書けない

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書けない。記事を、書けない。

前回投稿したのが今月7日。本日が20日。そろそろ更新しなければと思っている。思ってはいるのだけれど、何も書くことが出来ない。

書きたいことはあることにはあるのだけれど、また暗い話になってしまうし、そもそも自分の暗い内面を記事にして曝け出すことは、未だに勇気の要ることだ。何でもかんでも書き殴ってしまえば良いというわけにもいかないし、やはりそう簡単に書けるものでもない。またその内容をきちんと言語化するためには、もう少し寝かしておく必要があるような気もしている。

結果、何も書けない。文字を打てない。パソコンの前でただWordを眺めているだけ。何かネタはないかと、頭の中を闇雲に周遊しているだけ。何の生産性もない。時間の無駄。こんなことだったら、まだ途中までしか進めていない『サピエンス全史(上)』の続きを読んでいた方がマシ。

話は脱線するが、この『サピエンス全史(上)』は非常に面白い。なぜ数あるホモ属の中で、サピエンスだけが生き残ったのか。他のホモ属とサピエンスとの間にある決定的な違いは何だったのか。なぜサピエンスは狩猟採集生活をやめ、より負担の大きい農耕生活にシフトしたのか。農耕生活シフトにより社会構造は如何に変化し、それが今日の我々の文化・価値観にどう影響しているのか等々、最新の知見をもとに丁寧かつ論理的に解説してくれる一冊。

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――大学生活のことでも書こう。

私は三年間勤めた福祉職を辞め、現在、通信制大学で心理学を専攻している。取り敢えず今は大学院を目指し日々、基礎固めを行っている最中だ。

通信制大学の大学生活は味気ない。朝起床し、自室にある勉強机に向かう。ひたすら教科書、ノートと睨めっこした後、ベッドに潜る。また朝が来る。起床し、自室にある勉強机に向かう。以下ループ。何の刺激もない。ただ自分を信じて、何とかなると信じて、ペンを走らせるだけの生活。勉強すればするほど、将来に対する漠然とした不安が振り払われるかたち。

科目試験も「在宅特別試験」だ※新型コロナウイルス感染拡大による特別措置。自宅で受験する。先週も受けた。統計学をやった。恐らく合格しているはず。だってExcelで問題の分散分析がしっかり出来ているか確認しながらやったから。在宅試験の有効活用。きっとこれは間違いない。

「夏期スクーリング」というものもある。通信制大学にある数少ない対面授業で、7~8月にあるのだけれど、こちらもオンライン開催となった。大学に行く機会はいよいよなくなった。

外部刺激に欠けた日々。通学制大学とはまるで様式の異なる生活。しかし孤独の中にも安心感。なぜなら対人関係を通じて、自分の嫌なところ、不足しているところと否が応でも向き合わされる機会が訪れないから。

私は、私という人間が社会への適合条件から逸脱してしまっているように思われてならない。勝手な疎外感を覚えている。普通の人が耐えられること、乗り越えられること、気にも留めないこと…私はそれらにことごと蹴躓けつまずいて、群れから遅れをとってしまう人間。社会不適合者。外れ値…そんな意識が、強い。

そんな私も、周囲の「普通」に溶け込めるよう、必死で「普通」を取り繕っている。群れから外れたり再合流したりしながら、まるでこの社会に何事もなく適合しているフリをここまでしてきたけれど、要所要所でどうしてもボロが出る。それが出やすいのが対人関係の場だ。対人関係の場では、ことごとく自分の嫌なところや足りないところを思い知らされる。

私は「対人緊張」が多分人一倍強い。普通の人であればさして気にしない事柄をいちいち取り上げては、ネガティブな意味づけをして自滅していく。ここが「普通」とかなり違うところだと思っている。過度の対人緊張さえなければ、私は随分、社会適合に近付ける気がする。

だから私は自身の対人不安、緊張、恐怖のルーツを辿って、その改善の糸口を見つけようと躍起になっている。焦りもある。心理を将来活かしていくのに対人緊張が強すぎるのはマズいと思っているから、尚更。

しかし、今ひとつ「これ」といったものが見出せない。いや候補は幾らでも出てくるのだけれど、確かに有効でありそうな解決策を見出すまでには、未だ至っていない。

だからなのか。記事を書けない。書きたいことはiPhoneのメモ帳に記録してあって、いつでも取り出せるようにはしているのだけれど、そのメモを以てしても何も書けない。書いたところで、締めくくれない。お蔵入りするだけ。実はこの記事を投稿する前に一つ、お蔵入りした記事があった。『個性っていいよね』というタイトルだったが、上の理由でボツとなった。
 

ああ。しょうもない記事を書いてしまった。これは反省だ。次は少々マトモな記事を書かないと。

投稿ボタンを押したら、『サピエンス全史(上)』読んでとっとと寝よう。また朝は来るのだ。そうして私は明日もきっと、勉強机に向かうのだろう。

対人恐怖と向き合いその治し方を模索する

【心理学科 公認心理師】通信制大学生の手記(3年次春編)

撃対人恐怖

2件のコメント

  1. フクロウさん
    初めまして、カゲロウと申します。

    始めて投稿させていただきます。
    私はフクロウさんの前職と一緒で、障害者施設に勤務してます。おもに生活介護が勤務先で、法人内には色々なカテゴリーがあります
    フクロウさんは自分の夢を追うために、離職されたとお聞きしましたが、何処か不安だったり、勤めていた法人に未練などなかったのですか?私は実務歴、5年になります。
    今の法人に対して不満もありますが、なかなか一歩が踏み出せません。何か離職にあたって心掛けたことはありますでしょうか?
    ご意見いただけますと参考にさせていただきたいと思います。宜しくお願いします。

    1. はじめまして。カゲロウさんは生活介護をされているのですね。
      ご質問にお答えします。

      仕事を辞めることに対する不安はありました。辞めた今となってもその不安は消えていません。その内容は、「もし将来、心理学の勉強に挫折したり、心理職にありつけなかったりしたらその先の人生の質は大きく下がってしまうのではないか」という不安や、「あの時辞めていなかった方が幸せになっていたのではないか、と思われる日が来てしまうのではないか」といった不安です。

      また、会社に対する未練もないわけではありませんでした。私のような人間を「必要だ」なんて言ってくれる環境はほぼ存在しない(と思われる)わけで、そうした環境を本当に捨ててしまって良いのか。人間関係もかなり良好だったのに、そんな恵まれた環境を捨ててしまって良いのか――そうした未練も少なからずありました。

      しかし、そうした「不安」以上に、
      ・心理学を究めてみたいという強い欲求
      があって、それと共に
      ・不規則勤務&タフな労働環境の中で心身疲弊が激しかったこと
      ・向こう二年間は勉強していられそうなだけの貯金のあったこと
      が後押しとなって、最終的には退職を決断しました。あとは年齢ですかね。大学院修了を30代前半の内に終えたい気持ちが強かった。

      退職にあたり心掛けたことは、「これは自分の下した決断なのだ」「これは自分の責任でした退職なのだ」といった自己責任の意識をしっかり持つようにしたことです。将来、どのような結末が待っていたとしても、それが自分で決めたことの結果であるならば後悔せずに済むのかなと思ったからです。

      あとは、私自身も前の会社に対する強い不満を持っていましたが、円満退社になるよう、退職が迫った際の自身の言動には十分注意しました。「こんな不満があるからオレは辞めるんだ」という流れには決してならないようにしました。お蔭で(?)会社とは良好な関係を保ちつつ退職でき、今でも前の会社の人からはたまに連絡が来ています。「勉強の調子はどう?」みたいな感じで。関係性を壊さず辞められたのは良かったなと今では思っています。

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