大学院入試 結果

 

 

 

 

大学院入試(院試)が終わったので、この場で結果をさらす。

 

 

 

 

 

 

結果

第一戦
vs国立A大学院










不合格
 

 

第二戦
vs国立B大学院










不合格
 

 

第三戦
vs私立C大学院










合格
 

 

第四戦
vs私立D大学院










不合格

 

 

 
対戦成績
4戦 1勝3敗

以上。

 

所感

・・・死ぬかと思った。もう完全に「終わった」と思っていた。

これまで何度か申し上げてきたが、私は元々大変頭の悪い人間であり、最後の更新アレからも変わることなく、勉強しても勉強しても尚、全然、学力の上がらない日々が続いていた。
都度、
あれだけ勉強していながら、大学入学前と学力がまるで変わっていない

という事実に気付かされつつも、かといって、その状況を打開するための有効な勉強法を見出すことも一向に出来ず、五里霧中を抜け出せないまま、無情にも月日はどんどん流れて行ってしまったのだった。

6月が過ぎ、7月も去り、8月が訪れても尚、「大学入学前と学力が殆ど変わらない状態」が続いた。テキストを読んでも読んでも、内容が頭に入ってこないか、あるいは入ったとしても、頭に残らず簡単に忘却されてしまう日々。しまいには試験一ヶ月前になってさえ、その状態から脱することが出来なかった。私は絶望していた。とてもではないが、当時の私は院試を控えた受験生のレベルになく、またそのレベルに達せる見込みもなかった。一日、また一日と時が経つにつれて、メンタル的に追い込まれていくのを実感した。

「このままじゃ受からない」

「また負けるのか」

「これまで応援してくれた皆に不合格の報告をしなくちゃならないのか」

「心理職は諦めて来年は就活をしなくては」

「この先どう生きていけば良いのだろう」

「やっぱり自分は何をやらせてもダメなんだな」

――日に日に増していく焦燥と絶望感、「全落ち」「院死」への恐怖、そして将来に対する底知れぬ不安。筆舌に尽くし難き重圧に押し潰されそうになりながら、この時ばかりは必死に頭を使った。己の不足と向き合い、勉強法は再考に再考を重ね、勉強に勉強を続けた結果、どうにか学力を伸ばすことに成功した。

そして四戦にわたる死闘の末、何とか進路先を一つ確保することが出来たのであった。

「よく受かったな」と素直に思う。陰キャであること、コミュ障であること、情弱であること、低スペであること、無能であること、負け癖が付いていること、通信制大学で友人がいないこと、志望校とのコネクションを何も持たないこと――自身の有するそれら全ての要素が、「院試」という一大イベントを通して一挙にネガティブな影響を及ぼし続け、苦戦を強いられた。しんどかった。自分が如何いかにダメで無能力な人間であるかを思い知らされる毎日で、本当に苦しかった。

今は、進学先を確保できたことに物凄く安堵している。これほどの安堵が我が人生においてあっただろうか。無論、進学後の学校生活への恐怖や不安はあるけれど、今はこの安堵感に浸って疲弊したメンタルを休めようと思っている。
 

以下では、入試直前期の状況や実際の受験体験記を幾つかの項に分けて書いていく。どれだけ私が追い込まれた状態にあったか、少しでもリアルに表現できればと思う。

入試直前期の状況 学力について

私は元々脳の神経細胞が普通の人より機能していないというネガティブな特性を持っており、勉強面では大変苦労したものだった。テキストの内容を理解するのに、ドえらい時間が掛かってしまう。

それに加えて勉強の仕方が非常に非効率でまずかったということもあり、勉強しても勉強しても知識が頭に定着せず、試験一ヶ月前にして、実に学力は「心理学科入学前と殆ど変わらない」という、非常にまずい状態にあった。「勉強しているのに成績が伸びない学生の典型例」を地で行っており、この時点で心理学の基礎知識に関してほぼ何も頭に入っておらず、とてもじゃないが試験問題など解けるレベルに達していなかった。

このような事態になってしまったのは、確かに私の生来の能力が低いこともあるが、どちらかと言うと勉強方法を盛大に間違えてしまっていたことによる要因の方がずっと大きかった。試験勉強というのはテキストにある内容を理解することはもちろん、その内容を確実に頭に定着させ、試験本番には定着させた内容を何も見ずにアウトプットできるように準備することを意味しているはずである。が、私がこれまでやってきたのは「テキストの内容を読み解き、理解すること」ばかりに焦点を当てた勉強であって、折角勉強した内容を頭に定着させる作業――すなわち復習――には全く無頓着であったのだ。そのような理由から、私は勉強しても勉強しても「なにも頭に入っていない」状態から抜け出せなかったのだということが、試験一カ月前にようやく判明したのである。至極当たり前のことを言っているように思われるかも知れないが、当時の私にはそれが本気で分からなかったのである。

そのことに気付いたことにより、私はこれまでの「理解中心型」の勉強から「復習中心型」の勉強に方向転換を図った。それが功を奏し、その後私は見事、学力を爆伸びさせることに成功するのである。

しかしながら、幾ら適当な勉強法を見つけたとはいえ、通常対策に半年程度かかるとされている院試において、僅か一ヶ月という短期間で対策できる範囲などたかが知れていた。勉強に際してはやむを得ず思い切ったヤマを張ることを余儀なくされ、試験は完全に「運任せ」のような状態で迎えることになってしまったのは痛すぎる誤算となった。

受験体験記 志望校選択のミス

また、私は志望校の選択におけるリスクヘッジにも失敗していた。

元々私は、

国立A大学院
国立B大学院
私立C大学院
私立D大学院
私立E大学院

の5校を受験する予定だった。

その内訳として、AとBは「まあ受からないだろう」というレベルの大学院であったが、試験日程が早いことと、出題の傾向がC,D,E大学院と類似していたことも相俟あいまって、C,D,Eの試験に向け、自身の実力を測ったり試験慣れをしたりする上で非常に良い機会になり得るだろうと判断し、出願を決意した大学院群であった。

一方、CとDに関しては「チャレンジ校」という位置づけだった。受かったら大変嬉しいが、如何いかんせん人気校であるしレベルも倍率もやや高いところなので、合格はまあ恐らく難しいであろうことが予想される大学院群であった。

Eについては、「現実的な落としどころ」としての位置づけであった。A~Dの大学院入試では恐らく、非常に厳しい戦いを強いられるであろうことが想定された。そのため、それらより比較的競争が激しくないと予想されるE大学院を受験することによって、「全落ち」「院死」のリスクを低減させようと考えたわけである。

志望校決定時の思考としては、
まあ現実的に、E大学院に行くことになるのかな
と、ほぼ確定事項のように捉えていたこともあって、今にして思えばとんでもないことであったが、当時としては志望校の選択においては一定のリスクヘッジをしたつもりでいた。

しかしながら、これまで描いていた呑気な青写真が崩れ去ることになる。出願直前になって、E大学院では、私が指導教官として志望していた教授が今年度を以て退官されるということが判明し、急遽受験校から除外せざるを得なくなってしまったのである。

衝撃かつ受け入れがたい事実。人類史始まって以来の大失態だった。それもそのはず、E大学院の受験が出来なくなったその瞬間より、我が院試が受験校全てにおいて「チャレンジ校」で占められるという大博打と化した上、全落ちしたら将来の展望が全く喪失してしまうという窮地に立たされることになったのだから。先の項で述べた「学力の伸び悩み」という要因も加わって、その後の精神状態はますます悪化の一途を辿ることになったのだった。

このような経緯から、心身にかかるプレッシャーは半端ないものとなった。日夜、自身の無能さへの辟易や自責の念と共に、死ぬるほどの焦燥や不安、恐怖心に押し潰され続けた。夜は眠られず、日中はあまりのストレスから勉強への集中力が大きく削られる日々が続いた。

そのような酷い精神状態にあって、遂に院試初陣となる「国立A大学院」の受験を迎えることになるわけである。以降は、その具体的な体験談を書いていく。

受験体験記 試験編

第一戦 国立A大学院

試験前から葛藤の連続だった。

確かにこの頃には猛勉強の甲斐あって、一ヶ月前の自分と比較して学力は上がったものの、所詮しょせんは僅かな期間で身に付けただけの、焼き刃の知識。到底、試験に太刀打ちできる実力が自身に備わっているとは思われなかった。

試験を受ける前から不合格を自身固く確信していた。前夜は凄まじい不安から半寝半覚醒状態が続き、結局は寝たのだか寝ていないのだか分からないバッドコンディションで試験当日を迎えることになった。受験したってどうせ傷付き体験をするだけだという恐怖心から、試験に行くかどうかを本気で迷ってしまうほどだった。

けれども、院試を受験するという実戦経験は今後、より志望度の高い大学院入試を受験するに当たっての貴重な糧となるはずだと判断し、どうにか己を奮い立たせて試験会場に向かった。

道中は、

これは自分の実力の程を確認するのに重要な実践の機会なんだ

ということを何度も自身に言い聞かせ己を鼓舞した。というのも、なにせこの時点では、兎に角試験に関して「分からないこと」だらけだった。試験で何割ほど取れば他の受験生と戦えるのかが分からない。ある問題に対してどの程度の大きさの解答用紙が配布されるのかも分からない。またそれにどのような答案を書けばどれくらいの点数を貰えるのかも分からない。自身アウトプットの練習が全く出来ていなかったこともあり、あらゆる問題に対して自分がどれほどの答案を書けるのかも分からない等、何もかも「分からな」かった。こうした「分からない」ことを少しでも「分かる」ことに変え、その経験をのちの試験に活かすためには、逃げ出したい欲求を抑えに抑え、何とか筆記試験に臨む必要があったのだ。

試験内容は英語、専門科目、面接の三本だった。

英語
論文の全訳問題だった。標準的な問題のように思われたが、残念なことに私は英語弱者である。基本的に英文を無理やり「直訳」する能しか持ち合わせていない。一文一文の文構造(SVOC修飾語等)はある程度把握できたつもりだが、果たして筆者が何を言いたいのか、殆ど理解できないまま徹頭徹尾、機械的な直訳を続ける羽目になった。この試験は5割ちょい取れていれば良い方かなという感触に終わった。

専門科目(心理学)
試験対策のヤマが大きく外れており、試験開始一分で「ああ終わったわ」と思った。しかし、必死に食らいついていくと案外、自分が思っていた以上に答案は書けるものであり、最終的には体感6割5分~7割弱ほどの手応えを得ることが出来たのは意外であり自身の励みとなった。

面接
面接室に入室すると6~7名の教授がズラリとこちらに向かって対峙しており、物凄い威圧感を覚えた。しかしながら、面接の内容は非常にあっさりしたものだった。Yes/No Answerのできる質問も多く、面接対策の不足が大きく露呈することは免れた。が、やはり対策不十分ゆえに、あまり褒められない受け答えを複数(2つ)してしまっており、面接官に与える印象はあまり良くなかったと思われる。

・・・総合して、合格を期待できるほどの成績ではないと分かっていたものの、この試験で私は「意外と答案を書けた自分」に驚かされたのも確かだった。試験前はこんなに解答用紙を埋めることが出来るとは思ってもいなかったので、間違いなく「試験一ヶ月前の、入学前と学力が変わらなかった自分」よりは大きく成長していることを実感した。

結果的にここは不合格になるわけだが、この試験を通じて、

私は意外と答案を書ける

ことに気が付けたのは、その後の試験に臨む上での、ないし試験勉強を継続する上での少しばかりの自信になった。そういう点で、非常に有意義な試験となった。逃げずに受けて良かったなと思ったものである。

第二戦 国立B大学院

ここも試験前から葛藤の連続だった。端的に言うと、試験を受けたくなかったのである。

元々「情報収集」を主目的に出願した大学院であったものの、勝てる見込みの薄いいくさをするのはやはりメンタル的にもしんどいもので、当然ながら試験に全く気乗りはしなかったわけである。

それに加えて何より、未だ自身の学力に殆ど自信を持てていなかったのも、試験に気乗りのしない要因の一つだった。確かに私は1年5か月という長い期間、学校の勉強をはじめとした心理学の勉強をしてきてはいた。けれども、その勉強法を盛大に誤っていた関係で、結果的にそのうち1年4か月という期間はほぼ無駄になっており、勉強時間のわりに実力が伴っているわけではなかった。

対策に半年程度を要する――人によっては一年近くの期間を要すると言う人もある――心理系大学院入試に対し、私の場合は、効果的な勉強を行えたといえるのは僅か1カ月程度である。これでは受かるはずがない。本気で試験から逃げ出したくなるのも無理はなかった。

けれども、この先に控える志望校C,Dの試験で合格可能性を少しでも上げるためには、この国立B大学院入試の場で生の情報収集を行うことや、試験慣れをしておくことが重要となるはずだった。そのような考えのもと、当日は這うような思いで試験会場に向かい、自身の番号に何とか着席した。

この大学院では入試が一次試験(筆記試験)と二次試験(面接試験)に分かれており、一次試験合格者のみ二次試験を受けられるという方式だった。

一次試験
英語
大問1,2共に論文の全訳だった。
大問1は標準的な問題に感じた。しかし英語弱者の私は大意を掴めず、文構造に沿った機械的な直訳をすることしか出来なかった。一応全文訳し終えたものの、筆者が何を言いたいのかについては2割ほどしか理解できなかった。

大問2は強烈に難しく感じた。文構造の確定が出来ず、分からない単語が沢山あったため訳しようがなかった。が、論文のタイトルを見るとどうも私の研究計画書に関連している事柄のようだったので、それを踏まえて再度読み直すと、滅茶苦茶な翻訳になるけれど一応、それっぽい和訳を作れそうな気がした。制限時間も少なかったので分からない単語や文構造の取れない部分は妄想で訳すことにして、せっせと翻訳を続けた。2/3ほど解答用紙を埋めたところで試験が終了し、取り敢えず全くの白紙で答案を提出することは免れた。ただ全体の感想として「全然ダメだったな」というのが正直なところだった。

専門科目(心理学)
問題冊子を開いて驚愕することになる。なんと問題の殆どが、過去問の寄せ集めのような内容だったためである。「これなら書けるかも知れない!」と思った。が、いざ解答を書いてみると、思うように文章をまとめることが出来ない。

それもそのはず。私は試験勉強において知識をアウトプットする練習を全くやっていなかった。理由は単純で、やる時間がなかったためである。したがって試験時間内で練習不足を補うべく、文章の推敲を繰り返す他なかった。が、当然そのようなことを全てにおいて実行するのに十分な時間があるはずもなく、自身の書いた文章が正しい文章として成立しているかどうかを確認する時間もないまま試験が終了してしまった。

おまけにそれに加えて、「どうせ過去問からそのまま出題されることはないだろう」と高を括っておりその問題に対する直前対策を怠っていたことが災いし、ある大問ひとつについては半分も正答することが出来ず、出題が過去問からばかりの試験だったにも関わらず、体感8割くらいの出来に終わってしまった。

8割」と聞くと一見いいように感じるが、如何いかんせん今回の試験は過去問からの出題が大半だったため、他の受験生の得点率も高いことが予想された。その上、私が書いた答案が果たして文章としてちゃんと成立していたかどうか自信がなく、場合によってはもっと減点される可能性も十分にあると考えられた。更に英語弱者の私は英語の試験でビハインドを抱えることは必至であり、「8割」というのが、その不足分を補えるほどの得点率であるかと問われると、前面的に首肯できる自信もなかった。そして何より、ここはかなりレベルの高い学生が集まる大学院であるため、私のような人間がそうした受験生を差し置いて、一次試験を通過できるともあまり思えなかった。

このようなわけで、その日の晩に行われる一次試験の結果発表を待つ間は、大学院近くのホテルで灰のようになって過ごしていた。大浴場のついているホテルだったので「せっかくだから」と大浴場に入ったり、ベッドに寝転がりながら「何とか一次通っていてくれないかなー」とか、「でもあの手応えでは二次試験には進めないだろう」とか、「今回の入試遠征はホテルに宿泊しただけの小旅行になっちゃうんだろうなー寂しいなあ」とか、「これからどうやってメンタルを保っていけばいいんだろう」等といったことを考えたりしながら過ごしていた。

そして夜になり大学院のHPに一次試験合格者の受験番号が公開されると、なんとそこには目を疑う光景が展開されていた――私は、一次試験に通過していたのである

凄まじい動揺と高揚感が全身を駆け巡り、何かの間違いではないかと自身の受験番号と一覧にある番号を繰り返し、ディスプレイに穴が開くほど見返した。総数二億回は見返したと思われる。が、どうやら間違いではないことが確認されると、今度は逆に、物凄い恐怖感が襲ってくることになった。というのも、面接対策が、全然出来ていなかったのである。このままでは明日、泣きをみることになってしまう――。

恐怖の情動に駆り立てられて、前夜から急ピッチで面接対策を進めた。また試験当日は開始6時間前に会場入りし、控室で延々と面接対策を行った。この大学院の試験は厳しいものになるに違いなかった。さすがに受かることはないと知りつつも、面接室でボコボコにされてトラウマを植え付けられることだけは回避したく、必死で対策を行った。

しかし、明らかな対策不足、練習不足感は否めないまま、無残にも試験時間を迎えることになってしまう。

二次試験
面接
入室すると5名の面接官がこちらに対峙していた。A大学院の時とは異なり、基本的な質問に加え、出願時に提出していた研究計画書をもとにした、論理的でクリティカルな質問が次から次へと飛んできた。辛うじて何らかの回答をしたとしても、ものの2秒で反論が返されるようなスピード感あふれる面接であり、殆ど歯切れの悪い回答しかできなかった私は開始3分で早々に不合格を確信した。付け焼刃の面接対策では答えられない質問、いやそれはおろか私の全く想定していなかった角度からの切れ味鋭い質問も多々あった。私はその昔理系大学において卒論発表なるものをやったことがあるのだが、あれの質疑応答を何倍もエグくした感じが、今回の二次試験のそれだった。まあ当然、それらの質問にマトモに答えられるはずもなく、そうしている内に最終的には面接官から

「勉強不足です」
「計画書の内容を見直した方が良いと思います」

との酷評を受け、面接は終了してしまった。

何も良いところがなかったな、間違いなく落ちたなと、試験終わりは放心状態になりながら帰宅することとなった。この大学院については、二次試験の合格発表を見てすらいない。それほどの完全敗北に終わってしまった。

B大学院での面接試験で負った精神的ダメージは非常に大きかったようで、試験後は丸二日間、面接場面での己の醜態が頻繁にフラッシュバックされ、また自身の能力不足――あのレベルの大学院に通うような学生に、自分は到底太刀打ちできないのだという実感の伴った劣等感や敗北感――に打ちのめされた。それによって、なかなかその間は集中して勉強することが、出来なくなってしまった。

情報収集のつもりが、とんだ後遺症を抱えることになってしまった」――そんな自虐を交えてみるも甲斐なく、この一件で負った傷を自分の中で処理し切るには、かなりの時間を要してしまったのであった。

 
第三戦 私立C大学院

B大学院での傷が癒えぬまま迎えたC大学院入試前夜も、メンタル面は悲惨だった。この頃になると、一カ月以上にわたり日々晒され続けていた重圧に心身は共に悲鳴を上げ始めており、抑うつや気力の減退、集中力の低下といった症状が現れ始めていた。

試験への抵抗感というものも、この期に及んで大きいままだった。確かに私は、A大学院入試において「意外と自分は答案用紙を埋めることが出来る」ことに気付けたし、B大学院入試においては「一次試験に突破する」という快挙を成し遂げており、自身に合格の見込みが全くないわけではないことを、実感として持つことは出来ていた。

しかし院試というものは、ある大学院で点数を取れたからと言って、別の大学院でも同様に点数を取れるというものでもない。問題との相性や、その大学院の出題傾向に合った試験勉強をどれだけ出来たかといった要素に依存するところが大きく、その上、残念なことに私はC大学院の過去問を僅か1年分しか入手できていなかったという関係上、C大学院の出題傾向をきちんと把握し切れているとは言い難く、点数を取るのに十分な試験対策を行えているとは到底言えない状態にあった。

そのため、結局のところ合否は試験当日の「時の運」にかける他なく、過去の「一次試験通過体験」が必ずしも、試験に対する自信や安心感に直結するわけではなかった。

それに加え、そもそも私には「負け癖」というものが染みついてしまっているため、とても自身にそうした「運」がやってくるともこれまでの経験上、考えにくかった。これまで私は、負け犬のような人生を歩んできた。大学受験では三度にわたり他の受験生との争いに敗れに敗れ、辛くも入学した大学では知能面において周囲の同級生に大敗した。就職活動では他の就活生に敗れ続け、その後一時的に参入した恋愛市場では、他の男性陣に対し人間的な魅力という点において、手痛い惨敗を喫し続けた。

したがって、私にとって「敗れる」という語はくも非常に身近なものであり、これほどまでに「敗れる」という語と共に過ごし、「敗れる」という語が似合う男も、世になかなかいないのではないかと思われるほど、私は敗北に敗北を重ねてきたのである。私は生涯の日陰者であり、敗残者であり、その存在はただ他者を輝かせる、あるいは他者の土台や噛ませ犬として機能するためだけにあるものであり、決して自らが勝利や成功を手にすることはないのだという意識を強く持ったまま、この敗残の人生を歩んできたのであった。

そのようなわけで、試験会場に向かう道中は自らの内にある負け犬根性が顔を出し、

これから、落ちに行くのだ

という、負けの意識でいっぱいだった。運は、私に味方しない。私は落ちるのだ。そもそも間違った勉強を1年4カ月も続けてしまった時点で大勢は決していたのだ。それに気付けなかったのは自身の能力不足だった。しょうがない。これが私の実力なのだ。落ちたら就職活動して、分相応の生き方をする――それが私の生きざまなのだ等々、色々なネガティブな観念が頭をグルグルとループし続けていた。あまりの足取りの重さからか、試験会場到着は試験開始ギリギリになってしまった。

さてC大学院の入試方式に関しても、一次試験(筆記試験)と二次試験(面接)に分かれており、一次試験合格者のみが二次試験に進めるというものであった。私は覚悟して一次試験に臨んだ。

一次試験
英語
大問1,2共に論文読解だった。
大問1はやや易しいものに感じられた。文中の議論の内容も意味の取りやすいものであり、英語弱者の私でも7割ほど得点できたのではないかという出来だった。ただ、和訳の出来具合を大きく左右するであろう文中の英単語二語について適切な訳を思い付くことがどうしても出来ず、簡単であるはずなのにやや不本意な和訳を提出しなければならなかったのは非常な心残りとなった。

一方、大問2は「空前絶後、超絶怒涛」の難しさであり、全体として1割はおろか、5分ほども文意を捉ることが出来なかった。文構造だけはきちんと意識しつつ、けれども日本語としては完全に崩壊している訳文を提出せざるを得なかった上、全体の1/3については訳すことさえ出来ないという散々たる有様だった。しかし、まあこれほどの難度の問題では、たとえ得点率が極端に低くても周囲の受験生とあまり差は付かないだろうと考えて、大きく気に病むことはやめにした。

専門科目(心理学)
問題冊子を開いた瞬間、「いける」と思った。ここにきて「」が味方したのである。何と全体を通してヤマを張っていた部分が大当たりしたのと、B大学院で過去に出題された問題が大問として、ほぼそのままの形で出題されていたのである。対策という点では十分だった。

試験時間が終わりに近づくにつれ、高得点獲得への期待から手の震えが大きくなるのを感じた。部分的に対策が甘かったところもあって完璧な答案を作成できた言えないが、それでも会心の出来とも言える手応えを以て試験を終えることが出来た。体感として8割5分以上、何なら9割超えも夢ではないなと、意気揚々試験会場を後にしたのを今でもはっきりと覚えている。

そして後日、見事一次試験の合格通知が来た。これは本当に嬉しかった。

もしかしたら、絶望に満ちたこの難局を乗り切れるかも知れない

と、希望の光が見えた気分だった。何としてでもここは落とせないぞと、背水の覚悟で二次試験に臨むことに決めた。

が、ここで一つ問題が生じることになる。これから受験を控えるD大学院の一次試験と、C大学院の二次試験が完全に連続してしまい、どちらかの対策を切り捨てる必要に迫られたのである。両校を受験すること自体は可能であるのだが、どちらかの対策に注力すればもう一方の対策はおろそかになり、疎かになった方の試験の不合格がほぼ確実になるという、大きな二択を迫られる状況に置かれたわけである。

C大学院の二次試験とD大学院の一次試験、どちらを取りに行くかという話になるわけだが――当然、私はC大学院の二次試験を確実に取りに行くことにし、残りの時間は面接対策に注力することに決めた。これは、D大学院の一次試験を切り捨てることとほぼ同義であり、この瞬間、私はD大学院の合格を諦めた。

C大学院はB大学院とは異なり、一次試験通過から二次試験までかなりの猶予期間があった。そのため、その間はA,B両大学院での経験も活かしつつ面接対策を行った。数日間の対策の末、万全とは言い難かったものの、過去の面接の反省も踏まえて、及第点レベルの準備と練習を重ねた上で、C大学院の二次試験に臨むことが出来た。

二次試験
面接
面接室に入室すると、数えきれないほどの教授陣が勢ぞろいしていた。そこでは基本的な質問を幾つもされたものの、B大学院のような研究計画書に関する突っ込んだ質問はなかった。緊張でどうにかなりそうだったが、練習の成果を遺憾なく発揮でき、感触としては恐らく大きなマイナスもなく、無難に終えることが出来たのではないかと思われる。

面接後は受かっていることをひたすら祈りつつ、すぐさまD大学院へと向かった。
 

第四戦 私立D大学院

ここはもう消化試合のようなものだった。「試験の直前期」という合否を分かつ大事な時期をC大学院の二次試験対策に全て捧げたわけであるから、もはや合格できる見込みなどなかったし、重々そのことは自身承知していたわけである。

一次試験
英語
大問1,2共に論文読解だった。
大問1は標準的な問題だったと記憶しているが、英語弱者の私は機械的な直訳に終始することしか出来なかった。文構造だけはきちんと把握しようと努めたものの、全体の文意を把握することはやはり難しく、殆ど筆者の言いたいことが分からないまま全訳を終えることになった。

大問2については非常に抽象的な内容で難しく感じた。文構造も取りにくく、それゆえ、どのような訳文を作ればいいかまるで見当がつかなかった。結局、一昔前のGoogle翻訳のような酷い訳文を提出する羽目になってしまい、残念な気持ちで試験終了を迎えることとなった。

専門科目(心理学)
試験開始前に裏返しに配布された問題用紙をじっと見つめていると、問題が透けて見えた。ざっとそれらに目を通した結果、「あ、無理だな」と思った。こうして私は、試験開始前から不合格を確信した。

試験は5割5分くらいしか出来なかったが、直前期に詰め込み学習を行えなかったので仕方がないと諦めもついた。そうして、C大学院の合否結果に全てを託して試験会場を後にした。無論、D大学院の一次試験は不合格に終わった。

受験体験記 結果発表

そして運命のC大学院二次試験の結果発表を迎えた。パソコンを操作する手が嫌な震え方をしていた。HPに入り、合格者発表のページに飛ぶ。PDFを開く。結果を確認する。番号は・・・ある!その瞬間、見事「院死」回避が決定した。この時ばかりは興奮や喜びといった感情よりも、進路先を確保できたことに対する「安堵感」が非常に強かった。助かった。良かった。しかし危なかった。けれども改めて本当に良かった。しかしもう二度と、院試はやりたくないと心から思った。もう私は、二度と院試をやらない。

最後に

これにて地獄のような院試がようやく終わったわけだが、まあ正直自身、反省しなければならないことが沢山あったと感じている。それらを全て集約するならば、
きちんと自分の頭を使って物事を考えるべきだった
という一言に尽きると思う。勉強方法にしろ志望校の選択にしろ受験戦略の決定にしろ、ただ闇雲に判断し行動するのではなかなか良い結果は付いてこない。きちんと自分の立ち位置や目的(ここでは院試合格)を明確にした上で、その目的を達成するために最適と思われる解は何かと自分の頭で何度も考え、導かれた仮説が本当に正しいか繰り返し検証しつつ前進していくことで、初めて良い結果の付いてくる確率は上がってくるのである。私は、ただ漫然と勉強を続けていてはいけなかった。自分には何が必要なのか、何が不足していて、何をどうすることでその不足を補い、目標達成に近づけるのか――こうしたことを逐一自分の頭で考え、向き合い、出来ることなら導かれた仮説を言語化し、それを随時、試行錯誤やPDCAの概念を用いて検証していき、次第にその精度を上げていく必要があった。こうした地道な努力が足りなかったゆえに、私は上述したように、院試で手痛い目に遭うことになった。きちんと物事を自分の頭使って考えること――今後はこれを心掛けることで、もっと効率よく、自身の定めた目標を達成できるような人間にならなければならない、今回の院試は、そのようなことを強く思わされる経験となった。

 
さて院試はこれにて無事終わったものの、この先に待ち構える大学院生活は更に厳しいものになることが予想される。その時に備え、気を引き締めなければならない日がいずれ来るはずではあるが・・・取り敢えず今はこの1~2カ月にわたる重度のプレッシャーに押しつぶされ続けていた心身を、共に休めるつもりである。この期間は、本当に、本当にしんどかったのである。

 
またブログについては、院試対策に時間を取られていた関係で長らく更新が止まってしまっていた。したがって、これを機にこの先はぼちぼち更新していければと考えている次第である。ただ、多分最初の内は院試の話題が多めになるかも知れない。

【通信制大学から外部院試】心理系大学院入試対策で使用したテキスト

7件のコメント

  1. 先ずは大学院入試合格おめでとうございます!!!!
    長い長い戦いだったかなと思いますが、公認心理士(臨床心理士でしたでしょうか?)を目指すための大学院に合格し、その道が開けたことを心より感激しております!
    諦めるなという言葉は実はあまり好きではないですが、どんな苦行でも諦めない強さを持たれた方なので、結果を手繰り寄せる可能性は充分にあると思っていました!
    大学院入試の入試形態とか、大学院での学習とか実はよくわかっていないのですが、実際の公認心理士の試験は論文と英文と筆記なのですかね?試験の形態がざっくりわかれば対策も立てやすいかなと思います!
    自分は理系適性0でガチガチの文系脳だと社会の場で改めて学びました、10時間を超える勉強を継続して、復習を繰り返しても、頭に入らなかった物理、理論化学、数IIICでしたが、日商簿記やFPなどの資格勉強をした所、不安はありましたが、ここまで一度も落ちることなく合格出来たりして、暗記、読解分野で勝負して、理系的分野(特に空間把握)は避ける、人間それぞれに適性というのは確かにあるんだなと学びました。
    ふくろうさんは諦めない強さと優しさを持った人なので、心理職の場で輝けると思いますので、お身体に気をつけて、お互いに自分のペースでゆっくりとやっていきましょう

    1. 今まで応援してくださり本当にありがとうございました。苦戦しましたがどうにか合格できて良かったです。
      公認心理師ですね(臨床心理士資格も取ります)。公認心理師試験はマークシート形式で試験科目は専ら心理学だけのはずなので、合格できるかどうかに関しては実はそこまで心配していません。問題はこの先に待ち構える大学院生活かなと考えています。いかんせん私は短期記憶が弱いので、果たして大学院の講義に着いていけるかどうか。ちゃんと修論を書けるのか。実習をきちんと行えるのか…等、心配事、悩みは尽きないです。理系大学時代の後遺症がね…苦笑 また教授やら同級生やらに迷惑を掛けてしまうのではないかと、今からヒヤヒヤしています。

      すばるさんも複数の資格試験に挑戦され、実際に合格されているのは改めてさすがだなあと思います。合格するだけの努力をされたことや能力があることは勿論、それに至るまでの馬力が素晴らしいと思います。普通は挑戦しようとする気にもなかなかなれないものです。
      やはり人間には向き不向きがあるんですよね。不向きの分野でいくら努力を重ねても思うような結果に結びつきませんから、なるべく自分の特性に合った分野を選択して、そこで適応的に生きていくのが賢い生き方なのかも知れませんね。
      努力すればどうにでもなると考えていた高校時代の自分に教えてあげたいですね…苦笑

      1. 確かに化学科の大学生活で多大な苦労やトラウマを抱えているので、不安になるのは致し方ないですよね…
        ただ、心理学という将来の職業にする分野であり、理系的要素は恐らく少ないので、事態は好転する可能性が高いかなと思います!
        不安であるなら、大学院で友人を作って情報交換するとか、教授に疑問点を教えてもらうとか、コミュニティを作っておくと情報が入って来やすくて良いのかなと思います!特に社会人経験あるふくろうさんなので、社会人の視点で学生生活を送れるのは大きなメリットですしね
        ちなみに現在アルバイトとかお仕事はされてるのでしょうか?
        僕はIT企業で比較的苦手な分野だったにも関わらず、大卒の同期や先輩より成果を残せたりもしたので、そこは自信になったかなと思います
        ただ僕の場合、時代的に怒号を飛ばす教師や生徒に適応出来ず、それ故に学生時代は対人恐怖が強く、コミュ障でしたが、大学生になって飲食のバイトをすると自分は本質的にはコミュ障というより、世間知らずで受験勉強の世界しか知らないので、コミュニケーションの引き出しがなかったというのが実際のところだったようです。大卒資格は失いましたが、そこに気づけただけ無駄ではなかったようです。実際IT企業では技術よりコミュ力を評価していただいたり、地元の人には技術職が向いてると言われるのに、大学や社会人で出会った人には人と話す仕事が合ってるって言われたりするので…
        学生時代に戻れるなら受験勉強一辺倒じゃなく、色んな人と話して色んな経験をしたいですね
        ちなみに、ふくろうさんはTwitterとかインスタはやってたりしますでしょうか?

        1. すみませんお返事が遅れてしまいました。

          たしかに化学よりはマシにはなると思います(だからこそ挑戦しようと思いました)。それと仰る通り、いかにコミュニティからの援助を活用できるかも適応上のポイントとなりそうですし、すばるさんのように、自分では苦手分野だと思っていてもいざやってみたら結果を残せたということだってあり得るわけですしね。ただ、化学→心理学の転換がどれほど、私の持つ負の特性を目立たなくしてくれるかは今も尚、未知数なところがあって、正直言うとなかなか不安は拭いきれないですね…。
          アルバイトはしていないですが、病院実習が終わり次第すぐに始めます。今月中にはボチボチやることになるかなと思います。ちなみにインスタはやっていませんが、Twitterは「@jirokameist」でやっています。

          すばるさんのコミュニケーション能力についてですが、実は「強み」だったことに気付けたのは良かったですよね。ただそれも受験勉強の後、すばるさんが色々な経験を積み重ねられたからこそ開花されたものですから、言わば努力の賜物ですよね。潜在的な強みは積極的に掘り起こして、有効に活用していきたいですよね。私も折角院試を突破したのだから、今この時期に受験や単位取得のための勉強以外の経験から色々なことに気付いていきたいです。

          1. いえいえ、お時間ある時に返してくださればと思います!
            コミュニティの援助は大切かなと思います!情報を集める意味でも必要になってくるのかなと、、
            やってみないとわからないですが、不安はやはり尽きないですよね
            そうだったんですね!アルバイトは心理学関連のものですか??
            Twitterは趣味の野球垢の方でフォローさせていただきます!
            努力の賜物と言ってくださりありがとうございます!
            受験が終わったらやろうと思ってた飲食のバイトだったので応募し、採用されたのですが、受験勉強の世界しか知らなかった自分にとって最初アルバイトの要領が掴めず、ミスしたりして実は結構苦戦してました、、辞めようかなって思いましたが、なんだかんだ続けてたら3ヶ月くらいで戦力にはなれましたね、、
            たかがアルバイトの経験でしたが、自分の意思で自分がやりたいと思ったことをした初めての経験だったので、就職するまで辞めることなく休むことなく続けてましたね!毎日バイト行くのが楽しみになったりして、それとは逆の自分の意思で選んでない学科の大学には徐々に行けなくなりましたが…
            でもどちらかと言うと社会的にも人間的にも成長したと思うのは、その後正社員として初めて就職したIT企業での残業まみれの波乱の2年半の体験でしたね

          2. フォローありがとうございました。私の方からも申請いたしました!
            いえ心理学関連のものではないです。現状何も決まっていないです。ただ、できれば心理学関連のものは是非やっていきたいので、そちらに関してはこれから開拓していきたいなと考えています。

            なるほど最初は大変だったわけですか。しかしそうした中でアルバイトを継続されて、徐々にコミュ力があることに気付けたのは本当に良かったですよね。あと、IT時代はかなり苦労されたと思いますが、その中での成長が大きかったのですね。確かに私も過去を振り返ると、厳しい環境に居るたときが幸か不幸か人間的成長を感じる機会も多かった気がします。

            ああ、ご自分で選択された道だから続けられたということですね。それはめちゃくちゃ大事なことですよね。私も心理学は自分で学ぶことを決めましたが、化学より明らかにモチベーションに差があるのを感じています。笑

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