『安始』前の心に移りゆく由無し事書き綴り2





先日、法人の指導監査をされている某氏の接待の場で、その某氏の言い放った以下の言葉が、ひどく印象に残っている。

「福祉は一年もいれば中堅だからな。五年も続ければ施設長も見えてくる。これ、本当のことだからね?」

私はこの発言を、「あながち間違いでもないな」と思った。
一年前、私が入社八ヶ月目の社員に、「てっきり中堅の社員さんだと思っていました」と言ったのと同様の言葉を、今となっては私が、入社したての社員から掛けられる身となっているからである。

この業界は、人の入れ替わりが実に激しい。私のいる会社も例外ではなく、私の配属された事業所に限っても、4月時点で11人いた社員の内5人を、一年以内に見送ることとなった。
私のいる事業所では、職員、施設利用者毎にA,B,Cのいずれかのグループに所属することとなっており、私は入社以降からずっと、事業所内の「Cグループ」の支援を担当してきた。配置当初は、Cグループ内で私の上に3人の先輩社員がいたのだが、時間の経過と共に一人が去り、二人目が去り、そして最後の一人が昨年の12月に去ってしまい、遂に今では、そのまま持ち上がる形で私がCグループの責任を背負う立場となっている。入社して一年も経たない社員が、15人前後のグループの運営を任されたのである。私が朝礼で「今日はこの作業をやります」と明言すれば、その作業がそのまま実現してしまうのである。私が「この職員はこの利用者を担当してください」と言えば、まあこの点に関してはさすがに他グループの上司のチェックが入るのだが、大凡私の提案が現実のものとなるのである。グループ内でミスが出れば、主に私が注意を受ける。私が提示する作業や職員配置等の決断を誤ると、グループ内がしっちゃかめっちゃかになる(これは何度かやらかした)。これまで先輩社員が請け負い、新米の私は任されることのなかった責任ある役割を、彼ら彼女らが皆去って行ってしまった瞬間より、当たり前のように“出来るものとして”任されるようになった。入社一年未満のペーペーの身としては、この現状は夢でも見ているかのような心持ちにさせられることがある。なるほど、この施設で一年間働き続けていれば、見かけ上は立派な中堅戦力となり得てしまう。まったく恐ろしい話である。

さて、「一定規模のグループを運営する」という任務だが、これは私が大変苦手とする仕事である。以前にもお話しした通り、私は、他者の私に対する見られ方というものを過度に気にする性格を有している。私の取る言動一つで、何人(なんぴと)に対しても都合の悪い状況、ないし私に対するマイナスの印象を与えたくない。そればかりを考えながら、日々を送っているような人間である。そのような人間がある一グループにおけるリーダーの立場に立つと、実に見事な優柔不断さを発揮するのである。理想は、他グループの上司と、グループ内の職員と、施設利用者の意見全てを反映させられるような決定を下したく、かなりの時間を使い、その実現に向け頭を働かせる。しかしその理想の叶うことは現実に少なく、多くの場合、誰かしらが何らかの形で都合の悪い状況に置かれ、不利益を被ることになってしまう。そのような折にはその職員に対し、必要以上に頭を下げてしまう。必死の防衛策である。普段からできる限りそういった負担が一人の人間に集中することなく全体に分散されるよう、必死に考え、工夫を凝らすようにし、更になるべく、自分が比較的高い比率でそういった不利益を被るようにはしている。けれども、軒並み責任が取れかつ比較的経験のあった先輩社員を失ってしまった現状、どうしても入社一、二ヶ月程度の社員ないしその他非常勤の職員に私よりも大変な業務を行っていただかなければならない時もあり、その折はもう割り切る他なく、必要以上に頭を下げた後は思い切って頭の回転を停止させ、何人にも嫌われたくないとする下心、それに基づく他者へのご機嫌取りの精神を放擲し、円滑なグループ運営に全神経を集中させるのである。「えいや!」と心の中で一つ叫び、断腸の思いで決断を下し、何事もなくその場がやり過ごされることをただ必死に祈るのである。
そのようなやむを得ぬ、思い切った決断を私のような人間であっても可能にさせるのはやはり、日頃から比較的高い比率で自身が不利益を被るように全体を組み立てた運営を行ったことと、それを自身が自覚し、「たまにはこんな日があっても良いんだ」と、内面に渦巻く八方美人を説得できるだけの過去の材料が存在しているという事実なのである。それが無ければ、私には決して出来ない芸当だ。自身が日常的に積極的に不利益を被るような運営を心掛けるのは、それをやむを得ず誰かに背負わせてしまう時のために用いる免罪符を得るためなのである。
また、私はこのような立場に置かれることとなってから、グループ内で起こる“mistake”に対し非常に敏感に反応するようになった。グループ内のミスは自身の評価に直結しそうな気がしたし、「自己承認欲求のお化け」である私は、兎に角自らの株を下げたくないため、どうにかしてグループ内のミスを無くしたかったのである。しかし私は筋金入りの八方美人。何人にも嫌われたくないと考える人間であるから、ミスの原因追求やそれを引き起こしてしまった職員への対応は、とてもとても苦しく身の縮むような、大骨折りの大事業であり、具体的には、ミスを指摘し、そしてそれを以降繰り返さないでいただけるよう嘆願する際に取れる手段と言ったら、相手にほんのかすり傷さえ与えぬよう、遠回しに、婉曲に婉曲を重ね、種々の技巧さえ織り交ぜ、その結果もはや何がしたいのか、何が言いたいのかてんで分からぬ言動で以て示すことぐらいがやっとの有様で、あまりの自身の小心さに呆れ、その不甲斐なさにきりきり舞いをした経験は枚挙に暇がなかった。必要以上の気苦労をしたと思っている。

ただし、今のこの立場は決して苦しいことばかりではない。私の、様々な事を鑑みて組み合わせた計画がジグソーパズルのようにピタリと嵌まり、厳しいと思われた状況下でもグループ内が円滑に回った瞬間は身震いするほどの達成感を味わえるし、何より「自己承認欲求のお化け」である私は他者から必要とされる事を過剰に求めるので、私が事業所内において相対的に必要な人間として存在できているという実感をより一層得ることが出来た(※過剰な自己承認欲求の克服のため、このような経験をすることは効果的に働き得るのだそうだ)し、そして与えられた任務を遂行するばかりの立場の他に、このように与える側の立場も経験することで、これまで上の人が決定していた様々の事柄の真の意図が分かったりと、まあ貴重な経験が出来たことは非常に良かったなと考えられる要素も沢山あったため、現状、多くの至らぬ点はあったものの、全く悲観ばかりしているわけではないのである。

さてそんな私も、なんと僅か一年で今の事業所を離れることとなった。通例この会社において、一年で部署異動することはなかったそうなのだが、まあ多分、この会社の苦しい台所事情が反映された結果、特例として「一年での部署異動」が決定せられたのだと考えている。兎に角、ここ(この業界)は人が定着しない。次から次へと辞めて行ってしまう。その分人員は補充されるのだが、人数そのものは変わっていなくても、やはり初めのうちは経験の差などから、どうしても全体の質が下がらざるを得なくなってしまう。それに伴い、経験の比較的長い、実力のある社員への負担が大きくなってくる。私自身、異動後に置かれることとなる環境にはかなり恵まれた方なのだが、他の同期や、普段お世話になっている上司の来年度のシフト表を見た時は、上述した「負担」が彼ら彼女らにのしかかったような印象を受ける勤務形態で、卒倒しそうになった。とてつもない変則勤務に加え、理不尽とも思える中抜けを伴う勤務の羅列がシフト表には示されてあり、もし私が彼ら彼女らの立場であったなら、恐らく心身を共に壊し、そう長くない将来に退職を考えねばならない状況に立たされるであろうことが、容易に想像できてしまったのである(やはりこのシフトには、社員間で多くの不満があるようであった)。
ただし私の身にも、いつその火の粉が降りかかってくるかは分からない。現状でさえ「出勤前後に泣いている」と告白するほど追い込まれている社員がいるというのに、更に厳しい環境下で働くことが来年度(明日)から強いられる現状、退職者が出ても何らおかしくはない。その時は、きっと私にも影響が及び、「皆大変だな」などと外野から言っていられなくなるはずである。そのような時が来たら、私のこの会社における寿命も急速的に縮んでしまうのだろう。それに備えて、私は今のうちから、心の準備をしていかなければならないとなあと、現段階から既に考えている次第である。

私はどちらかと言うと社会不適合者的性質を備えているので、尚更、私が福祉業界で長くやっていくことは難しいのかな、などと考える今日この頃である。

きっと今年度の一年間が、「今思うと平和で充実した一年だったな」と思えてしまう未来が、そう遠くないうちにやってくるんだろうな。




2件のコメント

  1. フクロウさん、お久しぶりです。
    ゴットです。フクロウさん移動になられたんですね、私も実は移動になりまして、生活介護から入所施設に移動になりました。今年から始まる新家屋なので、大変綺麗な施設ではあるのですが、仕事は苦しみそうです。重度の方を一日中見なくてはいけないので、困難が待っていると思います。支援は好きなのですが、睡眠が取れないと人は崩壊していきます。多分福祉業界が人が安定しないのは、睡眠の二文字がキーワードになっているかなと思います。私も実際体験しましたが、たかが3日で心身ともに疲弊しています。私もいつまで持つか心配です。フクロウさん実は昔私の勤めていた会社の上司がこんなことを言いました。空をゆっくり見上げれるようになったら仕事を変えなさい!と夢中になっているときは、空さえも見上げられないほど仕事に集中しているからと、もうかれこれ10年以上前の言葉なのですが今も心に残っています。実際その後、空をゆっくり見上げれる環境が来た時、会社を転職しています。今の所まだ、今の会社は空を見上げてないので、続けていこうと思います。フクロウさんも、そんな時がきたら考えてみるのも人生の決断だと思います。雑談がすぎました。大変勉強になりました。又遊びにきます。失礼します。

    1. お久し振りです。ゴットさん入所施設に異動されたんですね(ちなみに私はグループホームです)。入所施設、大変ですよね。ご指摘にある通り、睡眠の乱れに大きく繋がりますからね。あと、こちらにもある通り、睡眠の乱れは、自身の生活の乱れに繋がります。更に、睡眠の乱れが生じている状態で自己犠牲の精神を貫くことは非常に困難です。睡眠はとても大事です。人を定着させるには、無理のないシフト作りは必至でしょう。しかし人手不足の現状そのような対策を取れず、結局精神論でどうにかせざるを得ないのは大変悲しい現実です。
      空を見上げる時が来たら転職の検討ですか。粋なことを仰いますね!それでは私も空を見上げる時が来たら転職を考えましょう。気持ちが切れてしまったらもう、続ける意味がありませんものね。
      コメント有難うございました。これからもどうぞよろしくお願いします!

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