失恋後のオーバーキル

今回は,私がモテない男であることによってこうむった,惨めな体験について書いていく。

私は2か月前,同じ大学院に通う ある同級生に告白をし,振られた。仮にその女性をBさんとすると,Bさんに振られてからは,自身の存在価値を完膚なきまで否定されたような感覚に陥り,惨めさやら孤独感やらで「死にたい」「消えたい」等とつぶやきながら,日々のタスクを消化し続けていた。ここまでの内容については,前回『失恋』と題した記事に詳細を書いたわけだけれど,とにかく私は,毎日生きているのがつらくてつらくて,仕方がなかった。

しかし,モテない男の宿命はより残酷でなければならないらしい。私はその後,Bさんから「オーバーキル」を食らった。


先日,講義のある関係で,一年生全員が集結した際のことである。そこで女性陣が恋バナに花を咲かせ始めたわけであるが,その流れでBさんの口から,強烈な言葉が発されたのであった。

「あたし○○さんのことが好きなんだけれど,友達にその話をしたら,友達が協力して○○さんとの飲み会をセッティングしてくれて。今度その人と飲みに行くことになったんだよね!」

――私は絶句した。息が止まりそうになった。「爆発するのではないか」と思われるほど,心臓が大きな脈を打った。

かたや,女性陣の方はBさんの色恋に大盛り上がりである。

Bさんは高揚感を隠し切れない様子で,こう続ける。

「マジで飲み会がセッティングされた時は『やばいやばいやばいやばい!』ってなって!」

「最初はなかなか予定が合わなくて無しになりそうだったんだけど,あたしが友達に駄々をこねてリスケしてもらって!」

「最初のデートってどんな感じになるんだろー?」

「告白って一般的に何回目のデートでされるものなのかなー?」

――物凄い動悸がした。聞きたいようで,聞きたくない。知りたいようで,知りたくない話だった。

大フィーバーの女性陣の横で,2か月前に振られたばかりの男はひとり,あまりの苦痛に呻吟しんぎんしていた。胸部を手掌しゅしょうで思い切りはたかれたような衝撃を,まともに食らっていた。その打撃は計り知れないものであり,自身の存在価値が,胸部の痛撃と共に奈落に落ちていくのを感じた。苦しい。自身,喉から手が出るほどに欲していた承認を他の男が得ていることへの苦しみに,胸中,悲痛の転輾てんてんを繰り返した。「殺してくれ」とさえ思った。あまりの苦しさに,私はその日の講義内容が,全く頭に入ってこなかった。

同時に,途方もない「惨めさ」を感じていた。Bさんがあのように,キラキラした目をして恋バナをすることを,私は知らなかった。私の一世一代の告白には びくともしなかったBさんは,他の男が対象であるならば,飲み会がセッティングされたというだけであれほどまでに感情を動かされ,行動を喚起され,そして頭の中がその人のことでいっぱいになってしまうのである。私と他の男がBさんに与える影響の差は,これほどまでに計り知れないものなのだなと,感じた。

「惨めだなー」って思った。どれだけ俺はカスなんだよ,と思った。自己嫌悪が増幅されていくのを感じた。どこまで私は,女性から「魅力のない雑魚男」の烙印を押され続けていなければならないのだろうと,ほとほとうんざりしていた。

 

私は,自身の親を含め, 未だかつて「無条件に」自身を愛されたり,自身の存在を認めてもらったりした経験がない。だから私は,自分がただ存在していることを肯定する術を知らないまま大人になった。

そこで私は,自身の存在価値を「他者から受けている承認の度合い」によって測ってきた。他者が私を「必要」と言えば私は存在価値のある人間になるし,「不必要」と言えば存在価値のない人間になる。私にとって,自身の存在価値は安定するものではなく,常に他者からの評価によって乱高下するものなのである。

そこで今回,好きになった「Bさん」という他者――すなわち私にとって,親と同じほどの重要他者――から明確に「拒否」をされている私は,自身の存在価値というものを感じることができていない。したがって,「私は生きている価値のないカスである」「私は他者にとって,特別重要視するに値しない,取るに足らない人間である」という感覚に内面全体が浸食されている。このような感覚は,「死」が頭をよぎるほどの苦痛を伴うものであると,私には感じられる。

そんな中にあって,何食わぬ顔をしてその日一日をやり過ごさなければならなかった苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。どのような言葉でも形容しようのない苦しみに,私は内心,悶え続けていた。
 


私は,モテない。モテない男には,「きっと他にいい人が見つかるよ」とか,「きっとBさんとは相性が合わなかっただけだよ」だとか,「きっとあなたのよさを分かってくれる人が現れるよ」などといった,世間一般に流布している通俗的な慰めの言葉が,全く機能しないものなのである。私の非モテ エピソードが,それを端的に物語っている。

 
――実は,私がちょうどBさんに振られた頃,不憫に思った友人がCさんという女性を紹介してくれたことがあった。私は友人を介してCさんと会ったが,私が男としてあまりに雑魚すぎたため,Cさんとのデートは案の定,上手く行かなかった。

が,その後,友人がCさんに対して,私を猛プッシュしてくれた。「あいつはいい奴だから,絶対に付き合ったら幸せになれる。ああいう奴こそ付き合うべき男なんだ」と,Cさんを説得してくれたのだった。そうして私はCさんと再度繋がった。私はCさんとコンタクトを取り続けた。Cさんから「私の舞台に来てください!」と言われた際,私は舞台にまで足を運び,舞台の休憩時間にはロビーで落ち合い二人で話をするようなことをした。後日のデートのお店もこちらの提案で,Cさんの職場近くの,Cさんの好きな日本料理屋を予約した

…までは良かったのだが,デート前日(というかほぼ当日)に,私はCさんよりキャンセルを食らってしまった。理由は「急な体調不良」とのことであったが,私は全てを察していた。一度目のデートでの惨状や,Cさんとの日々のLINEでのやり取りの拙さや,舞台に行った際に交わされた会話等を通じて,私はCさんから大幅な減点をされ続けたのだろうということが,すぐさま了解された。いつものことなので,慣れている。

私は敗戦処理にいそしんだ。「キャンセル料はかからないのでお気になさらないでください」と嘘を吐き,続けて「体調が何よりですから」「またリスケしましょう」等と,立派に取り繕った。無論,相手がその話に乗るはずもなく,以降 連絡は途絶えた。私の元には,キャンセル不可になった日本料理屋の予約メールだけが残された。

私はキャンセル料を払うのを惜しみ,わざわざ遠方にある,Cさんの職場近くの日本料理屋へ行き,たまたま近くに居たきょうだいを相手にヤケ酒をした。勘定は14000円に達した。レシートを片手に掴みながら,「バカなことになったものだ」とひとり,自嘲した。これだけ友人のサポートを貰っておきながら,私はデートにさえ漕ぎ着けることができない,それほど魅力がねえ男なんだなと,改めて思った。

 
…友人の手厚いサポートを受けながら振られた経験と言えば,以前記事にしたAさんについてもそうだった。大学時代の友人が街コンで今の奥さんと出会った折,その奥さんと友人によって紹介されたのが,Aさんだった。

Aさんと私はイタリアンレストランで食事をしたのだが,当時の私は,今の私を凌ぐほどのコミュ障であった。そのため,会話が全然,盛り上がらなかった。いや,「盛り上がらなかった」などという生易しいものではなかった。「会話のラリーが続かなかった」等と言った方がよほど,当時の凄惨な状況をよく表現できているかと思う。

そのようなざまであったため早々にデートは終了し,Aさんはデートの後,私の友人に「あの人は素敵な人ではあったんだけど,会話がちょっと…」と言って,はじめは断ったそうである。

が,友人と(友人からの偏った伝聞によって私を好意的に受け止めた)その奥さんが,「たった一回じゃ分からないよ!あの人は絶対にいい人だから!」とAさんを説得してくださったようで,その甲斐あって,私は友人カップルも交えて,再度Aさんとお会いすることができたわけである。

が,私のコミュ障度合いは凄まじいものがあり,その場でもろくすっぽ,Aさんと喋ることができなかった。それでも友人とその奥さんは「あの人は凄く優しい人だから!」と,私を全力で推してくれたようであった。Aさんはそれを受け,頑張って私を好きになろうとしてくれてはいたらしいのだが,やはりどうしても好きにはなれなかったようである。結局 私は,三度目のデートの提案をすると同時にAさんから「実は職場で好きな人ができたので,他の男の人とはもう遊ばないことにしました」と言われ,振られてしまったわけである。

私は,これだけのサポートを両友人から受けていながら,短期間で見事,Aさんに振られたのである。それほど,私には男としての魅力に乏しいわけである。
 

さてAさんに振られた後,寂しさに耐えられなかった私は,一念発起してマッチングアプリを始めた。しかしそこでも私は,とことんモテない現実を味わわされた。

私の課題は,外見というより内面にあった。私のプロフィールを見て「いいね!」を送ってくれた女性はいらっしゃったわけだが,メッセージのやり取りではノリノリの乙女であったはずの相手が,一旦私とデートをした後は一転,冷たくなった。私の人間としての内容が薄すぎた――すなわち私の内面がカスすぎた――ためである。

それでも私は諦めず,ある女性が「サカナクションが好きです」と言えば,デートまでにサカナクションを何曲も聴き込んだし,ある女性が「有川浩さんの『ラブコメ今昔』っていう小説が好きです」と言えば,やはりデートまでにその小説を読破した。が,そこまでやっても尚,私の全身から滲み出る自信なさげのオーラと挙動,そして度肝を抜かされるほどのコミュ力のなさと男らしさの欠如とが,女性の恋愛感情を徹底的に萎えさせてしまうようで,二度目のデートに応じる女性はただの一人も現れなかった。

いやそれどころか,ある女性に至っては,私が会話の中で恋愛話を持ち掛けるや否や,「あなたから『恋愛』という言葉を聞かされて,私のトラウマが再燃した。折角いい友達だと思っていたけど,もう連絡しません。さようなら。」とまで言い放ったのである。これには相当なショックを受けたものだった。

そう。女性の一部には,眼中にない雑魚男から恋愛的な好意を向けられることに,激しい嫌悪感を示す者がいる。彼女はまさにそれだったのだろうと思う。彼女にとって,私の口から「恋愛」などという単語を聞くこと自体,身の毛もよだつほどの嫌悪感を掻き立てられることだったのだろう。

「どうせ私は雑魚だよ」「どうせ私は気持ち悪いさ」――私は,そう自嘲した。この一件に関しては自身の中で,ややtraumaticな痛みを伴って思い出される体験として,今でも残り続けている。

 
 

以上のエピソードを以てお分かりいただけたことと思うが,私は,男としての魅力がない。

このままでは,今後も誰かを好きになっては,その相手からことごとく振られ,しかし振った女性の方はのちに,別の男と幸せになっていくというその様を,ただ指くわえて眺めながら,自身の存在価値のなさ,魅力のなさに心を砕かれるだけの人生を送ることになるのだろうなと思う。

このままでは,誰からも愛されることなく,人生を懸けてでも言われたかった,

「あなたの存在に価値はあるんだよ」
「あなたの存在は私にとってとても重要なんだよ」
「あなたの歩んだ人生は決して無駄じゃなかったんだよ」

といった類いの言葉は,生涯,貰えることがないのだろうなと思う。

そして私の方からも,好きになった相手に特別価値ある何かを提供することや,好きになった人を特別に喜ばせたり,満足させたりするような何かを与えることは一生,できないのだろうなと思う。事実,私のような雑魚男がどんなに時間や労力,金銭を投資して選りすぐった贈り物や言葉の数々よりも,意中の男からの何気ない一言や,一杯のコーヒー,ひと切れのチョコレート等の方が,女性の心にはずっと響くものなのだろうと思う。人と人との情とは,そういうものなのだろうと思う。誰かに特別な,唯一無二の幸福を与えるためには,「何をどれほど与えるか」よりも,「誰が与えるか」の方が,ずっと重要なのである。雑魚男であり続ける限り,私は,好きな人から承認を与えられることはおろか,その女性を特別喜ばせたい,楽しませたい,幸福にさせたいと思ったとしても,ある一定以上のそれを与えることは,決してできないのである。
 


Bさんの「恋バナ」を皮切りに,女性陣(ちなみに大学院の同級生は私を除いて皆女性である)も自らの恋愛事情を話し始めることとなった。そこで初めて知ったのだが,なんと女性陣には皆,恋人が存在した。

それを知ったとき,素直に「羨ましいな」と思った。私(とBさん)を除く皆には,その人の存在を認め,その言動を重要視し,メンタルが崩れそうになった時は支えてくれるような恋人がいるのだな,と思うと心底「羨ましい」と思った。現在いまの私のように,心が壊れてしまうのではないかと思われるような危機的状態にあるとき,手を差し伸べてくれるような重要他者の存在することは,どんなに心強いことだろうかと思う。「彼のこんなところが好き」「彼のこういうところが“可愛い”って思う」等といったエピソードトークが耳に入ってくる度,尚のことその思いが強調された。

そして――Bさんも無事に恋人ができた暁には,そのようなトークを繰り広げるのだろうか,とも思う。Bさんが幸せなのはいいことなのだけれど,そうなったら私は,ますます惨めな思いをすることになるのだろうな,と思う。

一体どこまで私は,この胸の痛みに耐えていけばいいのだろう――そんなことをつい,考えてしまう。

 

Bさんより「オーバーキル」を食らって以降,私は毎朝,目を覚ますと第一に「あれは何かの悪い夢だったのではないか?」と自問するようになった。

ただ,意識が覚醒するのに伴い,それが決して悪夢などではなく現実に起こったものであることが認識されていくにつれて,胸の内側に小さく刺すような痛みが走るのである。チクリ,チクリと,これが地味に痛いのである。時々大きな痛みが「動悸」という形で現れ,そのときは取り分け多大な苦しさを覚える。こうした“痛み群”を敢えて言語化するのであれば,自身がBさんから「魅力のない雑魚男」として認識され続けていることへの,形容しがたいほど強烈な惨めさと悔しさなのだろうなと思う。

 

今までブログではあまり書いてこなかったけれど,私は,自分という存在が女性にとって,男として魅力的に映らない現実に強烈なコンプレックスを抱き続けてきた。私という人間は女性にとって,男としては格下の雑魚であり,時には気持ちの悪い存在としてしか認識され得ない現実に,惨めさを感じ続けてきた。

そのような色眼鏡を掛けたまま長いこと生きてしまったものだから,いつしか私は自身の一つひとつの言動が,まるで女性から「気持ち悪い」と認識されているのではないかという恐怖に随時,さいなまれるようになった。そうしたネガティブな信念が,私の自信を奪い,それが自身の挙動の不自然さを生じさせ,それによってますます「非モテ」が加速されるというスパイラルに陥っていることもまた,自覚している。

 
…好きで「魅力のない男」に生まれたわけじゃねえんだけどな。

好きで自信を無くしているわけでも,コミュ障であるわけでも,知的能力が低いわけでも自己喪失から抜け出せないままでいるわけでもないんだけどな。

心底,「悔しい」と思う。どうしてこれまで,愛というものを知らない中,散々苦労し沢山の傷を抱えながらもここまで必死に耐えに耐えてきた人間が,「魅力のない男」の烙印を押され続けなければならないのだろう,と思う。

思ってしまうのだけれど,少しロジカルに考えてみれば分かる話である。私のこれまでの頑張りは,あくまで「生きる」ための努力に過ぎず,「モテる」ための努力にはなっていなかった,というだけの話なのである。野球を上手くなりたい人間が,いくら水泳の練習を頑張ったところで,野球の技術は向上しないのと同様,どんなに「生きる」ことに必死になっていても,それが「モテる」――すなわち,「魅力ある男」として他者に認識される――ことには直結していない,ということなのである。

正しい努力をしなければ,結果は伴わない。これは世の中の常識である。モテたいのであれば,「生きる」ことを頑張るだけでは,ダメなのである。「生きる」ことを頑張り続けながら,並行して「モテる」ための努力を意識的に取り入れていかなければならないのだ。

――頑張ろう。このままでは絶対に終われないだろう。

精神的に凄くつらいけれど,雑魚男から脱却したいのであれば,やるしかないのだ。好きになった人から承認されたり,好きになった人に特別な幸福感を与えられたりするような男になるためには,己の魅力を磨いて,雑魚男から脱却しなければならないのだ。

誰からも愛されず,認められない痛みや惨めさを抱えながらも一人で努力を続けていくことについては,自身,凄まじい苦しみを伴うものだと感じている。中途で何度も死にたくなるけれど,それに耐えながら自身に発破をかけて,一つひとつ階段を上っていかなければならない苦しみは,壮絶なものであると実感している。ただ,私は努力すること以外に,現状を変える方法を知らない。だから私は,

「今の痛みは私が将来,幸せを得るために必要な成長痛のようなものだ」
「振られ,雑魚男認定された惨めさから這い上がった経験こそが,自己を成長させるのだ」

等と自分自身に言い聞かせ,自身が潰れてしまわぬよう,何とか持ち堪えていけるよう己を鼓舞し続けている。

とにかく,己の魅力を上げるための努力を続けていこう。そして,逆境の中こうして努力を継続できている自分を,自分で肯定してあげよう。とにもかくにも努力をして,実力をつけて,結果を出して…そんな自分を好きになろう。

自分を好きになれるような,自分を成長させるような,自分の将来の幸福に直結するような行動を,取り続けていこう。何の結果も出せていない現状でこうした努力をし続けることは本当に,本当にしんどい。しんどいんだけれども,やるしかないのだ。頑張り続けること以外に,私は現状を変える術を知らない。

…私はきっと,この惨めさを忘れないだろう。将来,見事「雑魚男」から脱却し,幸福を掴み取ることができたならば,同じような惨めさを抱えている人々に対して,「大丈夫。あなたも絶対に幸せになれるから」と,希望や勇気の出る言葉を掛けられる人間になれればいいなと考えている。人から愛されない苦しみや,気持ちを理解されない苦しみに悩む人々に勇気と希望を与えることが私の人生における目標なのである。私は,そのような人間になりたい。そのためにも,結果を出さなければ。そう考えている。
 

 

最後に,Bさんの恋路に関しての私の考えについて述べるが,シンプルに,「その男性と上手く行くと良いね」と思うようにしている。本件においては,たしかに自分自身が相当傷ついたということもあって,正直に言ってしまうと「Bさんを見返してやりたい」という気持ちがないわけではない。けれども,仮にBさんを何らかの形で「見返した」ところで,お互いさして幸福にはならないことは私自身,知っているつもりである。

結局のところ,自身が今の課題を克服して見事幸せを得られた暁には,2か月前に振られたことや,先日,面前で「オーバーキル」を食らったこと等は,特別問題になることはないのである。今私が抱えている苦しみは,あくまで私自身の抱えている「不幸」が源泉にある問題なのであって,Bさんには何ら関係がない。本件については私が幸せになりさえすれば,万事上手く行くことであるに過ぎない。そのことについては十分,理解しているつもりである。

であるならば,対人援助職を目指す者として,そして男として,自分がどんな状態にあろうとも,「相手の幸せを願う姿勢」は忘れてはいけないと思う。人は,弱った時こそ地力が試されるものである。自分が不幸な時でも,「今はそうでなくても将来はきっと幸せになっているはずだ」という希望を土台に,人様の幸せを願えるような人間でありたいものだと考えている。

だから私は,「好きだった女性の幸せを願えない男はオトコじゃねえ」くらいの気概を持って,虚勢でも強がりでも何でも構わないから,Bさんがその男性と上手く行くことを願っていようと思っている。と同時に,私は私の幸せのために,努力を続けていかなければならないと思っているし,このまま努力を継続していく所存でもある。それが恐らく,この件における最適解ではないか,と考えている。私は,負けない。

失恋

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