無情の人

遠征に際し、都内へ出る電車に乗っている時のことでした。私が乗り込んだ駅の次の停車駅、電車のドアがガチャンと開いて、大勢の人達が私の居る車両にずんずん乗ってきたのですが、その中にひとり、一際目を引くおじさんが紛れていました。白髪に白髭、歳は65くらいと見えましたが、彼の佇まいや言動、そしてその耳に突き刺さっている派手なピアスからは、決して「おじいさん」と形容するのはあまり適切でない印象を受けました。若々しき、陽気なおじさん。その陽気なおじさんの一際目立っていた所以ですが、彼は、ほぼノンストップで何やら、延々と独り言を呟いているのでした。やれ桜が綺麗だ、やれここは何処だ、やれここは何県だ、やれ先程購入した饅頭をこの場で食べてしまえ、等、様々のことを周囲の誰かに向け、いいえ、恐らくは周囲の誰かが反応してくれることを期待しながら、しきりに呟いているのでした。しかし、その呟きの泡沫は誰の心に届くわけでなく、次から次へと人と人との間をすり抜け、ただ無愛想の空気に充填された車内の空間をしばらく漂った後、パチンと、虚しく弾けるばかりなのでした。周囲の人々は彼に対し、完全に黙殺を決めているようでした。私は、彼の言動を横目で観察しました。彼の独り言は、止まるところを知りません。目に入ってくる窓外の景色、耳に流れてくる車内のアナウンス、そのどれもが彼の好奇心をかき立てているようで、それに伴い、独り言の泡沫は車内を絶えず漂うのでした。その上彼の目は、キョロキョロと、周囲の人間を観察しているようでした。きっと、話し相手になってくれそうな人物を、探しているのでしょう。この止めどない彼の独り言は、いつか特定の誰かに向けられる可能性を、蔵していました。私はその事実を認識した瞬間より、全身に緊張の走るのを覚えました。もし、このおじさんの言が私に向けられたとき、私はどのような対応を取れば良いだろうか、必死で考えました。無視をしたくはありません。私はそこまで冷酷になれません。私は、他者より自らに向けられる期待を意図してへし折れる程の精神力を、持ち合わせていないのです。しかし、かといって、たとえ望まれているにしても、このおじさんの話し相手を勇んで名乗り出ることは、まったく気が進みませんでした。私は、電車内で会話というものを、あまりしたくないのです。まして、このシンとした満員御礼の車内で、私と、この一際目立つおじさんの間で会話が始まろうものなら、その一部始終を、多くの人々に聞かれることになる恐怖がつきまといます。私のリアルタイムの言動が、沢山の人々の注意を引くなどという事態に、私は到底耐えられる気がしません。ひとつ、私が言動を誤れば、それを鋭く看破した人物に「どうやらあいつは今、しくじったようだな」等と心の中で思われ、または心の中で思われたに違いないとする私の勝手な邪推によって、恥を掻く恐れが生じるわけです。私は、自身が恥を掻くことに、敏感です。私は、人前で失敗をすることを、激しく恐怖します。公衆の面前で恥をさらした、失敗をしたその経験、記憶は、少なくとも以降十何年と私の細胞に執拗に留まり続け、生活における様々のシチュエーションをきっかけに時々その顔を覗かせては、都度、私を卑屈にさせるのです。そのようなリスクを冒してまで、見ず知らずのこのおじさんの話し相手を買って出られるほど、私は、お人好しではありませんでした。結局私は、自分が一番、大事なのです。日常的に、人のためになりたい、等と殊勝な理念を口にすること甚だしい癖して、実際の胸の内では、自分を守ることばかり考えている、私は、そういう人間なのです。このような状況に置かれることで、一層、その事実が再認識せられ、私は己の偽善を思い知るのです。しかしながら、ああ、この世に真の優しさを持つ人間が、どれほど存在するでしょうか。本当は皆、私と同じように、自己防衛の分厚い鎧を纏って生きているのではないかしら。一見、真の優しさを持っているように見受けられる人も、実は見えないところで、巧妙に自己防衛の重たい鎧を大事に抱え込んでいるのではないかしら。まさか、そんなことはあるまい。皆がみんな、私のような卑怯者と一緒にしてはいけません。その証拠に、今私の眼前に展開される光景を観察すると分かります。なんと、あのおじさんの独り言に対し親切に反応した方があったのです。おじさんと同世代くらいの、女性の方でした。話題は窓外に広がる景色についてでありまして、「桜が綺麗だ」というおじさんの一言に、「綺麗ですね」と返答されたようです。そこから会話が始まりました。あの桜は、何桜だろう。ソメイヨシノ。この桜は、少し色が薄いな。さっきのソメイヨシノとは違うのだろうか。ここは何処なのか。へえ、横浜。横浜は何が有名なのか。いい街なのか。俺は昨日飲み過ぎてしまって、気が付いたら知らない土地に来ていた。今、折り返す電車で戻っているところだ、まったくバカなことになったものだ、わははは、等々。女性は決しておじさんを邪険にする素振りを見せず、逐一、彼の言葉に対し返答されていました。ああ、私はなんと情け知らずな人間なのだろう。よほど目の前の女性の方が、私よりも人道的にご立派だと思われました。私は自身の非情さを思い知りました。全ての人様の役に立ちたい、などという自身の考えは、とんだ偽善、嘘っぱちだということが分かり、残念な気がしました。しかし、それでも私は、自らの考えを改めることは出来ませんでした。やはり私は、この正体不明の陽気なおじさんと、残念なことに先程の駅で降車されてしまった女性の如く、周囲の注目を集めながら話の出来る自信が無かったのです。中途半端な偽善は共倒れを招くでしょう。私は以降も、黙っていることを決めました。しかしそんな私の決意とは裏腹に、はじめは独り言に終始していたおじさんも、思わぬ同世代の女性助っ人の登場により、かなりの勢いをつけられたようです。女性の居なくなった車両にて、彼の言動は、兎に角誰かと話したくて仕様が無い、そのようなものに変わっているような印象を受けました。ちょうど電車の壁とおじさんに挟まれ、彼と接触するほどの距離にある上、身動きの取れない状態にあった私は、ますます身体を強ばらせました。もし話し掛けられれば、私はその要求に人当たり良く応ぜざるを得ないでしょう。私の全身に浸透する八方美人の性分が、それを拒むことは決してさせないからです。けれども私は、電車内では静かにしていたいという願望があります。このアンビバレントたる二者の願望の実現に向け、私は、必死に頭を働かせました。自分自身は勿論のこと、この眼前のおじさんをも傷付かせず、両者少なくとも不利益を被らぬような良策は、ないだろうか。いいえ、あります。おじさんが私に、話し掛けなければ良いのです。おじさんが私に話し掛けさえしなければ、そもそも利害の絡む諸問題は発生しないのです。「おじさんは誰かと話をしようと思っていたが、私には話し掛けることがなかった」という事実、それが私とおじさんの、双方の利害の一致した現実的な妥協点です。そうと決まり、私はすぐさまそれを実行に移そうとしました。私は瞬時に、人様が私に話し掛けたくなくなるような、厳格な雰囲気作りをしました。これは私の得意技でした。もとより、私の容貌、佇まいというものは、人様が親しく接近して行きがたい雰囲気を纏っているようでありまして、過去にはそれに関連する様々の実績を持っており、自分でもそのことをきちんと認識しているのです。更にこの時、偶然手に本を持っていたことが幸いいたしまして、ただでさえ親しみの持てぬ私の近寄りがたい雰囲気、佇まいに加えて、何の絵柄の描かれていないモノトーンのハードカバーで自身の顔の一部を隠蔽し、その親しみの湧かぬ雰囲気作りに更なる拍車を掛けることができました。仕上げに、キッと意図して厳格な表情を作り、真面目にそのハードカバーを読んでいる振りをしました。これまでの経験上、この状態の私に話し掛ける者はそうそう無いことを知っていました。おじさんは、明らかに私の存在を意識していたようでありました。何より、最も話し掛けやすい位置に私が存在しているのですから当然です。しかし彼は、私に話し掛けることはせず、後ろをくるっと振り返ったかと思えば、そこに居た女子学生に照準を合わせ、「あのさあ」と声を掛けたのでした。私は安堵しました。私はどうしても、電車内で会話をすることが嫌だったのです。女子学生はまったく気乗りしていないであろうトーンでありながらも不承不承会話に応じていましたが、次の駅でそそくさと降車してしまいました。一時的に難を逃れたと言えども、再度、取り残されてしまった両者。私は息の詰まるあまり、窒息しそうでした。他にターゲットはありません。次はきっと私でしょう。私はこんな佇まいをしていますが、その実は八方美人、誰の期待も裏切る勇気のない小心者です。話し掛けられたら、自らの利益は完全に放擲し、微笑を以て、彼の気の済むまで様々の会話にお応えするでしょう。きっと私は、彼の期待を裏切らないでしょう。ただひとつ、自分の利益を守るための無言の自己防衛は、やらせてください。私は浜辺のヤドカリよろしく、じっと殻に篭もっていますが、もし貴方が殻をつついたら、必ず顔を出すでしょう。そしてそのヤドカリは、貴方にとって良いお話し相手になるに違いありません。それはお約束します。しかし、私からは行きません。殻をつつくのは、貴方の方です。さあ、貴方はどうされますか――。

 

電車がスピードを緩め、私の降車する駅のホームが見えてきました。駅名がアナウンスされ、それと同時に、ホームに面したドアがガチャンと開きました。車内の人々がぞろぞろ外の世界へ足を踏みだし、それに続くように、私は、おじさんと壁の間にできた僅かな空間をすり抜け、速やかに外へ出ました。その後、ホームで待機していた人々がずんずん私の居た車両に入っていき、しばらくして、ドアがまたガチャンと閉まり、おじさんとその他大勢の乗客を乗せた電車は発車しました。私はホームと改札を繋ぐ階段を降りながら、「自分は間違っていない、自分は間違っていない」と、心の中で何度も繰り返しました。

 

もし仮に彼が私に話し掛けていたとしたら、私は必ず、彼の要求に対し満足に応えていたことでしょう。何故なら私は、情けなき人間ではないからです。その確信さえあれば、その事実さえ正しく認識さえしていれば、罪悪感を覚える必要はまったく無いのです。ただ、相手が私を求めなかった、だから私と彼との間に何も起こることはなかった、ただ、それだけなのです。

 

しかしそれから長い時間、どんなにそれを自身に言い聞かせても、あの車内で生じた身体の強ばりが取れることはありませんでした。




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