『鶴の恩返し』はハッピーエンドである




▼『鶴の恩返し』

 

『鶴の恩返し』という有名な日本昔ばなしがあるけれど、私は、この物語の例のエンドは、実はハッピーエンドなのではないかと思っている。

「変なことを言う人もあったものだ。」

と人は言うかも知れない。けれども私は、えて主張したい。『鶴の恩返し』の例のエンドは、ハッピーエンドである。それは、間違いないのである。

人は、失敗を繰り返す生き物である。

しかし、その失敗から多くを学ぶことにより、その後の人生をより、賢く生きられるようになるものである。それは、この物語についても同様である。

ここでは、主人公である「おじいさん」に、

「人生をやり直せる機会」

を与えようと思う。それによって、恐らく読者の皆様には、おじいさんの人生の改善に向けたトライアル&エラーの過程を通じて、『鶴の恩返し』の例のエンドが、

「ハッピーエンド」

であるということを、お分かりいただけるのではないかと思っている。

作中のおじいさんは兎に角、不器用な人である。皆様も温かい目で、見守ってあげて欲しい。

――――――――――

『鶴の恩返し』

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

と言いましても、この物語の主人公である時田宗男さんは御年42歳でありますから、まだ「おじいさん」と呼ぶには、あまりにも若過ぎる気がします。

宗男さんがこのようにして「おじいさん」と呼ばれてしまう所以は、彼の人間性にそのルーツがあるようです。

ある日のこと。町内会で、宗男さんが友人と将棋を指していた時のことです。

同じく町内会に参加していた町の猟師が、宗男さんの傍を通りかかるなり、

「年齢の割に、随分と老けたツラをしているんだな。」

と、宗男さんに向け、軽口を叩きました。

確かに宗男さんは、その年齢に見合わぬ、冴えない容貌を持ち合わせておりました。

何故なぜなら、宗男さんは生来より自分に自信を持てず、そのためか、生き方が兎に角、不器用で、その人生において、数多あまたの辛酸を嘗めさせられてきたためだと思われます。苦労の皺や白髪が増えるのも無理はありません。

さて、猟師のその軽口に対しまして、宗男さんの口から、

「あっ、どうも。私の見た目は“おじいさん”だそうです、えへへ。」

という、苦笑交じりの卑屈な返答が為されたのをきっかけに、それが会場の大笑いを誘うこととなりました。

それに気を良くした猟師が一言、

「んじゃあ、今日からあんたの渾名あだなは“おじいさん”だな。」

と決めてしまったのが、宗男さんが冒頭において、御年42歳にして「おじいさん」と紹介されてしまった所以だったのです。

――物語に戻りましょう。

ある寒い冬の日、おじいさんがたきぎを売りに町へ出た道中のことです。

田んぼの中で、罠に掛かった一羽の鶴が、助けを求めていました。

「罠に掛かってしまいました。後生ですから、どなたか、私を助けてください。」

おじいさんは初め、見て見ぬ振りをしようとしました。自分に自信がない人間というのは、なるたけ、

「諸事に首を突っ込まない」

ことによって、己を守ろうとするものであります。

しかし、鶴の哀願を耳にしてしまったおじいさん。胸の内より湧き出る良心の呵責から、どうしても「見て見ぬ振り」を続けるわけにもいかず、不承不承、鶴の元へと歩み寄りました。

「ええっと・・・。これは、どうしたものかな。」

罠に掛かった鶴を前に、おじいさんは途方に暮れました。

鶴を罠に掛けたのは、おじいさんを町内会で笑いものにした、あの猟師の仕業に違いありませんでした。もし、ここで鶴を助ければ、後に猟師からどんなしっぺ返しを受けるか、分かりません。

しかし、目の前の鶴は、おじいさんに向けて必死の哀願を続けます。おじいさんは、鶴を可哀想に思っています。できれば、鶴を助けてあげたいのです。

おじいさんにとって、このまま鶴が死んでしまうのは辛いことでした。けれども、それによって、猟師から嫌われてしまうことは、もっと辛いことのように思われました。

自分に自信のない人間というのは、

「誰からも嫌われたくない」
「誰からも批判されたくない」

という気持ちが先行するあまり、自らの意思で行動を起こす、ということが苦手です。

自分の意思をはっきり持たぬおじいさんは、自らの選択によって、何かの行動を起こすだけの気概に、大きく欠けていました。

おじいさんが何もしないままグズグズしていると、彼方かなたに猟師の姿が見えました。猟師は鶴が罠に掛かっているのを確認するや否や、小走りで鶴とおじいさんの元へと駆けてきました。

「なんだ、こりゃあ、町内会の“おじいさん”じゃないか。その節はどうも。ところであんた、こんな田んぼのど真ん中で一体、何をしているんだい。まさか、俺の獲物をかっ攫うつもりじゃ、ないだろうな。」

おじいさんは「とんでもない」と言わんばかりに、何度も首を横に振りました。

「これは俺の獲物だ。誰にも渡しやしないぜ。これは俺の家の夕食になるんだからな。見たところ、少し痩せた鶴のようだが、まあ、構わん。今日の夕食は、塩鶴か、すまし汁といったところかな。ガハハ。」

猟師はそう早口にまくし立てると、罠に掛かった鶴を慣れた手つきで縛り上げ、肩に担ぎ上げると、さっさと持って帰ってしまいました。

さて、その後のおじいさん。猟師に担がれた鶴の最後に見せた、あの悲しげな表情を、いつまで経っても忘れることができません。そうして、あの時の己の優柔不断を、悔い続けていました。

「ああ、俺は、鶴を助けてやれば良かった。」

「何故、俺は心底嫌いな猟師の顔色など伺ってしまったのだろう。」

「俺は、あの瞬間をもう一度、やり直したい。」

自責の念に囚われ、日に日に衰弱していくおじいさん。

その姿を見ていた神は、おじいさんのこれまでの人生にいたく同情しておりました故、おじいさんにもう一度、やり直しのチャンスを与えることにしたのでした。

神は言いました。

「もう一度、チャンスが欲しいか。」

おじいさんは応えます。

「はい。私はもう、猟師に迎合したりなど、いたしません。」

こうして、おじいさんはもう一度、あのシーンをやり直す機会を与えられたのでした。

人間というのは、トライアル&エラーを繰り返すことによって、賢くなっていくものです。
人生をやり直す機会を得たおじいさんは、もっと賢く、この問題に対処することができることでしょう。

――――――――――

『鶴の恩返し』

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんはこれまで、卑屈で冴えない人生を歩んで参りましたが、一つだけ、ご自身の中ではっきりされた「意思」というものがございました。

それは、

「俺は猟師が嫌いだ。」

という、不動の意思でありました。

「俺は猟師が嫌いだ」――その意思だけははっきりさせているおじいさんは、町へ薪を売りに行く道中、田んぼで、罠に掛かった鶴を発見しました。

罠を掛けたのは、おじいさんの嫌悪する猟師の仕業に違いありません。おじいさんはすぐさま鶴の元に駆け寄り、罠から抜け出そうとする鶴にこう言いました。

「おお、これは可哀想に。罠から抜け出したい気持ちは分かるのだけれど、決して暴れてはいけませんよ。これは“くくり罠”というもので、暴れれば暴れるほど、君を捕えている縄の輪がキツく締まる構造になっています。暴れては、いけません。私が今、助けますからね。」

この時のおじいさん…いいえ、この時の、御年42歳の宗男さんには、もう迷いはありません。宗男さんにあるのは、

「猟師と鶴を天秤にかけた時、自分ならば、鶴の味方をしたい。」

というご自身の意思のみです。

猟師になど、嫌われたって構いやしない――宗男さんはそう自分に言い聞かせ、やや興奮しながらも、憤然として、震える手つきで、鶴を捕えていた罠を外してやりました。

鶴は瞬く間に宙を舞い、宗男さんの頭上を回った後、自らの住処へと帰って行きました。

そこに、猟師が現れました。宗男さんが鶴を逃がした一部始終をしっかりと見てしまったようです。猟師は宗男さんに向け、

「貴様、俺の夕食に何てことをする!」

と一喝しました。宗男さんは、猟師のあまりの剣幕に震え上がりましたが、一方で、心中ではどこか穏やかなものがありました。鶴を助けないことの苦しみに比べたら、猟師から受ける叱責など、大した辛苦には感じられなかったのです。

これが、

「自分の意思で生きる」

ということなのだと、宗男さんはその胸で確かに感じたのでした。

さて、その夜のことです。日暮れ頃から降り始めた雪はとどまるところを知らず、外は大雪になっていました。

このとき宗男さんは、妻である時子さんに、鶴を助けた話をしていました。

宗男さんからすれば、鶴を助けた事実について、妻からお褒めの言葉の一つや二つを頂戴して、以てご自身の為し遂げた大手柄の余韻に浸ろうと思ってのことだったのですが、会話の中で鶴を助けた事実を殊更に強調しても、時子さんの表情は一向に晴れません。

それどころか、話は思わぬところに発展してゆき、ゆくゆくは時子さんから、「こんな稼ぎではこの先、やっていけない」とか、「これから一体、どうやって暮らしていけばいいのだろう」等と、今回の一件を褒められるどころか、却って、鶴の一羽でも持って帰ってきて貰った方が、時田家にとってはよっぽど経済であったとさえ言われかねない、現実的な生活についての話題に会話が行き着いてしまった、その時でした。

トントン

と、表の戸を叩く音がしました。

「ごめんください。あけてくださいまし。」

若い女の人の声でした。

時子さんが戸を開けると、頭から雪を被った娘が立っていました。

「ごめんくださいまし。私は、親戚を訪ねに行く途中で、道に迷ってしまいまして。あいにく外は大雪で、もう辺りも随分暗くなって参りまして、どうしても、今晩中に親戚を訪ね行くことは難しくなってしまいました。ご迷惑かと存じますが、どうか一晩、ここに泊めてもらえないでしょうか。」

「ええ。構いませんよ。どうぞ、今晩はこちらでゆっくりしていってくださいね。」

時子さんはそう応じると、同意を求めようと、宗男さんの方を振り返りました。

が、宗男さんは、娘が玄関に上がるのと入れ替わるように、自らは靴を履いて、今にも玄関から外へ出ようとしていました。

時子さんは言います。

「あなたは一体全体、何をしていらっしゃるんですの。」

宗男さんは応えます。

「“何”って、この家を一旦、留守にするのですよ。この若い娘さんに、私のような冴えるところのない中年男と同じ屋根の下で暮らしたなどという実績を与えて、以て彼女の経歴を汚すことがあってはなりませんからね。」

「はあ?」

時子さんは、間の抜けた声を上げてしまいました。

そのやり取りを間近に聞いていた娘も、黙っているわけにはいきません。

「そんな、困ります。お旦那様も、こちらにいらしてください。私の経歴が汚れるなんて、そんなことは、まったく、見当違いでございます。お願いです。外はこんな大雪です。おまけに日も暮れて、真っ暗です。危険です。どうか、お考え直しください。」

小さな若き娘にそう懇願されても、宗男さんの意思は変わる気配がありません。

卑屈な人間は、取り分け異性との関わりにおいて、このように救いようのない程の不器用を発揮するものであります。

「いいえ、それはなりません。貴女のような若くお美しい方が、私のような冴えない中年男の寝起きする民家に一晩たりとも宿泊したという実績が、この先、どんな形で貴女の経歴の傷になってしまうか、分かったものではありません。貴女のようなお方の人生に傷を付けてしまうくらいなら、私は、死んだ方がマシです。」

「困ります。それでは、私が出て行きます。他を当たることにいたします。」

娘は必死に宗男さんの無茶を止めようとしますが、宗男さんの耳には入りません。

「外はこの大雪です。おまけにここは田舎町ですから、隣の民家へ行くのだって、結構な距離があるものです。それこそ貴女のような娘が外に出ようものなら、命も落としかねない。なに、心配には及びません。私の身など、どうでも良いのです。貴女の身に何かあることの方が、私にとって到底、許されざることなのです。」

「そんな、何もありゃしませんよ。さっきからアンタは何を言ってるのさ。自惚れるのも、いい加減にしてくださいよ。」

時子さんは忌々いまいましそうに、宗男さんをたしなめます。

しかし、宗男さんの意思はどこまでも固く、

「私は、一人の娘さんの未来を守れるのなら、自分の命など惜しくありません。それじゃ、失敬。」

と二人にそう告げると、羽織に袖を通し、娘と時子さんの制止を振り切って、真っ暗な大雪の中を一人、当てもなくずんずん進んで行ってしまいました。

宗男さんには、決して、悪気がないのです。ただ、自分に自信が持てず、

「自らの存在は、他者に迷惑を掛けるばかりである」

という潜在意識が心の底の底にまで染みついてしまっている人間というのは、どうしても、素直さを失ったり、過度に卑屈になったり、そうしてこの宗男さんのように、不器用を更に拗らせて、自らの人生を、自らの手によって、非常に不味い方向へと進めて行ってしまうものなのです。これは、仕方のないことなのです。

さて、勢いよく家を飛び出した宗男さんですが、雪は想像以上に降りしきります。日暮れから降り続けた大雪は辺りの景色を一変させ、少し歩いただけで、宗男さんは方角を失ってしまいました。真っ暗闇の中、もはや自分の家の位置さえ分からなくなり、一方で辺りに民家の気配はなく、宗男さんは刻一刻と冷え込んでいく身体をどうすることもできず、そうして、雪の中にバッタリと倒れ込んでしまいました。もう、歩く気力もありません。宗男さんは薄れ行く意識の中、

「ああ、くだらぬ見栄を、張る必要などなかったのだ。」

と反省しながら、己の言動を深く後悔したのでした。

さて、ここで物語を終わらせるわけにはいきません。

宗男さんのあまりのいじらしさに心を打たれた神は、もう一度、宗男さんに問い掛けます。

「人生をやり直すか。」

宗男さんは二つ返事でこう返します。

「もう、くだらない見栄など張りません。」

人間は、トライアル&エラーによって、賢くなっていくのです。それは、確かなことです。

――――――――――

『鶴の恩返し』

むかしむかし、あるところに、時田宗男という御年42歳の男性と、その妻である、一歳年上の時子という女性が住んでいました。

宗男さんは、町へ薪を売りに行く道中の田んぼで、罠に掛かった鶴を助けてやりました。

鶴は瞬く間に宙を舞い、宗男さんの頭上を回った後、自らの住処へと帰って行きました。

さて、その夜のことです。日暮れ頃から降り始めた雪は止まるところを知らず、外は大雪になっていました。

宗男さんが時子さんに、鶴を助けた話をしていたときのことです。

トントン

と、表の戸を叩く音がしました。

「ごめんください。あけてくださいまし。」

若い女の人の声でした。

時子さんが戸を開けると、頭から雪を被った娘が立っていました。

「ごめんくださいまし。私は、親戚を訪ねに行く途中で、道に迷ってしまいまして。あいにく外は大雪で、もう辺りも随分暗くなって参りまして、どうしても、今晩中に親戚を訪ね行くことは難しくなってしまいました。ご迷惑かと存じますが、どうか一晩、ここに泊めてもらえないでしょうか。」

「ええ。構いませんよ。どうぞ、今晩はこちらでゆっくりしていってくださいね。」

時子さんがそう応じると、同意を求め、宗男さんを振り返りました。

宗男さんは、ゆっくりと一呼吸置いた後、

「それが、いいでしょう。」

と応じ、静かに頷きました。

こうして若き娘は、宗男さんの自宅に一晩、お世話になることになりました。

ところが、日暮れから降り続く雪は、翌日も、そのまた翌日も降り続けます。戸を開けることすらままなりません。

宗男さんの自宅に一晩だけ泊まる予定だった娘ですが、このような状況では、外出することもできません。

娘は、宗男さんと時子さんに奉公しながら、幾日も宗男さんの自宅にお世話になっていました。

さて、宗男さんの自宅における娘の奉公ぶりは、素晴らしいものでした。

宗男さんは、頑なに娘の奉公の申し出を断り続けていたため、その暮らしに取り分け大きな変化も感じませんでしたが、奉公を拒むことのなかった妻の時子さんにとって、家事の大半を手伝ってくれる若き娘の存在感は、いよいよ大きくなるばかりです。

娘の奉公にいたく感動した時子さんは、うっかり、こんな一言を口にしました。

「とても気の利く娘さんですこと。貴女のような娘さんが家に居てくれたら、どんなに嬉しいことでしょう。」

それを聞いた娘は、食器を拭いていた手をピタリと止め、宗男さんと時子さんの目の前まで来たかと思えば、おもむろに床に手をついて、こう頼みました。

「身寄りのない娘でございます。どうぞ、この家においてくださいまし。」

「まあ。」

感嘆の声を上げる時子さん。

その一方で、宗男さんの表情は暗くなるばかりでした。この期に及んでも、未だ、この娘の経歴に傷が付いてしまうことを、心配していたのです。

「自分に自信が持てない」
「自分の存在が何かの迷惑になっている気がする」
といった感覚を持つ人間は、自分の存在が、誰かにとって、何らかのデメリットになっているのではないかと、必要以上に気を揉んでしまうものです。
こうした根の深い心理問題は、一朝一夕に改善するものでは決してありません。宗男さんについても、同様であります。

しかし、ここは宗男さん。この大雪の中、二度も、同じ失敗を繰り返すことはしませんでした。気の進まないながらも、この娘の滞在を承諾した大雪の日と同様の首肯で、娘の頼みを受け入れたのでした。

こうして、娘は宗男さんの自宅で暮らすことになりました。

――ある日のことです。

娘が、はたを織りたいから糸を買ってきて欲しいと、宗男さんに頼みました。

宗男さんが糸を買ってくると、娘は機のある部屋の障子を閉めて、

「機を織り上げるまで、決して、中を覗かないでください。」

と言って、機を織り始めました。

娘は寝食も忘れ、機を織り続けました。そうして、機を織り終えた娘はやおら障子を開けると、宗男さんに綾錦を手渡しました。それは見るからに高級そうな織物でした。

「これは、鶴の織物というものです。どうか明日、町へ行って、この織物を売ってきてください。」

翌日、宗男さんはその織物を持って町へ出掛けていきました。

そこで、一人の町人に声を掛けられます。

「そこの旦那、ちょっといいかな。その織物を見せて欲しいのだけれど。」

宗男さんは、

「えへへ」

と卑屈な追従笑いを浮かべながら、その町人に織物を手渡しました。自分に自信のない人間というのは、内面と外面が、まるで異なるものになってしまうものです。

「へえ。これは随分、高級なものと見た。こんなもの、一体、どこで手に入れたんだい?」

町人は織物に興味津々です。

「え、えっと。あの、これはですね、その、まあ、何と言いますか、こんな私にも、色々とありまして、いや、ございまして、ですね。はは。」

宗男さんはどこまでも卑屈です。

「事情が全く分からないのだけれど、ま、それはいいか。ところでこの織物は売り物なのかい?それならば是非、売っていただきたいのだが。」

町人は宗男さんに問います。

「え、ああ。これは、売り物…そう、売り物、ですよ。ええ。まあ、売り物とは言っても、その価値に、まあ、自信は、そこまでないのですけれどもね。私だって、布の類にはあまり明るくないわけですし、ですから、その価値に、えっと…何て言えばいいのかな。私はね、この織物を買ってくれるような、心優しい人を、探しているのです。私がこんなものを持っていたって、一向に、使い道もなく、却ってこの織物に、失礼ですからね。誰か、心優しい人が、貰ってくれないかなあ、なんて思っていましてね。はは。」

宗男さんは、商売が下手くそです。

自分に自信のない人間というのは、
自分自身
自分の商品
自分の所有物
といったものの価値を、殊更に卑下し過ぎてしまうものなのです。

宗男さんの商売は、専ら、「薄利多売」を信条としています。「薄利多売」と言ってはやや聞こえが良いですが、宗男さんの場合は、その卑屈な気持ちから商売をするあまり、自らに利益の出るか、出ないかといった、ギリギリの値段ラインを商品に設けて、それを町人へ、不必要の、過剰な平身低頭までして買って頂く、といったスタンスを取っているものですから、町人にとっては有難がられても、宗男さんの経済は一向に潤わず、宗男さん夫婦の貧困は、宗男さんのこうした、自己卑下にまみれた下手くそな商売が、その原因の多くを負っていると言っても、過言ではないように思われます。

町人は宗男さんに問います。

「一向に要領を得ないけれど、要するに、これは売り物なんだね。随分、上等な織物のようだ。単刀直入にお伺いするけれど、お値段は、幾らなんだい?」

宗男さんは、言葉に詰まってしまいました。いつもは薪を売っている宗男さんです。織物の知識にも、売り方にも、さっぱり明るくありません。おまけに卑屈な宗男さんのことですから、自身の商品に値を付けるというのは、一番苦手とする工程なのです。

「値段、かあ。いやあ、これは参りましたね。何せ、私にとっちゃあ、こんな上等な織物など、持っていたって、何の使い道もないわけでありますし。誰か、優しい人がね、貰ってくれないかしら、といった感覚で、持ってきたわけでありますからね。値段なんて、そんな・・・ねえ。」

町人は、宗男さんのはっきりしない態度にやや苛立ちながらも、ここは自分の優位に取引を成立させてしまおうと、こう持ち掛けます。

「ハッキリしねぇなあ。んじゃ、要らないんなら、俺が貰っておくことにするよ。今、巾着の中に八十文だけあるのだけれど、これで足りるかなあ。足りないのであれば、家からその分を取ってくるけれど。」

八十文。あまりに安すぎる取引です。しかし、いつも十数文程度の薪を売り捌いている宗男さんにとって、生来の卑屈さも相俟あいまって、八十文という額は大いなる妥協点として、納得せられてしまったのでした。

「あ。八十文。それは嬉しいね。まいどありがとう。はは。」

こうして宗男さんは八十文のお金を握りしめ、時子さんと娘の待つ自宅へと帰っていったのでした。

 
――「八十文ですって!?」

事情を聞いた娘は、頓狂とんきょうな声を上げてしまいました。文字通り、「自らの命を削って」まで作り上げた上等な織物が、僅か「八十文」という金額で叩き売られてしまったことに、ショックを隠しきれない様子です。

「あの織物は、鶴の織物と申しまして、とても、上等な織物なのですよ。私であれば、八十文はおろか、一両だって、手放しません。八十文だなんて、そんな、あんまりです。」

娘は悲しみの赴くままそう申し立てると、障子を閉めきり、その部屋でいよいよ、寝込んでしまいました。

宗男さんは狼狽しました。

「ああ、また人を、悲しませてしまった。」

自分に自信のない人間というのは、普段、人を悲しませる機会があまり無いにも関わらず、いざ、人を悲しませるような機会が訪れると、

「自分は、“いつも”人を悲しませてしまう人間だ」

とする、過剰な、不必要なまでの罪悪感に苦しんでしまう傾向があるようです。宗男さんも例外ではありません。

「俺はいつもこうだ。不器用ゆえに、いつも意図せず、人を傷付けてしまう。俺はダメな人間だ。俺なんて、居なくなればいいんだ。」

自身の存在が、そのように感じられてしまった宗男さん。娘と同様、精神的なショックでその晩から寝込んでしまい、以降、再起することができませんでした。

宗男さんは、どこまでも、不器用な男でした。

しかし、

「どんなに不器用であろうが」

「どんなに自分に自信を持てなかろうが」

人は、過去の失敗から学び、そうして何度でも立ち上がって、自らの人生をより良い方向へと、進めていくよう努めていかなければならないのです。宗男さんについても、同様です。

神は言いました。

「妻と娘を幸せにしたいか。」

宗男さんに、“No”を言う選択肢はありません。

宗男さんは再度、立ち上がります。

――――――――――

『鶴の恩返し』

むかしむかし、あるところに、時田夫妻が暮らしていました。

宗男さんが薪を売りに町へ向かう道中、罠に掛かった鶴を助けてやりました。

その晩のことです。一人の娘が時田夫妻の元を訪ねてきました。

「身寄りのない娘でございます。どうか、この家においてくださいまし。」

時田夫妻は娘の申し出を二つ返事で受け入れました。

ある日のことです。

娘が、はたを織りたいから糸を買ってきて欲しいと、宗男さんに頼みました。

宗男さんが糸を買ってくると、娘は機のある部屋の障子を閉めて、

「機を織り上げるまで、決して、中を覗かないでください。」

と言って、機を織り始めました。

娘は寝食を忘れ、機を織り続けました。そうして、機を織り終えた娘はやおら障子を開けると、宗男さんに綾錦を手渡しました。それは見るからに高級そうな織物でした。

「これは、鶴の織物というものです。どうか明日、町へ行って、この織物を売ってきてください。」

翌日、宗男さんはその織物を持って町へ出掛けていきました。

そこで、一人の町人に声を掛けられます。

「そこの旦那、ちょっといいかな。その織物を見せて欲しいのだけれど。」

「ええ、どうぞ。」

宗男さんにはどこか、凜然りんぜんとしたものがあります。

「これは売り物かい?」

「そうですとも。」

「随分、上等な織物のようだけれど。」

「『鶴の織物』というやつです。かなりの上物です。私は、一両出されたくらいでは手放しませんよ。」

「“一両”かあ。そんな大金、俺の家じゃ出せないなあ。」

「どなたか、買ってくれる方をご存じない?」

「そうだなあ…。あ、もしかしたら、俺の親戚のばあさんが買うかも知れないな。親戚のばあさん、ああ見えて、結構お金を持っていてね。ちょっと聞いてくるから、少しそこで待っていてくれよ。」

こうして、宗男さんの上等な織物は、ある町人の親戚のおばあさんによって、二両と百匁もの大金で購入されたのでした。

宗男さんは、これまで手にしたことのない大金を握りしめて帰宅しました。

時子さんと娘は大喜び。娘も働き甲斐があるということで、その後も必死に鶴の織物を織り続け、そうして、それを売りに出掛ける宗男さんも、しっかりと儲けを出す商売を続けました。時田家の経済はますます潤うばかりです。

過重労働から少し疲弊の色を見せていた娘でしたが、更に上等な織物を織るということで、いつものように、

「今日も着物を織りますから、絶対に中を覗かないでくださいね。」

と告げると、障子をピタリと閉じ、せっせと機織りに取り掛かりました。

さて、今回はより上等な織物を織るということで、いつも以上に力が入っているようです。もう、三日三晩も、機を織り続けています。

さすがの時子さんも、娘の体調が心配になってきました。

「もう、丸三日も籠もっております。私は彼女のお体が心配です。少し、様子を見ましょう。」

時子さんが宗男さんにそう言い、障子に手を掛けようとした、その時――

「障子を開けては、いけません。」

宗男さんは、これまでの人生で発したことがない厳粛な口調で、時子さんをたしなめました。

時子さんは、夫婦生活において一度たりとも聞いたことのない宗男さんの威厳ある一言に気圧され、障子に掛けていた手を離しました。

「そうは言ってもあなた。あの娘は丸三日も、この部屋に籠もりっぱなしなんですよ。このままでは、あの娘がどうなってしまうか、分かったものではありません。私はそれが心配でなりません。」

そう主張する時子さんを、宗男さんはさとします。

「『心配だ』、『心配だ』と言いますけれどもね。それは本当に、あなたがあの娘を『心配』した結果として、湧いて出た感情なのですか。違うのでは、ないですか。本当は、あの娘が、

どんな織物を織っているのか
どんな方法でそれを織り上げているのか

を、ただ、いやらしい好奇心の赴くままに、見てみたいだけなのではありませんか。そういった己の“下心”を、都合良く『あの娘が心配だ』等といった思い遣りの言葉に変換して、そうして、表向きでは社会的に、己のよこしまな願望を実現してみせようと企んでいるだけではないのですか。

はっきりと申し上げますけれどもね。人間にとって、一番大事なものは、何だと思いますか。お金?名声?権力?――いずれも、違います。人間にとって一番大事なもの、それは、『信用』というものです。人間、『信用』を、一番大事にしてやっていかなくてはなりません。お金なんか、二の次、三の次です。人間たるもの、『信用』というものを、第一にやっていかなくては、生きていかれないのです。

あの娘は、私達に何と言いましたか。

『絶対に中を覗かないでくださいね。』

確かに、そう言いました。そうして彼女は、私達がその約束をたがわぬ事を信じて、

“たった一枚の障子”

を隔てただけのこの部屋で、誰にも知られたくない、秘密の作業をしてくれているのです。これは、『信用』の為せる業というものです。こんなに美しい物語があるでしょうか。

私は、他人の秘密を知ることなんかより、よっぽど、この美しい人間ドラマの方に、価値を感じるような人間でありたい。

『覗いてはいけない』と言われたら、決して、障子の開くまで、覗いてはならないのです。それはもう、絶対のことです。」

宗男さんはそう告げると、自らは寝室に移動し、さっさと布団被って眠ってしまいました。

――翌朝のことです。

宗男さんは、時子さんの泣き声で飛び起きました。

時子さんは、娘が機を織っていたあの部屋で、グッタリした娘を抱きかかえながら、大粒の涙を流していました。

宗男さんは驚嘆し、時子さんに事の詳細を問いました。

時子さん曰く、

・早朝、目を覚ましてみると、障子の戸が少しだけ開いているのが分かった。
・そこで、時子さんがその隙間から娘の様子を窺うと、これまで見たこともない大層立派な織物と、その横で畳に伏し、冷たくなっている娘の姿を発見した。
・時子さんが娘の元に駆け寄ってみると、娘の傍に、綺麗に折りたたまれた手紙が置かれてあった。

ということでした。時子さんは手紙を宗男さんに渡します。

宗男さんが手紙を開くと、そこにはこうありました。

「宗男さん、時子さん。ここにある織物は、私がこれまで作ったどの織物よりも、上等なものです。他のどの織物よりも、私の羽毛が沢山織り込まれてありますから、高く売れると思いますよ。恐らく何十両もの値が付くと思われますから、この織物一つで、当面の生活には不自由なさらないかと存じます。稼いだお金で、末永くお幸せになってくださいね。

私は何を隠そう、あの時、罠に掛かっているところを助けていただいた鶴です。私を助けてくださった優しい宗男さんに恩返しをしたいと思い、必死にご奉公いたしました。少しはお役に立てたでしょうか。もしそうであるならば、私にとって、それ以上の幸福はありません。」

手紙を読み終えた宗男さんは、痩せ細った娘を抱きかかえると、涙を流しながら囁きました。

「俺は、お金なんか要らないんだ。ただ、君のような素晴らしい女性ひとが近くに居てくれる、そのことが、どんなに嬉しかったか、どんなに精神的な支えになっていたか、分からない。こんなことになるのなら、信用なんて、どうでもよかったんだ。君が生きていてくれさえすれば、たとえ君から俺の信用が失われてしまおうが、そんなこと、何の問題でもなかった。俺は、君からの信用を失うことなんかより、君のような素敵な人間を一人、失ってしまったことの方が、よっぽど辛い。君が生きていてくれるのなら、お金だって、信用だって、名声だって、権力だって、俺は何にも要らない。君は本当に、尊かった。どうか、もう一度、目を覚ましておくれ。死んでは、いけないよ。それだけは、いけない。頼むよ、もう一度、目を開けておくれ。」

宗男さんは、娘を抱きかかえたまま、延々と、昨晩の自身の言動を悔い続けたのでした。

 
――さて、繰り返しになりますが。

人間というのは、その人生の中で、数多のトライアル&エラーを繰り返すことによって、より賢く、生きられるようになっていくものです。

『鶴の恩返し』

という有名な日本昔ばなしについてですが、私は、この物語の例のエンドは、

「ハッピーエンドのような気がしてならない」

と、冒頭で申し上げました。そろそろ読者の皆様にも、不器用なおじいさんの物語を通して、その所以が概ね、了解されてきたのではないかと思います。

宗男さんは生来から、とても不器用な人間でした。不器用な人間には、その人生において、多くの失敗がつきものであります。これは仕方のないことです。

しかしそれは、

「幸福を諦める」

ということには繋がりません。

宗男さんのような人間にとって、確かに、人生における失敗は多いことでしょう。

けれども、その数多の失敗の経験をしながらも、同時に多くのことを学び、それを今後の人生に活かしていくことで、宗男さんのような人間であっても、人生を輝かせることはできるのです。

宗男さんには、もう、迷いはありません。

『鶴の恩返し』は、

ある一人の不器用な男が、

必死に人生の失敗からトライアル&エラーを繰り返し、

「真のハッピーエンド」

を模索した、

努力の結晶なのです。

――――――――――

『鶴の恩返し』

むかしむかし、あるところに、時田宗男という男性と、その妻である、一歳年上の時子という女性が住んでいました。

宗男さんは、町へ薪を売りに行く道中の田んぼで、罠に掛かった鶴を発見しました。鶴は罠から抜け出そうと、必死にもがいています。

「おお、可哀想に。」

宗男さんは鶴の元へ駆け寄ると、急いで罠を外し、鶴を助けてやりました。

解放された鶴は瞬く間に宙を舞い、宗男さんの頭上を回った後、自らの住処へと帰って行きました。

さて、その夜のことです。日暮れ頃から降り始めた雪は止まるところを知らず、外は大雪になっていました。

宗男さんが時子さんに、鶴を助けた話をしていたときのことです。

トントン

と、表の戸を叩く音がしました。

「ごめんください。あけてくださいまし。」

若い女の人の声でした。

時子さんが戸を開けると、頭から雪を被った娘が立っていました。

「ごめんくださいまし。私は、親戚を訪ねに行く途中で、道に迷ってしまいまして。あいにく外は大雪で、もう辺りも随分暗くなって参りまして、どうしても、今晩中に親戚を訪ね行くことは難しくなってしまいました。ご迷惑かと存じますが、どうか一晩、ここに泊めてもらえないでしょうか。」

「ええ。構いませんよ。どうぞ、今晩はこちらでゆっくりしていってくださいね。」

時子さんがそう応じると、同意を求め、宗男さんを振り返りました。

宗男さんは、ゆっくりと一呼吸置いた後、

「それが、いいでしょう。」

と応え、静かに頷きました。

こうして若き娘は、宗男さんの自宅に一晩、お世話になることになりました。

ところが、日暮れから降り続く雪は、翌日も、そのまた翌日も降り続けます。戸を開けることすらままなりません。

宗男さんの自宅に一晩だけ泊まる予定だった娘ですが、このような状況では、外出することもできません。

娘は、宗男さんと時子さんに奉公しながら、幾日も宗男さんの自宅にお世話になっていました。

さて、宗男さんの自宅における娘の奉公ぶりは、素晴らしいものでした。
時田夫妻にとって、家事の大半を手伝ってくれる若き娘の存在感は、いよいよ大きくなるばかりです。

娘の奉公にいたく感動した時子さんは、うっかり、こんな一言を口にしました。

「とても気の利く娘さんですこと。貴女のような娘さんが家に居てくれたら、どんなに嬉しいことでしょう。」

それを聞いた娘は、食器を拭いていた手をピタリと止め、宗男さんと時子さんの目の前まで来たかと思えば、徐に床に手をついて、こう頼みました。

「身寄りのない娘でございます。どうぞ、この家においてくださいまし。」

「まあ。」

時田夫妻は娘の申し出を二つ返事で受け入れました。

――ある日のことです。

娘が、機を織りたいから糸を買ってきて欲しいと、宗男さんに頼みました。

宗男さんが糸を買ってくると、娘は機のある部屋の障子を閉めて、

「機を織り上げるまで、決して、中を覗かないでください。」

と言って、機を織り始めました。

娘は寝食を忘れ、機を織り続けました。そうして、機を織り終えた娘はやおら障子を開けると、宗男さんに綾錦を手渡しました。それは見るからに高級そうな織物でした。

「これは、鶴の織物というものです。どうか明日、町へ行って、この織物を売ってきてください。」

翌日、宗男さんは織物を持って町へ出掛けていきますと、その織物は非常な高値で売れました。

それを二人に報告すると、時子さんと娘は大層、喜びました。

娘はそれから何度も、織物を織っては宗男さんに持たせました。いずれの織物も高値で売れ、時田家の経済はますます潤います。

過重労働から少し疲弊の色を見せていた娘でしたが、更に上等な織物を織るということで、いつものように、

「今日も着物を織りますから、絶対に中を覗かないでくださいね。」

と告げると、障子をピタリと閉じ、せっせと機織りに取り掛かりました。

さて、今回はより上等な織物を織るということで、いつも以上に力が入っているようです。もう、三日三晩も、機を織り続けています。

さすがの時子さんも、娘の体調が心配になってきました。

「もう、丸三日も籠もっております。私は彼女のお体が心配です。少し、様子を見ましょう。」

時子さんは障子に自らの手を掛けながら、宗男さんにそう言いました。

それを聞いた宗男さんは、ゆっくりと、

「それが、いいでしょう。」

と、

小さく、けれども厳粛に、頷きました。

時子さんが障子を少し開け、その隙間から様子を覗いてみると…

そこには痩せた一羽の鶴が、その羽を器用に使って、織物を織っていたのでした。

「宗男さん、宗男さんや。」

驚愕した時子さんは、宗男さんにその旨を伝えました。

すると、障子の部屋の機の音がパタリと止み、

痩せた娘が、部屋から出てきました。

「宗男さん、時子さん。もう、隠していても仕方ありませんね。

私はあの日、罠に掛かっているところを助けられた鶴です。

そのご恩をお返ししたいと思い、宗男さん方の娘になり、機を織り、ご奉公を続けて参りました。

けれども、正体を知られてしまったからには、お別れしなければなりません。

どうぞ、いつまでも達者でいらっしゃってください。」

そう告げると、時子さんの制止を振り切り、娘はたちまち一羽の鶴になって、宙に舞い上がりました。

そして時田夫妻の頭上をしばらく回った後、自らの住処へと、帰って行きました。

「――鶴や。どうかそなたも、ご達者で。」

宗男さんはそう小さくつぶやくと目を細め、鶴の姿が空の中で小さくなり、

点となり、

いよいよ消えて見えなくなるまで、

いつまでもいつまでも、鶴を見送ったのでした。

 




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