2019年更新記事総括

私にとって、2019年は「己の人生に革命が起きた」と言える程に、大きな前進をした一年でした。
2014年の大学受験失敗以降、私は「生きる」という人生最大の営みに対して、漠然とした虚無感のようなものを感じ続けていました。私はミスチルの言う
「生きてる理由なんてない だけど死にたくもない」
といった厭世的な宙ぶらりん状態の中、手探りで「生きる意味」や「生きることの醍醐味」、「生きることの楽しさ」を求めていました。同時に、自身が「生きる」ことに対する虚無感を抱いてしまった原因についても考えていました。そして、少しでもこの状況を改善できないものかと、抱えている漠然とした虚無感をぶつける思いで、本ブログに様々の“人生哲学”なるものを書いては投稿することを繰り返していました。しかしどの哲学も、本当の意味での救いにはなりませんでした。
そんな折、加藤諦三氏の『自分に気づく心理学』という一冊の本と出会いました。7月のことでした。私はその本を読んだ際、あまりの衝撃に卒倒しかけました。そこには、私が長いこと抱え続けてきた「生きることに対する漠然とした虚無感」の正体が書かれていたのでした。その正体こそ、自身の心の根底に潜んでいた「自己否定感」と、それに基づき生じた「愛情欲求」、「承認欲求」だったのです。
この事実を知るにつけ、自身がこれまで悩まされてきた精神的な諸問題と、それが生じることとなっていた原因(=自己否定感)の相関について、私の頭の中で次々に了解されることとなりました。そうしてそれらの了解の得られたのをきっかけに、8月以降は様々な精神的諸問題の生じてしまう原因とその対応に関する記事を頻繁にアップ(update)するようになったのでした。
以上が、今年の8月「以前」と「以後」で、記事の内容、質が大きく異なっている理由です。今年の前半は自身の頭から生じた“人生哲学”なるものが記事の中心を占めているのに対し、後半は“自己否定感”を原因とする様々な精神的諸問題の考察についての記事が中心を占めることになりました。

さてこのように、私自身にとっては「己の人生の大革命」とも取れる飛躍の2019年だったわけですが、一方でブログ運営に関しては暗雲低迷の一途でした。昨年の12月に一度、そして今年7月頭に更に一度、ガクッと読者およびアクセス数を失い、そのまま現在に至っても回復の兆しはありません。管理人としてはどうにかして立て直しを図りたいというのが本音です。これまでは自分の好きなように記事のタイトル名、内容を決めてしまっていたのですが、これからは「読者のニーズ」や「SEO対策」、「記事の読みやすさ」といった部分(まぁブログ運営に関してこれらはめっちゃ重要なんですけど。)をもっと考慮して記事を投稿していかないとなぁ、と考えています。だから来年はあからさまにそれらを意識した記事が増えるかも・・・。

まぁ何はともあれ、本ブログの管理人としては、こんな不人気ブログをここまで読んでくださっている方々にはとても感謝をしているのです。感謝の言葉を文字にしてしまうとどうも軽率の感が抜けきらないのですが、しかしこの感謝の気持ちに関しては本当なんです。実際に何かを発信する側になってみると分かります。見てくださっている方の存在があることが、どれほど嬉しいことか。そして皮肉なことに(?)アクセス数が少なくなればなる程、その有難みが身に沁みてくるのです。兎に角、皆様、一年間読んでくださり本当にありがとうございました。来年も何卒よろしくお願いします。

以下、2019年に更新した記事群と一口コメント。“書きやすさ”の都合上、「である調」で書いていく。

『感情コントロールのスペシャリスト』
1月6日公開
「仕事中に生じるストレスを感情制御によって上手く対処できないか」という考えのもと作成した記事。「ストレスを生み出すのは“出来事そのもの”ではなく、“出来事から生じてくるネガティヴな感情”である」という考察までは良いと思うのだけれど、その“ネガティヴな感情”の表出を理性で無理矢理抑えつけようとする姿勢は、今の私からすると「いただけないな」と思う。マインドフルネスの道をゆく者であるならば寧ろ、感情の表出を「あるがまま」に受け止め、しかしそれに流されない、飲み込まれないようなメンタル作りをしていく方が適切なのではないかと思われてならない。今となっては欠陥だらけの記事だが、結局、今年一番読まれ、唯一本ブログの総合アクセス数TOP10入りを果たした記事はこれだけだった。

『“愛”とは、何か』
1月23日公開
「愛とは、その人の存在を無条件に肯定し、認めることである」という主張の下、自身の経験や知識を引き合いに、その実行の非常たる難しさを記述した。自分にとって都合の良い存在だけを愛したり、自分の都合の良いように他者をコントロールし、そのコントロールされた都合の良い他者を愛することは真の愛には繋がらないと説明している。「真の愛」や「真の優しさ」なんてものの追求に溺れていた当時の私の内面がよく表れているなぁと思う。

『【厳選】寂しいときに聴きたいor歌いたい楽曲を紹介する』
2月13日公開
所謂、「バズ」を狙って書いた記事。昨年の『ウサギとカメ』同様、この記事を通じて本ブログを世間に知らしめようと画策した渾身の一作であったが、残念ながら結果は振るわず、その他の記事の中に埋没することとなってしまった。私は音楽が好きで、取り分け寂しい時に聴きたくなるような楽曲を求める期間が長かったこともあり、その選曲の質には自信があった。楽曲の説明にも相当の力を入れ、記事内に楽曲の試聴も出来るようなリンクを埋め込み(←これが本当に大変だった)、文調もかなり整え、他サイトの類似記事の質を遥かに凌駕するものを作ったつもりになっていた。現に、更新した際は魂が震えるのを感じた。しかしその期待とは裏腹に、この記事を更新してからは自己ワーストの(更新日を含む)三日連続のアクセス数“0”行進が続くという陰惨な結果と相成り、「もう二度とバズなんか期待するものか」と一人打ちひしがれたものであった。更新四日目にようやく“1”のアクセスが確認された時、その人に心からの感謝を覚えたのは良い思い出である。

『内向性イマジネーション』
2月28日更新
今年は「一ヶ月二記事更新」を目標に掲げていたため、実はこの記事の作成中は結構な焦燥感に襲われていた。作成が終わり、無事二月中の更新に至った際の安堵感は相当のものだった。その中身だが、自転車のパンクをきっかけに、楽しみにしていたこれからの予定がおじゃんになり、破れかぶれになりながらも空いた時間を物思いに費やしてみようと試みる過程と、その「物思い」の具体的な中身について書かれている。私は完全なる内向型人間だが、その内向型人間の特徴である「内省」の中身を文章に起こしてみたものである。もしかしたら皆の周囲にいる内向型の人間は、普段は無口でも頭の中ではこんな壮大(?)な思考が展開されているかも知れない。

『Precious Days』
3月17日公開
フィクション小説第二弾。テーマは「イケメンの憂鬱」。
イケメンは容姿が良いため、第一印象が高評価になりがち
→そのため他者から過度の期待を勝手にかけられる
→しかし世にはその期待に応えられないイケメンがいる。例えば不器用でコミュ障であるようなイケメンである
→なまじ第一印象が良いだけに、そういった「不器用なイケメン」は人々から勝手な失望を受ける
→自分の元から離れていく人々を見送る度、イケメンの自尊心は低下していく
→自尊心の低下し切った状態で人生を送っても、なかなか物事は上手く運ばない。たとえ恵まれた容姿を持っていたとしても
→いよいよ唯一の容姿という武器さえ失ってしまった今、彼に挽回の道はあるか?
といった内容であるが、当時の私には、その悲惨な主人公に、遠藤先生に述べさせたような限られた道しるべしか提示してあげることができなかった。けれども製作から9ヶ月以上も経った今となっては、私は主人公にもっと有用な提言ができるようになった。
彼がここから挽回する唯一の手段は、彼自身が彼の存在価値を認めることである。大変な道のりではあるが、「自分を評価するのは自分だ」という意識を自分の中にしっかりと根付かせ、そうして「誰が何と言おうと、自分は生きているだけで価値のある人間なのだ」と心から思えるよう意識改革をすること。その意識が自分のものとなったとき、この主人公は輝かしい人生を歩み始めることができる。これは今だからこそ提言できるものである。当時の私には実力が足りなかった。
余談だが、本当は斎藤くんが一時的にモテるようになった箇所に関してはもっと詳述したく、そのための該当の文献も読んである程度勉強していたのだが、私自身、どうしてもそこを書き切るだけの気力・体力が持続せず、断念してしまったという背景があったりする。

『“安始”前の心に移りゆく由無し事書き綴り2』
3月31日公開
何としてでも新元号の発表されていない3月中に更新しなければならぬと、更新二日前から必死に記事の制作に取りかかっていたのだが、テーマも書きたいことも明確に定まらないまま記事を書き出したものだから一向にまとまらず、おまけに筆の進みも悪く、三日間で何千字という文字をお蔵入りさせた。そうしてタイミリミット最終日に出来上がった本記事であるが、その中身は福祉現場の実際をリアルに語ったものである。ちなみに私は、平成の次の元号が「安始」だと思っていたからわざわざこのようなヘンテコなタイトルにしたわけである。しかしその予想を裏切り、新元号は「令和」となった。それを知った私が悲嘆に暮れたことは言うまでもない。

『無情の人』
4月8日公開
出勤時の電車内で起こった出来事について、「純文学」を意識して書いてみた記事。

『真の優しさ』
4月24日公開
『感情コントロールのスペシャリスト』『“愛”とは、何か』に関連した記事。自らの実体験を元に、意識的な感情制御や下心無き優しさを施すことの難しさを記述した。これも、「真の愛」や「真の優しさ」なんてものの追求に溺れていた当時の内面がよく表れているなぁと思う。

『出口の見えるトンネル』
5月7日公開
フィクション小説第三弾。精神が大変不調のときに書いた。「生きる」ということに対する物凄い虚無感に苛まれた出勤時の電車の中、その思いをぶつけるようにして作った。従って主人公の心理にも当時の私の心境が反映されていて面白いなと思う。「“自分の人生は自分の意志で生きる”と決心することでやや視界が開けてくる」とするオチも決して大きく真実を外していないように思われる。我ながら良作のつもりだったのだが、実はリアルで付き合いのある読者からは「今回のは駄作だよ、駄作」と、けちょんけちょんにされた作品であった。しかしなんだかんだ言って2019年総アクセス数No.2の記事となった。感謝。

『グループホームは辛いよ』
5月22日公開
「教えてもらう前と後」というテレビ番組を観ながら書いた。余談だが、番組内で松岡修造が「苦しいときは上を見て笑うことが大事なんだ」みたいなことを言っていて、「よし明日の勤務から実践してみよう」と決意させられ、新たな感情制御術を見つけ少し陰鬱な気持ちが持ち直った瞬間に本記事の創作意欲が湧き起こった。これを書いたのはグループホームでの仕事にかなり嫌気が差していた時期であり、何とかしてこの嫌気を取っ払いたいとする願望が本記事作成の原動力となったのはきっと間違いない。2019年総アクセス数No.3の記事。

『私達を支配する無意識下の囚われ』
6月11日公開
本当は本記事にて『人生の意味』の内容を記述するつもりであったのだが、ただの導入に用いるはずであったテレビの話が、筆を進めるうち予想外に盛り上がってしまい、急遽本記事と『人生の意味』を分離することにしたため、後半は計画性のない文章が並び、ぐだぐだの様相を呈している。
自分には「意見が無い」とか「感想が無い」という悩みをお持ちの方に、自らの経験を基に、意見や感想を表出させない心理的なブレーキの生じる心理構造を説明することにより、その解決のヒントとなり得る考え方を紹介する件が、「予想外に盛り上がってしま」った箇所である。ちなみに今だからこそその部分に関してもっと良い提言ができるのだが、「自分の意見を言えない」という悩みは「自己肯定感を高める」ことによって解決するのが一番だと思っている。この記事で紹介されているものはどうも“小手先のテクニック”感が否めない。

『人生の意味』
6月25日公開
人生において、身に降りかかってくる困難を自らの人生における「課題」と捉え、その課題にどう対処していくか、またどのような姿勢で向き合っていくかを考えることの大切さを記述した。ただ、きっとこの記事は自身の内に蔓延する「生きることに対する漠然とした虚無感」をどうにかしたいとする思いから、何とかして人生に意味を持たせようと必死に理論武装して対処しようと試みた結果生まれた記事のような気がしてならない。
人生の意味――。今にしてみればそれは、「自己肯定感を持ちながら人生を楽しむこと」という案外単純なものかもしれない、などと考えている。

『ひとりが好き』
7月12日公開
アクセス数の急激な減少が始まった時期に更新された記事。はっきり言わせてもらう。駄作。二度とこのような記事を作るようなことがあってはならない。
無理をして駄作を更新するくらいなら、何も更新しない方がマシだ。
――何だか英作文の問題に出てきそうな一文ね。

『独りよがりのプレゼント』
7月23日公開
昨年公開した『少年の心』の親戚みたいな記事。コメディ調の記事を書きたかったため書いてみた。私の思い付きの行動が思わぬ功を奏したという体験談だが、記事の内容は俗っぽくて好きでない。けれども文章そのものは気に入っているので、思い切って投稿してしまった。

『“嫌われる勇気”を読んでもその勇気を持てないあなたへ』
8月11日公開
冒頭で述べた「革命」が起こった際に、その内容を伝えるため今年最も力を入れて書いた記事である。内容に相当の自信を持っていたので、投稿後は「この記事でこのブログも一躍有名になるぞ」と興奮していたのだが、蓋を開けてみると他の記事と大差ないアクセスしか集まらず大変撃沈した思い出がある。ちなみにこの記事を作成していた期間は私生活が非常に忙しく、その上、同内容をしたためた一万五千字超の文章を「書いたはいいが読みにくかった」という理由から丸々廃棄し書き直した背景があるため、この記事には個人的な様々の思い出がある。この記事を境に、これまでよりもずっと質の高い記事を書けるようになってきたと勝手に思っている。2019年総アクセス数は辛うじてNo.5

『パーソナリティ革命と承認欲求』
8月28日公開
人生において、自身がこれまで抱いていた「漠然とした生きづらさ」の根本に潜む問題の解を求めた軌跡を綴った。「アダルトチルドレン」に始まり「認知行動療法」、「マインドフルネス瞑想」、「愛着障害」、「精神分析」といった概念についてざっと解説も載せてある。記事の後半に、ブログ運営に関する私の迷走の様相を呈しているが、これはとどまることのないアクセス数の減少に狼狽しきっていたため生じた奇行である。結局それでも、以降は大きく迷走することのない運営に落ち着いているのでひとまずは良かったといったところか。

『夏の幻』
9月23日公開
フィクション小説第四弾。「彼氏の私生活が充実しだしたのと同時に、私への対応がおざなりになってきた」という元同僚の悲嘆の声を聞いた際にこの話のインスピレーションが湧き、書き上げるに至ったというのはちょっとした裏話。
人生の根底に「悲痛」を抱えている人
と、
生きる中で少し上手く行かないことがあって一時的な「悲痛」に陥っているだけの人
とが長期間に渡りお互いを分かり合っていくことは難しい。どんなに、両者の一時の心的共鳴度合いが凄まじかったとしても。
アクセス数の減少に歯止めをかけるべく「一ヶ月二記事更新」の誓いを破ってまで作成に力を入れたのだが、残念ながらこれも鳴かず飛ばず。

『I am八方美人Ⅱ』
10月9日公開
「八方美人」になってしまう人の心理状態とそれが生じてしまう原因、そしてその改善の糸口となる思考、行動について記述した記事。少なくとも昨年に書いた『I am八方美人』よりは数百倍、為になる記事のはずだが・・・こちらも振るわず。

『実力以上の結果を出そうとするから辛くなる』
10月28日公開
自身の「仕事に対する嫌気」の原因を「無意識レベル」の深いところまで探った記事。「仕事で上手く行かないことが多い」ことが仕事の辛さを感じている本質的な原因ではなく、「“優秀な人”に見られたくて自分の実力以上の結果を出そうと無理をしている」ことが仕事を辛くしている本質的な原因と断じて、そのような思考に至ってしまう心理的メカニズムについて解説している。本ブログにおいては比較的質の高い記事で、アクセス数低迷期にもかなり健闘してくれた。

『“愛されたい症候群”の克服』
11月7日公開
多分、今年最も読まれなかった記事。「愛されたい症候群」を改善する手段の一つとして一般的に言われている「他者の役に立つことで自信を取り戻す」ことに潜む問題、危険性について記述した部分は独自性があって良いと思ったのだが・・・ま、しゃーないか。

『管理人のつぶやき(1)“カップラーメンと知覚統合”他』
11月15日公開
心理系の記事が続いたので別の話題を、と思って投稿した記事。この類の記事の需要について知りたかったということもあって投稿に踏み切った。残念ながら結果はイマイチだった。

『普通の人が耐えられることに何故か耐えられない理由』
11月22日公開
個人的に、今年No.1の記事だと思っている。というのも、質の高い話題をテンポの良い読みやすい文章で分かりやすく伝えることができたかなと自信を持って言えるからである。そのような記事というものは滅多に書けない。この記事もアクセス数低迷期にかなり健闘してくれた記事。もっと色んな人にも読んで貰いたいなとさえ自信を持って思える記事。

『“凄い人”だと思われたい。でも・・・』
11月29日公開
駄作。前作の面汚し。作成時の私生活が忙しく、記事作成に十分な時間を取れなかった。主題も今一つ定まらぬまま書き出してしまった。そのため論理構成等がぐじゃぐじゃで、何が言いたいのか分からない。「どうしても多くの記事を投稿したい!」という衝動に負けてしまった良い例・・・いや悪い例かな。

『センチメンタルな曲名に思わず惹かれてしまう楽曲を紹介する』
12月6日公開
歌詞やメロディに注目して様々の曲を紹介する記事は世に多いが、わざわざ「曲名」を主眼に置いて曲を紹介する記事は少ないだろうという考えの下、作成した。「多分そんなに多くのアクセス数を集められるわけではないだろう」との予想がついていたが、それでも頑張って作った。兎に角、音楽系統の記事は“試聴リンク”を埋め込む作業や歌詞の引用作業が大変で、作成に膨大な時間と体力を費やしてしまう。

『“何も取り柄がない”ことを嘆く必要はない』
12月16日公開
「何も取り柄がないこと」に対する話題を載せたサイトは多いが、その中でも「“自己肯定感の有無”がその人の“取り柄の有無”を決定する」という論旨を大々的に載せたものが見当たらなかったので、思い切ってその旨を書き上げてみた。
「自己肯定感を持つ」ということは、実は「生きる上で最も重要である」と言ってしまってもいいくらいなんじゃないかと思っている今日この頃である。

『境界性パーソナリティっぽい人と対峙した9ヶ月』
12月24日公開
私が仕事において最もしんどいと感じた事柄について書き記した。人格障害を持つ人の多く(?)が抱えているであろう「愛情飢餓」の問題は非常に根深いものだと思う。自身の内面を支配する「愛情飢餓感」によって、人生を崩壊まで至らしめてしまう人は沢山いるはずである。まずは問題を抱える本人自身が、自身の内面に「愛情飢餓感」が生じているのを認め、尚且つそれが「生きづらさ」の原因となっていることに気が付けると良い。だが、それが難しく、「他者との関わりによって人格を健全なものに矯正していかなければならない」となると、この記事のように(いやそれ以上に)ドラマティックなことをやっていく必要がある、というのは精神科医である岡田尊司氏の言である・・・・・たしか…。


「境界性パーソナリティ障害」をはじめとする様々な人格障害を持つ人が、「どのようにして自分と向き合い人生を送ってきたか」を“個人の物語”に焦点を当てて書いています。


自身のパーソナリティに「革命」を起こしたい方は是非




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