正当な怒り

親は私を「失敗作」と認識し、
その認識を通じて、私は自身を「失敗作」と思い込む。

親は私を「出来損ない」と認識し、
同様に私は、自身を「出来損ない」と決めつける。

このように、
「他者の認識のフィルター」
を通して、自己をネガティブに評価しようとするのは、

もうやめようよ、という話。

“私”という“出来損ない”

私の母は、大変不幸な人であった。
毎日溜息ためいきばかりついており、「生きていたって何の楽しみもない」というのが彼女の口癖だった。酒が入ると時に「もう死んじゃいたい」等、穏やかでないことを口走ることもあって、当時まだ幼子だった私はヒヤヒヤしたものだった。

子供は要らなかったそうである。「なぜ子供を作ったのか?」という問いには決まって、「私は別に要らなかったのだけれど、あの人(旦那)が『欲しい』って言うから」と答えていた。また日常的に、「アタシは本当は一人で生きていきたい。来世があるのなら、そこでは結婚せず、子供も作らないでひとり清々せいせいと生きていきたい」と、しょっちゅうのたまっていた。

母のこうした不幸の原因はズバリ、本人の持つ異常なまでの自己否定感にあると見ている。母はその幼少期、自己の存在や尊厳を徹底的に否定されながら育ったそうであるから、強烈な自己否定感を抱えてしまうのは無理もない。その時の傷が全く癒えてない今、何をやっていても自らの生そのものを肯定できる瞬間が訪れず、常に嘆息していなければ到底、生きていかれなかったのかも知れない。そういった事情に関しては、同情の余地があると思う。

ただ、あの人のこうした「不幸」は、あの人自身の内部だけに留まらず、家族のメンバーをも巻き込み、苦しめることとなった。

母は家庭内で、「アタシに刃向かう奴は徹底的に懲らしめてやる」といった雰囲気を漂わせていた。その上、彼女の自己否定感が強過ぎるためであろうか、母は、誰かが取った行動を逐一悪いように解釈する癖があった。自身が意図していたのとは違う行動を他者が取った際、それを「アタシのことが気にくわないから(こういう行動を取るの)だ」と解釈し、そうした行動を取った人間を徹底的に攻撃し懲らしめることで、溜飲を下げようとする癖があった。

未だ私が小さい頃、某カードゲームにはままっていた時期があった。普段私は父にカードを買って貰い沢山のそれを収集していたのだが、ある何でもない日のことである、母が私の学校に行っている間、自発的にカードを買ってきてくれたことがあった。
学校から帰宅しそのことを知った私はそれがとても嬉しくて、勢いよく「ありがとう!」と言って封を開けた。その様を見た母は「それで良いのかどうかは分からないけど」としきりにつぶやいていたのを今でも覚えている。

その袋には5枚のカードが入っていた。私が封から取り出した一枚一枚のカードを確認していたところ、突然、母が後方から
「今、舌打ちしたでしょう」
と冷たく言ってきた。カードを眺める時の、私の表情があまり良くなかったのだろう。その表情を悪いように解釈した結果、「舌打ちをした」という難癖を付けるという行為に繋がったのだと思われる。

しかし当時の私はそのような母の心境を知る由もない。舌打ちをした覚えなど全くない私は、
「していないよ」
と正直に答えた。確かに私は、舌打ちなどしなかった。するわけがないだろう、あれだけ嬉しかったのだから――しかし、母は頑として譲らなかった。
「いいや、舌打ちをした。なに、良いカードが入っていないから舌打ちをしたのか」

私はどうにか誤解を解こうと必死であった。「舌打ちなんてしていないよ」と改めて言った後、その封に入っていたカードの中でも最も良かった一枚を手に取って、母の目の前にそれを持って行き、そのカードの何が凄いのか、どんな使い方ができるのか等、一所懸命に力説した。そうして、こんなに良いカードが入っていたのだから舌打ちなどするわけがない、そもそもカードを買ってくれたこと自体がとても嬉しかったのだと、何度も弁明したのだった。今にして思うと、非常に健気なものである。あまりにいじらしくて、書いていて涙が溢れてくる。

しかし、その言が母によって聞き入れられることはなかった。
「いいや確かに舌打ちをしました。そういう態度を取るのなら、もう二度と買わないから」
そう吐き捨てると、母は不機嫌そうに台所奥へと消えていったのであった。その言葉通り、以後、母がカードを買ってくれることは二度となかった。

――当時、さすがの私も「理不尽だな」と少々思ったのを覚えている。しかし、結局は自分を責めることになった。私が悪いのだ、何でなのかはよく分からないけれど、私が悪いから母が不機嫌になってしまったのだと考え、私は自分を責めに責めたものだった。

このように、私達は母が意図した通りの行動を取ることが出来なければ、その行動の動機を悪いように解釈されることとなり、その解釈に基づき、徹底的に懲らしめられるのだった。訂正ややり直しの類は一切認められなかった。失敗したら終わりなのである。一度怒らせたら、あの人の溜飲の下がるまで攻撃を受け続けるしかなかった。

そのようにして、私は理不尽にも、母の不機嫌の原因にされることが少なくなかった。
「私の存在のせいで母は不幸で、不機嫌になるのである」――このような罪悪感を植え付けられた私は、その都度、自分を責めに責めた。そんな時は決まって、真っ暗闇の中に自身を置き、そこで自らを「死ねばいいのに、死ねばいいのに、死ねばいいのに…」と責め続けるイメージを頭と心の中で反芻したものだった。

ちなみにこのような反芻は、28歳の今となっても時に蘇ることがある。私が人様に迷惑を掛けたり、批判されたりした折に、この感覚の蘇ることが多い。その際はやはり、心の中にあの時と同じ真っ暗闇の空間が現れ、そこに自身がひとり置かれ、自らが自らを「死ねばいいのに…死ねばいいのに…」と責め続けるという行為をやってしまう。やめたいと思っていても、なかなか振り払うことが出来ない。しばらくは抜け出す術なく、底なしの自己嫌悪に延々苛まれることになるのである。

今にして当時のことを振り返れば、カードの一件に関しては私ではなく、母の方に問題があったと理解できる。母にとって、きっとカードを見ていた時の私の喜び方は「母の想定していたほどのそれ」ではなく、そのため母の心は傷付けられてしまったのであろう。その心の傷が「あのような表情は、きっとアタシの与えたカードの中身が気に入らなかったから出たものだろう」とする歪んだ解釈を引き起こし、次いでその解釈の終着点が「つまりアタシの折角の善意が息子によって否定されたのだ」と結ばれてしまった。そして、「人様の善意を踏みにじるような奴は懲らしめてやる」ことで溜飲を下げようとし、「今、舌打ちしたでしょう」という難癖に繋がった――これは明らかに行き過ぎた曲解であり、こうした解釈の歪みを生じさせているのは他の何ものでもない、母の抱えている強烈な自己否定感であったのだと、今にしてみれば思うわけである。

しかし当時の私にはそのようなことが理解できなかった。同時に、「自分は特に悪いことはしていないよな」とか、「おかしいのはあの人の方だ」と反発するような判断力も持ち合わせていなかった。ただただ、自分は人様を不愉快にさせるばかりの人間だと己を責め続けることしか出来なかった。言い換えるなら、当時の私は従順過ぎる人間だったわけである。

その結果、私は自分の生そのものに対する罪悪感でいっぱいの人間に育った。そして自身に対するそうしたイメージを、私と母との関係だけでなく、広く他者関係全般にも適用した。だから私は、常に自分が他者にとっての「邪魔者」になっている感覚が抜けずに、誰彼構わず卑屈に振る舞うようになってしまった。私も母と同様、自己否定の塊となった。自己否定の塊だから、生きづらさをはじめとする様々な心理面・対人面・行動面での問題を抱え続けた。

そんな私を、母はどうにも誇れないでいるそうである。自己否定を抱えながら、あれこれと社会不適応を起こし問題を抱えてばかりいる私を、裏で「バカ」呼ばわりし、「(やっぱり)子供は要らなかったかもなあ…」と自嘲していたことを、つい先日、私は知ったのだった。

表では笑顔で「頑張ってね」等と言っていた人間が、裏ではそのような陰口を叩いていたわけである。確かに昔から母はそのような人間であったが、改めて、これほど両極端たるその二面性には、都度、「恐れ入るよな」と苦笑するより他はない。

“私”という“失敗作”

父にとって、私の存在は「失敗作」に他ならない。父は私に
「高偏差値の理系大学に入り、技術者エンジニアとして就職し良いお給料を稼ぐ」
ことをずっと望んでいた。いや「望んでいた」というより、それ以外の価値観を認めなかった、と表現した方が正しい。私の日常の言動に少しでも父のそうした価値観に対する反発を感じ取ると、
「それではあなたは、他人から顎でこき使われる人生を送りたい、ということでよろしいのですね?」
「あなたは誰のお蔭で飯が食えていると思っているのですか?」
等と詰め寄るか、軽蔑しきった口調で
「何だよ、それ」
たしなめるかのいずれかであった。まあ、そもそも私は昔から自己喪失しており自分の意見や考えといったものを持たず、反抗期もなかった人間なので、父の価値観に反発するようなことは殆どなく、このようなやり取りが何度か交わされるようになるのは、主に私が大学生になってからのことであったのだが。

幼少期の時分に衝突することが多かったのは、父の望むもう一つの価値観についてであった。それは「男児たるもの強くあること」であった。父は弱い者や力のない者が大嫌いであった。父は私に、強く、逞しく、そしてゆくゆくは日本人の平均を軽く上回る経済と地位を手にする、すなわち“力”を手に入れることを強く望んでいた。

しかし私は、父の望むような人間像とは対極にあった。泣き虫で、自己主張が出来ず、挙動はいかにも自信なさげでオドオドしていた。父はそんな私にイライラしており、酒が入ると私はよく泣かされていた。しかし、泣くという行為は「男らしさ」とは対極にあって、それがますます父の癪に障るようであった。よく、
「男のくせに泣いてんじゃねえよ!」
と怒られたものだった。

うっかり口が滑って、「学校で同級生に嫌がらせをされた」などという話をしてしまおうものなら、大変なことになった。
「それで、ちゃんとやり返したのか?」
と即座に質問が返ってきて、私が首を縦にも横にも振らずに黙っていると、
「何でやり返さねえんだよ。言えよ、『ふざけんじゃねえぞ』って。なんで言わねえんだよ。黙っているから相手がつけ上がるんだろうが」
と、苛立たしげに捲し立てる。そして、
「来週はちゃんと言うんだぞ。『この前のことだけど、ふざけんじゃねえ』って。言わないと相手は分からないからな?」
と、私に念を押すのである。私が苦し紛れに頷くと、その内面を察してか、
「聞くからな。今度の月曜日。ちゃんと『ふざけんじゃねえぞ』って言えたかどうか、俺が聞くからな。逃げるなよ、絶対に言うんだぞ」
と、逃げ場を塞いで説教はお開きとなるのだった。次第に私は、「親の前では自分の弱さを見られてはならない」と思うようになった。だから授業参観や運動会等で親が学校に訪問するとなれば、その時に限って、私の友達との付き合い方や話す言葉、その口調が、自分を強く見せるためのそれに変わるのであった。もしかすると当時の友達は、私の変化に何らかの違和感を覚えていたかも知れない。

あれからおよそ20年が経過した。今の私には何一つ、父の価値観に沿ったものがない。その後私は受験競争に破れ、理系の学問には一切興味が湧かず、就職先も技術者エンジニアとはほど遠い福祉業界に決めた。今では職を辞し大学に入り直し、そこでは心理学を専攻している。無論「技術者エンジニア」になる気は更々ないし、心理師って、どうやら給料が安いらしい。だから高収入であることもそれなりの地位に就くことも力を持つことも、何ら期待できない。

性格面でも、「男らしさ」とはほど遠いままだ。相変わらず弱々しく、自己主張できず、その挙動は自信なさげでオドオドしている。おまけに承認欲求と自己否定の塊となって、こうしてブログでネチネチと過去の傷を掘り返すようなことばかりしている。ちなみに「泣き虫」は治っていないが、「泣く」という行為は殆どしていない。泣きたくなる時も人生の中で沢山あったが、その度に父の
「泣いてんじゃねえよ!」
の怒声が脳内に響き渡り、涙が引っ込むのである。目に溜まった涙を頬にこぼしてしまうようなことは、殆どなくなった。まあ、この程度のことは父が望んだそれではないか。

さて、このように父の望む姿の欠片もない私を、父はどう思っているのだろう。「失敗作」と思っているのだろうね。以前一緒に旅行した際、私のことを「へなちょこ」とか「こんな奴」呼ばわりしていたこと、未だ忘れていないからね。

まあ、あの頃と変わらず、私のことをずっと見下したり軽蔑したりしていれば良いと思うよ。

そのことを私は、とても残念に思っているけれども。

親のことを批判するな

「親のことを、そんな風に悪くいうものではない」
という道徳をいつ教わったのか、その正確な時期を覚えていないけれど、私の頭には常にその倫理がチラついて、今まで親を批判することには大きな抵抗があった。

まして私の親は、私が親の価値観に従い、親の期待通りの「よい子」でありさえすれば大変優しかった。その時だけは本当に素晴らしい親として振る舞ってくれていた。
また、私は経済的に恐らく相当恵まれていた方であるが、それは親の高収入あってこその恩恵であった。親は私に沢山金をかけてくれた。そのような“良い親の一面”が、
「きちんと私を成人させ、またその間は相当の金をかけてくれた親のことを、悪く言うべきではない、むしろ感謝するべきだろう」
とする意識を強くし、やはり親を批判することに対する抵抗は未だ、大きいものがある。

けれども・・・いや、だからこそ、敢えて言わせていただく。「それはそれ」である。

どんなにお金をかけてくれようが、どんなに栄養のある食事を与えてくれようが、私の心に傷を負わせたことは事実である。

どんなに旅行に連れて行ってくれようが、どんなに予備校や習い事に通わせてくれようが、私が親のお仕着せとして長いことコントロールされていたことは事実である。

幾ら相当の金や時間や労力を掛けたからとは言え、だからといって人の尊厳を踏みにじるような真似が許されることは決してない。

良い親だったとか、悪い親であったとか、そういった事柄については、そんな風に“0か100か”で評価されるものではないだろう。

確かに、私を育てるために相当の金や時間や労力を掛けてくれたことについては感謝が必要なのかも知れないが、

一方で、これまでさんざ私を操り人形のように扱い、けれども私を思うように操られなかったからという理由で、私に「出来損ない」や「失敗作」の烙印を押したその非道な行為まで看過し、免罪する必要はないのではないか。そのことについて私が怒りを表明することは、至極真っ当な行為ではないだろうか。

自分を取り戻せ

このような考え方に至るには、『本当の自分がわかる心理学』と『大丈夫。あなたは必ず治る』という二冊の力を大いに借りた。私はこの二冊を読んで、「ああ、私は怒って良いんだな」ということを実感した。そして「怒る」という行為そのものの意義についても学習することが出来た。私が私の足で立って人生を前に進めていく上で大事になるのは、幼少期に抑圧してきた感情を徐々に放出し、自らの感情を取り戻していくことなのであると、上の二冊には書いてあった。

そのように考えると、私をこのような自己否定や社会不適合の塊のような人間に仕立て上げてくれた親に対する怒りというものが、沸々と湧き出てくるのである。よくも私を人形にしてくれたな、よくも私をサンドバッグにしてくれたな、そしてよくも私の存在をこうも否定し続けてくれたな、と。

これは小さい頃から抑圧されてきた、親に対する怒りの表出であった。私はずっと自分の感情を押し殺し、我慢をしてきた。長いこと我慢を続けていたら、自分の感情が分からなくなった。感情が分からないから、他者の目、他者の顔色、他者の評価を通じてしか、自己を評価することが出来なかった。自分の軸を持たない私は、人様から責められるようなことがある度、たとえ自分に非がなくても「自分が人間のクズだからいけないのだ」と、自責に苛まれた。それは他者の軸で自分を評価する癖が染みついた人間の辿る必然の結果であった。

しかし、これからは違う。私は怒りの感情を表出できるようになった。

これからも、私のことを「出来損ない」とか「失敗作」とか「生まなきゃ良かった」「要らなかった」等とあなた方は評価するかも知れない。
けれどもこれからの私は、そうしたあなた方の評価を通じて自己を認識し、以て自分を「出来損ない」だとか「失敗作」だとか評価するようなことをしなくなっていくだろう。私達の価値観には、大きな隔たりが出来始めているのだ。

これからは親の価値観にらず、自分の価値観や軸で、自身の生や存在を評価していくのである。「男らしく」なくても良い、「強く」なくても良い、「心理学」に興味を持ったって良い、親の機嫌を取れなくたって構わない――ただ自分が「大事だ」と思うことに従って生きていくのである。

 
そう。これからの私は、自分の価値観にどれだけ沿った生き方を実行できているかによって、自分自身を評価することにしていきます。

ヤバイ奴

変わらない優しさ

6件のコメント

  1. お金をかけてくれたことには感謝しますが、「それはそれ、これはこれ」ですよねぇ。
    親本人から「金をかけてやったんだから感謝しろ」と言われるのらまだしも、赤の他人から「金を出してくれた親に感謝しろ」と説教されるのは、到底納得が出来ません。
    コメント失礼しました。

    1. 0か100かで判断する必要はないんですよね。良い影響を及ぼしてくれたところには感謝、悪いそれには抗議をする。「金をかけたのだから何をやっても(言っても)良い」というのは、やはり違うと思います。

  2. 筆者の母親と自分が似ているように感じた。
    私も、誰かに何かをして「あげた」ときに、期待どおりの反応がないと、不安に感じる。
    それを表に出すことは良くないことだと感じているため、溜め込む。

    その母親は、なぜ自己肯定感が低いのだろう。
    私は、なぜ自己肯定感が低いのだろう。

    1. お返事が遅れてしまいました。

      真の「安全感」を感じられる経験に乏しかったからかも知れませんね。母親の場合。
      常時警戒センサーをONにしながら、自分の言動を逐一統制し続けなければ、人から認めて貰えないし、助けても貰えないし、非難されてしまうし攻撃もされてしまう。
      そのような過酷で「安全感」に欠けた環境に幼少期から適応するため、他者のちょっとした仕草や発言から「自分に対する攻撃」を読み取ろうとする警戒センサーが必要以上に発達してしまったのでしょう。

      これは母親だけに限らないですが、自己肯定感が低いのは恐らく当人の責任ではないんですよね。過酷な環境に適応するための、やむを得ぬ結果というか…。

  3. 唐突に失礼します。30代で両親共にモラハラ気質でした。
    あなたが親に言われた事を私も実体験として知っています。
    克服できているかは怪しいですが、昔よりは断然楽に生きています。
    なので通りすがりですが、書くだけ書きます。
    個人的に一番効いたのが「となりの脅迫者」という本の、モラハラの影響から脱却するためのセルフリフレーミングフレーズというものでした。
    あれのおかげで生まれてはじめて「何もかも上手くいく」と思っていいんだと気がついた。
    また、虐待による複雑性PTSDについて調べてみるといいかもしれません。
    耐えられないほどの恐怖はPTSDかもしれない。人格否定や過度の支配抑圧も虐待に含まれます。
    毒親本も読んでみると発見があると思います。
    私は「毒になる親」を読んで「8割がうちの家に当てはまる」と震えました。
    自分を生きるには、自分と向き合うだけでなく親と戦う必要もあるかもしれません。

    1. コメントありがとうございます。お返事が大変遅れてしまいました。

      通りすがりさんも苦労されたのですね。愛着や複雑性PTSD等の問題は克服するのに非常に難儀するもの(※恐怖体験が神経系に刻み込まれることで、様々な場面において不適応的な身体反応を引き起こすようになってしまう故)ですが、私としても様々な本を読むことで少しでも克服に近付けるよう前に進んでいきたいです。
      「となりの脅迫者」という本は未だ読んだことがなかったので、院試が終わり次第読みたいと思います。お勧めいただきありがとうございました。

      親との対決は(私の親については)難しい気がしていますので、日常生活において極力親の影響や干渉を低減させる工夫をしつつ、自分の本来の感じ方なり自己肯定感なりを自力で高めていくことを目指してやっていきます。

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