陰キャラ辛譚

この際だから、今この場で正々堂々、はっきりと申し上げる。

私は、紛う事なき

「陰キャラ」である。

私のことをよく知っている人物で、私の人物像を、「陽キャラ」だとか、「明るい性格」だとか、「社交的だ」等といった類の、“明るく、且つプラス”の表現で以て断じた人間は、今までただの一人も存在しない。その程度には、「陰キャラ」を名乗れるだけの権利を有していることを、私自身、自負しているつもりである。

そんな“自覚、自負共に十分”の陰キャラは、時に、自己に対する誤った理想像を抱いてしまうことがある。すなわち、「僕も私も陽キャラの如く、大勢でワイワイするといった、客観的に見て『華やかな』場に居合わせ、あわよくば、その場に違和感なく溶け込み、その実績で以て、自他共に認める自身の『陰キャラ像』を打ち破り、“陽キャラ”にも“陰キャラ”にもそつなく変幻するオールラウンダーにならん」とする憧れである。

私にもつい先日まで、そういう時期があった。しかし、ある一件の出来事を経て、そういった「自己の理想像」が打ち砕かれるとともに、その憧れとは全く異なる、新たな価値観が自身の中で、確信に近い真理という形で生まれることになったため、その経緯とやらを、ここに書き記そうというわけである。

さて、時は遡り、2018年、3月某日。入社を間近に控えた私を含む同期7人は、同期のみで開催する飲み会の予定について和気藹々と話し合っていた。我々は入社前から、結構仲が良いのである。

私はその会話の輪から少し外れた位置でボーッとしていたため、どういう経緯でそうなったのかは分からない。分からないのだが、私の知らぬ間に、飲み会の後、皆でそのまま近くのカラオケへ行こうという話になっていたようである。

「亀井さん!」
出し抜けに同期一のムードメーカー、陽田君に名前を呼ばれた。私は「はい」という返事と共に、陽田君の方を振り返る。
そこで陽田君は、こう続けた。
「今度の飲み会が終わったら、皆でカラオケに行きましょう!」

ここで私は「飲み会後のカラオケ案件」の打診を初めて受けたわけだが、なんとこの時私は、「いいですね」と、心底から生じる微笑で以て快く返答し、小さく頷いたのである。

男女を交えた複数人によるカラオケ――。陰キャラにとっては通常、かなり身構えることとなる鬱案件になっても、そうおかしくないものである。が、これは偶然、趣味として“月に数回”のペースで一人カラオケ(通称ヒトカラ)へ通っており、尚且つその鍛錬の賜物として歌には多少の自信のあった私に掛かれば、先の鬱案件は一転、脳内においては余裕の笑みすら湛(たた)えて首肯の出来る楽勝案件へと、見事に変貌していたのである。かくの如く、時に「趣味は身を助く」のだ。私は内心、有頂天だった。私はその翌日、“来(きた)るカラオケ”に備え、自身のセットリスト作成に尽力し、喉の筋肉のメンテナンスを開始させた。私は生来地声が低く、一般的な男性よりも歌える曲にかなりの限りがあるため、歌を歌う際はこういった“事前準備”が欠かせないのである。実はこの時、私は頗(すこぶ)る愉快な心持ちで“事前準備”に着手していたことはこの場で正直に述べておく。ただ一点、私はこれまでの人生において、“陽キャラ”や“女性”が含まれる“大勢”でカラオケへ行った例(ためし)がなかったため、「自分が今している準備や、心持ち、気合いというものは果たして正解なのか」といった一抹の不安は、無きにしも非ずといったところであった。この不安は、見事に的中することとなる。

それから、五日の時が過ぎ去った。

遂に、“その時”が来た。「皆でカラオケ」の日が、来たのである。その日の朝、張り切りすぎた私はウォーミングアップがてら、この日のために用意してきたセットリストの第一曲目、DEENの『君さえいれば』を一人熱唱した。歌ってみた感じとして、仕上がり具合は決して悪くない。DAMの精密採点DXは、画面上に「90.749点、音程正解率90%」の文字を表示している。発声時における、喉の感じも悪くない。よし、これなら大丈夫だ。私は今日(こんにち)、自分の殻を破るのだ。何をやっても冴えなかった過去の自分とは、このカラオケで以ておさらばするのだ。ここで、根暗な私の内にも眠る「陽キャラ魂」の片鱗を見せつけ、皆の盛り上げ役、ムードメーカーなる人物に「あっ」という一声を、上げさせてやる。

己が身を奮わせながら集合場所へ向かう途中、偶然陽田君に会った。我々は二人で電車に乗り込み、その場で様々なことを話した。陽田君が話題を提供し、私がそれを広げる。私は、話題提供の上手い人と二人で居る時に限り、雄弁になる。その姿は、客観的に見ても、決して“陰キャラ”のそれとは思われまい。それ程の雄弁さなのである。ところが、これが三人以上になると、一転、もうダメなのである。私はたちまち、空気になるか、会話の端に佇む赤べこ野郎になる他ないのである。それ見ろ。集合場所へ着いた途端、私は陽田君の横で空笑いを浮かべる赤べこマンだ。たまに私に振られる話にだって、愛想笑いを除いて、碌(ろく)すっぽ返せやしない。私は、本当に、会話というものが大の苦手である。どうして三人以上になった瞬間、私はこんなにも会話が下手になってしまうのだろうか。

そうこうしている間に飲み屋へ到着した。私は大勢の人の中でする会話というものは大の苦手であるから、何とかして端っこにある、比較的目立たぬ席を死守した。私のような口下手人間は飲み会等の、複数の人間が一カ所に集うような場においては、このようにして末端の席に座り、そこで目立たぬようひっそりと、静かに過ごしているに限る。これまでの苦い経験から学んだことだ。

席に着くと、「どうぞ」という優しき声と共に、ドリンクメニューが手渡された。私は内心あたふたしながら、けれども見かけ上は落ち着き払った体(てい)の動作を心掛けながら、ぎこちなくメニューに目を通す。さて、ここで一難。実は私は、アルコールには強いのだが普段から酒は飲まない人間である。また、たまに友人と行く居酒屋でも、ドリンクの注文はその友人に任せっきりで、自ら進んで何かを頼むことはしないというのが常だったから、今出し抜けに、写真一つない、それどころか酒の名の下に説明書きの一切ない、無機質な黒文字のみで構成されたドリンク(アルコール)メニューを見せられたところで、私は一体何を頼んで良いのか、ないし何を頼めば、どのような味の、どの程度の度数の酒が来るのか、分からなかったのである。落ち着き払った動作とは裏腹に、私の内心は相当、混沌としていた。ここで優柔不断なところを見せてしまっては、自身の内なる陽キャラ魂が廃る。というか、それ以前に、この活気溢れている座がシラけてしまうではないか。それだけは防がなければ!そこで私は、メニューを開いた瞬間目に留まった、覚えづらいカタカナ名のドリンクを、訳の分からぬ酒ではあるのだけれども、取り敢えず注文することにしようと思った。すぐさま脳のワーキングメモリにそのドリンクの名――カタカナ数文字――をインプットし、脳内でその文字を音声情報に変換し、その音声を何度も反復しその名を忘れないように注意しながら、サッと、隣の人にメニューを渡した。こうした一連の動作で以て、結果として私は「ドリンク即決」の体裁を何とか整え、大勢による飲み会における“第一関門”をクリアすることと相成った。私にはこの後、見せ場を作らなければならぬのだ。こんなところで躓くわけにはいかない。

飲み会時における第二関門は食事中の会話であったのだが、これも何とか突破することが出来た。というのも、基本的に会話は同期のムードメーカー達が盛り上げてくれたし、尚且つ私は末端の席を確保していたため、隅っこで皆の会話をニコニコ聞いているだけでもそこまで違和感なく過ごせていた体にはなっていたはずだからである。更に、ここの同期は皆、同じ同期の人間に対して「仲間意識」のようなものを持っていて、たとえ私が生来の口下手から皆の前で無知極まる、まとまりもオチもない素っ頓狂な話、ないし発言をしてしまったとしても、それを「軽蔑し排除する」と言うよりは、「それも一つの個性として認める」方向で会話を繋げてくれたため、尚のこと私の存在が“異質”なものとして、表立って際立つようなことはなかった。私はこの同期の人間性に、相当恵まれていたと思っている。

店員が「時間終了」の合図を告げると共に、私の恐れていたこの第二関門も突破と相成り、遂に待ち兼ねていたその時がやって来た。「時は満ちた」のだ。
「さあ、皆でカラオケに行きましょう!」
陽田君の“let’s~”フレーズが放たれた。これにて、ここにいる全員でカラオケへ行くことが決まった。
私は「待っていました」とばかりに席を立ち上がる。しかし、自身の内より湧き出る熱気、興奮はおくびにも出さぬよう十分注意しつつ、「ああ、皆がそう言うなら私も着いて行くよ」といった表情、態度で以て顔を、且つは体を武装し、表面上はまこと冷静な面持ちで皆の後を着いて行くことを心掛けた。私は、自身の内なる感情を他者に読み取られることを過度に避けんとする、プライドだけは一丁前の、カッコつけなのである。相当面倒な人間だと思っている。

カラオケルームに入った。一室に7人も人が入ると、窮屈になってしまうのは致し方がない。同期のムードメーカーの一人である陽本さんがリモコンを取り、マイクを握り、一発目を務める。アニソン。席の配置決め等のゴタゴタのせいか、彼女の歌は意外にも、淡々と終わってしまった。ここで、隣にいた私にマイクが回ってきた。緊張で震える手を抑えながら、この日のために練習してきたDEENの『君さえいれば』を送信する。前奏が流れる。私はぼそぼそと立ち上がる。これから、DAMの精密採点DX 90.749点、音程正解率90%の実力を見せてやるんだ。これで私も、様々のキャラから一目置かれる存在にステップアップだ。さようなら、陰キャラだった過去の私。今までの冴えなかった私に脳内で別れを告げ、マイクを右手で握りしめ、歌い出し

君さえいれば
どんな勝負も 勝ち続ける
暗闇を切り裂くように
I need your love~♪
(間奏)

はい、決まった。完璧に決まった。後は、この調子で完走するだけ。私は今日、自分の殻を破るんだ。破った後、自身の内に眠っているはずの「明るい一面」を披露し、陽キャラの仲間に入れてもらうんだ。

前半の調子を完全に維持したまま、私の中では、大成功の“4分35秒”となった。
しかし、何故だろう。イマイチ、場が盛り上がっていない。どちらかと言うと、寧ろシラけている感じを覚えた。ちょっとの沈黙の後、陽田君が大声で言った――「もっと皆が知っている曲をやりましょう!」

ああ、やってしまった。そういう流れで行くのか。要するにこの場では、“自己本位”でなく、“協調性”のある選曲が必要だったわけか。私(と陽本さん?)は結果的に、出しゃばった選曲をしてしまったというわけだな。なんていうか、皆さんどうもすみませんでした。暫くの間、私はおとなしくしています。

それからの三時間弱、私は、「真のカラオケとは何たるか?」を眼前で、まざまざと見せつけられた気がした。それ以降に彼ら彼女らの手によって予約される曲は、本当に、文字通りの「皆が知っている曲」なのであった。『夏色』が流れ、『サイレントマジョリティー』が流れ、『前前前世』が流れ、『R.Y.U.S.E.I』が流れ、『残酷な天使のテーゼ』が流れ、『夏祭り』が流れ、『粉雪』が流れ、『睡蓮花』が流れ――その後も、所謂(いわゆる)、「カラオケ定番曲」であったり、または“yeah”だとか“wow”といった文言が、予(あらかじ)め歌詞の随所に散りばめられた、「盛り上がることに特化した曲」が好まれて選曲された。また、「一人が一つの曲を掌握し、一曲丸々歌い上げる」といった最初のスタンスは取り払われ、一曲の始まりから終わりまで数人がマイクを持ち、且つは一つのマイクを数人で回すことによって、「皆が知っている曲を皆が歌う」といったスタンスに変更された。果たして陽田君の提案は成功を収め、同期7人を収容したカラオケルームの一室は、最初の二曲の時とは比べものにならないほどの盛り上がりに包まれたのであった。

その間の私は、リズムを取ったり、人の歌にちゃんと耳を傾けたり、ところどころ笑顔を振りまいたりと、何とかして場の空気に馴染むよう頑張っていたのだが、実際のところ、その場の“ノリ”には全く着いて行けていなかった。リモコンも『君さえいれば』の選曲以来、全く指紋を付けなかった。というか、付けられなかった。何故なら、そういった「皆が知っている曲」なるものを、総勢7人の前で堂々と選曲し送信ボタンをタップし、それを選曲した旨を皆に伝え、自らマイクを持ち歌うことで皆をリードするなどといった芸当は到底出来ないと思ったからである。従って、私は「自身の歌いたい曲を歌う」だとか「日々の鍛錬で磨き上げた自身の腕前ご開陳」などといった、カラオケに喜び勇んで来た本来の目的を全く放擲し、場の空気に合わせることに全力を投じた。ヤケになったら歌おうと思っていた反町隆史の「POISON~言いたいこともいえないこんな世の中じゃ~」すら封印し、場の空気に合わせることに徹した。途中、完全に浮いている雰囲気の私を気遣ってか、近くに居た同期のAさんが「亀井さんのソロをもう一回聴きたいです!」と言ってリモコンを渡してくださったのだが、場の雰囲気を乱したくなかった私は「いや、この空気ではなかなか難しいですね・・・」と、苦笑と共に一言返す(否、リモコンも返した)のがいっぱいいっぱいだった。
隣に座っていたBさんも、この場のノリについて行けていないようであった。本人曰く、「私はバラード専門」とのことで、やはり私と同様、この雰囲気の中持ち歌のバラード曲を入れるだけの勇気は無いとのことだった。会話のついでに、思い切って「大人数でのカラオケって、大体こんな・・・皆が知っている曲をノリノリに歌う感じなんですか?」と私が質問したところ、「そうですね。大体こんな感じですね(苦笑)」と返ってきたことから、なるほど、これが大人数によるカラオケ――俗に言う「タカラ」――の真骨頂なのかと、ため息に似た大きな息を吐くと共に、私は、室内の無機質な天井を思わず見上げたのである。私の知っているカラオケとは、全く世界が違う。少なくとも私の知っているカラオケ・・・私の仲のよい友人複数人と行くカラオケは、一人一人が順々に、相手側の曲への認知程度の如何に関わらず、自分の好きな曲を入れ、それを徹頭徹尾歌い上げた後(のち)、周りに居る皆が静かに拍手をするといったスタイルをとっていたから、今回のこの眼前に広がる世界、及び世界観は、何て言えばいいのか、良い言い方をすれば「新鮮」なもので、現実的な言い方をしてしまうならば、「自身の身の丈や性格に合っておらず、あんまり面白くない」ものであって、正直なところ、終わった瞬間は内心ホッとしてしまった。今回のこの、カラオケのみならぬ、飲み会をも含んだ一連の出来事は、「やはり私には、皆でワイワイやる系統の世界で生きている人達の楽しみ方には馴染めないし、それだけの実力も性格も有していないなあ」と深く感じ入った経験として、自身の脳内に、それも相当に強固なものとしてインプットされたのである。

後日談。その日の後(のち)は、先日負った深傷を治療するかの如く、「一人のんびり過ごす休日」を優雅に送った。一人カラオケへ行って自身の好きな曲を好きなだけ歌ったり、ゆったりと本を読んだり、日記を書いたり、はたまたとりとめも無い物思いに耽ったり。こういった“静かな時間”を送っているときの方が、“賑やかなとき”を送るよりもよっぽど、私は私らしく、楽な気持ちでいられた。確かに、“陽キャラ”と称される人々の送るような「多くの人達に囲まれながら、賑やかさを重視した華やかな遊び」をすることに、ネットやメディア等々から影響を受けた結果として、我々陰キャラは憧れを抱いてしまうかも知れない。ただ、人にはそれぞれ先天的ないし後天的に背負うこととなった個性というものが確かに存在していて、そうした“個性”の名の下には、一見して「華やかそうな」遊び、ないし生活をすることが理想の形になり得ぬことも十分考えられるわけである。すなわち、憧れは単なる“憧れ”であって、それが“自身の理想”の形に直結し得るかというと、必ずしもそうとは限らないものだということである。私の場合、この理論が全くそのまま、当てはまりそうな気がした。あの時の飲み会、カラオケを通じた自身の心の反応が、それを教えてくれたのだ。憧れは、単なる憧れ。仮にそれが叶わぬと分かったとしても、真の理想の形が違うものとして存在しているのであれば、それは決して恥じることはない。

さて入社後の研修中、陽田君と陽本さんとの会話で「陽キャラになることが是とする価値観」に基づく発言があった後、確か、「亀井さんも、頑張れば陽キャラになれますよ!」みたいな内容の言葉を掛けられた。その時私は二人に対し笑顔で、冗談交じりに、けれども確固たる自信を持ってこう返したのである。
「陽キャラ陽キャラって言いますけどね。実際のところ、陰キャラには陰キャラなりの楽しみ方ってものがあって、それが満たされてさえいれば、私は心底幸せでいられるんですよ」

二人は顔を見合わせ、「亀井さんに怒られちゃった」と、微かに笑い合っていた。




7件のコメント

  1.  先の仮面浪人ブログではお世話になりました。名前を引き続き愚学生とさせていただいておりますが、覚えていらっしゃるでしょうか。最近は文系就活で大変でご案内をいただきました新しいブログを拝見することも遅くなりました。
     私ですが、コンサルティングファームから内定をいただけず学部卒での文系就活から大学院進学とすることにしました。余裕ができましたら、再びご相談させていただければ幸いです。どうぞ、これからも宜しくお願いいたします。

    1. この休日はパソコンを触れず、返信が遅くなりましたすみません・・・。
      コメントありがとうございます。覚えています・・・というかつい先日まで様々なやり取りをしていましたよね(笑)

      分かりました。私に出来ることならば、前回と同様一生懸命応えていきたいと思います。よろしくお願いします。

  2. 同じくアメーバの方ではお世話になっておりました。あおです。

    久々にふくろ…鶏さんの文章が読めて良かったです。

    新環境に慣れるのは大変かと思うのですが、周りに合わしながらも、心の底では自分の意思を強く保ち続けてほしいと思っています。それにより書かれる文章を、これからも楽しみにしています。

    1. お久し振りです!鶏でもふくろうでもどちらでも大丈夫ですよ(笑)
      新環境・・・そうですね。私は環境の変化に適応するのが過度に苦手なため、今も尚、結構苦労しています。
      自身の八方美人な性格をこれからどう矯正し、自分らしさを前面に出していくかが課題となっております。そういった事柄に関する記事を今後書けていけたらと考えています。どうぞよろしくお願いします。

      そう言えばあおさんはもうブログ書かれないんですか?やはり新年度もスタートし、大学の方が忙しいですかね。もし気が向きましたら、是非書いてくださいm(_ _)m

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