名も無き人達の話





4/11作成

むかしむかし、あるところに、一人の男が住んでいた。

男は失敗続きの人生を歩んできた。

高校受験に失敗し、大学受験にも失敗し、再起を賭けた浪人にも失敗し、大学の成績もパッとせず、就職活動でもしくじった。

どうにか就職口は見つけたものの、仕事に生き甲斐を見出すことはなく、自宅と職場の往来を繰り返していた。

男の心には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。

それは「人と内面より通じ合う経験」の欠如による空洞だった。

男がそれに気が付いたのは、30歳を目前にした春のことだった。男は勇気を振り絞り、自ら様々な交流の場に赴いて、他者との内面による交流を図った。

しかし、どのコミュニティにも、男を受け入れてくれる他者の存在はなかった。

コミュニティに所属する者の多くはそのコミュニティを通じて、各々の人生における「不足の補填」を目指しているわけではなかった。ある程度充実した人生を、より充実させるため精力的に活動しているだけだった。彼らが陰気な男と波長の合うはずがなかった。

一方で少数派ではあるものの、人生の「不足の補填」を試みている者も確かにあった。
しかし彼らは、その目的の実現のため、よりバイタリティ溢れる他者を欲していた。各々の満たされないものを、満たされている者から充足して貰おうと期待していた。彼らが男のような陰気臭さを求めるはずがなかった。

男は絶望した。自分は人から受け入れられるような存在ではないという事実を知って、絶望した。そうして心を固く閉ざし、塞ぎ込んだ。以降、誰にも心を開くことはなかった。

男は不定期に襲ってくる虚無感の波をだましだまし自らの空想で打ち消し、命だけは守ってきた。

男は時間の経過によって、無慈悲に歳を重ねた。35歳になり、40歳になり、遂に、50歳になった。

年齢は重ねたけれど、男の背負うものは何も変わっていない。男にはただ一つ、

「人と内面より通じ合う経験」

が必要だった。しかし、残念ながら最もそれを必要とする者にとって、それを得ることは非常に難しいようであった。どうやら各々の抱えている様々な「心的事情」が、

「健全なる対人関係」

「健全なる自己改善」

の意思というものを、削いでいってしまうらしい。

人々は言った。男は、出来損ないだ、と。

それを聞いた男は心の中でこう反論する。

私には、皆様の目に映っている敵の他にも、戦わねばならぬ難敵がありました。それは「自己否定感」というものです。これがある限り、何をやっても、人生はダメになってしまうもののようです。

私は、人生における課題にぶち当たると、必ず、二つの敵を相手しなければなりませんでした。眼前の問題そのものと、先に述べた自己否定感の二つであります。皆様には、問題が起こる度に対処すべき相手は一つしかないように見えるのでしょうが、それは違います。私の場合は、必ず、二つがセットです。

私は二つの問題を同時に処理できるほど器用ではありませんでした。そういう意味で、私は皆様のおっしゃる通りの、「出来損ない」なのだと思います。

 

4/11作成

むかしむかし、あるところに、一見すると理想的なカップルがあった。

男性の方は容姿を含めた全体の雰囲気爽やかにして、所作も紳士のそれを心得ていた。学問も良くでき、良い会社に勤めていた。社会人ながら、「好青年」という言葉がよく当て嵌まる。

女性の方は一目見るだけで、品の良さを備えているのが分かる。控えめな性格ながら才色兼備にして、好青年と同じ会社に勤めていた。四肢が長く、八面玲瓏の雰囲気がある。

二人は学生の頃からの付き合いであった。誰の目から見ても、「お似合いの二人」ということで通っていた。それは社会人になってからも変わらない。

しかしこの頃、彼女の表情が曇りがちになった。好青年は心配した。

「最近、何かあったの?」

初めははぐらかしていた彼女だったが、抱えている重荷の負担に耐え切れぬ故、いよいよ打ち明けた。

「実はお母さんと喧嘩して」

彼女が母親と喧嘩するというのは、大変珍しいことだった。

彼女の母親は支配的な人だった。母親は彼女を自分の思うままにしようとし、彼女に母親の価値観を徹底して押しつけた。結果、彼女は母親の思い通りの、淑やかで上品な女性に育った。

しかし彼女は、母親の「お仕着せ」の自分を生きることに虚しさを覚えるようになった。そこで、母親との衝突が勃発した。彼女が母親に正面切って逆らったのはこれが初めてのことだった。

好青年は神妙にその話を聴いた。そして、彼女に提案する。

「本当の自分を取り戻そう。僕も手伝うよ」

好青年の支えもあって、彼女は徐々に「お仕着せの自分」を卒業していった。

ネイルをする、といった小さなことから始めた。

髪を少しだけ明るくして、ピアスも開けた。

SNSもはじめ、「インスタ映え」を意識した写真を頻繁に撮るようになった。

美術館や博物館デートをやめて、屋外デートが主になった。海外旅行が専ら増えた。

ボルダリング、ゴルフも始めた。海水浴も積極的にするようになった。服装の好みも、以前とはすっかり変わった。エレガントよりもトレンドを追い掛けるようになった。幾分挑発的な服装を好むようにもなった。

彼女は変わった。お仕着せの自分を次々と脱ぎ去っていった。彼女のアイデンティティは、母親の価値観とはほぼ真逆のものだった。アクティヴで、パッショネートで、ドレンディーな女性になった。

淑やかさは無くなり、華やかさを帯びた。悪い意味でなく、「今ドキ女子」になった。それが、お仕着せの彼女を卒業した、真の彼女というものだった。

好青年は、そんな彼女の変化を受け入れた。彼女もそんな好青年に感謝をしていた。

けれども、彼女の表情には一点の曇りがあった。好青年はその原因を薄々勘付いていた。彼女の方も、その原因を自分の中で分かっていた。何故ならこの好青年、彼女の母親が絶賛した男だったのだから。
ただその感情だけは、さすがの彼女も表に出すことが憚られた。だからこそ、黙っていた。お互いが、お互いの抱える不安、気まずさに気が付かない振りをしていた。

その関係に終止符を打ったのは、好青年の方だった。

「君が自分を取り戻せたようで良かった。ただ、君にはもう一つ、お別れしなければならないものがあるよね」

こうして、彼女の表面上の抵抗を押し切り、二人は別れた。

好青年は気付いていた。彼女が、同じ社内の営業部の男を好きであることに。

その営業部の男、好青年とは対極を為す人物であった。趣味のサーフィンで肌を真っ黒く焼き、筋肉質な体を持ち軽妙なコミュニケーションに優れ、かなりの好色で、幾人もの女性を泣かせてきた、そんな男。彼女はこの男と話しをする際、好青年に見せたことのない目の輝きを必ず帯びていたのである。それはお仕着せの彼女を生きているときからそうだった。

好青年は胸の潰れる思いで、彼女を彼の元へと送り出した。彼女は初心うぶだ。きっとあの男に泣かされることになるだろう。しかし、彼女が自分の人生を生きられるなら、それでいい。彼女の人生は今スタートしたも同然だ。沢山失敗をして、そうして人間的に成長して、真の幸福を得られれば、それでいいのだ。

 

4/22作成

むかしむかし、あるところに、一人の冴えない男があった。

シンとした、小さな箱の中の、一人の男。箱の外では、多くの人々が行き交っている。そこはとても賑わっているようだ。

男は外の喧噪に憧れつつも、そこから長らく距離を置いてきた。

土に埋めた、将来への期待。芽が出るのかは、分からない。
誰にも認識されぬ日々。それを美しいものと見立てる心は、ハッピーエンド控えてこその光だ。

居ても立ってもいられず、行き交う人々の中に身を投じた。

瞬時に、群れからあぶれる彼。人々の常識や当たり前は、彼の実存とは混ざらない。

彼は石鹸を片手に握りしめ、人々の一員たるを試みる。

しかし人々は、彼に目をくれない。

彼は両手に石鹸持って、再び人々と交わろうとする。

人々は彼を振り向かない。

彼は気遣いを見せた。

人々の反応は何も変わらない。

彼は自分を押し殺す。

人々は彼の気遣いを黙殺する。気遣いを気遣いとも思わない。石を見るのと同じだ。

いくら相手の立場に立ってみたって、
誰も足を止めない。思い遣りの言葉も、優しい行為も、全てが独りよがりに改められてゆく。

彼でない男が、彼と同じ気遣いを人々に施した。人々はそれを賞賛し、ますます男は周囲に馴染んだ。この差は箔にあり。箔がなければ、何を言っても伝わらない。何をやっても、届いてくれない。

太陽は、太陽だから賞賛される。太陽だから、月が輝く。

箔がなければ、何をしたって憐れなピエロ。

箔がなければ、どんな言葉も戯れ言で、どんな思いも下心。

幸せの享受には、何かの資格が必要なのではないかと訝りたくなる。

彼には安定した足場がない。安心できる居場所がない。疲れた羽を休ませられるような、心の拠り所がない。いつも不安定な足場で、世界の常識と対峙している。

「寂しい」は禁句だ。心の痛みと向き合うことは、禁忌だ。犯した瞬間、全てが台無し。見て見ぬ振りをして、上から押し込み、それら感傷に蓋をする。

一番望む者に、それが届かぬ現実。それを皮肉にするか、再生の一歩に変えるのか。個人の自由に委ねるには、あまりに重たい。

不安定な足場から、群衆に向けて身を投げた彼。命を賭した、最大の抗議。アスファルトを叩く衝撃音。横たわる物体。非日常の風景。人々が受け取ったのは、これら物理現象の知覚だけ。彼の抗議を真正面から受け取る者はいなかった。

そして、彼の実存に向けられたのは軽蔑の眼差し。彼の意思に反し、人々は、彼から何も受け取らない。穏やかな日常は、既に戻り始めている。




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