夏の幻

お願いです。信じてください。なにも私は、すき好んで、屈折したわけではないのです。好きで、真人間のための道徳のみちから逸れたわけでは、ないのです。何もかも、全部が全部を自分の意志で、わざわざ苦しいばかりの、陰惨な道を選択してきたわけではないのです。
これは心弱く生まれ、それ故、大いに苦心しながら実生活を送る過程で、生きる上での逞しさというものをどうにも身に付けることの出来なかった人間の、言わば宿命のようなものなのかも知れません。本来、強さを身に付けなければならぬ人間がその獲得に失敗したとき、きっと私のように、人生における無数の選択をしていく中で、どういったわけか狙い澄ませたように、誤った選択ばかりをして、ますます自分の強さを失い、可能性を狭め、以て自らの命を縮めてしまうものなのかも知れません。
もう一度言います。私はすき好んで、このような人生を歩もうとしてきたわけではないのです。ただ自分のこの荒涼とした人生をどうにかして好転させようとして、それはもう必死に舵を強く握って、右へ左へ、次から次へと押し寄せる大波から逃れようと、そして時には真正面から対峙して乗り越えようと操縦をしてきたわけですが、これはもはや天性のものなのかも知れませんが、私はその操縦の仕方において甚だ不器用でありまして、ここは逃れねばならないところで「えい」と真正面からぶつかってみたり、逆に正面から向き合わなければならない時には、却ってするりと逃げてしまったりして、その対峙の仕方において無残にも悉く失策を重ねて、そうして気が付いてみると、船体はボロボロで、それを操る私も同様にしてクタクタになっていて、もうこれ以上、耐えられない、けれども、そんな折にも迫り来る荒れ狂う無情の大波を前に、生きる意味を放棄するだけの正当な理由を考える暇も与えられず、ただ最後の灯火となった生存本能だけを頼って、自分の冴えない勘によって、右、左と、決死の思いで操縦して、その結果、いつの間にか大波が去って、嵐の後の静寂を目の前にしても、それまでの余韻から未だ波が起こっているような気持ちが取れなくて、よせばいいのに、その波の余韻を消し去りたい思いから、半ば自棄になって、意味もなく壊れた舵を半狂乱の如くくるくると回してしまって、以てその姿が、どうやら真人間達の嘲笑するところとなってしまっているようです。彼らは、「あいつは、凪の時さえ、大波に見舞われたような大騒ぎをしているが、それは、柔らかい地面で、そこら中何もないのに自分の不注意からうっかり躓いて、傷ひとつ出来ていないのに、痛い、痛いと、大袈裟に喚いているようなもので、甚だ滑稽だ」ということを隣同士囁き合って、以て彼ら自身の自尊心保護の良い材料にしているみたいですけれど、そんな連中は、愚かだ。これは、はっきり言わせていただきます。他者の愚行を、「他山の石とすべし」などという言葉を呟きながら、心得顔の腕組みよろしく、ただ軽蔑するばかりで、その他者の苦心の努力の過程、結果を、自分の人生と全く連関させられない人間は、愚かだ。テレビ点けて、たまたま映った三流恋愛ドラマを鼻で笑っていたにも関わらず、いざ自分がその実生活において、その三流ドラマの主人公と同じシチュエーションに立ち合ったなら、つい先日はこれと全く同様の恋愛を鼻で笑っていたのも忘れ、すっかりそのドラマのストーリーに飲み込まれて、四肢を震わせ顔も真っ赤にして自分に酔っ払って、だらしがなくなっちゃうくせに。他者のあらゆる愚行について、ただ嘲笑し軽蔑するばかりでなく、「明日は我が身」として常に学習の姿勢を忘れずにいる、そんな人間こそ、本当の意味での「真人間」というのではないかしら。

私が真人間の道から逸れ、生来の純粋さを失ったのはいつ頃からだったでしょう。少なくとも小学校の初め頃までは、今よりも何倍もすっきりとした、憂えのない朝を迎えて、その日一日も正直な感性に従って生きて、そうして一日の終わりでさえ、明日の来ることにちっとも疑問や心配なんて湧いて来なかったように記憶しています。自分の未来は何処まで続くのだとか、どの様にして続くのだとか、それは明るいのか暗いのかとか、そういったことをいちいち考えなくたって、ただ、時の流れ、地球の回転するのに身を任せて、明日の到来を受け入れ、ただ平穏な毎日をしっかりと送っていれば、それで良かった、そんな風に、記憶しています。でも、今はまるでダメです。未来のことを考えたら、その一寸先の暗さ、不確かさにただ落胆するばかりだし、かといって何も考えないようにしていたら、意識で閉じた蓋のその隙間から、じわりじわりと、それこそ正体不明の漠然とした恐怖となって、私に不安と焦燥を与えてくるようで、もう私は、「未来」という単語に関しては、反射的に、嫌悪を覚えるようになってしまいました。未来というものがある限り、私は、そこに地獄を感じます。けれどもその地獄の根本には、自身の未来に対する諦めきれぬ明るい期待、とでも言うのでしょうか、そういった、望みの薄いけれど、何とかして縋りたくなるような希望の存在が、あるような気がしています。実は心底では、未来に期待していたい気持ちの存在が、却って未来に嫌悪感を与えている、そのような印象さえ、覚えているのです。期待を、希望を、裏切られ、裏切られ、何度裏切られても、それでもその一縷の望みを完全に手放すことは出来なくて、後生だから、今度こそ、微笑んで欲しい、そんな思いでまた期待をして、それでも悉く裏切られて、その結果私は、その裏切りに対して、「慣れる」という荒業で、適応してしまおうとしました。どんなに理不尽な裏切りにあったって、それに慣れてさえしまえば、何も怖くなくなるし、何も落胆しなくて済む。期待通りの結果になったときだけ、喜べば良い。慣れは、救済だ。慣れは、賢く世の中を生き抜いていくための技術だ。どんな不遇にも、「いつものことだから」と、けろりとして涼しい顔していられたら、それだけで随分幸せになれるのだ。そうして私は、あらゆる負の感情に自身を慣らせました。恐怖も、落胆も、不安も、焦燥も、侘しさも寂しさも、全部、慣れてしまって、どんな因子にも、何も感じません、という我が身を長年掛けて作り上げてきたつもりだったのですけれども、その「慣れ」という試みの正体は、実際のところは単なる「慣れた“振り”」をしていただけのことなのでありまして、私の知らないところで、相当心は無理をしていたのでしょうね、気が付けば私は、あまりに多くの「振り」の鎧で自身の心を固めすぎてしまったせいで、負の感情だけに留まらず、喜びも、高揚も、陽気も、安堵も、興奮も、あらゆる本当の私の心の声、感情さえ、何もかも、見失ってしまいました。今では、私は自分が外からの刺激に対して、一体本当は何を感じているのか、分からなくなってしまいました。ただ、底知れぬ怒り、もやもやとしていて、つかみ所の無い怒りの感情が私の内をぐるぐる回っているのだけは、多分、本当のようです。この、やり場のない怒りの感情と外からの刺激が相互作用して、どうやら私の思考、行動を支配しているのは、確かなことのようであります。このように、思考、行動様式の土台をもやもやした怒りが支配している人生は七転八倒の苦しみでありまして、しかしその苦しみを殊更外部にアピールした瞬間、きっと私がこれまで苦心して作り上げてきた私の居場所が一瞬にして綺麗さっぱり崩壊してしまうだろうから、やっぱりここでも私は苦しんでなんかいない「振り」をして、何とか周囲に溶け込み、以て自分の存在を認めて貰っているのです。私は、素顔の私を表に出してしまったのならば、きっと孤独になります。孤独は、嫌です。どうして人は、屈折した人間に対して、ああも冷たい視線を浴びせられるのだろう。皆だって、自分を守るため、あれこれと細心の注意を払いながら生きていっているくせに。そのやり方を不器用な故、ちょっと間違ってしまったというだけで、やっていることの根底は同じなのにそれに気が付かないで、ただ上辺だけの結果ばかりを批評しては途端に「あいつは愚か者だからね」などと断定してしまって、ああ、これだから私は、人を好きになることが出来ません。

小学三年生の秋、夏が終わっても粘り強く居座り続けていた残暑の最後の力も殆ど尽きかけて、肌を撫でる風にようやく涼しさを感じるようになってきた9月の終わりに、私の母が死にました。事故死でした。いつものように買い物に出て、帰路に着くその途中、交差点で信号無視の乗用車に突っ込まれたそうで、あっけないものでした。私は当時のことをどういうわけかあまり思い出せないのですけれども、多分、あまりの心的ショックから逃れようとして、過剰に母の死を自分の中で否定して、否定して、どうにかして否定し過ぎちゃったのでしょうね、警察署に駆けつけてから葬式が終わるまでの徹頭徹尾、何だかまるで実感がなく、ふわふわして、身内の悲痛の叫びも、慟哭も、生気を失った母の眠り顔も、何だか他人事のように思われてちっとも心に響かず、それどころか、母の顔を見た時、不自然に血の気を失った唇の皺が多過ぎるのを発見するにつけ、興醒めな思い、違和感ばかりに脳内が支配されるような有様で、いよいよ全てがおしまいになって、いざ、これら一連の出来事が不可逆的な、どれ程凄惨な出来事であったかをようやく思い知るに至った頃には、悲しむタイミングを失ってしまったせいか、涙腺の方に込み上げてこなければならないはずの涙が、長いこと重力にさらされたせいで胸の奥の方に落っこちてしまったのか、ちっとも目から排出されることなく、身体の内部に留まったままの、消化不良の落ち着かない感覚を抱くのでした。その涙は私が6年生を間近にして父が再婚することになっても、大きな比重を持って、留まり続けたのでした。
その涙がようやく流れた日のことは、今となっても忘れません。小学校六年生の、これも夏がようやく終わった頃のことですけれど、この日、私は父の再婚後、新たに我が家にやってくることになった母に初めて、我儘をぶつけてみたのでした。我儘と言いましても、ほんの些細な我儘です。父が再婚したのは私が小学六年生になる少し前でありまして、それ以前から我が家に「新しいお母さん」、ということで頻繁に顔を見せていた母ですけれど、私の前では、それはもう大変優しく接してくれるのでした。しかし当時の私は子供心ながら、その優しさは一種の気遣いのような意図の派生に由来しているものであって、決して私への無条件の愛情から来るものでないと勝手に信じ込んでしまっていて、初めて顔を合わせた日からこの日までは、私の方もやはり大いに気を使って、彼女にとっての良い子、都合の良い子を私なりに演じ続けてきたつもりでいました。けれども、そのようにして家の中でも無理のある気遣いを続けていたツケが回ってきたのでしょうか、ふっと、いつも彼女の見せてくれるその優しさに、完全に、寄りかかってみたくなったのです。一時の癒やし、安心感を得たい、そんな気持ちで、私は勇気を出して、と言うよりは寧ろ、この緊張感のある日常への疲労が、誰かに甘えることに対する渇望となった、と言った方が良いかもしれませんけれども、その向こう見ずな甘えへの渇望を潤そうとして、私は彼女に初めて我儘を言いました。後の無条件の笑顔による寛容を求め、夕食の食卓を彩るナスのおかずを指さして、「これ、嫌い」と、憎まれ口を笑いながら叩いてみて、そっと彼女の顔を見た時のことです。これは、ほんの一瞬で、あまりに瞬間的すぎて、本当に彼女がそのような表情をしていたのか、今となっては自信がまるでないのですけれども、その一瞬間、彼女の顔から血の気がさっと引いて、顔面が真白く強張り、唇を少し噛んだような表情を浮かべたのを、いや本当はそんな表情、全く浮かべていないのかも知れず、単なる私の意地悪な思い込みという可能性も十分に高いのですけれども、そのような不快感をサッと見せた気がして、私は心の中で「しまった!」と叫喚して、慌てて前言を撤回して、半狂乱のようにそのナスを箸でつまんでは口に運び、大汗掻きながらも表情は笑顔で、「美味しい、美味しい」と、見え透いた、苦し紛れの起死回生の一策を試み、けれども我ながらその試みの浅ましさに大いに内心で閉口して、殆ど無意味のお芝居を続ける気力も雲散霧消してしまって、未だお腹が満たされないのに、逃げるようにして食卓を後にし、自室に入り扉をバタンと閉めてベッドに顔を沈め、自身の行いを猛省しました。失敗した!社会性の身に付かぬことは、生き恥も同然なんだ!いけないことをした!と、私は、破ることを決して許されぬ禁忌を犯してしまったような決まり悪い思いに呻吟している時、ふと、自らの着ているパジャマ――このパジャマは私が三年生の頃、未だ母が生きていた時に買って貰ったもので、この時、既にサイズが身の丈に全く合っていなかったのですが、捨てることが惜しまれ、この瞬間にも着用していたのでした――にプリントされたタヌキの絵柄が目に入り、そのタヌキが、三年前の時分と全く変わらぬ、あどけない笑顔でこちらに向けてじっとしている姿を見るにつけ、まるでその姿が、「僕だけは君の唯一の理解者だよ」と言ってくれているような、深い同情と愛情の表現のように感じられてしまって、その深い情を受け取ったその瞬間より、三年間、胸の奥の方に溜められてしまっていたあの悲しみの涙の全てが、これでもかと言わんばかりの揚力で以て目頭に押し上げられ、勢いそのままに、私は年甲斐もなく、大声上げて泣いてしまったのでした。

この時より私は、誰かに子供のように甘えることを、とても恥ずかしく思うようになりました。私の内面に潜む子供が、他者を苦しめ、悲しませることは決してあってはならない、そう思うようになりました。私は甘えを徹底的に封じました。自身の言動の、如何なる箇所にも、ひとしずくたりとの甘えの油気を感じさせないこと、それを以降の私の人付き合いにおける課題の回答と信じて、私の発する言葉に包含される単語、婉曲、抑揚、トーン、どれに関しても一切の油断をせず、また、私の取る行動、頭のてっぺんからつま先まで、それこそ文字通り一挙手一投足において決して手を抜かず、兎に角、必死になって、自身の内より滲み出そうになる甘えを隠そうとしました。
果たしてその試みは成功したようでありまして、私が大学に進学するにあたり親元を離れるまで、私は先のような、甘ったれの失態を犯すことは二度となかったのでした。正直、あの家を出て行くことが決まったときには、心底ホッとしたものです。だってもう、家の中でまで気を張る必要がなくなるのですから。これからは、家の中は,自由なんだ、人の目を気にすることなく、自然体の私で居られるんだ、と、弾む気持ちを胸に、一人誰も居ないアパートに寝そべって、一日が経ち、二日が経ち、違和感に気が付いたのは、どれくらいの月日が経ってからだったでしょうか。兎に角私は、どれほどの月日を経ても、これまで抱えていた常時の緊張を弛緩することが出来ず、それに加えて、以前自分がどうやって言葉を発していたのか、どのようにして四肢を動かしていたのか、一向に思い出せず、単語一つ発声することも、足を一歩前に踏み出すことに関しても、「自然体である」ということがどうにも困難な大事業のことのように思われて、私はこの時、ああ、あの時から私が、自分を偽りいつわり、何枚もの不本意の着物を着込んでしまった結果、いまや、その着物を自らの意志で脱ごうとすることさえままならないほどに、着物の内から発せられる自らの身体、心の示すサインに気が付かなくなってしまったのだと合点して、そのため私は、自分の本当の感情を、恐らく無意識の内にどうにかして取り戻そうとしたわけでありますが、どうしてでしょうね、生来の不器用さ故なのでしょうか、私は、全く間違ったやり方で、本来の自分を取り戻そうとしてしまったようです。自分という存在に、傷が付くことの清々しさ。多少の刺激では何重にも合わされた着物を貫通することは出来ませんけれど、自身の存在をも脅かす強い刺激に至っては、分厚い繊維を容易く貫通して肉身に届いて、その痛みから、自分の悲痛の声が聞こえ、「自分は、今、ここに、在る」という感覚を掴むことが出来るのでした。肉を切らせて、自分の声を、聴く。笑いたければ、笑えばいい。少なくとも私は、本気です。

大学二年生の、これもまた、秋のことですけれども、私に恋人が出来ました。彼は一学年年上の、同じ文芸サークルの先輩でしたけれども、その当時彼は、サークル内の拗れた人間関係の修復に、それはもう己の全てを賭けているのか、と思われるほど、夢中になって、あっちこっち奔走している最中でした。しかしながら彼の苦労は虚しく、この時の文芸サークル内で起こっていたいざこざは解消の気配を見せず、いよいよ彼も同サークル内での居場所を見失いつつあって、ある日私にこう弱音を吐いたのでした。
「どうせ、誰も分かってくれないんだ」
その時、私は彼のこの一言に、恋をしてしまったのでした。「どうせ、誰も分かってくれない」という言葉の響きの持つ寂寥たる光彩が、まるで当時の私の、自分の意志というものが分からず、自分で選択したはずの勉強も、人付き合いも、サークル活動も、何もかも上辺ばかりの関係しか感じられぬ、根の下ろし場所のないような異邦人的浮遊感をキラキラと照らして、そのやり場のない感情にそっと寄り添ってくれたような感覚を覚えたのです。私はこの感激にすっかりやられてしまって、「私を理解してくれるのは、彼しかいない!」とひとり早合点して、それと同時に私は、彼の良き理解者になろうと努めました。彼ならば、私の心情を理解出来る。そして同様にして、私ならば、そんな彼の心情を理解出来る、そう考えたのです。「波長の合った二人がくっつく」という言葉は、至言だと思われます。確かにこの時の私達は、波長が合っていました。私達は暫くの間、お互いに、精神的空虚の共鳴の言葉を掛け合い、励まし合う仲となりました。私がボソリと、「岡目八目には気付かない、渦中の人のみ握る真実」などと言うと、彼も大いに喜んで、「客観が敗北することだって、きっと、ある。俺はそれを示したいんだ」などと返してきて、二つの波の、山と山、いいえ、もしかしたら、谷と谷だったのかも知れませんけれども、重なり合って、より大きな盛り上がりを見せることで、私達は今を生きる喜びを得、同時に、明日を生きるエネルギーを得ていたのでした。

私の言動に対する彼の反応が煮え切らないものになっていったのは、彼の私生活が改善の兆しを見せた時期と、ちょうど一致していたように思われます。この頃、文芸サークル内の人間関係のいざこざは収束へと傾きつつあり、しかもその収束の大きな要因の一つとして、彼の必死の奔走の功績が仲間内でぽつりぽつりと、ようやく認められることとなり、彼は忽ち信頼を獲得し、自分の居場所を取り戻し、所謂、自身の置かれた環境に対する不満というものがサラリと解消されることとなったのでした。それに伴い、人生の考察における、私の主張との間隙が次第に大きくなっていきました。つい先日まで、マイノリティ特有の感傷の言葉を耳にしては、その言葉に胸を打たれ、大いなる共鳴の賛辞を贈っていたのに、この時は既に、そのような言葉には殆ど共感せず、寧ろうんざりしたようにニヤリと苦笑して、遂に私に、「ハナ。悲劇の感傷やその同情に、甘え過ぎてはいけないよ。」などという投げやりの説教を残して、これが、私達の恋の終わりと相成ったのでした。私は、傷付きました。こんな、今になって振り返ると、しょうもない人間関係の終焉なのではありますが、確かにこの時の私は、深く傷付いたのでした。堅牢で健康的な土台に、悲しみの箱をちょこんと乗っけただけの人間と、不安定故、己の立ち位置さえ定まらない土台に、悲しみの箱を何個も積み上げている人間とは、全く相容れないのだという事実を知るにつけ、彼の言っていた、「どうせ、誰もわかってくれないんだ」という悲痛の叫びが、この時ほど私の身に、それも、立派な着物を着込んだお仕着せの私でなく、生身の私そのものに、ずしんと響いて、刺さって、心を抉ったことはなく、そしてその時私は、その悲しみの奥底に眠る、痛みを感じることの心地よさというものを、見つけたのでした。私は捨てられた。けれども、その悲愴の内には、確かに、幾ばくかの愉悦がありました。着物ではなく、私の生身に傷が付くことの、愉悦。痛みを伴う暴力的な刺激は、私を私にしてくれたのです。私は、自分が大切に扱われることに、違和感があります。自身が幸福であることに、罪悪感を覚えます。着物が汚れることに、大きな抵抗を感じます。そのためには、実際の自分自身の傷付いている方が、安定する、落ち着くのです。幸福は、不安定だ。長く続く幸福なんて、要らない。たまに私に夢を見させてくれる人が現れて、そうしてたっぷり私に夢を見せてくれた後、その幸福の分だけ、残酷に、捨てて。
私が痛みの心地よさを覚えた頃から、名目上、私に、愛や、優しさや、人生の夢を与えようとして寄ってくる人は沢山現れました。私は彼らと関わる際、常に内心、「私を救えるものなら、救ってみよ」という気持ちで,もう既にこの時破れかぶれで、来る者拒まず、彼らの示す愛を、優しさを、人生の夢を、私のやり方で、受け取ろうとしました。本物を、私に見せてよ、そんな気持ちで彼らと、私なりに対峙してみたのですが、これは「案の定」と言うのでしょうか、彼らは皆、一人残らず、私の元から去って行きました。初めは、優しい笑顔で近寄って来て、まるで自分自身が救世主にでもなったような自惚れの笑顔で、ほら、君に人生の喜びを教えてあげよう、と言って手を差し伸べますが、いつまで経っても私の人生における態度が彼らの思惑通りに動かないことに次第に苛立っていって、最後は全く愛想も尽かしてしまって、軽蔑の眼差しで以て、「それだから君は、不幸せなんだよ」と、はじめ私に近寄って来た動機も洗いざらい忘れてしまったように吐き捨てて、その都度私は心の中で、余計なお世話だ、と叫んで、そうしてそれっきり、二度と顔を合わせることはなくなるのでした。私に優しさを見せつけようとして、そうして、その表面だけの優しさが通用しないと分かると、却ってその憂さ晴らしに私を傷付けるようなことをしますが、そのような優しさは、優しさとは言いません。これは、はっきりと申し上げます。その優しさは、偽善だ。しかも、達の悪い、偽善だ。私は彼らのような人間に、彼らが自身の内に秘めていると思い込んでいる「優しさ」は、実際は、ただの倨傲であったことを、私の身を切らせることで、教えてあげたのだ。けれども私は、やはり愉快なのでした。私の存在が否定されて、やっぱりそれで心は傷付いて、そしてその傷が、私に私が今ここに存在していることを実感させてくれるのでした。捨てられるのが、嬉しくて、楽しかった。私、おかしいですよね。分かっています。私は、どうも、何処かがおかしいのです。心の空洞の埋め方が、間違っているのです。どういうわけか私は、自分の中に不足している精神的欲求を、悪いもので満たそうとしてしまうのです。心の空洞を、痛みで埋めるのは、間違っている。他人に満たして貰おうとするのは、甘えだ。分かっています。自分で満たす必要があるのです。自分の問題は自分でないと、処理することが出来ないのです。分かっています。分かってはいるけれど、私は自分が、分かりません。着物の奥の私の声が、聞こえないのです。一体、私は何に不足して,何を求めていて、本当のところはどうして欲しいのでしょうか。幾ら耳を澄ませても、一向に、何も聞こえてきません。静寂の後の、底なしの、虚無。その虚無感でさえ、自分の本当の感情なのか、着物の感情なのか、分からないのです。私はもう、耐えられなくなりました。生きる意味なんて、無いのです。死のう、と思いました。関西の方に、良い場所があるのです。正確な数値は忘れましたけれど、50 mだか60 mだか、そのくらいの高さの断崖から身を投じさえすれば、後は海中の渦に身を任せるだけで全てを終わらせられる、良い場所が、あるのです。もう私は、これ以上、どうしても、頑張れなかったのです。本当に、ごめんなさい。

新幹線の切符買うために、自動券売機の前に立ちました。この機械もまた、おかしいのね。私がこれから死のうとしているというのに、この券売機、私が発券の手続きを画面に従って進めるのと同時に、何の躊躇いもなく、流れるようにスイスイと手続きを進行させてしまって、私がお金を入れてしまうと、これまた、何を疑うこともせずに、自分の任務とばかりに、律儀に切符をポンと出してしまって、私は券売機のその純粋さがいじらしくて、美しくて、思わずその場に泣き崩れてしまいそうになりましたが、ぐっとこらえて、二枚の券を改札に突っ込み、時間通りに来た電車に飛び乗って、辺りを見渡してみますと、色々な風采の、幅広い年齢の大勢の人達が乗り合わせているのにも関わらず、私の存在にはてんで無関心で、たとえ私が悪事を計画して、今がその計画の遂行段階であるからといって、そんなことには全く気付きもせず、ただ、相応のお金を払ったのだから、この空間に居る権利があると言わんばかりに、私がこの場に居ることに、何の疑問も抱かず、各々が自分の私生活の雑事に没頭しているその姿が、私の心には言い知れぬ救済の姿勢であるように感じられて、ああ、そうか、他者の干渉なんて、何も要らなかったのだ、ただ私がそこに居る、そこに存在しているという事実が、誰にとっても、何も疑うところのない事実であり、そこに批評も、違和感も、何も存在しないことが、究極の救いであるのだということに気が付いて、私は電車の中でひとり得意になりました。ただ、ありのままで、何の干渉も要らない。人様の生活に土足で上がり込んで、様々に引っ掻き回すのは、おかしなことなんだ。そっとしておくことが、大事なんだ。暗い私も、それを見せぬよう表面上取り繕う私も、生きることに不器用な私も、全てが私そのものであって、ありのまま、どんなことがあっても、干渉、批評されることなく、その場に存在していられる。これこそ、究極の優しさなんだ、と、ようやく生きるための火を手に入れた気になって、一瞬間、激しい高揚を覚えたのですが、残念、その火を点すための燃料が、尽きていました。火は、ある。今ここで、見つけた。さあ点火しよう。けれども、その火を、点火する場所がなかった。既に私の中に残っているのは、灰だけだった。灰に火は、点きません。それを自覚した瞬間、急速に、込み上げてきていた生きるための熱情は沈静してしまって、その反動で私は寧ろ、これまでよりもずっと落ち込んでしまいました。もう、いいや。面倒くさい。全て、終わらせてしまおう。そう、生きることが、もう面倒くさかったのです。頑張るのも、耐えるのも、新しい活力を燃やそうと自分を偽るのも、全部、面倒くさい。いいんだ。私は、普通じゃない。何でなのかはよく分からなかったけれど、何処か、普通じゃないんだ。普通じゃないのだから、その人生が普通のようにいかないのも、仕方の無いことなんだ。そう言えば以前、「自殺は禁忌だ」とか、「自殺は、天に対する裏切り行為で、キツく罰せられる」という主張を何処かで目にしたけれど、それじゃあ逆に言わせて貰うけれど、禁忌を犯したり、自分を裏切ったりすような「普通でない」存在を、どうして、予め創ったの。どうして悪しき存在を、この世に創ろうと計画したの。矛盾していらっしゃらない?誰だって、好きで禁忌を犯したり、裏切ったりするわけじゃないんだよ。普通でない困難を授かって、けれども、その困難の中からも僅かな希望の種を見つけようと、必死にもがいて、もがいて、そうして、ようやく取ったその種は、よくよく見ると、希望の種なんかではなくて、殆ど力を入れていないのに、摘まんでいる指先からほろほろと崩れ落ちて、そうして出てきたのが、更なる絶望の芽。こんな状態で、どうして生きることに希望を持っていられると思うのでしょう。よくも自殺は禁忌だ、などと舐めきったことを言えたものだ。なにも、あなたを裏切った存在ばかりが悪いんじゃない。あなたを裏切るような存在として、この世に普通でない人間を存在せしめた創造主のあなたの方が、ずっと害悪なんだ!

ここまで綴ったところで、彼女は目を閉じた。A4用紙、10枚にも及ぶ独白文を両の指先でしっかり掴みながら、断崖の上を吹き通る涼やかな風を感じた。2019年9月。8月の猛暑が嘘のように去ってしまうと、今や残暑をも置き去りにして、涼しい秋が到来していた。彼女にとって、人生のターニングポイントとなる悪い出来事というものは、いつも決まって夏の終わった直後の秋に訪れていたような印象を受けた。それでも彼女は、秋という季節が好きだった。人間の雑事を物ともしない堂々たる自然の魅力は、彼女の悪い過去の思い出に染められることはなかった。彼女は大きく息を吸い込み、その不動の秋を感じながら、しっかりと掴んでいるそのA4用紙に目を落とし、最後の一文となる言葉を書き込もうと片方の指を放した。が、その瞬間。何らかの力によって、10枚の用紙が、彼女の指先から強く引っ張られた。それは明らかに、物理法則では説明の付かない力であった。不意打ちを食らった彼女が指先に力を入れ直す暇もなく、その力によって、掴んでいた指先から、全ての用紙が放れ、あっと思うまもなく、吹きつけていた風に乗って、それら10枚の用紙は、断崖の下で波打つ海面に、はらりと着地した。着地した用紙は暫くの間ひらひらと海面に浮かんでいたが、やがて海水を吸い込んだ自らの重さを支えきれなくなって、一枚、また一枚と、海中深くに沈んでいった。彼女はその様を呆然と見送っていたが、やがてくるりと180度反転すると、海とは反対方向に歩みを進め、そうして、彼女はそれから再び、この断崖に姿を見せることはなかった。

「禁忌を犯すような存在を創りだした方にも責任がある」とする彼女の主張の真偽については、これにてひとまず、先延ばしにされたようであった。ただし、これからの彼女はきっと、これまでの彼女よりも、ずっと、強くなっている。




1件のコメント

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。