さすがに勉強するのが苦しくなってきた

昨年4月から心理学の勉強を始めて1年以上が経過しました。卒業に必要な単位は「病院実習」を除き全て取り終え、今はもっぱら大学院受験対策をしています。が、ここに来て勉強への息切れが特に強くなってきたのを感じます。

元々、私は勉強が得意な方ではないわけですね。むしろ私の知的能力からすると、人様と比較して相当のハンディキャップがある。簡潔に言えば「短期記憶の障害」、端的に言えば「経験した事柄が経験値として蓄積されにくい障害」とでも言いましょうか。短期記憶が極めて脆弱なせいで、頭に入ってきた情報を効果的に処理できない。だから、たった今学んだはずの知識の大部分が脱落してしまう上、辛うじて残った知識、体験の断片も長期記憶へ上手く転送されることなく、頭から消え去ってしまう。学んだこと、体験したことがなかなか定着していかないので、学びを生活や学習場面でなかなか活かすことが出来ず、日々、もどかしい思いばかりをしている。

このようなネガティブな認知的特徴があるものですから、学問アカデミックの世界では過去、随分辛酸を嘗めさせられたものです。三度に渡る大学受験は一度も花開かず(※志望校でない大学には合格しましたが)、通っていた大学では周囲の同級生の学力に着いていけず、教授からは私の不出来にさんざ苦言を呈され、かつは呆れられ、中途、精神荒廃により一年間の休学を余儀なくされれば、仕舞しまいに配属先の研究室でその担当教授やメンバーに多大なる迷惑を掛け、とどめに卒論発表会では頓珍漢とんちんかんな答弁をして大勢の同級生、大学院生の前で大恥を掻く、といった有様だったので、今となっては学問の世界に勇み入ることや勉強をするということに対する苦手意識が非常に強く残っているわけです。

かつて、人様の何倍という時間を掛けても思うような結果を出せなかったり、周囲の人が理解できているのと全く同じ説明を聞いても一人ちんぷんかんぷんだったり、周りが目の色を変えて演習問題に取り組んでいる間なにも出来ず呆然としていたり、同級生がテキパキと実験を進めている中自分は何をしたら良いのか判断できず頭真っ白のまま突っ立っているだけになってしまったり等々、大学受験や大学生活を巡る苦々しい体験が結構自分の中でトラウマ化してしまっているわけですね。「普通の人が普通にやれていることが、普通でない自分にはやれない」という体験は、勉強に対する強烈な苦手意識と共に、周囲の人々に対する激しい劣等感や敗北感、負け犬意識を確実に植え付けていくこととなりました。

こうした経緯があって、心理学を勉強している最中、私の頭の中でずっと「勉強することに対する無意味感」と、「勉強した先に待っている苦難に対する懸念」の声が鳴り響くのです。「お前が勉強をしたって無駄だろう」「どうせ勉強したって普通の人には敵わないのだから」「幾ら勉強したってお前の場合頭に入らないよね」「お前が学習したところでモノにはならないよ」「お前が一進んでいる間に普通の人は十も二十も進んでいるよ」等の意識が、「勉強に対する無意味感」として木霊する。加えて、「仮に大学院に合格したとしても、その先待っているのは研究室のメンバーや担当教授に迷惑を掛けるだけの生活なのではないか」「また劣等感を植え付けられるだけなのではないか」「結局着いていけずドロップアウトして挫折体験を増やすだけなのでは」「どうにか大学院卒業できたとしてもそんなんで良い臨床家になれるのか?」等の意識が、「勉強した先に待っている苦難に対する懸念」の声として響き渡ってくる。

こうしたネガティブな意識が心の中で常時反響して、勉強中は常に頭の中がやかましいわけです。ただでさえ勉強するだけでも体力気力の双方を消耗するというのに、こうしたネガティブな意識に対して「大丈夫だから」「純粋な学問と臨床活動はまた違うだろうから」「やってみないと分からないから」「昔と今とでは頭の使い方がかなり改善してきているから過去のことは当てにならない」「希望を全く捨ててしまう必要はない」「いずれにせよやらない後悔よりやって後悔を選ぼうよ」等々前向きな声掛けをして、さんざ頭の中で首をもたげる懸念の芽を説き伏せ、捻じ伏せ、叩き伏せては、少しでも静かにしていて貰えるようさとし続けるのは大変骨が折れるし、精神的に消耗するわけです。

私はこうした「勉強することに対する無意味感」と戦いながらどうにか一年間頑張って、所定の単位を取り終えたわけですが、どうにもその過程で想像以上の消耗戦を強いられていたようで、ここに来て――本腰入れて大学院対策を更に前へ推し進めなければならない段に至って――勉強することがいよいよ苦しくなってきてしまったわけですね。

それにしてもまあ、疲れましたね。勉強そのものは決して嫌いではないんですけど、如何いかんせん勉強して得た知識を適切に処理して生活や仕事や答案用紙上で活かす能力に欠けているので、「私が勉強しても大抵無意味だよね」「普通の人には負けちゃうよね」って意識が、どうしてもぬぐいきれないんですよね。

勉強って、やって終わりじゃないじゃないですか。大きいことであろうかろうが小さいことであろうが、遠い将来のことであっても目先のことであっても、「何かを成し遂げたい」という何らかの目的があって、その目的を少しでも達成するために、色々とネットで調べたり本を読んだり人からアドバイスを貰ったりして(要は“勉強”して)、そこで得た知識やノウハウを頭で適切に処理して、自分なりに加工して、それを実践場面で試してみて、フィードバックされた結果をまた実践で活かして改善させていって…みたいな感じで、勉強から得られた知識は、頭に留めて置かれたり頭で処理されたり実践で活かされたりするからこそ意味を為すわけじゃないですか。

勉強って、それを活かせるようになってなんぼですよね。知識は使えるようになってなんぼですよね。勉強は「やること」が目的では決してない。勉強する「だけ」では大学院に受からないし、良い臨床家にもなれない。勉強によって、これまで知らなかったことを知ったとか、これまで受からなかった試験に合格したとか、これまで出来なかったことが出来るようになったとか、そういうことに繋がるからこそ意味がある。そういうことに繋がるからこそ勉強に対するやる気を維持できるし、勉強そのものの可能性に期待を持てるようになる。

けれども私は、普通の人と同じような情報処理が出来ない。一生懸命本を読んでも、閉じた瞬間頭は真っ白。勉強した「はず」なのに頭はすっからかん、先ほど何を学んだのか思い出そうとしても脳内は白紙同然、勉強する前後で結局何も変わっていない、そんな体験を何度も繰り返していれば、そりゃ、勉強するのが苦痛になってくるのもまあ仕方ないですよね。やることに意味を感じられるものなら頑張れるけれど、そうでないことを頑張り続けることは非常に厳しいものがある。

「勉強は意味がある」、そう心から思えるようになりたいなあ。大学入学時から自身の「不出来」については自覚があったから、特に昨年4月からは勉強をしながら、どのようにしたら勉強したことを少しでも頭に留めておけるだろうか、どうすれば勉強を僅かでも意味あるものにすることが出来るだろうか等々、自分にとって最適なやり方は一体何なのか、ということを日々模索して、今となっては当時よりかなり良い方法で勉強が出来るようになった(※大学院受験が終わったらそのノウハウご紹介します)し、だからたとえ先天的に知能に恵まれなかったとしても、勉強の仕方の工夫次第で、ある程度はそのハンディキャップをカバー出来ることは実感として持てるようにはなったものの、やっぱり自分の脳機能が普通の人様より劣っていることに変わりはないわけで。

確かに勉強の仕方を工夫したことによって-100が-50になったのは相当な進歩であることに変わりはないかも知れないけれど、そうは言っても、マイナスはマイナスなわけですよね。元々が0とか正の値だった人には、到底敵いっこない。おまけに無論そういった人々も受験勉強や自己啓発等々に関してはかなりの努力をされるわけですから、差が埋まる気は全然しないんですよね。

普通の人でさえ滅茶苦茶努力して、勉強を継続して、頑張っているわけです。そういった人達より遥かに知的に劣っている私は、その数倍の工夫と努力が求められるのは必至であって、だからここで立ち止まっているわけにはいかない。一刻も早く机に向かって勉強を続けなければならないのだけれども、けれども…

…勉強に対する無意味感、無駄感、そして勉強が仮に功を奏したとしてもその先に待ち構えている数多の懸念…これらが、多大なる心理的負荷となって常に襲いかかってきます。だから毎日、毎時、毎秒、荒れ狂うそれら感情を自ら組み伏せ、抑圧、鎮圧し、何とか今日も食らいついて勉強していかねばならないしそうしてきたのだけれど…その辛抱、忍耐にもほとほと参ってきた。ただ、「参ってきた」「参ってきた」とこうして愚痴を言っている間に、人様は勉強をして、努力をして、どんどん先へ進んでいく。そこでまた差が開く。ああ、勉強をやらなければ。また今日も無駄感に打ち勝ってやらなければ。勉強は無駄じゃない無意味じゃない心理学はやってみなければ分からないと自分に言い聞かせ続けるんだ。潰れるな立ち上がれ、頑張るんだ…けれども、どうにも立ち上がることが出来ない。そうしてパソコン開いては、Wordにて胸中暗澹の吐露、かつは心中愁苦のないよう御開陳。なかなか人様に話せぬ苦悩、何千字と書き綴ってこれを記事として投稿せんとする惨状…。

誰が悪いわけでない。ただ運悪く、知的能力が平均的でなかったということ。理解されづらいことなのは自身よく分かっている。しかし頭で理解できていても心が置いてきぼりなのは変わらない。孤独。孤独を感じる。されど、これは何とかして乗り越えねばならぬ孤独。潰れるな。立ち上がれ。大学院入試はもうひと頑張りだ。冬受験まで先延ばしにはしたくない。是非とも秋に決めてしまって、一旦楽になりたい。楽になろうよ。そう、だから明日からまた、辛抱、辛抱、辛抱。

失われた自己効力感

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