【心理学科 公認心理師】通信制大学生の手記(3年次秋編)

勉強の進展

★通信科目(レポ+試験で単位がくるもの)
発達心理学Ⅱ(青年~老年) 試験待ち
社会・集団・家族心理学Ⅰ
学習・言語心理学 試験待ち
心理学研究法
心理学統計法
心理的アセスメントⅠ
知覚・認知心理学Ⅰ
神経・生理心理学Ⅰ 試験待ち
健康・医療心理学Ⅰ 試験待ち
社会・集団・家族心理学Ⅲ
障害・障害児心理学
産業・組織心理学Ⅰ 試験待ち
感情・人格心理学Ⅰ 試験待ち
精神疾患とその治療Ⅰ
教育・学校心理学Ⅰ 試験待ち
司法・犯罪心理学Ⅰ 試験待ち
心理学的支援法Ⅰ
公認心理師の職責
福祉心理学
関係行政論 試験待ち

★通信科目+授業(レポ+授業+試験で単位がくるもの)
心理学概論
発達心理学Ⅰ(幼児・学童)
臨床心理学概論
人体の構造と機能および疾病

★授業または実習
心理演習
心理実習
心理的アセスメントⅡ
心理的アセスメントⅢ
心理学統計法演習
心理学実験Ⅰ
心理学実験Ⅱ

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「秋偏」と言いつつ更新が今頃になってしまったが、勉強の進展は上記の通り。

取り敢えず全科目の教科書&レポートはコンプリートしたので、後は対面型授業の開催を待ちつつ、大学院入試に向け対策を進めつつ、実習先を探しつつ…という生活にシフトとなる。あと試験もか。

…いつぞやの記事で「11月中には通信科目の単位を取り終える」と豪語した記憶があるが、普通に無理だった。実際のところは、全てのレポートを出し終えた(=試験の受験資格を得た)のが1月にずれ込んだ上、そもそも試験は1~2ヶ月に一度しか実施されず、しかも一度の機会で最大3科目までしか受験できないため、「11月中」に全単位を取り終えるなんてどだい無理な話であった。

過去になぜあのようなことを言ったのか、今となっては理解に苦しむ。

卒業研究の履修で痛い目を見た話

今回は、卒業研究の履修をめぐる失敗談について書いてみる。

私の在籍する大学は、通信教育でありながら卒業研究を履修することができる。別に履修しなくたって卒業や資格取得に差し支えるわけではないのだが、今後大学院に進学し、そこで「研究活動」を行わなければならないことを考えると、卒業研究はできれば履修して“心理学研究法”やら“心理学統計法”やらといった科目について、実践を交えた学習をしておいた方が望ましい。

――そう考え、私は卒業研究の履修を希望することにした。早速大学側から、
「研究計画についてまとめた書類を一式提出してください」
と連絡がきたので、私は一から「卒業研究の研究計画書作成」に取り掛かった。

けれどもこの研究計画書の作成、やってみると分かるが非常に難しい。「研究」というのはざっくり言うと
これまで誰も明らかにしてこなかった事実(因果関係や相関関係)を種々の手法によって明らかにすること
なのだけれど、その事実を

・明らかにすることの意義
・明らかにするための具体的方法

等々については、全て科学的な根拠に基づいて説明されなければならない。

そもそも、心理学の基礎知識も未だままならないいち学部生が、「科学的(客観的)に研究する意義が認められ尚且なおかつ、これまで誰も着手してこなかった新しい研究テーマを作成すること」など不可能なことのように思われた。本やネットで色々と調べてみたが、「計画書作成について抽象的なことは分かっても、具体的に何をしたらいいのかがさっぱり分からない」という状態から暫く抜け出せなかった。

特に私の場合はその傾向が他者より顕著に出ていたであろう。私はこのような、
漠然とした目標ゴールを達成するために必要な情報を自ら収集、取捨選択し、それらの情報を活用しながら目標に至るまでの正しい道程を見つけ出す作業
が大の苦手なのである。ちなみにこのような機能は現実「実行機能(遂行機能)」と呼ばれており、一般的には転職サイト等で、「仕事のできる人/できない人の特徴」といった文脈で用いられることが度々ある。すなわち、

・「実行機能」の高い人間は器用さや要領の良さ、問題解決能力等に優れる(いわゆる“仕事のできる人”のイメージです)

一方で、

・私のようにその機能の低い人間は不器用で要領が悪く物事の優先順位を付けられず、問題解決に至る最適解や具体策を見出すことが困難(いわゆる“仕事のできない人”のイメージです)

になりやすい。

そのため私は、
抽象的な目標を達成するために必要な具体的な行動や計画を立てたり取ったりするまでのフリーズ時間
が人より長くなりがちである。そういうわけで、「卒業研究の計画書の作成」という抽象的な目標を達成するための具体的な行動プランを私は散々計画しあぐね、随分長いこと“これ”といった前進のない時間を過ごしてしまった。

さて、そのような実行機能の低い人間に残された道は「“できる人”を徹底的に真似まね」ことであろう。「できない」の一部は、他者を徹底的に模倣することによって時に「できる」に変えることができるのだ。
私は早速大学の学務課に連絡して、過去の卒業生の卒業論文を見せて欲しいとお願いした。けれども大学側からの回答は無情にも「NO」であった。

――そうなればCiNii等に載っている論文を「真似まねる」より他はないわけで、早速幾つかの論文を通読してみた。が、やはりここでも、
基礎知識もままならないいち学部生が、科学的(客観的)に研究する意義が認められ尚且なおかつ、これまで誰も着手してこなかった新しい研究テーマを作成することなどできるわけなくないか
という疑問の壁を破る手掛かりを得られず、手詰まりになってしまった。

今にして思えば、自身のつまずいている部分(疑問点)をもっと時間を掛けてはっきりさせておく必要があった。「それら疑問点を一つひとつ潰していくためには何をどのようにすれば良いのか?という視点を持ちつつ論文を読むべきであった」と思う。つまり、

・「他の人はどのようにして自身の研究が“科学的に研究する意義のあるテーマ”であることを論文中で示しているのか」
・「他の人はどうやって自身の研究が“新奇性のあるもの”であることを論文中で示しているのか」

を徹底的に精査するという“明確な目的”を持って論文を読むべきだった、と思う。
ただ当時の私は「自分でも何が分からないのかが分からない状態」を抜け出そうとする気概に欠けており、ただ漠然と論文に目を通すという愚を犯してしまっていた。

どうにもこうにも解決の糸口を見出せない私は、取り敢えず漠然と「こんなことをしてみたい」というものはあったため、それをテーマの大枠として定め、そのテーマに関連する書籍を4冊購入し、内3.5冊(残り1/2冊は難解すぎて挫折)精読し、そのテーマに関する基礎を固めた。

その上で、「テーマ×その中でも興味のあるキーワード」で論文検索をかけて、その中で出てきた論文50冊程度を片っ端から読み漁った。ただし私はここでも、「自身のつまずいている箇所を整理して読む」ことをしないという愚を犯しており、この時も効果的な論文の読み方ができたとは言い難かった。

しかしながら「何かヒントが得られるかも知れない」と思って実行したこの試みは一部当たったようで、その結果、無事私は「計画書」を書き上げることができた。苦しみながら作成した「計画書」が何とか形となり、当時幾らかの達成感が湧いたのを覚えている。

そして私は、その研究計画書を大学に送付したのであった。10月末の話である。

1ヶ月以上が経過した12月、私の元に一通の郵便が届いた。「卒業研究の履修の可否に関する連絡」であった。封を開けると、私の提出した計画書に関するコメントが書かれてあった。そこには、

・それを研究することに科学的な意義を感じられず、
・テーマに新奇性も見受けられない上、
・研究を行うに当たって必要な実験協力者を自力で集める方法についての記載がなく、
・更に統計法の習得についても不十分であり、
・そもそもあなたはテーマに関しての基礎知識があやふやであると見受けられる

等々の「酷評」が並んでおり、そののち

「以上の点を勘案した結果、卒業研究の履修は認められません」

と結ばれていた。計画書と同時に提出していた履修届も、そのままの形で突き返されてしまっていた。

――ショックであった。正直私は、研究計画書さえ提出すれば卒業研究は履修できるものと思っていた。

まさかいち学部生の卒業計画書に、学校側がそこまでのクオリティを求めるとは思っていなかった。クオリティが低いのは当たり前。だからそのクオリティを教授の指導の下、時間を掛けて上げていき、新年度には十分なそれにまで仕上げ、実際の研究を行えるようにしましょう、くらいの教育を受けられる気でいたら、そうではなかった。見積もりが甘すぎた。もっと徹底的に、「私には研究者としてのベースは既にできていて、いざとなれば教授の指導がなくても自力で研究を行えるだけの計画性と具体的な実行プランを持っています」くらいの姿勢、能力を示す計画書を提出するべきだったのだ。「私はこういうことをしたい。けれどもこれこれこういう点ではご指導が必要になるかも知れません」といった“手の掛かりそうな学生”を匂わせる計画書ではいけなかったのだ。しかし時既に遅し。私は卒業研究なしで、大学院入試に挑戦することを余儀なくされた。

失敗を失敗で終わらせないために

以上が、私の失敗談である。通信制大学で卒業研究を考えているという方には反面教師にしていただきたい。

私は卒業研究を履修できなかったが、今後大学院入試において「研究計画書」の提出が求められることになる。これは大学院で自分が何をテーマにどのような研究をどのような方法で行っていくのかをまとめるものであるが、内容は今回の卒業研究計画書と大きく被る。この作成に当たって、今回の失敗体験を十分に活かして臨んでいくつもりである。

学校側から受けた様々な「酷評」によって、自身の提出した計画書のどこを直せば良いのかが明確になった。今後は
・「指摘された問題点を一つひとつ潰していく」
・「そのために先人はどのような論理を展開しているのか」
を明らかにするのだという明確な目的を持った上で論文を精読し、何ならその手法一つひとつを分析し適宜分解しその構造を捉えるようにしつつ、今度こそは先人らの主張、行動、やり方を「徹底的に真似まね」ことができるよう頑張っていきたい所存である。

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