未来の自分から感謝されるような今を生きろ
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「自分はある行動を上手く遂行することができる」というような自信、信念のことを「自己効力感」という。例えば、上司から任された仕事を「私ならやれそうだ」と思うなら、その人はその仕事に対する自己効力感を持てていると言えるし、「こんなものできっこない」と思うのであればその仕事に対する自己効力感は低いと言える。
自己効力感は「モチベーション」に大きく関わる。無論、自己効力感が低ければモチベーションは上がりにくくなるわけだが、少し考えてみるとそれは当然のことである。例えば「自分は勉強ができない」と確信した発達障害児が、以後、勉強に対して高いモチベーションを保ち続けることは至難の業である。このような児童の勉強意欲を如何にして再度高められるかということについては、教育分野の課題の一つといえるだろう。
さて私は現在、公認心理師という国家資格の取得を目指し大学に通っている。しかしこの資格、大学の心理学科を卒業するのみならず、大学院で研究活動や臨床心理学的な訓練を行った後でなければ受験資格を得られない。
すなわち、今後私は大学院受験をし、合格した大学院に通い、そこで研究活動や様々な実習を経験し、その上で国家資格試験に合格しなければならないのだが、
これら多くの「課題」を「上手く遂行することができる」だろうといえる自信が、今の私には殆どない。つまり自己効力感が低いのである。自己効力感が徹底して低いせいで、私は資格取得を目指しながらも日々、「自分には無理なのではないか」といった心の声と戦うことを強いられている。そしてこのような戦いを続けながら目標達成に向けモチベーションを保っていくことは、精神的に非常に消耗するものなのである。
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そもそも私が自己効力感を持てないでいる大きな原因の一つは、自身の知能にある。私の知能はあまり高くない。普通の人が普通にできる知的作業を満足に行えないことが度々あり、取り分け社会生活において相当の不利益を被っている。
私が「自分の頭の悪さ」に悩みメンタルクリニックを訪れ、そこで受けた知能検査で「軽度の学習障害」を抱えていることを知ったのは6年半前だった。当時私は大学生(※今通っているのとは別の大学)であり、この時はまさに自身の頭の悪さに辟易し、半ば人生に絶望し切っている最中であった。
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元々私は、「自分の頭が悪い」とは思っていなかった。寧ろ小学生の頃までは、自分の頭は良いと思っていた。なぜなら学校のお勉強で特に大きな苦労をしなかった上、試験の点数が悪くなかったからである。
家庭では、週末になると決まって父から何時間にも渡って人生訓を聞かされた。大抵それは、「この世には勝ち組とそうでない人間がいる」から始まり、「お前は勝ち組の方に回らなければならない」「そして偉くならなければならない」「そのためには良い大学に入って良い会社に就職し良い給料を貰わなければならない」「しかしお前は気弱でコミュニケーション能力に乏しいから、体育会系の風土のある文系で生き抜くことはできない」「だからお前は理系に進まねばならない」「理系に進み、技術者(ないし研究職)となり技術大国ニッポンを支える――それがお前に残された唯一の道だ」と続き、「だから一生懸命学業に励みなさい」と結ばれた。私はいつも「はい分かりました」と応えていた。
そのためだろうか。小学生の頃から私は漠然と、「自分は大人になったら良い大学・企業に入って技術者として良いお給料を貰う、そんな人生を送ることになるのだろうな」と考えていた。
中高生になるとさすがに「どうも自分の頭が特別良いわけではない」ことに気付き始めたわけだが、そうは言っても中高で実施される試験の点数だけは、そこまで悪いものではなかった。だからまさか、「実は自分は相当に頭が悪い」などということは夢にも思っていなかった。
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雲行きが怪しくなり始めたのが大学受験であった。私は大学受験で悉く思うような結果を出せなかった。常に「努力の割に結果が伴わない違和感と欲求不満」を抱え続けていた。大学受験には特に拘り、往生際悪く三度も挑戦したのだが、いずれも惨敗に終わった。
なぜこうも努力が報われないのか――当時の私にはその理由が全く分からなかった。
惨事は大学受験だけに留まらなかった。志望大学に受からず人生プランが狂っただけでなく、私は通い始めた大学で見事落ちこぼれた。大学では座学や実験授業を幾つも履修したが、それらの殆どにおいて、周囲の同級生の理解力や作業量に全くついていけなかったのである。
私は不思議だった。なぜ、あれだけの説明で周りの人間はそれ程までに多くのことを理解し、多くの作業を自発的に行えてしまうのか――何度考えてもさっぱり分からなかった。
教授の説明を聞いても理解できない。実験ではグズグズしていて作業がちっとも進まない。講義中の演習問題はろくすっぽ解けない。このような私は時に「やる気のない学生」として、教授から苦言を呈されることもあった。気弱な私は「次も自身の不出来を叱責されるのではないか」という恐怖に怯えるようになり、必要以上に周囲の反応を恐れるようになっていった。学校生活は斯くして地獄のようなものとなった。
私の目には、周囲の同級生が「一を聞いて十まで理解できる超人」に映るようになった。一方で私は、「十の解説をされてもそのうち一も分からない愚鈍」という自己イメージを抱えるようになった。
そして次第に私は、大学に通えなくなっていった。
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「良い大学に入り良い会社に就職して良い給料を貰う人生」が音を立てて瓦解し、もはや完全なる崩壊を迎えそうになった頃、私はメンタルクリニックに通った。「自分の頭の悪さ」に原因を求めたのだ。
メンタルクリニックでは査定面接や生活史面接、知能検査、投映検査を受けた。そこで判明したのが、私には「軽度の」そして「少々珍しいタイプの」学習障害があるということだった。
その症状は、
・ワーキングメモリの弱さ
・文字の意味理解の乏しさ
(とそれに伴う)
複数の情報の統合能力の弱さ
想像力の弱さ
実行機能の乏しさ
によって特徴づけられていた。
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ワーキングメモリの弱さ
ワーキングメモリというのは短期記憶のことであり、取り分け作業をするために用いられる短期記憶のことである。要は「情報を一旦頭に置いておき、置いておいた情報を使って思考や計算や新しい事柄の理解といった種々の知的活動をする」ことに関係する機能である。この機能が大きく障害されていると、学習場面のみならず社会生活場面においても困難を経験しやすくなる。
例えば、
「魚は食べると美味である」
「マグロとカツオは魚である」
という情報から
「ということは、マグロとカツオは美味しいのだな」
と理解できるのはまさにワーキングメモリが働いてこそ為せる業である。「魚は食べると美味である」「マグロとカツオは魚である」という二つの情報を一旦頭に置いてその意味を理解した上で、それぞれの情報を橋渡しすることで「マグロとカツオが魚であって、魚が美味であると言うことは、マグロとカツオは食べると美味しいのだ」と理解することができる。
ワーキングメモリの弱い私は、このような情報の統合作業ができない。「魚は食べると美味である」という情報と「マグロとカツオは魚である」という情報を同時に置いておくスペース(メモリ)がないので、それぞれの情報が繋がらない。そのため、「ということはマグロとカツオは美味である」事実を理解するためには、二つの情報が橋渡しされるような何らかのきっかけが必要となる。このような特徴は「新しい事柄を理解する」知的活動において大きな障害となる。
大学の同級生の理解力が私の目に「超人的」に映ったのは、一つこのようなメカニズムが背景としてあった。
更に、ワーキングメモリ(※ここでは視空間スケッチパッド)の弱さは想像力の弱さとなっても現れていた。要は「言語情報を画像・動画化できない」のである。そのため、目の前にないものを具体的なイメージとして頭に思い浮かべることができず、結果として抽象的な事柄や指示の理解力が著しく弱くなっていた。
これに関しては、特に空間認識能力の要求される事柄(分子軌道や分子の立体的構造)の理解や、ある装置の内部構造や動作メカニズムに関する解説、実験操作に関する言語的指示等の正確な理解が取り分け妨げられていたと思われる。
また、ワーキングメモリの弱さは実行機能(遂行機能)の乏しさとなっても現れた。実行機能とはざっくり言うと、
「ある目的を達成するために、自分が具体的に何をしなければならないのかを判断する能力」
である。この実行機能には、ワーキングメモリも密接に関係している。
アルツハイマー型認知症患者はこの「実行機能」が大きく障害されてしまうことで知られている。患者にバスタオルを渡し、「これでお風呂に入ってください」と伝えると、「暫くフリーズした後、手に持ったバスタオルで近くにあったテーブルを拭き始めてしまった」というエピソードを聞いたことがあるが、これは患者の実行機能が著しく障害を受けているため、「何をすれば『お風呂に入っ』たことになるのかが分からない状態」になってしまっているが故に起こった出来事であると考えられる。
もっと具体的な例を挙げると、例えば複数人で分担してカレーを作るとして、
「カレーを作るからあなたはニンジンを切ってくださいね」
と指示されたとする。実行機能が弱いと、「何をどうすれば『ニンジンを切っ』たことになるのか、その行動を上手く組み立てることが難しい」。私だったら、ニンジンを前にして呆然と立ち尽くすであろう。はじめに何をすべきかが、分からないのである。班員に「そもそも包丁とまな板を用意しなきゃニンジンは切れないでしょう」と指摘されて、「ああそうだ」と合点して包丁とまな板を用意する。しかしこれだけでは足りない。また呆然と立ち尽くす。班員に「何してんの」と言われる。私は「切りたいのだけれど切れない」と返すだろう。すると班員は「普通に切れば良いじゃん。何が引っかかってるの」と尋ねる。私は「えっと…皮が…」と呟く。「だったらピーラー取ってくるか包丁で剥けばばいいじゃん」と言われる。ようやくそれで「ああその通りだな」とピーラーを取ってくる。けれども皮を剥いた後、私はまたすぐに呆然と立ち尽くすだろう。その様を見た班員から「何してんの」と言われる。私は「皮は剥いたのだけれど、どの大きさにどの様に切れば良いのか分からない」と返す。「そりゃあ、カレーを作るのだからカレーに適した大きさに切るに決まっているでしょう」と言われる。そこまで言われてようやく、私は「ニンジンを切る」という作業を遂行することができる。
――やや極端な例になったが、実行機能が弱いというのは、このような状況に置かれやすいことを意味している。ワーキングメモリが弱いため、「作業の目的(=カレーを作ること)」が頭から抜け落ちてしまっているのである。そのため、ニンジンをどのくらいの大きさで切れば良いのか、判断ができなくなってしまう。更に複数の情報を頭に留めておくことが難しいこともあり、「ニンジンを切る」という作業――「ピーラーを取ってくる」「包丁とまな板を取ってくる」「ピーラーで皮を剥いてから包丁で切る」「カレーに適した大きさに切る」といった複数の工程――の優先順位を頭の中で適切に並べられず、メモリがキャパオーバーを起こし、「呆然と立ち尽くす」ことしかできなくなってしまうのである。実行機能の弱さは、実験授業での初動の遅さや作業量の少なさ、作業スピードの遅さ等に直結した。
文字情報を意味情報に変換する機能の弱さ
最後にワーキングメモリの弱さと比肩して私を苦しめているのが、「文字情報を意味情報に変換する機能の弱さ」である。
これは、「文字は問題なく読めるし書けるのだが、その文字の意味が頭の中でなかなか了解されない」というもので、スラスラ文章を読むことはできるのだが、肝心のその内容はさっぱり頭に入っていないという事態を招いてしまう。
「ワーキングメモリの弱さ」と「文字情報→意味情報への変換の弱さ」のコンボは取り分け読書の質を大きく障害した。読むに従って前の情報が頭から抜け落ちてしまう上、意味へのアクセスも弱いので、何度同じ文章を読んでも内容が頭に入ってこない、ということが度々起こってしまうのである。テキストを読んでも読んでも頭に入ってこず、ある概念を理解するのに人様の何倍もの時間と労力が掛かっていたのは、このような機能障害が一つの要因となっていたのだ。
――このようにして、大学生活で「周りについていけない」という不適応を起こしている原因の一つは、私の生まれ持った知能特性にあることが判明したのだった。
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メンタルクリニックでの知能検査により、私の大学での不適応の原因は分かったものの、当時の私は人生に絶望しきっていた。
様々な事柄の理解力が極端に弱く、何かの目的を達成するためにどのような行動を取れば良いのかを判断できない人間が、一体どのようにして今後、充実した人生を送っていけばいいというのだろう――。その法が全く分からなかったし、分かろうと努める精神力も完全に失われていた。自己効力感など、生まれようもなかった。
「良い大学に入り良い会社に就職し良い給料を貰う人生」の崩壊と共に、当時の私は自分の人生そのものも終わらせようと思うほどに追い込まれていた。理想としてきた自分と現実の自分とのギャップが大きく…あまりに大き過ぎて、心が現実を抱えきれなくなってしまったのである。自身の無能さを晒し、誰かに迷惑を掛けたり叱責されたり、自分自身が恥を掻いたり罪悪感に苛まれたりし続ける人生は御免だった。全てを終わらせて、楽になりたい――そんなことばかりを考えた日々こそが私の大学時代だった。
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大学時代の過去は、私にとって大きな挫折経験として強烈な傷跡を残した。
公認心理師を目指そうとしている今、この「挫折」の記憶が事あるごとに鎌首をもたげ、私の自己効力感をゴリゴリと押し下げてくるのである。
勉強していると、頭の中は「お前が勉強したって無駄だ」「どうせ大学院行ったってついていけなくなるのだから」「そもそも大学院合格できんの?」「教科書何回同じ箇所読んでるの?」「こんなところで躓いている間に他の人は何倍も先に行ってしまっているよ」「差はみるみる開く一方だね」「大学院行ったってまた教授に怒られるんじゃないの」「大学院のメンバーに多大な迷惑を掛けることになるんじゃないの」「ハナから無茶な挑戦なんじゃないの」等々の言葉で埋め尽くされる。
レポートや試験で高評価を取ることがあっても「でも普通の人はもっと短時間でその何倍も凄い成果を出すのだろう」などといったことを考えてしまう。
次第にネガティブになってきて、「頑張るのに疲れたな」「これ以上人様に迷惑を掛けるくらいなら何もしない方が良いのかな」「もう厳しい学問の世界に足を踏み入れたくない」「これ以上自分の傷付かない場所に逃避して、そこで延々と引きこもっていたい」「そこで死ぬまで穏やかに過ごしていたい」という気持ちが優勢になってきて、重たい気分に押しつぶされそうになってしまう。
一方でズルズルとネガティブな気分に引きずられながらも、「いやこのままじゃ終われない」「それじゃ人生がつまらない」「人生ってのは、何かに恵まれなかった人間や、挫折して一度地に堕ちた人間が知恵を絞って再び這い上がるからこそ面白いんだ」「自分はその体現者になるんだろう?気力を振り絞っていかないでどうするんだ」「苦労したからこその“心理師”じゃないのか」「ダメかどうかはやってみなければ分からないだろう」「やらない後悔よりやる後悔だ。やるだけやってダメだったときの方が諦めもつくし、割り切れるはずだ」「お前の長所は忍耐強さではなかったのか。今が踏ん張りどころだろう」「自分のような人間にもやれるんだってところを見せてやれ」等といったポジティブな気持ちも僅かながらに残っていて、そういった気持ちが落ちた気分を幾分引き上げてくれている。だから私は今でも潰れないで済んでいる。こうした前向きな気持ちが、辛うじて勉強を続けるためのモチベーションを保つ原動力となっている。
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自身を奮い立たせる数々の励ましの言葉の中でも取り分け、
「やらない後悔よりやる後悔だ」
の言葉が励みになっている。確かに私は頭が良くない。だからもしかすると、今掲げている目標は身分不相応なもので幾ら努力したところで届かないものなのかも知れない。
けれども、何も挑戦することなく悶々と、
「仮に挑戦していれば未来はどうなっていたのか」
という空想を延々としていたのなら、現在進行形で私が抱えているような葛藤はないわけであって。
何はともあれ、今あるような葛藤を抱えられるのは、大学時代と比較すると幾分私の心が回復してきている証拠でもはずだ。そのことをもっと喜んだ方が良いと自身を説得すると共に、
勉強中に出来る限りネガティブにならないよう、意識的に自身にポジティブな言葉掛けを行うよう努めるようにしている。この挑戦を機に、失われた自己効力感を少しでも取り戻せるよう私は引き続き頑張っていきたい。
お久しぶりです、ふくろうさん。
以前たまにコメントさせてもらっていたあおです(アメブロではδって名前だったかもです。)
いまでも記事は全部読んでいます。色々お忙しいとは思いますが、元気にされてますでしょうか。
今日、お笑い芸人のオードリー若林の著書「ナナメの夕暮れ」「社会人大学人見知り大学卒業見込」2冊を読み、これらがとても学びの多い本でしたので(親の影響で周りを気にしすぎてしまう、を始めとして、ふくろうさんが普段テーマにしていることも多く散りばめられています。)シェアしようと思い、いまコメントを打っています。
私も色々啓発本や心理学系の本を読んだりしますが、この2冊はここ数年で最も刺さったので、大変オススメです。
これからも投稿楽しみにしていますね。
めちゃくちゃご無沙汰しています。コメントのお名前みて感動しました(笑)。あおさんの方もお元気にされていましたでしょうか。
継続して読んでくださっていることに感謝です。ありがとうございます。
シェアありがとうございます。オードリー若林、私も気になっていたんですよね。これを機に読んでみます。早速Amazonでポチりました。楽しみです。
これからも気が付いたこと等記事にしていきます。今度ともよろしくお願いします。
ふくろうさんがどう考察するかとても気になります!
なにか良いものを得てもらえたら嬉しいです。
「社会人大学人見知り大学卒業見込」と「ナナメの夕暮れ」読みました。正直滅茶苦茶面白かったです。お勧めいただきありがとうございました。
「社会人大学人見知り大学卒業見込」は「分かるわかる」「あるある笑」と頷くことが多かったですが、「ナナメの夕暮れ」の方は「なるほどな~」と感心しながら読みました。その中でも特に、「ナナメの殺し方」の
の部分は胸にぶっ刺さりました。
私は自分自身のみならず、「世界」に対しても心のどこかで嫌っているのだろうなと。自分のことを嫌い続けなければならない構造を持つこの世界を、心のどこかで否定している。だから私も、敢えて斜に構えたものの見方をしたり天邪鬼であろうとしたり冷笑主義を気取ろうとしたりする。そうして世界を嫌い、世界と一定の距離を保つことによって、小さな自分を守ろうとしている。でもそうやって世界にそっぽを向け続けていたのでは、いつまで経っても自分が最も欲しているものは得られない。すなわち自分の存在が世界に受容される日は絶対に来ない。まずは自分の世界に対する認識を変えて、自分から世界の方へと歩み寄ることが大事なのだ。世界の方は“ただそこにある”だけなのだから。
あ、そうはいうものの、今後の私は恐らく、
自己受容(まず自分で自分の存在を全肯定する)→自ら世界に歩み寄る→世界に自分の心的居場所を見つける
といった順で自分の生や世界を肯定できるようにしていくつもりです。そうして自身が自己や世界を否定するようになったルーツを自身の生育環境に求めるという姿勢は以降も継続されると思います。
ところで、オードリー若林がどうして「ナナメ」のものの見方をするようになったのか、その真のルーツについても興味が出てきてしまいますね。
自分のあれからについてお伝えします。
IT企業に就職し、運用保守を1年、その後開発職1年、毎日睡眠時間を削って勉強し、夜遅くまで働き、一生懸命仕事した所、会社からAランクの評価をいただき、プログラマーとして僅か1年弱の経験値は異例でもある一人で出向する案件に抜擢されました。
しかし、毎日21時〜終電の生活、PMからの激詰め、PM以外に質問するの禁止、質問しても答えてくれない、マニュアルなし、このような環境で働き、嘔吐や不眠や思考抑制を訴え、心療内科を受診したところうつ病との診断を受けました
そして、その後WAISを受験しました。結果は
言語性115、動作性98、知覚統合91、作動記憶130、処理速度113でした
発達障害や学習障害とまでは言えないが、知覚統合が低いこともあり、手順やマニュアルの乏しい作業では不適応を起こす可能性もある、との診断を受けました
自ら思考し、0→1にする力が求められる旧帝大理系入試、留年率3割を誇る理工学部〇〇学科、IT企業の0から自らの力で開発する必要があるプロジェクトで悉く不適応やうつ病になってしまった原因が判明しました
ただ、幸いにも作動記憶や処理速度、言語性IQは高水準であったため、現在は能力が発揮出来そうなコールセンターで週3回働きながら、日商簿記などの資格勉強をし、2023年度に障害者雇用での事務職を目指しています
待遇としては手取り15でボーナスが年2貰えたら御の字でしょう。そもそも僕はガツガツ個人の力で稼げそうな営業や技術の世界に憧れていました。作動記憶や処理速度のお陰で、単純暗記や計算速度に優れていたため、高校1年生まで数学が得意だでした、そのため、周囲から理系向きだと言われてきました。本当は違いましたが。
しかし、自分が出来る仕事をすることが、メンタルを壊してから最善だと思いました。無理な仕事をしてメンタルを壊してしまっては元も子もないからです。そこで選んだのが、コールセンターであり、障害者雇用の事務職です
これが僕の近況報告になります。
文章読む限りですと、IT企業の方は随分過酷な労働環境でしたね。それは心身壊してしまいますよ…
ただそのような中でも、相当の忍耐・勉強をされ、会社から評価されるに至ったすばるさんの頑張りに関しては察するに余りあります。無理されず、お体を十分に休めてください。
WAISも受けられたのですね。群指数間の数値に大きな差がある(数値は大きく違えど私もそうです。)と、自分が一体、何をどこまでやれるのかが分からなくなりますよね。一部では結果を残せるが、ある一部になるとまるで結果を残せなくなってしまって、そのあべこべさが混乱や不適応を招いてしまう(これに関しては現在進行形でほとほと私も参っているところです)。その中でコールセンターという適職(と考えられ得るもの)を見つけられたのは良かったです。すばるさんは作動記憶が抜群のようですから、マニュアルさえ頭に入れば滅茶苦茶強そうですよね。
生きている中で価値観が変化していって、それに伴って生き方が変わってくるということは往々にしてあると思います。障害者雇用における待遇がどうしてもネックに感じられるようでしたら、病気が治り次第、雇用形態を変更する道を探っても良いと思いますし、色々と選択肢はありますよね。私も自分の中の凝り固まった価値観が一部不適応の原因になっているのを感じているので、現にもっと柔軟に物事を考え、選択し、幾分気楽にやっていけたらなあ、なんてことを考えながらこの文章を打っているところです。
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