人が非行に走る原因と非行少年の心理をまとめてみた

「非行に走る人間の心理」

というものが、なかなか理解できないでいた。
なぜ、敢えて他者や自分を傷付けるようなことをするのか。なぜ法の裁きを受け、「矯正教育」なるものを施されても再犯を繰り返してしまうのか。
そういった問いの解を、イマイチ掴めずにいた。

私は、

“あらゆる事象を「愛着障害」の観点から語りたがる”

という妙な(?)性癖を持っているため、

「恐らく、非行の原因は、非行を行った者の幼少期の家庭環境が多大なる影響を及ぼしているに違いない」

というところまでは想像が及ぶのだが、

「では、それはどういった心理プロセスによるものなのか」

を考察する件になると、急にフワフワした観念論に終始せざるを得なくなってしまった。つまるところ、頭の引き出しが少ないから想像できないのである。

引き出しが少ないならば、読書で増やせば良い

――今回読んだのは、ノンフィクション作家である石井光太著の『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』(平凡社新書)である。本書は上述した私の疑問をかなり解決してくれる良書であった。

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非行少年の更生を目的とする様々なアプローチをまとめてみた【更生の方法】

そこで本記事では、自身の備忘録も兼ねて本書にある内容を

「非行をする人間の心理」

に焦点を当ててまとめてみた。

 

○なぜ非行をするのか

私の予想通り、少年犯罪において本書で再三にわたり指摘されていたのは、

「家庭が“家庭”としての十分な機能を果たしていないことが、少年が非行に走る主要因となっている」

ということであった。非行に至るケースとしては、次のようなものが典型だと感じた。

劣悪な家庭環境で育つ→内面が歪む→人と上手く関われない→学校で虐めに遭う→家庭が避難場所として機能しない→社会的に孤立する→非行に走る

劣悪な家庭環境で育つ→家に居たくないので家出する→不良グループに居場所を求める→暴力が日常茶飯事の環境に身を置く→倫理観の欠如→非行に走る

家庭環境に物凄いストレスを覚える→けれども家庭以外に逃げ場を持てない→ストレスから逃れるため非行に走る

このように、家庭内で虐待が行われていたり、虐待まで行かずとも、家庭そのものが子供にとって安心できるような環境でなく、ストレスの多いものだったという事実が、結果として少年犯罪に繋がり得てしまう、ということであった。

家庭が“家庭”として十分に機能しないことが、子供の内面を歪め、社会的孤立を招く。こうしてストレスを蓄積させた子供は、やり場のない怒りを窃盗、暴力、薬物といった形で表出しているのである。

 

○非行少年の心理

非行に走ってしまう原因について分かったところで、非行をする者の内面にはどのような感情が渦巻いているのか。この項では、非行少年の心理について見ていきたい。

1. 自尊心が低い/自己否定感が強い

一つに、自尊心の低さがある。自尊心の低い人は、
「自分なんてどうでもいい」
「自分には何の価値もない」
「自分を愛してくれる人なんていない」
のように、自分に対する否定的なイメージを持っている。しかしこのような人達の中で、虐待を受けていたような人の中には、自身に対するこうした否定的なイメージを払拭しようと、力業によって自尊心の回復を図ろうとすることがある。典型的なものが「弱い者虐め」「昆虫の殺生」といったものである。人を暴力的、ないし心理的に「支配」することによって、自尊心を回復させようとするのである。また、こうした暴力性が自分に向かうと「自傷行為」となる。はたまた性的倒錯を起こすことで、「下着泥棒」や「幼女への性的暴行」へと発展していく。下着を盗ることで、「自分だけがあの子の下着を持っているのだ」「クラスの誰も持っていない下着が今自分の手元にあるのだ」といった優越感を覚えるそうだが、この優越感によって、自尊心の回復を図ろうとする。また、「自分より弱い立場の者を性的に屈服させたい」という支配欲が、性的暴行に繋がってしまう。

「低い自尊心」の問題は根深いものであるため、対処に時間が掛かることも特徴である。

2. 現実逃避

家庭内のストレスは、養育者が子供と真摯に向き合ってくれない限り、子供の心をほぼ休みなく蝕み続けることになる。
例えば、家に帰ると父と母が必ず喧嘩をしている。養育者が子供の気持ちを無視し、一方的に身勝手な価値観を押し付けてくる。そのような環境から逃れられぬ子供は、日に日に発散できぬストレスを蓄積させることになる。そこで一部の人は、そうした逃げ場のないストレスを一瞬間でも忘れようと、スリルを味わおうとする。その一つが窃盗や薬物である。窃盗や薬物のもたらすスリルが、日常のストレスを忘れさせてくれるのである。

家庭というものは、本来であれば子供にとっての「安全基地」として機能していなければならない。そうした「安全基地」であるはずの家庭が「危険な場所」となっている子供は、逃げ場を失ってしまうのである。

3. 暴力が日常の感覚になっている

生まれたときより、養育者から虐待を受けた子供は、暴力のある環境というものが当たり前になってしまう。そのため、時には暴力行為を働くことに躊躇しない人格が形成されてしまう。

4. 養育者への憎悪が激しい

生まれたときより養育者から暴力を振るわれたり、過度に心理的コントロールを受けていた人の中には、自分を蔑ろに扱った養育者に憎悪を募らせていることがある。そうした人の一部は、「憎い養育者を困らせたい」といった動機から、非行に走ることがある。言わば養育者に対する「復讐」である。

5. 発達障害/知的障害による孤立

無論、発達障害者/知的障害者⇒非行を起こす というのは誤りである。ただ、発達障害者はその特性から、家庭内で虐待に晒されるリスクが上昇する。こうした「障害×虐待」が非行に繋がる可能性を高めてしまう。発達障害や知的障害には、各々の特性がある。養育者がそれら特性に合った関わりを持ってくれれば良いが、障害への理解がなく、ただ「努力が足りないからだ」「養育者を舐めているからだ」と思い込んで厳しい子育てをしてしまうと、子供の内面が歪んでしまいやすい。こうした歪みが時に人格障害や精神疾患と言った二次障害を引き起こし、後に様々な要因と絡み合って、非行に向かわせてしまうことがある。

6. 虐待による脳の萎縮

幼少期の虐待が脳にもたらす影響は計り知れない。虐待によって、子供の脳の発達は大きく阻害される。記憶を司る海馬や、感情を司る扁桃体が萎縮することで、認知機能が発達せず、感情に乏しく、制御の利かない人間になってしまう。こうした子供は「他人の気持ちが理解できない」「落ち着きがなく多動的な行動が目立つ」「粗暴的な振る舞いをする」「身勝手な主張ばかりする」といった特徴を示し、ちょっとしたことでも感情の制御が利かず、重大な犯罪行為へと至ってしまうことがある。

7. 共感性の欠如

「他人の気持ちを考えられない」という特徴も、知らず知らずのうちに人を非行に向かわせてしまう。
人は生まれてから養育者と心を通わせることによって、情緒的な絆を結ぶ。この絆は子供の心の「支え」となり、子供の好奇心を刺激する。そうして子供は養育者以外の他者と繋がる術を身に付けるべく、気持ちをやり取りする練習を積み重ねることができる。
生まれて最初に関わる養育者から、自身に対する思い遣りや優しさ、親しみ、いたわりといった気持ちを感じることができなかった人は、他者の気持ちを慮り、心を通わせようとすることが難しくなる。結果、共感性の欠如へと繋がる。
共感性が欠如していると、自身の働きかけによって、他者がどのような気持ちになるかを想像することができない。そのため、他者の気持ちを考えず、自分の欲求に従って行動する。そうして非行へ至ってしまう。
共感性が欠如していると、人をモノとしてしか見られなくなってしまう。人をモノとしか思えないから、簡単に暴力を振る、金銭を巻き上げるといったことができてしまう。
本書で印象的だったのが、共感性が欠如している故、仮想現実と現実世界を切り離して考えることができない人がいるということだった。「男女は信頼関係を築いてから性行為をする」という常識が分からず、「ビデオで観たから」という理由で、強引な性非行に至ってしまう人が存在する。

8. 感情が未分化である

感情のバリエーションに乏しいことも、非行に至る原因の一つである。人は、様々な感情を持つことによって、感情に見合う適切な行動を取ることができる。何か嫌なことがあったとしても、「悔しい」「悲しい」「自分にも非があった」「次は改善しよう」等、いくつもの感情が湧いてくる。そのため、様々な出来事にも現実的な対処をすることができる。しかし、中には感情が未分化で、原始的な感情である「快」「不快」しか感じられない人がいる。そうした人は、感情のバリエーションに乏しいため、嫌なことがあると「ムカつく」という怒り(不快)の感情しか湧いて来ず、他者の気持ちや状況を考えることなく、怒りのままに行動してしまう。
ちょっとした言い争いのようなものが、殺人という極端な犯罪行為にまで発展してしまったような事例は、「加害者の感情が未分化であった」という視点から説明することができる。加害者は、自分の感情がよく分からないままに、怒りにまかせて人を死に至らしめてしまったということである。
感情が「快」「不快」しかない状態というのは、赤ん坊の水準である。赤ん坊は、家族や他者との情緒的な関わりを通じて徐々に細かな感情を持てるようになるわけだが、こうした関わりが虐待等によって上手く行われないことで、感情が未分化のまま、大人になっても「快」「不快」以外の細かな感情が分からないことになってしまうのである。

9. 命の重さを理解していない

幼少期から養育者より人として適切に育てられず、その結果共感性を欠き、人をモノとしか思えず、自尊心が低いため自分の命さえどうでもよくなっている人がいる。こうした人は、他者の命の重みを理解することさえ難しい。命の重みを理解していないからこそ、凄惨な事件を犯してしまう可能性も高くなってしまうのである。

10. 親元へ帰りたくないから

家庭内で酷い虐待を受けていたような子供の中には、「親元へ帰りたくない」といった理由から、敢えて罪を犯し、少年院に行きたがる人も一定数いるようである。もはや長年の虐待により精神的に疲弊し、ノイローゼのような状態になってしまっているのであろう。

 

まとめ

以上、非行少年の内面に渦巻く「心の闇」を、先の本を参考にまとめてみた。こうして振り返ってみると、なにも非行に走る人というのは「根っからの極悪人」のような性格を有していたわけでは決してなく、
養育者から大切にされなかった怒り・虚しさ
社会から受け入れられなかった寂しさ
自分という存在への疑念
といったものから必死に逃れようとした結果、非行に走ってしまったという経緯が分かってくる。非行は決して許されるものではないけれど、だからと言って、社会全体がその人を認めず、罰だけを与えようとするという発想では、非行の問題は一向に解決してこないであろう。

この記事が、少しでも読者のお役に立てたなら幸甚である。後日、こうした心理的問題を抱える非行少年に対して、どのような矯正教育が為されているのか、その効果はどれほどなのか、といった観点からお伝えする記事を書いていくつもりである。(※)

※実際に「非行少年の更生」に焦点を当てた記事を更新しました。

非行少年の更生を目的とする様々なアプローチをまとめてみた【更生の方法】

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