変わらない優しさ

変わらないもの

それは時に、私に“無条件の優しさ”を与えてくれる。見返りを求めぬその優しさは、私の心を静かに、あたためてくれる。

しかし時を同じくして、その温もりは独特の“つらさ”へと変わってゆく。優しさを与えられた後に誘発される、正体不明の胸の苦しみ。

今となっても、その痛みに慣れることはない。

あれは小学生の頃だった。20年前のあの夜、私は母を怒らせた。

夕食時のこと。リビングでテレビに夢中になっていた私に、母は夕食の出来上がったことを告げた。

食卓には天ぷらが並ぶ。このとき、母と私の間では確かに、

「今日は天つゆじゃなくて塩で食べなさい」
「うん分かった」

といったやり取りが交わされたそうなのだが、私はさっぱり覚えていなかった。テレビに夢中になっていたためだろう。このとき、私の

「うん、分かった」

という発言は、まったくの“空返事”になっていたのだ。

こうして食卓に着いた無知なる私は、天ぷらを前にして、あることに気が付く。いつもは必ずついてくるはずの天つゆが、この日ばかりは出ていない。

このとき私は素朴に、「きっと出し忘れてしまったのだろう」と直感した。

そこで、尋ねてしまった。

「――天つゆはないの?」

悪気など、毛頭なかった。そこに“母を傷つけてやろう”などという魂胆は、微塵もなかった。

しかし

それを聞いた刹那、母の動作の一切が停止すると、
その表情が、みるみるうちに強張っていった。

先ほど、

「今日は天つゆじゃなくて塩で食べなさい」
「うん分かった」

というやり取りを交わしたばかりであるにも関わらず、その舌の根も乾かぬうちに、天つゆの所在を尋ねるというその心計。

それは、

“天つゆを用意しなかった母に対する、攻撃”

として、彼女の心には映ったらしい。

母は表情を強張らせたまま、天つゆを作る準備に取り掛かった。このとき私は、なぜ母が怒っているのかが理解できていなかった。

しかし母の次の一言、

「“今日は天つゆじゃなく塩で食べなさい”って、言ったでしょう」

を聞いて、合点した。私はさっき、母の一言に対し空返事をしてしまっていたのだ。人の話を、聞いていなかったんだ。

とんでもないことをしてしまったと思った。

別に私は、“塩で食べる”ことが嫌いなわけじゃない。それならそうと再度言ってくれれば、おとなしく塩で食べられた。そういうことであるならば、天つゆなんて、要らない。

私は必死になって、天つゆを作る母に言い訳を並べた。

「テレビに夢中で、話を聞いていないかっただけなんだ」
「そんなつもりで言ったわけじゃない」
「天つゆはもういらないから」
「塩でおいしく食べられるから」

と、散々に許しを乞うた。自身の過ちを、できる限り最小限に抑えようとした。

けれども母は、私の声を黙殺し、黙って天つゆを作り続けた。その表情は、相変わらず硬いままだった。私の声は、あの人の心には届かない。私の声によって、「あらそうだったの」と、すぐに天つゆづくりを中断し、何事もなかったかのように振る舞ってほしいという私の願いは届かなかった。

我が家において、mistakeは、決して許されないものなのだ。一度犯してしまった失態を挽回するチャンスは、ほぼ与えられない。mistakeをしてしまったら最後、その後は為す術なく、時間を追うごとに事態がみるみる悪化していくのを力なく見届けていることしかできないのだ。

私は母を怒らせた。

怒らせてしまった。

私は人様をまた、不快にさせてしまったのだ――。

悲しさやら、孤独感やら、寂しさやら、自責やらといった感情がいっぺんに全身を襲ってきた。それはおのが身の潰されてしまいそうな、凄まじい罪悪感を伴ったものだった。

それと同時に、私のような出来損ないは、このまま消えてなくなってしまえばいいのだという思いが湧いてきた。拭いきれぬ罪を犯した私に、存在価値などない。
消えてしまえ。いなくなってしまえ。そうして二度とこの地を、両の足で踏みしめる機会が訪れなければいい――私は自身を、責めに責め続けた。

天つゆを作り終えた母は、完成したそれを私の目の前に

ゴン

と音を立てて置いた。プラスチック製容器の中で、褐色の液体が大きく揺れた。

私は黙って、それを眺めた。このときはまだ、お皿の底面に“機関車トーマス”の絵柄のプリントされたお皿が現役で使用されていた。天つゆはそこに容れられてあって、中を覗くと、その“トーマス”の笑顔が、場違いなほどに光っていた。

このときのことを、私はよく覚えている。

お皿の底に描かれた“トーマス”の笑顔は、当時の私の心境とは対照的に、「無邪気」そのものだった。その表情は、私がその時、どんな状況に置かれ、どんな心境にあったとしても決して変わることのない、まばゆいばかりの笑顔であった。

私が元気なときも、病気のときも、はしゃいでいるときも、落ち込んでいるときも…

私がどのような身分にあるときでも、同じように見せてくれる、屈託ない笑顔であった。

自身が、言い知れぬ罪悪感と自責の念に駆られているその最中さなか、“トーマス”の見せる「変わらない笑顔」が、このときの私にとってはやけにやさしく、やわらかく、あたたかく感じられて――かえってその優しさが、つらくてたまらなかった。

私のようなダメな人間が、生きている価値のない人間が、
“いい子”であった頃の自分と同じだけの権利を、この“無邪気な笑顔”によって与えられているこの感じ。

どれだけの罪を犯し、それによって自身の価値がどこまでなくなっていってしまおうとも、

まるでトーマスの見せる普段と変わりのない無邪気な笑顔は、
「大丈夫。それでも君には、どんなときの君とも同じだけの喜びや、ぬくもりや、安心感を享受するだけの権利があるんだ」
と言ってくれているような気がして、それが時間を追うごとにジワジワと胸に優しく響いてくるようで、

けれどもその優しさが、どういうわけかなおのことつらく感じられてしまって、

あまりの苦しさにたまらず私は、その目をトーマスからそらしてしまったのだった。

変わらないものは、「トーマスの笑顔」だけでなかった。天ぷらを口にすると感じられるその“味”もまた、私に不偏の優しさを与えてくれたのだった。

その晩に食べる天ぷらの味もまた、どれもこれも、いつも食べるときのそれと全く変わらなかった。

このときの私は、自身を途轍もない罪人であるように感じていて、自分のことを、このまま跡形もなく消えてしまった方が世の利になるような、無価値で害悪な人間であるように感じていた。

しかし食卓上の天ぷらは、そんな無価値で害悪な私にでさえ、いつもと変わらぬ味を提供してくれた。天ぷらを口に運ぶたび感じられる「美味しさ」は、私の存在価値の有無に一切よることなく、全く変わることがなかった。

このときの私には、人様を不快にさせてしまった罪深き自身になど、“美味しさ”を味わうだけの資格のないように感じられていた。

それにも関わらず、天ぷらは私に対する態度を全く変えなかった。

私が人様を不快にさせることなく、“いい子”として堂々と胸張って生きられていた時と寸分違わぬ味で以て、私を迎えてくれた。それはまるで、
「どんな君にでも、食を味わう権利はちゃんと残されているんだよ」
と語りかけてくれているように感じられ、その温もりが胸全体に染み渡っていった。

しかしながらそれと同時に、天ぷらの与えてくれたその“無条件の優しさ”がどういうわけか、私にとってはとてもつらいものに感じられたのだった。

――あの日から20年近くの月日が流れた。

20代も後半を迎えた今となっては、自身のある言動が、仮に人様に不快感を与えてしまうようなことがあったとしても、それを以て自身の存在を「無価値だ」とか「害悪だ」と断定する必要がないことを、頭では理解できるようになった。

人はどんなことがあろうと、生きていてよい。
どんな人にでも存在価値というものはあるのだ。そしてそれは、如何なる理由によってもひっくり返せない、“事実”なのである。
そのことを前提として、自身の生き方を決定させていく。それこそが、本当の意味での“生きる”ことであるということ。

20年という長い歳月を経て、頭だけでは、そうした理屈を理解できるようになった。

けれども心の方はまだ、20年前からあまり成長していないなと感じている。今でも、自身の言動が何らかの形で人様を不快にさせてしまうようなことがあったり、また何らかの理由で自分の人生が上手く行かなかったりしたような折には、心に底なしの罪悪感、自責の念ばかりでなく、自分という存在の害悪さ、無価値感までも渦巻くことになってしまう。
この先も、事ある度、私はこうした深い自己否定感に苛まれる機会が訪れるのだろう。

さて私の勉強机の横には、小さな物置のようなスペースがある。そこには色々な雑貨が所狭しと並んでいる状態になっているわけだけれど、その中でも、ひときわ異彩を放つものがある。『ごろりんラスカル2』のぬいぐるみだ。10年ほど前、近所のUFOキャッチャーで取ってきたものだ。

この毛むくじゃらの小動物もまた、一切表情を変えることがない。はじめて出会って10年が経過した今となっても、あのときと同じ眼差しで、机に向かう私をみつめている。

彼と出会った10年前。当時の私は大学受験を控えていた。この頃の私は、自身の将来に希望を抱いていた。だから日々充実した態度で、この小動物と向き合っていた。この小動物は、柔らかなほほえみを以て、そんな私を迎えていたものだった。

その後、私は大学受験で大敗を喫する。
大きな挫折を経験させられたのも束の間、どうにか入学した大学でも、周囲のレベルについていけずに落語者となった。それまで自身に抱いていたはずの将来に対する希望はことごとく消え失せ、人生に絶望し切った私は遂に自暴自棄になり、貴重な大学生活の大半を空費した。

そんな折にも、この小動物は毎日、何があっても、あの時と変わらぬ、柔らかなほほえみを以て、私を見つめていたものだった。

その後、どうにか生活を立て直した今となっても、小動物の私に向けるその眼差しは、あの頃と変わらない。この小動物は、私がどんなに日々充実した人生を送っているときでも、はたまたどんな逆境に立たされているときでも、決して変わらないほほえみで以て、私を公平に迎え入れてくれる。それはまるで、

「どんな君だって、紛れもない君じゃないか」

と言ってくれているかのように思われる。

きっとこの小動物はこの先、私がどんな困難に見舞われ、どんなにボロボロになってしまうようなことがあったとしても、これまで見せてくれたのと同じ眼差しを以て、私にほほえみかけてくれるのだろう。

その優しさが、とても嬉しくもあり、

しかしどういうわけか、今になってもやはり、20年前のあの晩と同じように、

つらくも、感じられてしまうのだ。

14件のコメント

  1. お久しぶりです。旧帝大院を修了し、社会人となりました愚学生です。目指していた医者にはなりませんでしたが研修医並みの激務で医者と同じような働き具合です。
    さて、めっきりお返事することなく院を修了したわけですが、電車の遅延で帰宅難民になって呆然としていると偶然思い出しお便りすることとしました。ストレスフルな院を修了したのも束の間、追って変わってストレスフルな職場に勤めることとなり、青色吐息の毎日です(就職活動は私立大医学部受験の如く圧勝で医者を凌駕する給与をいただける数社に内定し、今の勤め先を選びました)。お互いに目指していたメディカルから距離を置いた勤め先ではあり、挫折感と憂鬱さを抱く辺り、難しいことだと思います。
    かと言って、私の場合は医学部受験からの灰色の大学生活を送って、大学院も就職活動と研究で灰色の大学院生活であり、社会人生活も仕事ばかりで空模様は灰色な気分です。こうして、理想と現実のギャップに歳悩むばかりです。思ってたように生きるとは難しいものですね。
    他にも思うことはありますが(例えば、やっぱり医者が良かったのではw)、時々お話しできれば幸いです。これからも、よろしくお願いします。

    1. お久し振りです。コメントの文面を拝見するだけでも相当多忙なご様子が伺え、目が回ります。笑

      就活圧勝については素直に羨ましいです。愚学生さんのコメントからは以前より有能臭が滅茶苦茶していたので驚きはしません。が、本当に、素直に羨ましい。笑
      確か随分前に、メディア関連会社に就職された(?)といったコメントを頂いた記憶があります。高給取りになられるとのことですが、やはり未練は残るものですよね。というか、問題はそこではなく生活の方にあるのでしょうか。「灰色」の生活とありますものね。ストレスフルな状況が落ち着いてくれれば心持ちも変わってくるのかも知れませんが、あいにくメディア関係は激務(のイメージ)です。本当、思っているように生きるのは難しいです。

      このブログはしばらく続けていくつもりですので、またお時間のあるときにいつでもいらしてください。楽しみにしています。

      1. コメント、ありがとうございます。以前と変わらぬお優しい方で、再びブログを見に来て良かったと思っているところです。何かと仕事が激務な上に詰める文化で灰色生活なので、こういうブログを読んでいると一時の休めになります。ブログ、続けていかれるとのこと、嬉しいです。今後とも、是非よろしくお願いします。
        勤め先ですが、いわゆるマスコミを含めた概念である文系就職で、コンサルティング・シンクタンクのような勤め先です。仰るように、先に申しました通りマスコミからも内定をいただき、幾分か迷った上で現在の勤め先としました。でも、勤め先をどこにするか迷ったのに医者に何となく未練はありますね。ストレスフルで何のために働いているか分からなくなる勤め先より、のんびり医者の方が良いかなと思う辺りです(ただし、勤め先の見方とすると医療も公費診療のような社会保障制度が傾いていくと言えて勤務医が良いとも言えないんですけどね、自由診療はケースによっては成長銘柄と言えるそうですが心配だなと思います)。本当に優秀に仕事ができるのなら、医療も然り社会問題を解決したいところですが、全く及ばないところであり、ストレスフルなだけでやるせなさばかりを思うところです。という感じで、どうしようもない悩みを学生時代に引き続き抱えて悩んでいるところです。

        1. そうでしたか、コンサルやられているんですね。
          現状として、就活は間違いなく「成功」と言えるでしょうし、給与も申し分ないけれど、仕事は激務で社内の文化も厳しい。おまけに医者への未練もあって、何となく生き甲斐を感じられにくくなっている…といったところでしょうか。なかなか、未解決の葛藤を乗り越えるというのは難しいですよね。というか、次から次へと葛藤の芽が出てきて、それへの対応に追われてしまうという面もあるかと思いますが。

          1. コメントありがとうございます。仕事が忙し過ぎておかげで始発電車で退社する日々ですねwそれもあって葛藤の日々ですwただ、理系研究室で培ってきたストレス耐性と徹夜耐性は社会人になっても十分に発揮できており、理系で良かったなぁと思ってしまいますw葛藤というより寝不足で混乱しているのかもしれないですw

          2. 始発退社はエグイですね…。本当に大丈夫でしょうか…心配になります…杞憂であってくれるといいのですが…

  2. 職を辞して大学で学び直しされるとのこと、是非頑張っていただければと思います。今の時代、リカレント教育がキャリア形成に肝要であり、社会人になって大学大学院に通うことは何ら変わったことではありません。私は工学研究科を修了しましたが、私も社会人からの大学院進学に興味があります。と言っても、私は邪推にも経費でMBAや経営大学院に通わせてもらおうと、不純な興味を抱き、大学院進学の目的と手段が逆転し迷走するばかりです(医学部受験の反動が相当大きく私大英語のTOEICが振るわず、TOEFLの沼に陥り迷走を重ねています)。職を辞してまでもの自身の将来への決断、実に清くて感心します。私も目的意識を抱いて大学院進学を考えたいと思います。

    1. 大学での学び直しについて、肯定的なお言葉をありがとうございます。私自身、大学生時代はアイデンティティがなく、自分が一体なにをしたいのかがイマイチよく分かっていなかったんです。そんな中、理工学部時代の手痛い過去や就職先での経験、自身の内面分析諸々鑑みた結果、心理学に手を出すことになった次第です。

      今の時代そんなに珍しいことではないみたいですね。現に私が二年前にスクーリング授業に参加した際は、30代~50代(と思しき)学生が沢山授業を受けていました。前職での経験も今後勉強や、その先の臨床でも活かしていけると良いなと思っています。

      愚学生さんもチャンスがあれば是非・・・と書こうとしましたが、「経費でMBAや経営大学院」とありますね。これ良いですね。笑 進路選択における心理的な障壁も下がりそうです。
      ただ、そこに愚学生さんの興味と合致する選択肢があると尚良いのですが・・・。まあ動機が「不純」かはさておき、何か進展等ございましたらご一報ください。純粋に、興味があります。

      1. コメントありがとうございます。これまで、毛のふくろうさんがされてきた経験、心理学でリカレント教育を受けられる経緯が改めて分かったと思います。本心の動機であり、私の不純な動機より、望ましく受け入られるものと思います(給料を上げたいのでリカレント教育を受けるのは良くないと思います)。寧ろ、本心の動機の方が意欲も考えもポジティブに作用すると思います。是非、そのお気持ちでリカレント教育を受けられるとよろしいかと思います。
        一般に就活は難しいですよね。周りを見ていても旧帝大なのに就活で躓く方もいらっしゃって(阪大でご存知かと思いますが阪大工学部生を不採用にする社はあまりありません)、自身を否定されたとも言えるだけに辛そうだと思いました。毛のふくろうさんのお話しを読んでいても、自分自身を正直に打ち明けているのに不合理だなと思いました。と言いつつ、私自身は学部生の時の就活でもある程度成果が出ていたこともあり、幸いにも大学院も就活は順調で、国立大医学部受験より遥かに就活に適性があるなと思いましたw(どちらかと言えば、私立大医学部受験のような感じで、何処かに受かれば良いと思えたのが勝因だと思います)。ちなみに、正直に内面分析をしたり将来を考えたりするよりも、企業ごとに企業が求める人材像に沿った人物と思わせられるように演じて選考を受けたのが良かったので、もしかしたら就活というより何かの芝居に近かったかもしれません(そのせいで、ストレスフルで詰める文化に正直戸惑いが隠せないのもありますが)。また、ジョブという模試のような機会もあり、周り中が何もせずE判定連発して落ちてる感じでも、C判定であってもしがみついたのが良かったでしょうか。つまり、模試で自身の立ち位置を探りつつ、赤本青本を読み込んで傾向と対策を掴む入試を受けるスタイルが、あっていたのかもしれないです(実際はジョブや食事会で囲い込まれてた社もあったので、入試で言えば私立大医学部顔負けの不正入試に近い感じもしますが企業の選考なのでどうしようもない気がします)。
        まだ入社したばかりで大学合格時の受験生の如くどうしようもない内定体験記になってしまいましたが、受験と一緒で努力が必ずしも反映されるとは言えないことが難しく尚一層もどかしいと私も思います。一方で、リカレント教育は門戸が開かれており、仰るように幅広い年代層から受講者がいらっしゃるかと思います。これも大学受験と同じで合格後に何のために大学に行ったか分からなくなる層もいると思います、片方で目的意識を持って自発的に勉強されるのであれば寧ろ立場や経験は強みになると思います。是非、そうした自分だけの積み重ねを活かして勉強されると良いと思います。

        1. 旧帝でも就活で躓く方は一定数いらっしゃるようですよね。原因は様々考えられますが、確かにそれだけの学歴あって内定でない苦痛は計り知れないでしょうね…
          あと、私に関しては就活以前の問題と言いますか。極度の対人不安や自信のなさ、自己喪失等々、とにかく内面に種々の問題を抱えていましたので、まともに相手と対峙することが出来ませんでしたから。愚学生さんの仰る通り、企業の求める人物像に自身を合わせるってことをしなきゃ内定はなかなか出ないですね。今ならそれがよく分かります。

          1. コメントありがとうございます。学歴があっての不採用で当人が受ける苦痛は仰るように凄まじいものだと思います。現実、今でも真面目すぎる理系院生の中には企業と教授陣のアドバイスを素直に聞いて、推薦で専願にしたのに最後にメーカーに捨てられ不採用になる可哀想な人もいらっしゃるようです。それで、一個人の新卒カードが毀損されたのに、企業と教授陣が終始自己責任論を振りかざし誰も手を差し伸べないのが何よりも理不尽であるとしか思えませんでした(なので、私はメーカーを隠避し、周りの空気を読まずに平気で文系就職を選びました)。それでも、就職するわけですから、専願に賭けて失敗するのは、当人たちのリスクマネジメントの弱さでもあります。それこそ旧帝大なので、ストラテジックに考えて行動するべきではと思います。一方で、中には潔く負けを認めて不満足な就職を受け入れる人(こういう人にはリア充が多い気がします)もいるようですが、人の良さに付け込まれ不幸だなと思ったりしました(このように考えてしまう辺りが私の功利的というか嫌味な性格で、私立医学部受験で面接不合格校があったり、マスコミやコンサルと相性が良かったりする原因かもしれません)。
            でも、自己努力が報われない悔しさは何よりも耐えがたいと思います。よくある話ですが、東大工学研究科でもン二ー、卜ヨ夕に不採用になり、一方で私立大学学部生がなぜなのか技術職で採用されるのは不合理と思えます。つまり、とても能力や適性を面接で視ているとは思えず、表層だけで判断していると思いたくなるところです。毛のふくろうさんの話も同様で、自信のなさ、自己喪失についても、よく考えようとしないのが面接のおかしさだと思います。逆に見方を変えれば、謙虚さ、冷静さに近いものであり、これまでのお話を見ると、きめ細やかさが求められる繊細な仕事には向いているでしょうし、それくらい人事担当者であれば考えられなければと思います。つまり、企業の求める人物像で採用すると、企業の求める人物像を装った人でも入れて、内面をじっくり見ていないことの裏返しだなぁと思います。
            それだけ面接は茶番劇ですし、何よりも人事担当者や人材会社の見る目が乏しいので、今の採用制度の矛盾、そして惨状があるかと思います(個人的な経験ですが、マスコミやコンサルは面接で詰められる、圧迫されることも多く、本当の意味で面接をしていると思います)。就活は受験と同様に圧勝できた辺り、ある意味で私はコミュ強なのかもしれませんが、実際は私自身もコミュ障で、何よりも対人関係で苦労することが多く、社会人になったら社会人で真の意味でのコミュ力不足に苦労しており、難しいです。真っ当な評価ではなく、不平等で矛盾しているからこそ理想と現実で葛藤するわけですし、社会って理不尽で何だか生きにくいですよね(その点、マスコミは高給な上に、仕事も正論を主張したり相手を論破したりすると褒められるので、この上なく幸せですけどねw、プレゼンがバリューなしがないコンサルよりよく炎上している内定辞退社にも医学部同様に未練があると言えばありますw)。仰るように葛藤にもがいている感じですねw

          2. フォローしてくださり嬉しいです。ありがとうございます。ただ“僅か数十分”という限定された構造の中である人物の深層まで見抜くのは至難の業ですし、やはり仕方ない面があるかなと思います。それに私の場合の“自信のなさ”はいわゆる精神的な不安定さを示す「神経症性」がもろに出たものなので、企業からすれば敬遠したいところだったというのも頷けます。まあこちらとしても、そうした企業側の姿勢に反論したい気持ち(※要は「仮にそうだとしても無用と決めつけるな」という反論)を持っていますが、そうであればもっと相手側に伝わるようなアプローチがこちらとしても必要だったと思います。おっしゃる通り面接は「茶番劇」のようなものですから、こちらもそれとて戦略的に立ち向かっていくべきでした。大学院入試や、卒業後の就職面接では同じ過ちをしないようにします。

            それにしても、推薦&専願からの不採用&フォローなしは結構辛いものがありますね。
            愚学生さんの取られた、一貫性ある実利的行動はおっしゃるように、就職活動やマスコミ、コンサルの仕事との相性に活きたようで、その点に関してはよかったなと思っています。人の良さにつけこまれて(?)不合理な目に遭うというのはつらすぎますからね。ひとまずある程度納得のいく環境に身を置くことと、その環境の中である程度適応することは、これからを生きるために必要となる自我基盤の、良い支えとなります。

            医師との相性に関しては私の方からは何とも申し上げられないのですが、功利的思考にしても、どれほどそれを自覚され、コントロールし得るか、というところでまた見える景色や開けてくる可能性については変わってくるかと思います。私にも言えることなのですが、内面に底流している思考の癖がどんなものであろうと、その内容について私達がきちんと熟知していて、その表出を環境に合わせて適宜コントロールすることが出来れば、適応度合いは格段に高まるはずなんです(※)。例えば、功利的考えが優勢であっても、それを自らが熟知し、環境に合わせて適宜引っ込めたり、引っ込めないにしても出し方を変えてみたり、ということを器用にできるようになると、対人援助のような職業にあっても比較的適応を上げられるかも知れないということです。理想論に近いかも知れませんが、極力自身の中に可能性を感じながら生きていきたいものです。不合理な世の中にあっても、希望を持って生きていけるようお互い頑張っていきましょうね。

            ※については、祖父江典人『公認心理師のための精神分析入門』を参照しました。

  3. コメントありがとうございます。仕事が相変わらずの忙しさで、遅くなり、ごめんなさいです。でも、受験勉強や研究で徹夜したのと似ていたのと似ていて、そこまで辛いとは私は思えないですね(ただ確かに精神に良くないくらい長時間残業しているのも事実です、TOEFLの勉強時間も含めると月に残業100時間は超えていますね)。修士の1年冬に大手メーカーから内定をもらいましたが、研究も就活も月並みなリア充が彼女さんetcとデートしている間も、研究室で教授や先輩に怒られながら徹夜で研究をしつつ追加でESを書いてコンサルやマスコミを受けてたくらいいたくらいなので、打たれ強さはあるのかもしれないです(とある大手メーカーからは内定後に推薦を求められオワハラにあっていました、それくらい来て欲しい人材だったかもしれませんが平気で辞退して人事が困っていましたw)。なので、周りの人とのギャップに違和感を感じていました、「ヤバいやつ」のお気持ち、とても分かります。
    あと、言ってませんでしたが高校大学で一応は体育会にいたので、体力もあるかもしれないです(個人競技ですが、まあまあガチめな体育会系だったので)。逆に、医学部受験の先が見えない真っ暗さは本当に苦痛でした。そう思うと、やはり社会人は受験生より楽でしょうかね。個人的に、アメブロのどん底のお気持ち(正直、医学部受験を止めるのにたる説得力がありました)を知っているので、医学部受験から就職に方向転換して良かったです。

  4. コメントありがとうございます。功利的思考についてのアドバイス、とても参考になります。最近、職場で上司に同じようなことを言われて詰められたばかりで、コメントで読んだコントロールの重要性を実感したばかりです。『公認心理師のための精神分析入門からの出典だそうですが、本当にその通りで、医師に限らず対人折衝のある仕事では本当にその通りだなと思いました。
    ひたすら大学受験から受験勉強の延長な理系の勉強だけを続けて、部活も体育会で上回生らしい態度で上下関係が強いと、そんな意思のコントロールを思うこともなかったですし、いくらクリエイティブな仕事だとしても他人の感情を考えないことがあまり良くないと最近になって気づきました。医学部受験を止めたにしても、意思のコントロールに気をつけて改めていきたいと思います。

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