ひとりが好き

外界の刺激に対する応答性が先天的に高く、大勢の人々のいる環境で長時間を過ごす等といった、刺激の多い場にいるとエネルギーを消耗してしまう性向を内向型と表現する一方で、外界の刺激に対する応答性が先天的にそれほど高くなく、大勢の人々と沢山触れ合うことが明日を生きる動力源に転換出来るような性向を外向型という。外界の刺激に対する応答性の大小はそれこそ、与えられる刺激が同じものであっても、一方は興味を抱き接近する行動を示すのに対し、一方は不安を感じ泣き叫び拒絶するくらいの違いさえあるほどで、この相違からも、応答性の高い人間が刺激の多い場所に置かれると、過度に疲弊してしまうことが容易に分かるであろう。内向型の人間は、決して、人とコミュニケーションを取ることが嫌いなわけではないのだが、その性質故、あまりに長い時間そうしていることはどうしても苦痛になってしまう。そのため、内向型の人間が元気でい続けるために最も必要になるのは、「一人でいられる時間」なのである。内向型は、一人でゆっくりしている時間に、明日を生きる動力源を蓄える。「一人でいる時間がないと死んでしまう」と言われる人間が一定数存在する所以の一つは、ざっとこんな理論で説明することができる。

先の理論が遺伝的要因から為される説明であるのに対し、環境的要因も内向型の人間を作り出し得るという点にも注目したい。その一つに、幼少期の家庭環境より生じる要因を、以下に挙げる。
人は赤ん坊の時、養育者との相互関係によって社会性を身に付けていく。特に赤ん坊にとって自らの命を守るため、自身の危機を養育者に伝え、それに応えてもらうことは非常に大切である。赤ん坊は、「自らの危機を伝え、養育者にその危機から護ってもらう」というやりとりを通じて、自分は養育者により守られているという安心感、すなわち、生きることに対する安心感を得、その安心感がある故、外界に対する適度な好奇心が芽生え、徐々に外部との接触を図っていける。しかし、赤ん坊の時分に「自らの危機を伝え、養育者にその危機から護ってもらう」という過程を健全に経験することが出来ず、自らの生命に対する安心感が得られないままでいると、その人はその不安感故に、外部との接触を極端に恐れたり、より不安定な対人関係しか築くことができず、この傾向があまりに極端に偏ると、境界性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害、そして今流行(なんだって)のシゾイドパーソナリティ障害といった○○パーソナリティ障害という名称が自身の性格傾向に付くことになる。これが、環境的要因から考える、人間の性格分析の一つである。こんな具合に、自分の生命や存在に対する基本的な安心感の欠如により、引っ込み思案の内向型的な性向を示す人もいる。そんな彼らは、実生活のあらゆる場面で不利益を被ることになる。こちらは完全なる後天的要因である。まあ、あちらこちらで言われているように、人様の性格を分析する上で、遺伝と環境の双方から分析することが肝要であるのであって、どちらか一つだけで全てを判断しようとするのは、あまり適切でない。

さて、私は言うまでもなく、内向型の性向を有している。仲間と共に外出、というシチュエーションは決して嫌いではない、いや、嫌いどころか寧ろその時は心底楽しんでいるものの、やはりそういった時間があまりに長く続いてしまうと、楽しさよりも疲労感が勝ってしまう、そんな人間なのである。その所以は、私自身にいつからか備わることとなった、他者に対し「気を使い過ぎる」という性向である。私は、眼前の相手が私との時間を共有していることに関し、何らかの負の要素を与えてしまっていないか、過度に気にしてしまう性分なのである。今、相手は、私との会話を楽しめているか。私の提案したプランは果たして満足できるものであったか。この時間が気まずくなってはいないか等々、気が付くと、色々なことを案じている。この神経の擦り減りこそ、私を内向的にせしめている大きな要因の一つである。この、「私という存在が、眼前にいる相手の不都合になっていやしないか」と過度に案じてしまう性格傾向は果たしていつ頃から生じたものなのかは分からないのだが、この面倒な思考があるからこそ、私は他者と同じ時間や経験を共有することよりも、一人で全てを完結させることの方が気楽に感じられ、故に一人で過ごす時間が多くなってしまうのである。他者に気を使わず、自分の決断が全て自分だけに返ってくる関係は、とても楽なのである。

一人で外出すること自体は、私にとってそれ程苦痛ではない。以前にも書いたことがあるが、私はそれなりに一人きりの外出を経験してきた。ひとりカラオケ、ファミレス、ボウリング、焼肉、バッティングセンター、野球観戦、旅、ライブ、クリスマスのイルミネーション散策、ディズニーランド、ざっと思い付くだけでも、これだけ経験した。一応難易度の低いもの順に記述したつもりであるが、この中でどうしても耐え難かったものはディズニーランドただ一つのみであり、その他に関しては、そこまで苦痛を感じることはなかった(強いて言うならば、「旅」と「ライブ」の間に少しの壁がある)。ただし、ディズニーランドだけは、どう考えても、いけなかった。ダメであった。特にアトラクションの待ち時間は筆舌に尽くし難き空虚感を味わったもので、取り分け私の前後が楽しそうなお喋りに興じる同年代の若者集団となった際の精神的苦痛は、まるで自分という存在がこのパーク内における異物であるような錯覚に陥らせ、夢の国でひとり、夢のような、是非とも、頼む、お願い、後生だから夢であってほしい時間を私に過ごさせてくれた。ひとりディズニーは、もう、二度と御免である。別にディズニーオタクでもない私には、その才能がない。次があるとすれば、それは私が他の誰かを引き連れて行く時である。それまでは、私はディズニーを黙殺するつもりである。二度と振り向くまい。と、この様に、さすがに精神的に苦しい娯楽も多少存在はするものの、概ね、私はそれなりに、“おひとりさま”なるものを満喫できる人間であると自負している。その根源は、先にも述べた通り、他者に対してしてしまう凄まじい気疲れである。この気疲れが、他者と様々なことを共有することの楽しさを凌駕する限り、この傾向は続くのだろうと思っている。

そんな私も、10年間までは一人であることそのものに孤独感を覚えていたものであった。それは園児の頃から中学生までは友人にも恵まれており、取り分け孤独を味わう機会に乏しく、おまけに「ぼっち⇒かっこ悪い」というしょうもない洗脳に頭を支配されていたためである。そんな私に転機が訪れたのは高校一年生の時分である。新年度、クラス、否、学校で私が友達になろうと初めて話し掛けたK君は、後にクラスの多くが嫉妬するほど(?)の超有能なクラスの中心となる大人物であった。はじめのうちは仲良くしていた私達であったが、次第に互いの性質の大きな違いに気が付くにつれ、どちらからともなく関わりが減っていき、5月の頭には殆ど関わりを持たなくなっていた。K君は持ち前の明るさとその有能振りからどんどんコミュニティーの輪を拡充させていった一方で、元々外部に対する働きかけが弱く、大して光るポイントも無かった私は、自らその輪、若しくは他の既成の輪に入っていくことは非常に困難に感じられ、一人になる道を選んだ。白状するが、この時私は、一人になることが滅茶苦茶に辛かった。幼少期より「友達がいない⇒悪だ」とする思考を刷り込まれていたため、クラス内で一人になった自分の存在がひどく虚しいものに感じられ、この時は休み時間に一人で過ごす学校生活に充実を覚えるだけの余裕は全くなかった。ただ、この経験は、後に私に多くの学びを与えたのみならず、“一人で過ごす”ことに対する自身の才能の開花と、それを実行するための大きな勇気を与えてくれることになった。

その多くの学びのうちの一つで、高校時代に一度だけ参加したクラスの打ち上げの話を紹介する。今でもハラハラする一事であるが、私は固定された友人がおらず、また自身が社交的な人間でないにも関わらず、これまた中学時代の「打ち上げなるものには当然参加するべきだ」とする純粋過ぎる浅慮な動機のもとそれに参加したのだが、どういった天の計らいか、確か参加者は4または6で割って余りが1となる人数であり、丁度空いているお店のテーブル席全てを埋めると参加者の一人がカウンター席に座らなければならない計算となっていた。無論私が余り「じゃあ、自分はカウンター席で。」ということになったわけだが、気持ち優しきクラスメイト達が「いや、それは…」と互いに目配せし私への対応に窮し始めたその時、テーブル席にいた優しきI君がひとり颯爽と立ち上がり、カウンター席にいる私の横に腰を掛け、「ここに俺も座ろう」と言ってくれ、I君のこのイケメン振りの結果、私とその周囲の間に漂いそうになった気まずい雰囲気は見事払拭されることとなった。私はI君と、その後私に孤独感を感じさせないよう明るく関わってくれたクラスメイトに感謝をすると共に、この経験が、自身の浅薄な行為を反省させ、自身の存在の、集団に与える影響を考えなければならないことや、「必ず打ち上げには参加しなければならない」という洗脳を解くことに繋がった。私は以後、自分の立ち位置を考えた振舞いを取っていこうと心に誓った。
その結果、打ち上げなるものにはその後一切参加しない人種となったわけであるが。

このような経験を後の学校生活で活かしたり、または時間の経過により一人で送るスクールライフ(とは言っても、部活動は除くのだが)に慣れていくにつれて、私のクラスに対し覚えていた孤独感は徐々に消えていった。同じクラス内に、私と同じように一人であることには変わりないが、まったく超然としてそれをちっとも意に介さない人や、はじめは友人に恵まれていたにも関わらず、ある日突然、「僕はこの学校の壁になりたいんだ」と言い出し、自ら友人との関わりをまったく絶ってしまった人もいた。今思い返しても面白い人達であったが、彼らの存在のお蔭もあって、私は一人でいることへの耐性を身につけ、その環境に適応していき、気が付いた時には、一人でいることに殆ど苦痛を感じることがなくなっていたばかりでなく、一人で過ごすが故の気楽さ、おひとりならではの楽しさにも、気が付くことになったのである。高一の終わり頃には、年度末に発行されたクラス文集の「なんでもランキング」の「謎い人」の項で、超然、私、壁の三人が見事この順で上位を独占し、私はそれを自らのアイデンティティーの一つとして眺められるほどに、成長を遂げていた。この高校生活初期の一年間の経験が多分、私を「一人好き」へと到らしめたルーツである。二年生以降、私はクラス内の友達作りで苦労することは幸いなかったのだが、この時はもう中学生以前のように、休み時間にずっとその友人と時を過ごすような真似はしなくなり、一人でいたい時や、一人でいる方が適切であるような時には積極的に一人で過ごすことに抵抗を感じなくなっていた。大学に上がった初期の頃は「友達なんて要らない」とツンケンする時期があったものだが、そのような刺々した思考も、自身の傲慢さが取れていくにつれ消え失せ、今となっては適度に(どちらかと言うとよそよそしい方に偏ってはいるが)バランスの取れた人付き合いが出来ているのではないかと思っている。

ということで、私も「一人が好き」、「一人が好き」と主張してはいるが、何も前々から「一人が好き」という完全内向型の思考回路を持ちそれに従い生きていたわけでは断じてなく、恐らく遺伝的に内向型の性格気質を持つことには持っているのだろうが、上述したような高校時代、そして(今回は語らなかったが)大学時代の悲愴体験から身につけた卑屈精神が、更にその傾向に拍車を掛け、今日の私のような極端の内向型性向が形成されたのではないかと考えている。これが、私の内向型性向を遺伝的、環境的要因の双方から分析した説明である。人は「外向型」であることがよしとされる風潮が世の中に蔓延っているが、私は一概にそうとも言い切れないと考えていて、内向型には内向型の得意分野があって、それを活かすことで世の中における自身のポジションを獲得していくことも出来るはずなので、あまり内向型であることそのものを悲観してはいないのである。ただ、最近はこれを以て私の内向性を「万歳」の一言で締めることが出来なくなってもきており、色々とパーソナリティについての知識を深めて行くにつれ、私の場合、その内向性が不健全に強められることとなってしまっている「苦痛さえ覚えるほど、過度に他者に対し気を使ってしまう性格傾向」や、「大学時代にあれほど卑屈になってしまった自身の思考回路」に関して、もっと深く、先に述べたのと同様に、遺伝的、環境的要因からの分析を行った上で、その改善に向け、いつかは全面的に戦う必要が出てくるのだろうと考えている。そして無事、その改善が達成されたのならば、きっとその時の私は、今よりもずっと健全なパーソナリティを獲得することとなり、その折には、たとえ一人だろうが何人で行くことになろうが、堂々たる佇まい、自信に満ちた表情で、ディズニーを満喫することが出来るようになるであろう。




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