私は会話が下手だ。私は人と気軽に雑談することができない。
会話――。それは非常に頭を使うものだ。
まず、「何を喋ったら良いかが分からない」という問題がある。まあ、会話のはじめは双方の挨拶から始まるだろうから、はじめの
Scene 1
「おはよう」
「おはよう」
Scene 2
「久しぶり」
「うん久しぶり」
Scene 3
「待った?」
「いや今来たとこ」
――といったやり取りまでは問題なくできる。脳内にある挨拶のテンプレートを呼び出すだけで済む話だから。
しかしその次が問題だ。私はこの先、一体全体、目の前の相手に向かって何を喋ったら良いかが分からない。
会話というものは、どちらかの発言(ex.今日は暑いね)があり、その発言にもう一方が応答する(ex.そうだね)ことで始まる。
このように、会話を開始するにはどちらかの「話題の提供」が必要となるわけだけれども、私はこの、「話題の提供」というものが全くと言って良いほどできない。
会話の有識者にしちゃあ、「話題の提供?だったらまず天気の話をすれば良いじゃない」と思われるかも知れない。けれども、天気の話を始めたところで、
Case 1
「今日は暑いですね」
「そうですね」
「・・・」
「・・・」
といった具合に即「投了」に追い込まれてしまうのがオチだ。
「それなら最近あった出来事を話せばいいじゃない」と思われるかも知れない。けれども、最近あった出来事を話したところで、
Case 2
「この前ディズニー行ったんだ」
「お!いいじゃんディズニー。どうだった?」
「楽しかったよ」
「そっかー」
「うん・・・」
「・・・」
となって即終了する未来が見えている。これだったら「何も話さない方が良かった」まである。
私の話には、“オチ”がないという問題がある。話にオチがないから、何を話したって会話が続くことはない。話にオチさえ付けられるのであれば、
「この前、ディズニー行ったんだけどさ」
「うん」
「午前中は快晴だったのに、午後から突然の雷雨に見舞われてね」
「うんうん」
「傘なんて持ってきているわけないから、夢の国で見事 “濡れ鼠”になっちゃった。ハハッ」
「それは災難だな」
「まあ、その後は何の気兼ねもなくスプラッシュマウンテンで水浴びできたから、それはそれで“あり”だったかな、的な」
「なんだそりゃ」
などと繋げることができるのだけれど、我が人生において、そうそう上のような「偶発的な出来事」ばかりが起きるわけでもない。
結果、いざ「会話」をしなければならないとなると、それを何とかして「成立」させようと私の頭は大忙し。
とりわけ私は「話題の提供」ができないため、会話を始めようにも始められない。「何か話題はないか」、「なにかオチのある話はないか」と頭をフルに回転させるものの、そうそう話題があるわけでもなく、結局話題は何も見つけられずに、相手が口火を切ってくれるまで延々と黙っている他なくなる。これまで、どれほど長時間の沈黙により気まずいシチュエーションをつくってきてしまったものか、分かったものではない。
恐らく皆、実際に対面すれば私の無口ぶりにはさぞかし驚かれることと思う。相手が何か話し始めてくれるまで、何時間でも、何日でも私の側は基本的に黙っているわけだから。
もう一つの弱点
先ほどは私が会話において「話題の提供」のできないことを話したが、私にはもう一つ、会話を続ける上で致命的とも言える弱点がある。それは「会話が相手への無機質な質問に終始してしまうこと」、そしておまけに「その肝心の質問のレパートリーが極端に少ないこと」である。
ここで「相手の話に質問することは却って良いことなんじゃないの?」と思われるかも知れないが、それが血の通っていない無機質な質問「しか」できていない場合、そしてその「レパートリーが極端に少ない」場合においては、会話を広げるという点で非常に問題が生じてくるものなのである。
Case 3
相手「この前、旅行行ってきたんだ」
私「旅行かー。どこに行ってきたの」
「熱海」
「熱海かー・・・(えっと、どうしようどうしよう)」
「・・・」
「(何か質問はないか)・・・何してきたの」
「温泉入ったり、料理食べたり」
「そうかー(どうしようどうしよう)・・・何食べたの」
「海鮮かな」
「海鮮ねー(どうしよう、もう質問ない)・・・」
「・・・」
→沈黙
Case 4
相手「趣味は読書です」
私「どんなものを読むんですか?」
「サスペンスとか」
「サスペンスか~・・・そっか~・・・(どうしよう)」
「・・・」
「・・・(何か話さなきゃ。でももう何も質問が思い浮かばない)」
→沈黙
Case 5
相手「この前釣りしたんだけど、楽しいよ釣り!亀井君もやりなよ!」
私「(釣り・・・?釣りと言ったら何だ・・・釣りと言ったら何を連想するべきだろうか・・・何を聞くべきなのだろうか・・・釣りなんて滅多にしないから何を聞けばいいのか分からない・・・釣り・・・釣り・・・・釣りとは何か・・・釣りと言ったら何を聞けばいい!?)・・・」
「・・・」
「・・・(ダメだ。何も思い浮かばない)」
→沈黙。以降この人とは未来永劫沈黙。
――このように、「無機質な質問しか出来ない」&「質問のレパートリーが極端に少ない」ことによって、折角開始された会話の灯火は見事なまでに鎮火させられてしまう。
私の生存戦略
死ぬほど会話のできない私だが、そんな私にも会話の相性の悪くない相手が存在する。それは「めちゃくちゃ喋ってくれる人」である。
私は余程のことがない限り、相手の話を否定することがない。「うん、うん」と言って聞いている。また、こんな私でも相槌だけは下手ではない。そのため、「めっちゃ喋る人」にとっては話しやすい相手となるらしい。
従って私はこれまで、「めっちゃ喋ってくれる人」ばかりと付き合ってきた。いや、「必然的にそうなった」と言った方が正しいかも知れない。
例外的に、「めっちゃ喋ってくれる人」でなくても、「お願い私のこの話を聞いて」というように、相手側に私との会話を始めるのに十分かつ具体的な目的のある人に限れば、私は恐らく(ほぼ)どんな人とでも会話ができた。なにせ相手の話を遮らず、否定せず、適度な相槌で以てsmoothに会話を進行させる術だけは、持ち合わせていたから。
自分の話が決して否定されることがないと確信している相手は、実に色々な話を私にしてくれた。私はそれを相槌しながらただただ聞いた。それ以外の会話の術は私にはなかった。それだけが、私に残された会話上における生存戦略だったのだ。
会話下手の原因
ズバリ会話下手の大きな原因の一つは、「自己主張の少なさ」にあるのではないかと思っている。
いやもっと正確な言い方をするなら、会話の中で「“自分の気持ち”を全く表現できていないこと」が、会話下手の原因であると思っている。私は「自分の気持ち」というものを、殆ど持ち合わせていなかった。それが、会話における立ち回りに大きく支障を来していたのだと思われる。
私は昔から、
「自分という人間が人様からどう見られているのか」
ということにしか関心のない人間だった。自分という人間が、人様からどう評価されているか――嫌われていないか、期待外れだと思われていないか、格好悪いと思われていないか、馬鹿だと思われていないか――そういったことにしか関心のない空っぽな人間だった。
そのため、自然と自身の言動の動機の全ては「他者から評価されるか、否か」ということに限られていた。自身の言動が他者から評価されるかどうかを軸に、自分の行動の一つひとつを決定させてきた。そんなわけで、これまで私は自分の本音を幾度も抑圧し、他者に迎合することばかりを考えて生きてきたのだった。
従って、私には「自分」という人間の中身を全く感じられなくなってしまった。自分が一体、何を思い、感じ、考えているのか、そういったことが、さっぱり分からなくなってしまった。私は自分の意思を抑圧し過ぎて、自らの意見・感想を持たない人間となってしまっていた。
人との会話においても、「自分はどう思うか」については自分自身殆ど感じ取れるものがなく、ただ、
「眼前の相手から“つまらない奴”って思われないかどうか」
といった、人様からの評価ばかりが気になっていた。
相手が
「こんな経験をしたんだよ」
と話してくれたことに対して何かを感じ取るわけでもなく、ただ
「その発言に対して適確な返答が出来るかどうか」
ということばかりに気をとられていて、結局、相手の話への理解、相手の気持ちへの共感、それを受けた自分自身の心の動きといったものにはちっとも意識が回っていなかった。
また、自分が何らかの“経験”をしたときだって、
「果たして自分はこの経験について何を感じているのか」
が感じ取られることはあまりなく、折角の貴重な経験も、自分の中で情感を伴った記憶として収納されることが少なかった。それもただ、人様からの見られ方だけが私の人生の関心事となっていたから。そのため、自身の経験したものを会話の中に取り入れ、それを会話を盛り上げるための材料として使うことがちっともできなかった。
自分自身の感情に自らアクセスすることができないと、他者の話してくれる出来事にも特に感じ入るものがなくなってしまう。このような状態で他者の話を聞いても、その内容に「ふうん、そうなのか」以外の感想を抱けなくなってしまう。
よって、これといった質問も思い浮かばない。質問っていうのは、相手の発言に対して、自分自身がどのようなことを思い、感じたかによって生まる部分が大きいためだ。
その結果、いざ質問をしようにも、自身の情感が伴わないため一般的な“型”にはまった質問しかできなくなってしまう。そのような血の通わぬ、無機質な質問に終始してしまうことで、相手の話を十分に盛り上げることができないのだ。
先に私は
「私の話には“オチ”がないから、話題の提供というものがまるでできない」
ということを書いた。
ただ、これはおかしなことと思わないか。「話題の提供」なんて、巷に溢れているアドバイスの通り、それこそ「なんでもいい」のだ。皆が皆、会話中にオチのある話を提供して、笑いや感動を誘っているわけではない。何気ない出来事を自らの感情と共に語って、それを受けた側の人間が自身の感情を上乗せした応答をして、またそれに対して話者が返して・・・そういった風に、会話というものは何事もなく進んでいくものなのだ。オチなどなくたって、会話は成立するものなのだ。強いて言うなら、オチとは「自分がどう思ったか」という、その気持ちのことなのだ。
『誰とでも15分以上会話がとぎれない!話し方66のルール』の著者、野口敏氏は、会話を気持ちよく続けるコツを「気持ちのやり取りをすること」だと述べている。
そう、会話とは「気持ちのやり取り」なのだ。下手なオチなど要らない。ただ自分の気持ちに従って相手とやり取りしようとする。それだけのことで、会話下手は大きく改善されるはずなのだ。巷に溢れる会話テクニックは、その前提があって活きてくるものだ。
私に最も足りていないのは、会話テクニックではない。
相手の話に対して、「自分は何を思ったか」を感じ取れていないこと。
自分のした経験に対して、「自分は何を感じたか」が分からないこと。
それらの不足が補われたのならば、会話下手は大幅に改善されてくるはずなのだ。
会話下手の克服
「自分の気持ちを感じ取り、それを会話の中に落とし込んでいく」
――それを実践するだけで、少なくとも今よりはずっと会話を上手に続けられることになるだろう。なぜなら、会話継続の真髄は「気持ちのやり取り」にあるからだ。
さて「気持ちのやり取りが大事だ」というように、会話では多少の「自己開示」が欠かせない。
「相手が喋ってくれるのをただ待つ」
といったスタンスで対応し切れないシチュエーションでは、
「自分はこう思った」
「自分はこう感じている」
といった「自己開示」をすることで、会話が膠着状態に陥らず、smoothに進行していくようになるはずなのだ。
更に適度な自己開示の後に、「相手に会話のバトンを渡すこと」を忘れずに心掛けることができれば、少なくとも今の私のような「極度の会話下手」状態に陥ることは少なくなるはずなのだ。
上に挙げた幾つかのCaseを例にとって、それを示してみよう。「自己開示」を赤、「相手に会話のバトンを渡す」部分を茶とすることで、いかにその二点が会話のsmoothな進行に一役買うかが分かりやすくなることと思う。
Case3-改
相手「この前、旅行行ってきたんだ」
私「旅行かー。どこ行ってきたの」
「熱海」
「熱海か良いなあ。私も有休使って熱海行ってゆっくり過ごしたいなと思っているんだけど、良いところなのかな」
「良いところだったよ。温泉も、料理も申し分ない」
「ああ良いね温泉。ゆっくり過ごすには欠かせない。そんなに良いところなのかあ、ますます行きたくなっちゃうな」
「私が泊まったのは○○って旅館だったんだけど、そこは割とお勧めできるよ」
「へー俄然興味が湧いてきた!・・・そう言えば△△はどうして熱海に行こうと思ったの」
「それはね…(以後続く)」
Case2-改
私「この前ディズニー行ったんだけどさ」
相手「良いなディズニー。楽しかった?」
「楽しかったよ」
「そっかー」
「小さい頃からディズニーが好きでさ。大人になってからもずっと行きたいと思っていたんだけれど、なかなか機会がなくて」
「うん」
「ついに我慢できなくなって、この前有給とって行ってしまったよ」
「一人で?」
「一人で」
「ありえねえ」
「最初は確かに気になるけれど、入園してしまえば夢の国補正で何とかなる」
「いやねーわ」
「○○はそこまでディズニー好きじゃないのか」
「嫌いじゃないけど、俺はどちらかと言うとバイクでオフロード走るのが好きだから」
「ああそういやそうだったな。ところで最近はオフロード走ったの」
「最近はね~…(以後続く)」
Case 5-改
相手「この前釣りしたんだけど、楽しいよ釣り!亀井君もやりなよ!」
私「釣りですかー」
「そうそう!めちゃくちゃ楽しいよ」
「昔やったことありますが、そう言えばハマることなくこの年齢まで来ちゃいました」
「えー!あんなに面白いのに」
「でも楽しいのは分かります。10年以上前にやったのが最後ですが…針に餌付けて、餌がまるで動いているかのよう糸を操作すると魚がよく反応するんですよね。やっぱり本格的にやるとなると色々と工夫されるんですよね」
「そうそう。まず道具選びから~(以後続く)」
まとめ
――会話上手は“聞き上手”のこと
というのが巷に溢れる会話術の常套句だが、「聞き上手」とはこれまでの私のように、ただ人の話を黙って聞いているだけの「聞き専」のことではない。「相手の話をきちんと聞く」ことは最低限必要とされているだけの要素で、それに加えて、「喋らせ上手」であることが求められているはずなのだ。
その「喋らせ上手」になるためには、こちらの方で意図して会話をsmoothな展開に持っていくことが求められるのは間違いない。しかし、それには適度な自己開示が必要となる。自己開示ができないことには、はじめに示したCaseのように、会話を上手く盛り上げることが出来ない。
長年自己喪失しており、自分の感情を今ひとつ捉え切れていない私にとって、会話上達という観点からも、早急な自己回復が求められている。そう改めて認識させられた、日曜の夕方だった。