった。
そのような事情もあって、私にとって「院試に全敗」するリスクへの恐怖は凄まじいものがあった。受験期は、相当の重圧に押し潰されそうになりながら勉強していたものだった。
つらかったこと⑥面接対策で苦労した
これまでにお示しした通り、私はあまり人格的に優れた人間ではない、いやそれどころか、かなり精神的な成熟が遅れている人間なので、これまで歩んできた人生は決して褒められるべきものではなかった。私という人間は、社会一般的に「リスクある人材」であることを自覚している。
そのため面接試験ではボロが出やすい状況にあり、対策に苦心した。ついうっかりと“ありのままの自分”を少しでも曝け出してしまったら最後、地雷認定されて落とされる可能性が十分あったので、出来る限り社会的に認められるようなストーリーを組み立てる必要があった。しかし、それは自身の人生をかなり歪めたものであるため、ある質問で適当な返しができたとしても、別の質問への回答において矛盾が生じ、面接官に怪訝な表情をされてしまうということも往々にしてあった。
であるから、一つひとつの回答には細心の注意を払う必要があった。修飾語一つ間違わない回答ができるよう、自身の回答を何度も何度も見直し、一部の大学院の試験を犠牲にしてまで練習を重ねたほどだった。
加えて、面接対策は全て自力で行わなければならなかったため、どのような回答が無難であるのか、どういった回答が求められているのかといったことが、結局よく分からないまま試験本番を迎えてしまった。正解が分からない不安の中で挑まなければならないつらさが、取り分け面接試験にはあった。
つらかったこと⑦このつらさを他者と共有できない
孤独への耐性はそれなりにあるつもりだったが、今回の「院試」に関しては重圧が半端でなかったこともあり、直前期は「誰かとこのつらさを共有したい気持ち」が常にあった。
しかし、私には心理学科には友人がいなかったのでこのつらさを共有することはできなかったわけである。
ただ、当時の私はかなり絶望的な状況に追い込まれていたこともあって、たとえ友人がいたとしても、似たようなしんどさを共有できたかどうかは怪しい。結論として、私がつらいと思っていたのは、この気持ちを共有できる友人がいないというものよりは、
ことが、「つらさ」の根源にあったのではないかと思われる。当時の私は、単にこのつらさを共有する相手を欲していたと言うよりも、私と同程度に追い込まれた人間が成功した例を精神安定剤として、強く欲していたと言える。
実はそうした経験が基になって、私はこの記事を書いたのである。私は上記の通り、一般的な「合格体験記」にあるような、優秀な受験生ではなかった。どちらかと言うとあまり見習うべきところのない、かなり劣等な受験生であったと思っている。
しかし、そんな私でも、院試合格を勝ち取ることはできたわけである。
もしかすると、この記事を読んでいる方の中には、私のような窮地に陥っている方もいらっしゃるかも知れない。
仮に、もし、そのような状態にあったとしても、それでも合否が決着するまでは決して、希望を捨てないでいただきたいと思っている。直前期にどんなにマズイ状態にあっても、入試本番までにある程度勉強を仕上げることができてさえいれば、十分、他の受験生と戦うことはできる。本番までに解答を書けるようになっていれば、途中経過は関係ない。僅か一ヶ月という短期間でも、成績が爆伸びする可能性は十分にある。
それを実現するためには、今自分にできることをコツコツと積み重ねることを意識することが大切である。今の自分に足りていないものは何か、それを補足するためにはどのようなテキストをいつまでにどれくらいやれば良いのか等――入試本番までに合格点を取るための戦略を、現在持っている情報を総動員して適切に立てられれば、弱者であっても戦える。たとえ情報弱者であったとしても。
過度に自分を責める必要はない。自分を責めるよりも、今自分が持っている力を最大限発揮するためのことを考える。これが本当に大事なことである。
最後に
劣等な受験生の視点から「大学院入試でつらかったこと」について書いた。
「自分はあまり優秀な受験生でないな」と自覚されている方が、
「コイツでも受かったのだから私にも希望はあるはず!」
と、思っていただけるようになったのであれば幸いである。
ふくろうさん改めて合格おめでとうございます!数々の苦難を乗り切って合格を勝ち取った姿は、流石の一言につきると思います。
簡単にあれからの僕の話をします。日商簿記やFP、MOS検定などの資格を取った僕は未経験の異業種に挑戦しました。大学中退、中小SES企業出身の僕は、関西圏に関しては、書類で落ちまくり、関東、中部まで視野を広げようとした段階でした。
そんな中、ある女性とマッチングアプリで出会いました。その女性の容姿、性格、価値観、趣味、LINEの文字、全てが僕のタイプと重なっていました。2回目のデートもすんなりOKを貰い、今もLINEをずっと続けており、このまま行けば付き合えるかもしれません。
その女性と会えなくなるリスクを考えると地元企業で探した方が確実です。行こうとした業界でなく、前職のIT業界、それ以外の職種で転職活動を始める所です。
僕はこの経験から運命って突然やってくるんだと思いました。ありがたいことに今まで何度か交際したことはありますが、全て相手から言い寄られる形で付き合ったもので、結局価値観や結婚観が合わず、振ったり振られたりの繰り返しでした。以上が簡単な僕の近況になります。
ふくろうさんは身体をゆっくり休めて、これから始まる大学院生活で無理しない範囲で、心理士として大切なことを沢山吸収して、ストレス社会の現代において、世の中に貢献出来る心理士になれることを陰ながら応援しております!
お返事が遅れてしまいました。
ありがとうございます。ぶっちゃけつらかったですね今回の受験は。もう二度とやりたくないですね。どうにか大学院を終えて、心理師として生計を立てられるようにしていきたいです。
すばるさんはアプリで理想的な人と出会えたのですね、素直に羨ましいです。あと、アプリで出会えて二回もデートできるのは本当に凄いです。私の場合は出会えないし、出会えたとしてもコミュニケーションでつまずくので関係がちっとも進展しません(笑)
転職活動と共に上手くいくと良いですね!応援しています。
私ももっと心理学…というか自分の人生そのものに情熱を持って生きられるよう、色々なことに挑戦してみたいと考えているところです。お互い、次の機会にまた良い報告ができると良いですね!
いえいえ!心理士としての道が開けて良かったです!
でもわからないですよ。他に気になる人が出来たと言われて、クリスマス1回会うのキャンセルされて、やり取りの中でやっぱり会うことに決まりましたので、まあでも受験勉強に捧げた10代後半と20代前半、IT企業で薄給激務な仕事をがむしゃらにこなした20代中半、それを経て10年遅れの青春が今来てるのかな?と思いますので、当日は楽しみたいなと思います。
僕は今の自分が何かに挑戦しなくても良いし、結局IT企業で働くことになりそうです。ゆるく楽しく、1日を生きられたらそれで良いかなと思ってます。