グループホームは辛いよ





社会人一年目。朝起きて、重度知的障害の通所施設へ出勤し、日中支援の業務を遂行した後、夕方に退勤する生活を送っていた日々から一転、二年目の今年度は、昼起きて、夕方前になってグループホームに出勤し、利用者の日常生活支援業務を遂行した後、夜中に退勤するものに生活様式がすっかり変わってしまった。昨年度、異動の内示を受けた際は相当ショックであった。第一に、生活を夜型のものにしないといけなくなること。私は、22時~2時の時間には出来るだけ就寝していたい人間であるから、これが不可能になる事実は非常に堪えた。おまけに、真夜中に外出することに対しかなりの心理的な抵抗を覚えていたため、仕事終わりにカラオケに行っていたこれまでの生活も手放さねばならないと覚悟せざるを得なかったことも、大きな痛手だった。第二に、心の準備不足。「入社一年での異動はない」と噂で聞いていたため、全く予期していなかった異動の内示は正に青天の霹靂。“変化”というものに極端に弱い私にとっては、強すぎる刺激となった。また折角職場内で築き上げた良好な人間関係が一掃されることに、寂しさをも覚えた。

そして今年4月から新天地、グループホームでの勤務が始まったわけであるが、まだ二ヶ月も経たぬのに、既に私の出社時の足取りは相当に重くなっている。一年目は確か、7~8月くらいまでは継続して精力的に仕事が出来ていたから、今年度は随分短い寿命に終わっているなと、我ながら苦笑している次第である。本記事ではその原因となっているであろうものを、書き記しておこうというわけである。

1.孤独
グループホーム勤務は、孤独であった。職員たった一人きりで、複数人の利用者を見ていく勤務形態。勤務中に何か嫌なことがあっても、一人で背負い込む必要がある。「一人で背負い込むな。電話を沢山掛けろ」と散々言われているが、やはりそうは言っても、一人で背負い込む比率というものはどうしても上がってしまう。通所施設にいた頃は、職員間でのコミュニケーションも多かったため、様々な出来事を複数人で共有することができた。仕事中、職員間で交わされる何気ない一言二言の会話が、実は私達の精神の安定に大きく貢献していた事実をこの場で思い知ることとなった。

2.長時間、長期間に渡り“同じ人”と関わり続けねばならない
一定の人だけと長時間を過ごすことは、想像以上に大変だと感じる。これは昨年度も感じていたことだが、長時間に渡り同じ人ばかりを担当していると、初めは「いいよいいよ」と許せていた行為の数々が、段々と目に付くようになり、ゆくゆくは許せなくなっていくのである。「もう勘弁してくれ」とか、「いい加減にしてくれ」といった類の感情が生じてきてしまうのである。これは何も知的障害者に限った話でなくても同様に言えることで、例えば、「ねえ(僕を私を)見て見て!」と主張し続ける子供に対峙する親を考えてみる。初めは「なになに?」と反応できる心優しき親も、それが何時間も続いてみよ。初めは「かわいいな」と思えていたその行為に対しても、その内心身の疲労が溜まってきて、「そろそろいい加減にしてくれないかなぁ」、「うるさくなってきたなぁ」等と思うであろう。それと根本は同じである。職員も人間であるから、どうしても、職員の精神的、ないし肉体的疲労を伴う奉仕(それも、同じ人に対する、殆ど変化のない継続的な奉仕)を続けると、疲れてくる。その一場面だけを目にしただけの職員にとってはさして重要に思われない一事においても、長時間対応してきている職員にとっては、大変な労力を消費することになっていることがあるのである。グループホームでは一日最低九時間、期間にするとそれが週五日、一年間継続するわけである。タフな精神力を要する業務であろう。

3.不規則勤務
この事項について、私は大変恵まれている方である。一週間の内で、その気になれば、殆ど就寝時間、起床時間を変えずに生活することが出来る勤務形態を組んで貰えているからである。しかし同じ会社でも、中にはなかなか辛い勤務をしている人もいる。18時間連続勤務(大抵18時間では収まらず20時間程度、またはそれ以上に延びるそうである)した後、15時間(~13時間)程度の間を挟み、また出勤という勤務形態が週に四度(4月時点でだが)組まれていた某氏は「辛くて仕方が無い」と漏らしていた。通勤時間も考慮すると、殆ど休めている感覚を持てないのだそうだ。その某氏も今年度から異動してきたわけだが、彼は休日そのものも私のそれよりずっと少なく、その少ない休日も大抵は一日中眠って終わってしまうそうである。プライベートの充実が皆無になった彼は、心が腐っていくのを感じると話していた。それはそうだろうなと私も同意した。もし私がその人と同じ勤務を強いられた日にはすぐに体調を崩し、嫌な咳が始まった後、数ヶ月で使い物にならなくなるだろう。このブログの更新だって続けられまい。さすがに会社側もこの勤務形態は問題視しているようで、改善に向けて動いているそうであるが、いかんせん人手が不足している現状、未だに大幅な改善には至っていないようである。一刻も早く改善されることを願ってやまない。こうした極端な例に限らずとも、睡眠リズムの乱れは心身の健康をも乱し、やはり苦痛の原因となり得る。

4.スキルが身につかない
一人勤務、またはごく少人数による勤務形態がとられているため、上司や先輩といった他職員の利用者支援を見てはそのノウハウを習得する機会に乏しく、スキルがちっとも上がらない。職員の利用者に対する支援技術が不足していると、心身の疲弊する機会はどうしても多くなる。支援技術の不足は利用者との確執の元となり、それがお互いにとって都合の悪い方向に作用するからである。スキルが身につかないことは、支援者にとっては致命的と言っていいだろう。

5.有給を取りにくい
いかんせん勤務が一人であるため(ないし、人手不足により代わりとなる職員が少ない)、有給を取ると必ず他の職員に皺寄せが来る。この会社の社員は思い遣りのある方が多いため、有給取得に消極的な職員がままいる。有給を取得する楽しみもないのでは、ますます疲れてゆくばかりであろう。
しかしこの会社に限れば、心理的な障壁をどうにかして取っ払って申請さえしてしまえば有給はほぼ確実に取れるので、私は勇気を出して積極的に取っていきたいなというのが本音である。

グループホームで二ヶ月弱働き、嫌気の差してきた原因として考えられるのは、ざっとこんなところである。私個人としては、“2”項に挙げた「同じ人と長時間関わり続けなければならない」という業務上の特性が一番辛く感じる。“1”と“4”に関しては、そこまで憂えていない。確かに孤独は堪えることがあるが、その反面、他者から支援について横槍を入れられることなく、自分のやり方で利用者と関わることが出来るのは自身の中で大きなメリットとして働いているからである。けれども、多くのデメリット面を被っていることも事実。こんなところからも、福祉業界で退職者が後を絶たない理由が分かってきた。現に先日も、昨年度までは生き生きと働いていた職員が、グループホームに異動になったことで様子が悪い方へ一変してしまったという話を聞いた。来年度までに何人(何割)の退職者が出るのだろうか。現段階ではちょっと、予想がつかない。

私も、勤務形態に恵まれていながら正直のところ今の仕事に嫌気が差しているのは上に述べたとおりである。過去にあれほど苦しかった大学時代を乗り越えたのだから今回も乗り越えられないわけがないと自身に言い聞かせ発破をかけるのだが、どうにもテンションが上がらぬ日々を送っていた。そんな折、昨年度お世話になった上司と少しお話しする機会があったのだが、そこでなんと、「俺はグループホーム勤務、楽しかったけどなあ。家が二つあるようなものじゃん!何なら一緒に住みたいくらいだったよ。」という超ポジティヴな発言を聴くに至り、その瞬間、「へえ、そんな人もいるのか」と呆気にとられてしまった。そう言えば前に接待した法人監査の某氏も「入所施設は楽しかった。勤務時間でなくても利用者と関わっていた」なんて話をしていた。世の中には、凄い人達がいるものである。

ここで一つ、カンフル剤を投与してみたい。
グループホーム勤務⇒つまらない
という観念が自身の中で固定化してしまう前に、これからは「いかにグループホーム勤務から楽しめる要素を発見するか」というテーマを設定し、この達成に注力していきたい。意外に思われるかも知れないが、私は「努力で逆境を乗り越える物語」というものが、実は結構好きなのである。たまに昔のプロ野球選手の生涯をWikipediaで読んでは、努力や根性で逆境や理不尽を跳ね返すそのガッツに唸っているほどである。私は、げんこつ喰らって、「この野郎」という感情をバネに強くなる人間や、馬鹿にされても、「必ず見返してやる」と頑張れる人間、そしてあらゆるプレッシャーを力に変えられる人間を、尊敬している。私は逆だ。打たれるほど、弱くなる。プレッシャーを感じるほど、ダメになる。げんこつ一つ喰らえば、強くなるどころか、向こう十何年もフラッシュバックに悩まされてはその都度意気消沈する小物である。しかし今回ぐらいは、「嫌気の差しつつあるグループホーム勤務」を力によって、「そこそこの充実感をも覚えるグループホーム勤務」に変えてみたいものである。どうせ散るなら、多少は抗ってから散りたいものである。

ただし

「人間には、向き不向きというものがある」という前々からの主張は変わらない。どんなに努力したって、無理なものは無理である。そこは譲ってたまるものか。今の勤務が自身の性格に合っておらず、たとえ試行錯誤の末にこの勤務に楽しみを見出せなかったとしても、以前のように、その上司と比較しては「自分はダメな人間だ」などと悲観することはしないつもりである。その時は、大学時代で散々使い倒した「忍耐」を再度前面に出して、この一年間の仕事をやってのけようと考えている。

――そんなやり取りを脳内で展開させることにより、来る翌日からの六連勤に向け心を奮い立たせ続けた。今日はそんな休日であった。
グループホームで働くことのデメリットを少しでも伝えることが出来たなら幸いである。




6件のコメント

  1. こんにちはゴットです。
    今回の日記は同じ同業者として、かなり興味深い内容でした。まず、時間が夜型に変わること、身体は必然的に辛くなりますよね、私も夜型になり、疲れていても休日の夜は眠れない日々を過ごしています。もう一つは趣味の軽減でしたよね、時間帯が変わるだけで、何もしたくなくなると、私の施設の同僚も言っていました。フクロウさんも、そのような感覚ではないかと思いました。一つ気になったのが、フクロウさんの上司が、言った「もう一つ家があるみたいじゃん」の言葉が、私にはまだ受け入れられる度量がなかったです。
    その方は、福祉の世界が天職なんではないですか?そう感じました。
    他害されれば、イライラするし、
    朝早く、もしくは夜中に起きて、大きい声を出して、暴れたい放題されたら、それだけで退職も考える日々です。私が一番腹が立つのが、同じ法人の方で、「環境に慣れてないから、他害や破壊行為があるんだよ」の言葉です。私は断固として言いたいです。環境の変化は勿論不穏の一つとしてあると思います。ただ長い年月が経っても変化が起きない利用者も沢山います。一概に言えないと自負していますので、その言葉には反応をしていません。フクロウさんは、2年目ですよね、石の上にも3年と言葉もありますし、狭い空間の中で利用者と楽しむのも一つだと思います。それでも自分のことを考えるようでしたら、はっきり言うと退職したほうが今後のフクロウさんの人生にとって不利益は生じないかと思います。
    フクロウさんの今の心境は「自分はこんなに辛いのにどうして、法人は分かってくれないんだろう」とか、「自分は生活介護に必要な人間だったのになんで移動になったんだろう」と、あえて厳しいいい方をすれば日記からその様な心境が汲み取れました。誤解してたらお詫びします。
    私の上司が、「福祉の社員は利用者を最優先に考えなかったら、この業界から離れたほうがいい」と言われたことがあります。
    プライベートを充実にとも、重ね重ね言われていますが、綺麗ごとと思います。実際の勤務時間がめちゃくちゃですからね、なので、フクロウさんも早かれ遅かれ決断の時季が来るかと思います。その際は英断をと思い、長文書かせていただきました。又、遊びに来ます。失礼します

    1. こんにちは。本記事は、「この業界に勤務していたからこそ書けるネタを…」と考えての投稿でした。生きた情報をお届けできていたら嬉しいです。
      ゴットさんのコメントからは、日常業務における不満の噴出を感じました。やはりこの仕事、「天職」でない人にとっては我慢の連続ばかりで良いことは比較的少なくなってしまうようですね。まぁこの仕事、一定の頻度でドラマチックな良いことが存在するのも確かなのですが、両者を天秤に掛けたとき、どちらに傾くか、といったところですね。
      職員側が疲労困憊しているタイミングで「利用者最優先」の綺麗事や理想論を掲げられるとき、うんざりしてしまう気持ちは私も分かるつもりです。以下は数少ない勤務経験の中における持論なので正しいかどうかは分からないですが、障害者だからといって、皆が皆「聖人君子」ではないと私は考えています。定型発達者の中にも腹の立つ人間がいるのと同様、障害者の中にもそういった人間がいてもおかしくないと思える言動を見てきたからです。例えば、他害行為に対しても、「利用者はやりたくてやっているわけではないのだから、相手の意図を汲み取れず利用者に他害行為をさせてしまっているこちら側が悪いのだ」という考え方が蔓延っていますが、必ずしも全部が全部そうとは言い切れないと考えます。中には精神的な未熟さから、「嫌なことあったから八つ当たりだ」等という理不尽な気持ちで他害している人間もいるのではないか、という事です。私は自らが不利益を被るような状況に立たされたとき、できる限りその人の普段の言動や生まれ育った環境、私以外の職員との関わり、そしてその他様々なバックグラウンドを散々斟酌した上で、責任の所在をどちらに求めるかを決めるようにしています(まぁそんなこと言ったって、私もつい感情的になってしまうことは多いのですけれども)。その中で、どう考えても責任の所在が利用者側にあり、職員はきっと理不尽な不利益を被ったであろうと判断した場合は、結構キツく怒っています。こちらも人間です。理不尽に顔面を攻撃されて、その都度「(職員が利用者を)不快にさせちゃってごめんね」だなんて。冗談じゃない。私もまだ、そこまでできた人間ではないです。ただ出来る限り、その結論は下さぬよう注意していますけれど…
      私の今の心境ですか。多分生活介護から異動になったのは単なる人手不足で、「こんなに辛いのに法人は分かってくれない」という気持ちは現状あまり無いというのが本当のところです(潜在意識にはあるのかも知れませんが!)。ただ、「グループホーム勤務これから何年続くんかなぁ」と考えると、憂鬱になることは確かですね(笑)どちらかと言うと本記事では、この業界は人手不足故に残念な事になっている面があるのだなあという、もうちょっとドライな情報をお伝えしたつもりです。
      私の同僚も似たことを言っていました。「利用者に手が出そうになったときが辞めどきだと思っている」と。なかなかタフな業界ですよね。
      コメント有難うございました。私もこの仕事を何年続けられるか分かりませんが、その間はできる限り「真の優しさ」を業務の中で追求していきたいなとは考えています。何故ならその過程が自身の進む新たなフィールドで活かされる可能性が高いと思うからです。ただ自分に余裕がなくなったときは、ご助言の通り、手遅れになる前に辞めます。やはり心身の調子というものは質の高いパフォーマンスと切っても切れませんからね。

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