私は頭の回転があまり早くないので、毎朝パソコンを開いて、いくつかのネットのニュース記事を高速音読する習慣をつけている。
その効用の是非については置いておくとして、一昨日、その習慣を遂行する中で、こんな記事を見つけて驚いた。
「サザエさん」がまさかの“炎上”…実社会がコロナ禍の中でGWのレジャーは不謹慎と――デイリースポーツ
いや、「驚いた」というのは全く違うか。何というか、「然もありなん」「そういうこともあるだろうね」といった感想が強いと言った方が適切か。「驚いた」というのは、そこまで当たっていないのだが、まあそんなことはどうでもいい。兎に角、私はこの記事を読んでいて思うところがあったので、今回は、この記事をネタに一つ私の考えを書いてみようと思う。
題して、『無闇矢鱈に人を批判しない方がいい』。その心は、批判される者、ないし批判する者の自尊心が低下することから守るためである。ちなみに私は、決して、「絶対に人の批判をするべきではない」等という極端なことを言いたいわけでは断じてない。
記事の内容をざっと要約すると、
「社会が新型コロナウイルスの蔓延を受けて自粛ムードの中、「サザエさん」が呑気にGWにレジャーへ行く計画を立て、別の話では動物園を訪れているというのは、『不謹慎だ。』『差し替えはできないものなのか。』『腹が立つものだ』等と、プチ炎上状態にある」
といったもの。
個人的な見解を述べると、
「本当に『不謹慎だ』と思っているのなら、批判するのはOK,
ただ、本当は心より『不謹慎だ』と思っているわけではなくて、“現状の生活への不満”を、他者を叩くことで解消しようと試みて、それで何かしらの理由付けをして無闇矢鱈に批判しているのであれば、それはNG」
といったところである。ちなみに私個人は「どうでもいい派」である。「サザエさん」がGWにどこへ遊びに行っていようが、全く意に介さない。どうでもいい。
『自身の不機嫌の原因が分かる人は恵まれている』でも述べたが、自分が不機嫌になっているとき、何が理由で不機嫌になっているのかを知ることは、案外難しいことだと思っている。
例えば、私も仕事内容や会社の方針において「気に入らない」と思うところは少なからずあるのだけれど、本当にそれらの要素一つ一つを「気に入らない」と心底から思って不快感を覚えているのかと問われると、甚だ怪しいところがあったりする。
これはすなわち、本当は
「自分自身の人生がイケていないこと」
が不快感の原因なのにも関わらず、それを認めず、
「仕事内容や会社の方針への不満」
に不快感があるように感じることによって、
「自分自身の人生がイケていない現実」や
「自身が向き合っていかなければならない人生における耳の痛い課題」
から目を背けようとしているだけかも知れないということである。これは私だけに限らず、実に多くの人達が経過したことのある心理プロセスではないかと予想する。
このような心理プロセスの生じていることに気付かず、仮に私が
「会社が気に入らない」
ことを主張して転職し、特にこれといった問題のない新たな職を得たとしても、実際の不快感の原因である
「自分自身の人生がイケていないこと」
が解決していないのだから、一向に気分は晴れないはずである。きっとその職場でも小さな粗を必死になって見つけ出しては、それのせいで自身には不快感が取れないのだと、延々と不満を吐き続けることになるであろう。
何が言いたいのかというと、
「自分が本当は何にイライラしているのか、真の理由を見つける、ないし自覚することが大切だ」
ということである。この観点を見落としていると、一向に事態は好転しない。いや寧ろ悪化するリスクすらある。
『100日後死ぬワニ』の商業展開に対する批判なんかもそうなんだけれど、仮に自らが商業展開に嫌悪感を覚えたとして、具体的に何に嫌悪感を覚えてしまったのかを探っていく工程というのは、非常に大切なことだと思っている。
本当に「死者への冒涜だ」と感じるのならば、それは個人の感じ方なので構わないと思う。
本当に「もっと余韻が欲しかった」のであればそれはそれで良い。「追悼ショップ」の名にモヤモヤを感じるならばそれも構わない。「これまでのワニへの感情移入が虚しいものに感じられてしまった」というのも、あって然るべき意見である。本当にそう思って批判の情を覚えることに対しては、何の異存もない。
けれども、先に「人生における漠然とした不快感・不満」というものがあって(それは例えば、自分の人生がイケていないことに対する不快感)、その不快感解消のために、批判できるような題材を見つけては、心にもない理由付けをして、正義の名の下に批判するという姿勢は、好ましくないと思う。それは闇雲に他人を非難し傷付けることになるばかりでなく、批判者自身の自尊心にも、大きな傷が付いてしまうためである。
どういうことか?
精神科医のジョージ・ウェインバーグは、
「行動は背後にある動機となった考え方を強化する」
と言ったそうである。
これに先の主張を当て嵌めるならば、
「イケていない人生の不満の解消(動機)」のため「無闇矢鱈に対象を批判すること(行動)」によって、「自分の人生はイケていない(考え方)」という思考を強化してしまう。
ということである。
その他にも、
「自分はダメな人間だ」という意識から卑屈な行動ばかり取っていれば、その行動によって、「自分はダメな人間だ」という考え方を強化してしまう。
「自分は人様に迷惑を掛けている存在だ」という意識に蓋をするため、人の世話になっている他者をコテンパンに非難していれば、その言動によって、「自分は人様に迷惑を掛けている存在だ」という考え方を強化してしまう。
といったことが言える。つまり、自分が本当に
「これが原因で不快感を覚えているのだ」
というのが分かっていないならば、明確な理由も分からず何らかの対象を無闇矢鱈に批判することは、しない方が良いというわけなのである。
こうした話題に詳しいのが、早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏である。特に『自分に気づく心理学』、『人生の悲劇はよい子に始まる』は、数ある著書の中でも選りすぐりの名著だと思う。興味のある方は是非ご覧になって頂きたい一冊(二冊?)である。
サザエさんの話題に戻ろう。
新型コロナウイルスに関しては、自分の力でどうすることもできない部分が多々あるので、ストレスを抱えるのも尤もだと思っている。自身の内なるイライラを、何かの対象にぶつけたくなる気持ちもよく分かる。
けれども、そのイライラを無闇矢鱈な対象への批判によって解消しようとすることは、避けた方が良いと思う。批判された方は、“本当の理由でない理由”によって大きく傷付くことになる上、批判した側も、ますます「今の生活はイケていない」という思考を強めてしまって、場合によっては自尊心さえ低下させてしまう。これでは双方において、何の得にもなっていやしないのだから、やるべきことではない。もし、どうしても批判したくなったら、「私は自分の生活に不満があって、その解消のために『不謹慎だ』という理由付けをしてサザエさんを批判しているのだ」という意識を持って、批判をする(これも極力、自分の内面や周囲の人間関係の範囲だけに留めたい)ことが望ましいと考える。この「自覚」が、自他共に傷付くことから守ってくれる。
ただ何度も言うが、本当に『不謹慎だ』と思うのならば、その旨を発信することについては必ずしも悪ではない。その不快感の表現方法については幾分検討する余地があるだろうが、それが自身の本当の気持ちならば、その意見を是非とも大切にして欲しいところである。嘘ばかりの人生では、自己喪失してしまう。
自分の本当の気持ちに気付くということは、結構難しいことだと思う。私も自分については分からないことだらけで、日々煩悶している状態にあるからよく分かる。ただ、自分の内的事情・課題に無意識的に囚われてしまうあまり、無闇矢鱈に対象を攻撃するようなことは、ないようにしたいと思っている。だから無闇矢鱈に対象を批判するのではなく、一旦立ち止まって、少しだけ自分を俯瞰してみるように心掛けたい。一つは相手のため。そして何より、自分の自尊心のため。
併せて読みたい
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『鶴の恩返し』はハッピーエンドである
メンタルヘルスカテゴリ
普通の人が耐えられることに何故か耐えられない理由
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「何の取り柄もない」ことを嘆く必要はない
生きることに罪悪感を抱える人達(ただ生きているだけなのに、何となく責められていると感じる原因を解説)
※ちなみに、「他人を許せない」という心理を脳科学的知見から解説している記事や書籍もある。
他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病
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お世話になっております。先のブログでは、お世話になりました、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、愚学生です。この度は内定のご報告をしたいと思い、コメントさせていただきました。研究が相変わらずの激務で深夜に其方のエントリーも見ており、一段落ついた今、コメントすることとしました。
先日、大手マスコミに内定しました。つまり、文系就職です。他に、何社か大手メーカーからも内定をいただき、嬉しい限りです。マスコミの内定を承諾しましたが、業界首位の一角であり尚且つ学部生からの目標だったマスコミに内定できて、就職活動に全力を出し切って良かったと思います。
もともと再受験で考えていた医師に匹敵する給与と、仕事に全力で取り組み血眼になって働ける勤め先を目標に就職活動に挑んでいただけに、給与と仕事に納得いくマスコミの内定に満足しています。再受験でどん底にあっただけに、転向して頑張ってきて本当に良かったです。大学院は旧帝大に移りましたが、学歴よりも大手マスコミの内定を得れたことが、アウトプットとしては何よりも感慨深いことだと思っています。
ご存知と思いますがマスコミは人気業界であるものの構造不況に直面しています。また、今回の毛のふくろうさんのエントリーにあるように、保守リベラルのいづれもマスコミに事実の誤謬や偏った報道があることは否めないのも事実です。
再受験では受験勉強もしましたが、面接がある以上は医療について知る機会もありました。再受験では医師ばかり考えていましたが、薬剤師や看護士のコメディカル、医療従事者が地域医療や介護に果たす不可欠さや役割を知ることが出来たと思います。これまでに苦労されてきた、毛のふくろうさんや、仮面浪人に失敗した後輩の思いも考えながら、マスコミで働いていければと思います。本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
おー!お久し振りです!まだ見てくださっていたのですね!お忙しい中、いつも訪問くださりありがとうございます。
コロナ不況が心配される中、無事内定を得られたようで安心しました。しかも大手マスコミときていますから、やはり実力があるんですよ。再受験失敗から再生した方の話というのは聞いていて感動するものです。
先日も『再起』という記事に出しましたが、私には愚学生さんのような努力(ここでは、私なりの努力という意)が不足していたなと感じていて、結局は自分の人生を良い方向へ持って行きたいなら、相応かつ正しい方向の努力が必要だと再認識したところです。その気付きがあったからこそ、私生活も以前とは大分異なるものになってきました。ですから、今回のような愚学生さんの再生ストーリーには勇気づけられます。良い努力を必死にされてきたのだろうと推察します。私も私なりの道で続けるよう頑張ります。
※ちなみに偏った報道といえば、以下の記事で指摘されていました。昨日読んだものです(笑)
維新・吉村府知事人気とは何なのか? 無検証で持ち上げるメディア、そこに映る印象だけで「英雄」を待望する愚――ハーバー・ビジネス・オンライン
苦労されてきた経験があるからこそできること、味の出ることってあると思います。頑張ってください。そして今後とも、よろしくお願いします!