人から愛されるためには、自分から人を愛さなければならない。
人から愛を得たいなら、愛を一方通行のものにしてはいけない。

分かっています。分かっています。しかし、ただでさえ懐が寂しい人間が、どうやって他者に施すことが出来るでしょうか。内部で枯渇しているからこそ、与えることは難しいのです。愛されたい気持ちが底なしに湧いてくるのは、自身満たされぬところがあるためです。

自身満たされていないので、人から与えられることばかりに焦点が当たるのです。だからこそ人を思えないのです。人に興味を抱けないのです。人に興味を抱けないから、人に与えることが出来ないのです。

けれども、それでは決して愛は得られません。愛を得たいなら自分の方から愛を与えなければなりません。けれども自身内部で愛が枯渇している現状、それを与えることは出来ません。満たされていないゆえ、自分のことしか見えなくなるのです。だから他者を見ることが出来ない。そこまで気が回りません。

いいえそもそも、「自分のことしか見えていない」と言いつつ、「自分のことさえまともに見られていない」のが現実ではないでしょうか。それでは聞きますよ。自分の好きなものはなんですか。嫌いなものはなんですか。人生の中で自分の好きなものをどれほど取り入れていますか。反対に嫌いなものをどれほど回避できていますか。ただただ苦しさに耐えるばかりの人生になっていませんか。さてあなたはこうした質問に対し明確に答えられますか。

自分のことさえおざなりになっているのではないですか。自分のことをおざなりにしながら、人を思うことは難しいでしょう。

“急がば回れ”です。まずは自分のことを思い遣ることから始めてみてはいかがでしょうか。自分の好きなことを積極的に人生に取り入れ、嫌いなものを人生から極力排除していく。

そうして心に余裕が生まれた頃になって、「それじゃあそろそろ人にも関心を持ちますか」ということになるのではないでしょうか。そうして生まれた「他者への関心」が、人に愛を与えることに繋がるという考え方も、まあないわけではありません。

平原綾香の『スマイルスマイル』の一節は、そんなところを意味しているのかも知れません。

大人になるってことは
忘れてゆくことじゃない
自分以外の誰かを想う気持ちが
強くなるってこと
出典:『歌ネット』

まだ自分のことさえ分からない未熟な心だから、人を思うまでには至らない。けれどもその心を大人に育て上げることが出来れば、人に愛を与えられるだけの余力ある人間になれる。

そして、余力のない未熟な心を「大人」にするため大切になるのが、「自分を大事にすること」だと。

こうした「自分を大事にすること」を端緒に、「愛されたいのに→愛されない」という湿り切った沼地から脱する、道しるべが出来るのだと。

「自分なんて誰からも愛されない」と思ったら心掛けたいこと

1件のコメント

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。