出口の見えるトンネル

25歳の青木聡輔は、少々やっかいな神経症を抱えていた。それは、生きることさえ投げ出してしまいたくなるような、底知れぬ虚無感に襲われるという症状であった。確かに、その症状に冒されし彼の日々の“生”に対する執着心は、どこか軽薄なところがあった。朝、起床する。ここまでが、彼の束の間の人生における唯一の幸福の時間であった。厳密に言うと、就寝した瞬間から起床を迎えるまでの時間、すなわち、夢の中の、非現実的な世界を見ている間だけ、彼はある程度、幸福であった。夢は、その内容が非現実的なものであればあるほど、好ましかった。ただ、彼の潜在意識に眠る願望の実現が夢となって現れた場合に限り、その内容は現実味を帯びている方が好ましく感じられた。いずれにせよ、非現実世界から目覚めた瞬間より、彼は、空虚な現実世界へと容赦なく突き落とされるわけである。それはいつも変わらない。現実は、彼が夢なる非現実世界に留まり続けることを、許さない。決して、許さない。一度たりとも。どんなにそれを彼が望んでも。絶対に、許してくれない。彼は目覚めた瞬間より、馴染みの出てしまった実に不愉快な虚無感が、彼の周りを纏うのを感じる。それは意識の覚醒に伴い、次第にその感触、輪郭をはっきりさせ、彼にその存在をより一層自覚させる。嗚呼、今日は、何もしたくない。何もかも、嫌だ。全てが、面倒である。そんな彼にとって、現実世界が、あまりに多くの“すべき事”で溢れかえっているように感じられるのも、無理はなかった。彼にとっては、日常生活における自己管理でさえ、手に付けるまでには相当の時間、精神的負荷を要する大業であった。彼はそれら自身の不甲斐なさをいちいち「怠惰」という言葉に自ら変換しては、自己嫌悪に陥っていた。しかしこの自己嫌悪の感情も、今の彼を奮い立たせるにはあまりに非力であった。何にも、興味が湧かない。何も、面白いと思えない。空腹も覚えない。ただ、じっと寝転がって、時間の経過するのを待っている。命の残りの鼓動の少なくなるのを、待っている。そんな、暴力的な虚無感に苛まれる彼の頭を通過する涼やかな風が、時折ある。現実世界には、人生には、楽しいことが沢山あります。風は、それを教えてくれる。その風は、彼の頭の隅に眠る、過去の煌びやかな記憶を材料に、「楽しい」という形容詞を彼に思い出させる。彼はその風が吹く度にハッとなり、生きる原動力をどうにかして見出そうと努めようとする。しかしながら、彼の周りを執拗に纏わりつく虚無感に、僅かに灯った意欲の炎は湿らされ、殆ど時間の経たぬうちに、いったい、元通り。今の彼にとっては束の間の享楽でさえ、その場凌ぎの口実になってくれなかった。けれども彼は、知っていた。この虚無感のその根源には、「自身の生きることの原動力は、果たして何処にあるか?」という不幸な問いがあることを、知っていた。この問いに対する解さえ手にすれば、自身は、また立ち上がれることを固く信じているのであった。この暗いトンネルには、出口がある。それだけが彼の心の支えであった。

青木は自身の若かりし頃について、思いを馳せる。少なくとも20代に入るまでは、このような虚無感に襲われることもなかった。どちらかと言うと、自身の人生は輝きを帯びていたように思える。あの頃の自分には、夢があった。「周囲にいる人々の、自身に向けられた期待の声に応える」という、明確な夢があった。彼の歴史は、彼の両親の、教師の、友人の、彼に向けられし期待に応えるための物語であった。それら彼に向けられた期待がある限り、彼は人生の目標を見失わないでいられた。しかしその物語は、彼のある一つの失敗を以て、突如終焉を迎えたのである。彼に向けられた期待のハードルが、彼の人間として持ち得る能力を大幅に超過したとき、彼はそれに応えることが出来なかった。その一事をきっかけに、人々は薄情なもので、周囲の彼に向けられる眼差しはすっかり変わってしまった。いや少なくとも、彼自身が、「変わってしまった」と思い込んでしまった。以て、彼に人生の道を、方向性を示してくれる者はいなくなった。周囲の人々にとっては、彼の代わりなど、幾らでもあったのである。彼はそれ以来、人生の明確な指針を失い、迷子になっているようであった。彼にとって周囲の人間の期待に応え続けるという人生設計は、誤った大志であったが、人生を意欲的に生き抜く上で、必要不可決の情熱の源であったのである。以降の彼にとって、人生における指針は、とても漠然としたものとなった。彼には自分というものがなかった。周囲の人間の期待に応え続ける人生を送り続けたせいで、自分の考え、望みというものが、分からなくなっていた。自分の存在しない可塑性ある自身が己のアイデンティティーとさえ思えるほど、彼は自分というものを持っていなかった。それまでの道しるべを失ったことで急遽立てられることとなった彼の目標は、漠然と、社会の歯車として生きること、それも、人より丈夫で長持ちの、優秀な歯車として生きてゆくことに一応は定まったのだが、このような実体の不明な社会通念だけを目標として頑張っていけるほど、彼は己の体勢を立て直すことが出来ていなかった。結果、たちまち彼は堕落した。これまで緊張の糸を張り巡らせ、精一杯、周囲の期待を支えに真人間への道にしがみついて来たが、期待の支えを失い、張り巡らされていた緊張の糸が弛緩した自己無力感に変わったことで、真人間の道にしがみつく気力を失ってからは、もう駄目であった。みるみるうちに真人間の道が視界から霞んでいき、これまで必死に積み上げてきた期間の僅か十分の一にも満たぬ短期間でその姿を認めることが出来なくなると、自らの体重を支えていた地面までもがその姿を失い、彼の身体が重力に従い「ストン」と下に落っこちると、その下の世界の地面に、尻餅をついた。どうにも、この地面は、居心地が悪いように思われた。彼は不快感に耐えかね、必死にその場から這い上がろうとするが、体勢を立て直せないまま、あれよあれよと、これまでよりも困難な世界に放り出された彼に這い上がるだけの力は残されておらず、結局、しばらくすると諦めを以て、その場所の住人となることに甘んじざるを得なくなってしまった。しばらくすると、彼の体重を支えていた地面がまた姿を失い、彼は再度重力に従いストンと落ちて、更に居心地の悪い世界に尻餅をつく。ここは、どうにも、さっきの世界よりも不愉快なところである。どうにか逃れようとあがいてみるも、やはり、どうにもならなかった。あまりに、気力が足りなかったのである。彼は先程と同様、己の無抵抗を、力の不足を肯定するため、この世界に順応することを甘んじざるを得なかった。「今が底だ。今いるこの場が、底なのだ。きっと這い上がる気力の湧き出た日には、この底から逃れ出てみせるのだ。」彼は必死に自身にそう繰り返し、気力の湧き出るのを、じっと待つ。けれども一向に気力は湧き出ず、代わりに「底だ」と思われていた地面が無残にも失われ、また、更なる下の不愉快な世界に放り出された。それからというものの、今が底だ、今が底だ、と、何度繰り返しても、「底」だと思われた地面の下には更なる「底」の世界が存在し、彼が何もしない限りは、ストン、ストンと、何度も、容赦なく、より不愉快な世界に叩き落とされ続けた。それは決して連続的な転落ではなく、離散的な転落であった。徐々に状況が悪くなっていくのではない。ある一時期を境に、突然、ストンと、悪い世界に落っこちるのである。無抵抗による転落は、己の力不足の肯定による状況の悪化は、沼に嵌まっていくようなものではない。それまで何の変化も見せなかった景色が、空気が、突如、ある一瞬をして、サッと、失われるのである。ある一瞬をして、これまでとはすっかり異なる、劣悪な環境が姿を見せるのである。どん底の世界を、甘く見てはいけない。自らが何も変わらない限り、地面は失われ続け、より、状況の悪化した下の世界に落とされ続けるのだ。彼はその事実をようやく認め、何とか現状を維持しようと、ようやく観念した。これ以上、落とされてたまるか。這い上がることはできなくても、この場に留まる力だけは、どうにかして振り絞ってみせる。その試みは、どうやら成功したようであった。彼はそれ以上の悪い世界に落とされることはなくなった。しかしその代わりとして、彼の身に纏わりつく虚無感との正面衝突を余儀なくされた。無抵抗への誘惑を振り払う努力。自暴自棄に起因する自己破壊衝動、墜落への衝動を封じ込める努力。彼にとって、「現状の維持」のためだけに費やされるエネルギーが滅茶苦茶に大き過ぎて、日常生活を営むことでさえ、難敵との闘いを伴う、大骨折りであった。そんな、彼の人生におけるこの息絶え絶えの大事業を、彼の内面を知る由のない人々は嘲笑した。君はたかだか日常生活さえ、満足に送れないのか。たかだか社会の一歯車としてさえ、まともに機能しないのか。青木は人々の非情を嘆いた。自身がこの地位を維持するだけで、どれ程の努力を、労力を投じているのか、他人には分かるまい。ああ、自らの精神の荒廃が、傷みが、苦心の具合が、目に見える形で、数値化されれば良いのに。どうして精神の荒廃は、体外的、客観的に見て取ることが出来ないものなのだろうか。それさえ出来れば、己を嘲笑う根性論者、唯物論者を黙らせることが出来るのに。これは、この世界における大きな欠陥的事情である。目に見えぬだけで、内側では、これだけ闘っているというのに。これだけ苦しんでいるというのに。何一つとして、評価されない。ただ、多数決の原理に基づく価値観によって自身を査定、批評され、以てただ「愚か者」のレッテルを貼られるばかりでは、頑張ることが、馬鹿らしいことこの上ないではないか。しかし、その馬鹿らしさを理由に自ら捨鉢になることを許容してしまえば、きっと、もっと悪い状況に置かれる未来の訪れることは目に見えている。腐ってはいけない。たとえ人様から馬鹿にされようと、嘲罵されようと、それを自身の堕落の口実にしてはいけない。己の堕落の責任を、他者は負ってくれない。ああ人生とは、何という難業であろうか。よくも人様は平気な顔して、この難業に立ち向かっていけるものだ。彼はそのようなことを、日頃から、考えるようになっていた。

しかしそんな青木でも、心の芯まで腐り切ってしまうことは決してなかった。彼には一つの希望があったのだ。彼を取り巻くこの虚無感の正体である、「生きることの原動力不足」を解決すれば、己の道が明るく開けてくることは固く信じられていたのである。生きるための動力源を生み出す、人生における明確な目標。彼は懸命に、その目標の到来を待った。起死回生、捲土重来のきっかけとなる、ある一時を待っている間、青木は虚無感優勢のワンサイドゲームに、何年間も、耐えに耐えてみせた。

そして、「その時」は突然やって来た。ある暖かな、よく晴れた春の日のことであった。このとき青木はいつものように、冴えない気分を払拭しようと音楽プレイヤーを手に取っていた。彼にとって、アドレナリンの放出を促す音楽は、この世界の憂鬱さを幾分緩和させてくれる重要なアイテムであったのだ。イヤホンを耳に掛け、プレイヤーを操作しようとしたその瞬間であった。何らかの誤作動が生じたのであろう、プレイヤーを介し、彼の耳に、彼の意図せぬ、しかし彼にとってとても心地のよい音楽が流れてきたのである。しあわせの音楽。彼の、過去の幸福の記憶に満ち満ちた、明るき日々に彩られた、思い出の音楽。あの日々を境に、意図的に耳に入れることを躊躇ってきた、光を放つメロディー。彼の耳は、七年以上も昔の、ある人生の輝きを放っていた期間の情熱を、当時のそれを色褪せることのないまま、しっかりと、記憶していた。自らの実体験に基づくこの写実的な記憶の想起は、彼に大事な何かをも思い起こさせた。この瞬間、青木は、自身の頭から大量の冷水を被せられたような感覚に陥った。目覚めの一撃。自身の全盛期を想起した興奮が、全盛期の記憶の輝きが、彼の周りを纏わりついていた虚無感の煙霧を、見事に吹き飛ばした。これまで長年彼を覆い尽くしてきた鬱陶しき煙の雲散霧消した世界は、とてもクリアで、キラキラしたものに、彼の目に映った。自分の生きていた世界は、こんなにも綺麗で、こんなにも鮮やかで、こんなにも、開けたものだったのだ。すっかり忘れていた。これまでそのことに気が付かなかった、そのことを全く忘却してしまっていたことを、彼は悔やんだ。だが、その悔しさをもエネルギーに転換する力が、勢いが、今の彼にはあった。上の世界を目指し、這い上がらんとする気力が、体の芯から湧いて出て来るようであった。生きる意味。それは、自分にとって特別な誰かのために、生きること。心の底より愛した人のために、生きること。そして、その特別な人の人生が、自らと関わりを持つことによって、より素敵なものになるよう、精一杯のことして、人間的魅力を上げること。これが、彼にとっての生きるための原動力だったのだ。そう思えた。

25歳を過ぎたこの春、彼の全盛期を支えた一つの体験記憶の写実的想起が、彼にとって重要な巻き返しの一手、反転攻勢の気勢を、与えた。彼は急に輝きを帯びるようになった眼前の世界の眩しさが、嬉しくって仕様がなかった。全身の内より込み上げてくる気力の湧出が、心地好くってたまらなかった。

 

 

さて、あれから、10年の月日が経った。形而上学なる世界の常識、または、過度なロマンチストの空想の世界においては、運命の二人は必ず何処かで、繋がることになっているようである。

それはまったく、偶然の再会であった。

35歳になった青木は、久々の実家帰省のため、幾つかの電車を乗り継ぎ、あとは西へ30分ほど揺られれば、実家最寄り駅に到着するところまで来ていた。最後の乗換駅に降り立ち、改札を抜け、乗り換え先の改札に向かおうとしたその時であった。出し抜けに声を掛けられた。
「・・・青木君?」
振り返ると、そこには彼の「生きる原動力」の源が、控えめな、遠慮がちな緊張の視線を向けていた。彼はあまりの驚きに、思わず目を大きく見開いた。確かに彼の目の前にいるのは、間違いなく、彼の思い出の中で輝きを放ち続けていた人であった。もう、二度と会えないと思っていた過去の思い出の人の麗しい姿が、そこにはあった。記憶の奥底にしまい込まれた彼女の仕草が、輪郭が、雰囲気が、青木の中で思い起こされ、二十年弱の時を経て曖昧になっていた頭の中の彼女像が、再度形を成し、色を付け、そして動的に蘇った。紛れもなく、あの人だ。青木は緊張のあまり、己の脳みそが自らの定位置を見失い、右に左に、ブルブルと振動しているような感覚を覚えた。同時に思考が空転し、まともにものを考える能力を逸した。足が震え、自重を支えるのも覚束なく、背は不格好に折れ曲がった。視界は脳の振動と共にその焦点を見失い、もう、何処に視線を投げれば良いのか、自身はここで何を見ているのかさえ、分からなくなった。青天の霹靂。大狼狽。大混乱。平静さをまったく失い、明らかに常態から逸した彼の心身は、どういうわけか、彼をある意味で素直にした。おおよそ二十年来の憧れの奇跡的再会に、彼は、ありのままの、気取りのない自身をして、運命の相手と対峙することとなったのである。

 

 

何を話したかは、よく覚えていなかった。覚えているのは、緊張と、劣等感と罪悪感で、卑屈な、自虐的な笑みばかりを返していた自身の愚かしさに横溢した言動と、はじめは晴れやかだった彼女の瑞々しい瞳が、表情が、みるみるうちに苦笑と共に強ばっていき、彼女の方から逃げるように「じゃあね」と別れを告げられたこと、そして、「この人は“自分のために”というのを動機に頑張って人生を送っていける人なんだな」と、何かの会話の最中で朧気に思わされたこと、それだけであった。彼の中の彼女は輝きを放き続けた一方で、彼女の中で輝いていた彼はこの日を以て、彼女にとって、その他有象無象よりも下等な、取るに足りない存在へと相成ってしまった。彼は自らの力で、自らの卑屈精神で、運命をさえ、変えてみせたのである。それも、思い切り悪い方へと、彼の望まぬ方向へと、天晴れなまでに変えてしまったのである。けれども彼は意外なことに、この最悪の一事を、さほど後悔してはいなかった。ただ後悔よりも、「単に自分の実力不足だったのだ」という諦めの感慨ばかりが、いつまでも彼の頭に、心に、残り続けているだけなのであった。

「しあわせの音楽」を皮切りに漲った彼の気力は、あれから数年間は、確かに彼を励まし続けた。しかし一度は追い払われた虚無感の煙も、このままでは終わらじと、必死に彼に食らいついてきた。その煙を懸命に振り払い、頑張りの結果が伴わずに折れそうになったときも、イヤホン付けて目を瞑り、彼女の存在に救われていた日々の充実をまざまざと思い出すことで、どうにか耐え抜いてきた。しかし、それを繰り返すうちに、その「しあわせの音楽」はいつしか「虚無感との戦闘の音楽」へとテーマを塗り替えられてしまい、次第に彼に気力を与えてくれなくなってしまった。それに続き、彼の中で「奇跡」を信じる気持ちも、どんどん削がれていってしまった。そして彼の頭から「しあわせの音楽」、「奇跡を信じる気持ち」が失われ、彼を奮い立たせるものが「過去の思い出」だけになったとき、彼の志気は劣勢の一途を辿ったのであった。過去の思い出と不確定な将来への期待だけを材料に長い間己を奮い立たせ、磨き続けることの出来るほど、彼は強くはなかった。志気の下がり行く道中で既に、彼は己の実力不足を思い知っていた。己に、彼女にとって相応しい人間たるだけの力がないことを、痛感していた。その「痛感」が、この「運命的な再会の場」を以て、現実的な形として改めて思い知らされることになった、そんな感じを、覚えていたのであった。従って彼には、この運命的再会に対する自身の卑屈で何も褒めるところのなかった一挙手一投足を、後悔する気持ちにはならなかった。ただ、「己の実力不足」という、冷め切った諦めの実感があるのみであった。これが、先の彼の冷静さの所以である。この事実は、彼にとっては至極当然の報い、実力不足の代償として受け取られたのであった。

「しあわせの音楽」の消失、全身を覆う虚無感のワンサイドゲーム、そしてそれを助長するような「運命的再会」という残酷な一事。これらを抱え、35歳になった青木は25歳当時とは異なり、出口の見えないトンネルの中を何の手がかりも、支えもなく、ひとり手探りで進むことを余儀なくされた。生きるということに対し不真面目になるあまり、死への憧れさえ感じるほどであった。そんな彼にとって、ただ時間だけが優しかった。時はゆっくりと、しかし確実に彼を死へと導いてくれた。彼はそれを心より、感謝するほどであった。

けれども死への憧れは、彼を“生”に対して不真面目にする反面で、彼をこれまでにないほど、大胆にさせた。そしてこの「大胆さ」が、結果として“生”への誠実さを生むこととなった。この時の彼は、一般的な、幼少期より洗脳されるステレオタイプの人生観を捨て去るに至っていた。社会的立場も要らぬ、結婚も要らぬ、お金も要らぬ。諦観に彩られし無欲の境地。彼には失うものが、殆どなかった。ここでふと、彼は思った。それでは、何故、今、週に五日も、嫌々会社に足を運んでいるのだろうか。何故、重い腰上げて、無趣味な自分以外の誰が遣うわけでもない必要以上のお金を、精神削って稼いでいるのだろうか。その疑問の表出によって、今まで盲目的に取り組んできた仕事中心の生活の無意味さ、そしてそのことに今まで気が付かなかった己の愚鈍さに呆れ、思わず乾いた笑いが出てきた。そうか、こんなに働く必要は、今の自分にはないのだな。こんなに嫌な思いしてまで、週五日も働く必要はないのだな。そう認めると、彼は今の会社を辞め、別の場所で、週に三日ないし四日程度働いて、自分だけが食べていけるような少しのお金を細々と稼ぐような、今よりもずっと穏やかに暮らしてゆく人生プランを立てようと思い立つに至ったのである。その時急に、彼の周りを纏っていた虚無感の煙霧が、スッと薄らいだのを、彼は感じた。彼の視界が、10年前のあの時のように、クリアになっていった。というのもこの決意は、皮肉にも、彼の自らの意思、責任で下した、35年来初めての自己決定だったからである。この時彼は初めて、自らを長年覆っていた虚無感の正体を掴んだ気がした。これまで自らを苦しめてきた虚無感のその正体とは、幼少期より彼が囚われ続けてきた、彼に向けられた周囲の人々の期待や、社会通念が彼に求めてきた理想像の幻影であったのである。その幻影をまったく意に介さず、完全に切り離された場で下したこの自己決定は、35歳の彼に初めて、「自分の人生は自分の意思で生きてよい」という当然の概念を与えたのであった。この時彼は、人生初の自己決定がこのような怠惰なものであることに苦笑しながらも、それでも確かに、自らの内から、生きる原動力が発見され、それから生きる気力の回復していくのを感じたのであった。明確な根拠は無いのだが、今度こそは、何だか頑張れる気がした。

そして自身の長年迷い込んだ真っ暗なトンネルの、その遥か向こうに、出口と思わしきキラリと光る白色の輝きを、彼は、確かに、見たのであった。

 




5件のコメント

  1. 以前のブログからの読者です。
    自分と物の感じ方や人生への虚無感など、共感することが多くあったのでコメントさせて頂きました。
    投稿楽しみにしております。

    1. ブログを読んでくださり、そしてコメントをくださり有難うございます。読者の方の温かい言葉が更新の原動力です。本当に有難うございます。

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