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【体験談】非モテ男(27)がPairsで恋愛恐怖を克服する話(1/4)
▼目次
1. Pairs参戦
2. 前途多難な船出
2.1 心理的課題
2.2 写真がない
2.3 圧倒的な女性経験の不足
3. はじめての「いいね!」
4. 地獄の業火
Pairs参戦
「ただ一人、自分のすべてを理解し、受け入れてくれる人が欲しい」
そんな甘い、けれども切実な願いを胸に、私はPairsの登録画面へ入っていった。
今となっては恥ずかしい話であるが、このときの私は、自身の恋活・婚活市場における価値を、高く見積もりすぎていた。
いや正確な言い方をするのなら、それまでの私は「恋愛」というものから意識的・ないし無意識的に距離を置くことによって、
「自分という存在は、恋活市場で価値があるに違いない」
という幻想を守ってきたのであった。
そしてこうした幻想を自身の内部に持ち続けることにより、傷付いた心が更に傷付き、修復不可能なものになってしまうことから自身を守っていたのである。
自身の市場価値を見誤っていた私は、きっとPairs内には、
「私のことを求めてくれる人もあるだろう」
という期待が、その登録時、確かに含まれていた。
しかしその期待は登録直後より、無残にも裏切られることとなる。
自分が傷付くことを恐れて、10年を超える期間、恋愛というものから逃げ続け、
男磨き、いやそれだけでなく、人として自身を磨くことさえしなかった私の市場価値など、あるはずもなかった。そんなことすら当時の私には、見えていなかったのである。
前途多難な船出
ⅰ)心理的課題
私は幼少期より、自分に自信を持つことができず、自己否定感の強い人間であった。
「自分は不要な人間だ」
「自分は他人に迷惑を掛けるだけの存在だ」
――そんな信念が、意識の底の底に根付いていた。だから私は小さい頃より、常に他者の顔色を伺いながら、生きてきた。
他者に嫌われないこと
他者に不快な思いをさせないこと
あわよくば、誰彼構わずに好かれること
それらのことを、自分の意思より優先させ、他者に如何なる迷惑も掛けずに生きていくこと
――それが、意識の根底に「自分は無価値だ」という思考の張り付いた私の、生存戦略であった。
自分で自分の存在に価値を見出せない私は、他者から嫌われないという実績によって、自己の存在価値を保とうとしていたのである。
私は、
「他者に気を使いすぎてしまい、疲弊しきっている人」
というのは、全員が全員そうであるとは言わないが、恐らく、「ありのままの自分」を愛された経験に乏しいのではないかと、思っている。
生まれてより、「ありのままの自分」を愛されてこないと、子供心に、自分の存在価値というものに「疑問符」が生まれやすい。
根底に「自分は愛され得る存在だ」という意識があるのと、「自分は愛され得ぬ存在だ」という意識があるのとでは、その後の人生の充実度が変わってくるのは、当然のことであろう。
前者は、自分を信じ、他者をも信じる土台が育っている。よって他者との間に健全な関係性を築くことができる。
一方、後者は自分を信じられぬ故、他者を信じるための土台が育っていない。常に人間不信気味に生きているので、他者と適切な距離感を保ち、健全な情緒的関係を築くことが難しくなる。
仮にできたとしても、他者に対する不信感を拭い切れていないため、過度の疲労を伴ってしまう。
こうした傾向は、取り分け「恋愛」において、顕著に表れやすいと言われている。何故なら「自分に自信を持てない人」というのは、心のどこかに、大きな、非常に大きな、愛情飢餓感を抱えているためである。
愛情飢餓感を抱える人の内面には、
「自分のことを認めて欲しい」
「自分のことを分かって欲しい」
「自分のことだけを見ていて欲しい」
「自分のことを見捨てないで欲しい」
といった、底なしの愛情希求がある。
そうした愛情希求が恋人に向かい、その手法・距離感が適切でなくなったとき、巷に転がる「重たい行動」、「不自然な言動」へと発展していく。
過度の束縛、依存、試し行為といったものが、その代表格だろう。
私がAさんと関わった際は、「過度の消極性」として、それが表れていた。
根底に人間に対する不信感を抱える私は、Aさんと私の間に心的な壁を築き、その壁をAさんが越えてくれるかどうかというところで、私に対する愛情の度合いを、確かめようとしていたのである。
結果、私は愛想を尽かされてしまったわけだが、仮にそうでなかったとしても、Aさんと私が上手く行くことは、なかったであろう。
何故なら、愛情希求というのは先程も申し上げた通り、「底なし」のものだからである。
恋人から愛情表現を何度されてもそれを信じることができないのは、その人の意識に「人間に対する不信感」が根付いているためである。まずはこの「不信感」を払拭していかないことには、どんなに相手が歩み寄ってくれようが、どんなに相手が愛情表現をしてくれようが、その喜びを心の底から感じることは、難しい。
Pairsを始めた当初の私は、こういいたことの知識が頭にあるだけで、その内容を心からキチンと納得し切れていたわけでは決してなかった。頭だけで理解していることと、心の底から納得していることは、似ているようで、その理解度の点では全く異なっている。
そのため、私がPairsに登録するモチベーションはただ一つ、
「自分のことを必要としてくれる人を見つけたい」
とする、自分本位なものになっていた。こうした甘い思考を持つ男を「いいね!」と思う女性など、いるはずもなかった。
前途多難な船出
ⅱ)写真がない
マッチングアプリというものは、
男性、ないし女性が、気になる異性に「いいね!」を送り、
それを受け取った相手が、その人と「恋愛関係になり得る」と判断したら、「いいね!ありがとう」を送り返す。
それにより「マッチング」が成立し、両者の間でメッセージのやり取りができるようになる
という仕組みで成り立っている。言い方を変えれば、こちらがいくら「いいね!」を送っても、相手が「この人はないな」と感じ「いいね!ありがとう」を返してくれなければ、メッセージのやり取りを行うことはできない。(※例外はある)
従って、マッチングアプリにおける成否を分かつのは、
「いかに相手の興味を引くプロフィールを作れるか」
に、懸かっている。
そのプロフィールの生命線とも言えるのが、「プロフィール写真」である。プロフィール写真が良くなければ、どんなに自己紹介文で良いことを書いていようが、年収が高かろうが、異性から相手にされることは、まずない。(特に男性)
さて私の話に戻るが、私は、実は写真が大の苦手である。理由は至極単純で、写りが、甚だしく悪いためである。鏡で見る自分の姿と写真で見るそれには、大きな乖離がある。
カメラのレンズ越しに見る自身の姿は、どこか自信なさげで、挙動不審で、怯えていて、故に表情が大変、強張っている。そんな写真ばかり。
カメラマンである友人に、
「カメラのレンズは人の内面を映し出すか」
と尋ねたところ、
「その通りだよ。だから撮影の際は、自信を持って写らないとね」
と返ってきた。私の写りの悪さに関しては、然もありなんというところであった。
そのため私は、昔から写真が大嫌いであった。学生時代から、カメラを向けられては、さりげなくその場を立ち去るという人生を送ってきた。
そんな私が、自身のスマートフォンの中に、自分の写真を入れると思うだろうか。入れるわけがないのである。
私が持っている写真は、同僚との集まりの場で、私の意思に関係なく勝手に撮影され、それをグループLINEに無断に流されたもの数枚があるのみだった。
かと言って、写真嫌いの私に「自撮り」という選択肢は、毛頭なかった。
ここで、マッチングアプリの実体について少し語っておきたいのだが、
スマホ一台で多様の情報が入手できるようになった昨今、
マッチングアプリの攻略法についても、情報がコモディティ化している。
そのため、少なからぬ男性がそれらの情報をもとに、女性受け抜群のプロフィールを練ることに成功している。それは間違いない事実である。中には最高の一枚を掲載しようと、プロフ写真をプロカメラマンにお願いする人もいる。というか、そういった人も決して少なくない。
ただでさえ私より魅力的な男性陣が、より魅力あるプロフィールを作り上げようと、上界で鎬を削っている。取り分け会員数No.1を誇るPairsでは、その傾向がより顕著に表れているはずだ。
そうした現実があるにも関わらず、私が当時、手持ちにあった冴えない写真数枚のみで彼らと戦えるはずもなかった。恐らく、槍と戦車くらいの戦力差があったに違いない。
しかし、無い袖は振れなかった。私は納得いく写真のないことを密かに嘆きながらも、手持ちの数枚を、プロフィール写真に登録するしかなかった。
「そんな写真で大丈夫か? イーノック」
「大丈夫だ、問題ない」(大問題だ)
――そんな頼りない応酬が、聞こえてくるようであった。
前途多難な船出
ⅲ)圧倒的な女性経験の不足
言わずもがな、長年恋愛から遠ざかっていた私は、女性慣れしていない。
人は生まれてより、養育者をはじめとする様々な他者と関わりを持つことによって、「人付き合いの法」を学んでいく。
私達が他者と良好な関わりを持つことができるのは、幼少期より人付き合いの訓練を積んできたからに他ならない。その訓練が上手く積めないと、共感性が著しく欠如したり、人の気持ちを全く理解できず、自分本位な関わりしか持てなくなったりしてしまう。それは以下の記事でも解説した。
女性との恋愛を前提とするコミュニケーションに関しても同様である。
学生時代に相応の訓練を積んできた者とそうでない者との差は、歴然である。後者の私は、女性がどういった存在で、何に喜び、何にドン引き、何に憧れを持っているのか、どんな苦悩を抱えやすく、どのような男性を求めているのか――そういった事柄について殆ど、学んでこなかった。
確かに、紙面で幾らか女性心理を勉強することはあった。しかし、学生時代からそれを実践形式で学んできた人達と比べると、悲しいくらいに無知であった。
よって、プロフィールに記載する「自己紹介文」も、どのようなものがウケが良いのか、まるで分からなかった。かと言ってPairsの用意した例文をそっくりそのまま使うのも躊躇われた。
結果、非常にまずいプロフィールが出来上がった。自分の特徴を、ただ羅列しただけの文章。おまけにところどころ、滑り倒している箇所があった。女性経験の乏しさが、こんなところでも作用していた。
私よりも遥かに魅力があり、恋愛経験の豊富な男性陣が鎬を削るマッチングアプリという世界において、
女性の喜ぶツボの一つも押せない私のような恋愛小僧が、太刀打ちできるはずもなかった。
はじめての「いいね!」
Pairsに登録する最中は、
「こんな自分を受け入れてくれる人もいるはずだ」とする期待と、
「ここでも自分の存在が否定されるのではないか」という恐怖とのせめぎ合いで、大いに苦しんだ。
最終的には「期待」の方が勝ったため登録を前に進めることができたが、仮に「恐怖」の方が勝っていたら、私は登録さえ、することができなかっただろう。それほど強い恐怖心に襲われていた。
登録を終えると、そこには、出会いを求める女性らの顔写真が所狭しと並んでいた。画面上に広がる未知の世界に、既に私は及び腰になっていた。
しかしこれから、私はこの世界で戦っていかなければならない。
恐怖に押し潰されそうになりながらも、ひとり自身を奮い立たせ、女性のプロフィールを一つひとつ、開いていった。
開いた先には、“リアル充実感”溢れる写真が、これでもかというほど、載せられていた。
海外旅行中の写真
お洒落なカフェ・レストランでの一枚
ディズニーでの一枚
プロに撮って貰ったであろう、洗練された一枚
それらの写真を目に通すにつれ、私は、目眩がした。それと同時に、心身の調子が悪くなった。
これは改めて申し上げることでもないと思われるのだが、念のため申し上げておくと、
私は、“陰キャラ”である。
「知ってるよ」という声が聞こえてきそうだが、念には念を入れた。石橋というものは「これでもか」というほど叩いてから渡るというのが、筋である。
さて、それも、“ド”が付いても良いほどの、根っからの陰キャラである。これはもう、覆しようのない事実だ。
そんな陰キャな私にとって、
いいえ、
陰キャで、かつ、これまで「充実」と形容したくなるような人生経験をあまり経ずに生きてきた私にとって、
Pairsの女性プロフィールに並べられた煌びやかな写真の数々は、
見ているだけで、
これまで重ねてきた、私と、それ以外の人間との、
人生の埋めがたき間隙を、思い知らせてくるようであった。明らかに私の存在は、Pairs界において、浮いていた。
このように、開始早々にして何度も倒れそうになった私であったが、それでもどうにか、その場に踏みとどまり続けた。それも、自身の長年の願いであった、
「自分のことを認めてくれる人が欲しい」
という、甘い欲求と期待があったからに他ならなかった。
そして遂に、一人の女性に「いいね!」を送ることに決めた。この工程はPairsを始めて以来、最大の勇気を必要とした。この期に及んでも未だ私は、「相手から“ナシ”と判断されること」を頗る、恐れていたのである。
震える手で「いいね!」ボタンをタップすると、数時間後、その人が私のプロフィールを訪れた。Pairsにある「足跡機能」によって、その動向が追えた。
しかし彼女は、私に「いいね!ありがとう」を返すことなく、
回れ右して、多くのより魅力ある男性陣の集う雑踏へと、姿を消していった。
このとき私の心は、渇きを失った地面のようにバキバキと音を立て、裂けていった。
地獄の業火
その後私は、崩れそうになる心を立て直しながら、46人の女性に、立て続けに「いいね!」を送信した。さすがに46人に送れば、一人くらいは返ってくるだろう――そんな甘い計算が、頭にはあった。
しかし、ただの一件も「いいね!ありがとう」が返ってくることはなかった。
それを受けた私は、さすがに、絶望した。
自身が長年 守り続けてきた
「自身の恋活市場における価値は低くないはずだ」
という幻想が、無残にも叩き壊されていくようだった。
Pairs公式によると、男性の平均マッチング率は、10~13%とある。すなわち47人の相手に「いいね!」を送ったのであれば、4~6件のマッチングは成立していないといけない計算になる。
もっと言うと、その後、私は誤操作により10人を超える(恐らく13人)女性に、ランダムに「いいね!」を送ってしまったのだが、そこで返ってきたのは一件のみで、それも、
「ここでは話友達のみ募集しています!笑」
と高らかに主張している女性、ただ一人のみだった。
私のプライドは、更にズタズタにされた。
60人という女性の誰一人からも、
「恋愛対象としてあり」
と認識されることが、なかったのである。
何かが、おかしい――
私は根本的に、何かを間違えている――
そう思った私は、すぐさまPairsのアプリを立ち上げ、人気男性会員のプロフィール
――すなわち、現在進行形で沢山の女性から「いいね!」ないし「いいね!ありがとう」を獲得している、女性受けの良い男性のプロフィール――
を分析した。その数、ざっと五十名超。
そこには、仕事もプライベートも程よく充実していそうな、爽やかで、
かつ、私よりも高い、または、遥かに高い年収を稼ぎ出している男性陣の写真があった。
そして自己紹介文に関しては、意外なことに、取り分け個性の感じられるものを載っけている人はそこまで多くなかった。あくまで「マッチングアプリ攻略サイト」の基礎に倣ったものが主だった。
そういうことか――
一旦は納得しかけた私であったが、しかし正直な感想を申し上げると、中にはどうしても解せない人気男性陣もあった。
写真から「充実感」が伝わるわけでなく、それでいて自己紹介文にはマイナスのことも書いてある(・顔写真ない人は信用できません・男として至らないところばかりです・特にこれと言った長所はありませんetc.)
にも関わらず、直近30日間の獲得「いいね!」数は100を超えている。これは一体、どういったことだろう?女性とは、全く解せぬ生き物だ――そんな疑問も、確かに残る分析会であった。
何となくモヤモヤしたものを残したままではあったが、50名以上もの人気男性会員を分析していった結果、取り敢えず、私に足りないのは「写真のクオリティ」と「年収」であることが分かった。
人気男性会員の載せているプロフィール写真は、大抵、爽やかかつ堂々としていて、明るい印象を与えるものだった。何となく、
「この人はエネルギッシュで、人生が充実していそうだな」
と感じるものが主だった。
還元すると、「女性からの人気がある男」というのは、
「私」という人間の持つ、あらゆる要素を180°転回したような男ばかりであった。
そして年収に関しては、私の地からですぐにどうにか出来るものではなかった。当時の私に出来ることはただ一つ――魅力あるプロフィール写真を手に入れること――一点のみであった。
人気男性会員のPairs界で輝く様を目に焼き付けた私は、すぐさま友人の女性カメラマンCに、電話を掛けた。
「もしもし」
「どうしたの」
「実は今、マッチングアプリというものをやっているんだけど」
「え!亀井が?」
「まあ、それは良いとして。やってみたはいいんだけど、この世界でも女性から全然、相手にされることがなくてさ」
「うん」
「自分なりに、どうして相手にして貰えないのか、分析したんだ。そうしたら、分かったことが一つあって。マッチングアプリにいる人気会員の男性は皆、写真が良いんだよ。プロフィール写真が、とても良いんだ。エネルギッシュで、キラキラしていて、爽やかで、堂々としていて――私にも、そんな写真が必要なんだけど、一枚も持っていなくて」
「なるほどそういうことね。じゃあ撮ろうよ。いつにしよっか?」
――本来であれば、「今すぐ」と答えたいところであった。
しかし世の中は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、日夜、大騒ぎしているところだった。緊急事態宣言が出されるのか、出されないのか――そんなギリギリの局面にありながら、感染リスクを負ってまで、写真撮影をするわけにもいかなかった。
「取り敢えず、感染拡大が収まってからにしよう」
「分かった。それじゃあ、それまでにどういう風に撮ったら良いかとか、考えておくね」
「ありがとう!よろしく頼む」
私は電話を切ると、自身のプロフィールを見つめた。
一ヶ月間に獲得したのは、「11いいね!」
その内、マッチングしたのは一人。「友達募集中!」の人のみであった。その人とは実際にメッセージのやり取りをしたのだが、四往復目に入ったところで、相手からの返信が途絶えた。
※「他に10件のいいね!を貰っているじゃないか」と思われる方もいらっしゃるだろうが、これはやってみていただけると分かると思うのだが、やはり「誰でも良い」ということには、ならないのである。一回り以上年上の方や、エキセントリックな自己紹介文、「友達を探しています」系の方とは、いくらモテていないとは言え、マッチする気にならなかった。(それは女性側にしても同じことだろうが…)
私はこうした結果を、目に焼き付けた。これが私の市場価値なのだと。これが女性の目に映る、私の評価なのだと。
私はこうして、「自分のことを認めてくれる人」を求めながら、
その願いとは正反対の、
「自分は男として魅力がない」
という従来の意識を、Pairs参戦によって、ますます強めたのであった。
私は一刻も早く、こうしたネガティブな意識を払拭したかった。
しかしそのためには、魅力あるプロフィール写真が、どうしても必要であった。
けれども当時、私達に「外出自粛」の求められていた現状、私もそれと同様、「恋愛自粛」をしていなければならなかった。
私はその間、
「自分は魅力のない男」
という意識を抱え込んだまま、Pairsのない日常に戻った。
「外出自粛」とは言われていながら、仕事だけは従来通り、変わりなくこなさねばならぬ毎日。私は憂鬱だった。
心にぽっかりと空いた愛情不足の穴。
それを埋める術もないまま、この時はただひとり、じっとしていなければならなかった。
このときの心情を一部描写した以下の記事群は、やはりいつもより暗いものとなった。
しかし、憂鬱なはずであったこの「恋愛自粛」期間、私はただひとり、鬱々として過ごしていたわけではなかった。
読者の方はもうお気づきのことだと思うが、このときの私が「健全な恋愛」をする上で足りていなかったのは、なにも「プロフィール写真」だけでなかった。
自身の市場価値の低さと向き合い、
自身の心を支配している「自己否定感」や「愛情飢餓感」、思春期に負った「恋愛恐怖」と徹底的に対峙する姿勢を示すことによって、
自身の心的課題への対処法や、恋愛に対する姿勢を、大きく変える必要があった。
恋愛自粛期間は、結果的に、私がこれまでずっと掴めずにいた恋愛に関する心的課題の克服のヒントを得る、良い契機になったのであった。
「数ヶ月」という期間を経、私は別人のように生まれ変わった姿勢で、Pairsに再チャレンジすることになる。
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次回記事
【体験談】非モテ男(27)がPairsで恋愛恐怖を克服する話(3/4)
(8/26,20:00投稿予定)
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――この連載では、「恋愛恐怖」から立ち上がろうと奮闘する筆者の体験を連ねてゆく中で、
読者の方々へ、「自分に自信のない人間」の抱える心的問題や、恋愛傾向といったものを、極力分かりやすく、お伝えできればと思っている。
また、自身の経験をもとに、「自分に自信のない人間」が、どのようにして「恋愛」というものと向き合っていけばいいのか、
どのようなマインドで、「恋愛」というものと対峙していけばいいのかといったことに関しても、言及していければと考えている。
本ブログは、筆者が「幼少期より抱えてきた自己否定感の克服」を目指す中で、克服に有効と思われる知見をシェアすることを目的としているので、
本連載を通じても、読者の方々に、何か為になる示唆を与えられればと思っている。
そして何より、私と同じように
・恋愛恐怖に陥っている方
・そしてそれら恐怖のため、自身の本当に渇望しているものを求める勇気の出ない方々
に、真に必要としているものを求めるためのエネルギーを、提供できればと思っている。
そしてこれは笑える話なのだが、
『Pairs』という場は、
(特に男にとって、)
良い恋愛修行の場になると、勝手に思っている。そういった考えについても、記事の随所で、話していければと思っている。
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