底から生まれるもの

どちらかと言うと、一見味気ない人生を、苦しみながら送ってきた方だと思っている。私は幼少期から長い間、客観的に見て、他者から羨ましがられるような人間になりたかった、または羨ましがられるような人生を送りたかったため、自分なりに努力して、それなりに頑張って自身の駒を、その明るい、理想の実現のための方角へ向けて進めてきたつもりであった。

けれども私には、他者からの羨望を向けられるような人生を手に入れるだけの十分な能が備わっていなかった、いやそればかりか、生きることにおいて、平均的な人々よりも低い知能しか持ち合わせていなかったため、進んだ先に広がるものは大抵、自身にとって実力不相の鶴の世界で、そこに投じられた一羽の能無き鶏は、為す術無く敗退を繰り返し、しかしたまに鶴の怠慢が生ずる時に限り、全力の鶏は互角の戦いを演じ、その瞬間は勝ったり負けたりして、自身も遂に鶴の仲間入りかと勘違いした後少しばかり気分を良くするものの、長い目で見れば確実に戦況は悪化するばかりで、けれども過去に積み上げてきたプライドから生じる意地のため競争を降りることはどうにも憚られ、だらだらと戦いを続け、その結果青春を失い、精神は疲弊し、生きることに絶望し、終わってみれば惨敗、人様から羨ましがられる人生どころか、人様に「この人間のようにはなるまい」との教訓を与う反面教師に成り下がるという、凄惨たる有様となった。しかしその、長い戦いを経て結果惨敗するまでの過程において獲得することとなった自身の経験に基づく哲学は、今後の自身の人生を価値あるものたらしむべき一縷の望みとして、自分の中に存在することとなったのである。この哲学こそ、今の私の生きる希望となっていることは確かである。
 
 
さて、私が上述したような人生を送ることになったのは、過去の自身が「努力はきっと報われる」といった甘ったれた思想を心底から崇拝していたことと、自身の持っていた下らぬ見栄やプライドをずっと捨てきれなかったこと、そして幾らかの、抗いがたき不運の積み重なったことに起因している。以下、自身の人生を語る上で、過度の「努力信仰」の危険さをつらつらと述べてゆき、また、それに伴い、読者へ幾つかのメッセージを残せればと思っている。そして自身が競争に敗れに敗れ、遂には生きることにすら絶望し、それでも何とか立ち上がり、どうにかして生きようとしてきた過程で得ることとなった「哲学」の一部も随所で書いていくことで、そのメッセージをより深いものに出来たらなと考えている。その過程で、出来れば自分自身を美しく飾ることなく、自身の悪い部分醜い部分もしっかり見せながら書いていければと思っている。そもそも、世の中に蔓延するあらゆる綺麗事に対し心より首肯し、その大義名分で以てその道に背いた人間を批判できる者は、実は少ないのではないのかというのが私の勝手な主張である。私も例に漏れず、決して綺麗な思考ばかりの持ち主ではない。
 
 
 
 
私は小さい頃より、人様から「良い子」や「優しい子」または「真面目な子」といった形容で以て性格を語られることが多かった。私は、自分自身の喜びそのものよりも、自身の他者に対して行った言動が、その相手の喜びに繋がっていることの方に、より大きな充足感を覚えるような人間だった。精神的に傷付きやすく、他者の、私に向けられた不快の情を感じ取るなりすぐ落ち込み、いつまでも引きずるような脆さを持っていた。故に他者から不快感を向けられぬよう、昔から本当の自己を押し殺し、眼前の相手に迎合するような言動ばかりを取っていた。第一次反抗期や第二次反抗期もなく、学校の先生の言うことにも全く反抗せず、忠実に聞いていた(そうである)。ただ、そんな私は意外にも、自身が「その他大勢の人と異なった考えを有している」ことに対し何かしらの価値を感じていて、そのような機会の発生した折には、昔から、表には出さなくとも心の内では、相当の愉快を覚えていた。その、理由のよく分からぬ“天邪鬼魂”は、今となっても尚健在である。
 
 
幼い頃から「お前は階層ピラミッドの上に立てるような人間になれ」と言われ続けていて、且つ自身も「それは非常に好ましいことだ」と考えていたため、中学に入学した後は、勉強に少なくない時間を費やした。否、実際のところは「学校の成績で高評価を得る」ために、ある程度の時間を勉強(と言う名の作業)に充てていたというだけである。現に自身の行う「勉強」と言えば、塾や学校の先生から与えられたテキストの演習をただ只管(ひらすら)行うといった、定期試験で高得点を取るための、謂わば“作業化した学習”くらいのものであった。そこから自主的に何か広げていこう等といった、そういった意欲的な、積極性のある学習は全くしなかった。おまけに、掛けた時間の割に私の学力は大して向上しなかったのだが、先生に反抗せず言われたことを忠実に行う、といった私の“事なかれ主義的性格”が幸いし、またかなりの強運の助けもあって、私は、そういった“消極的な学習”を継続していくだけでも、私のような学力(知能)の人間ではなかなか入学することの出来ない、悪くない偏差値の高校――所謂進学校――に進学することが出来たのである。その高校で行われた最初の模試では学年で下位10%未満の成績を取り、担任との面談時、成績について多少の、遠回しの表現の苦言を呈されたが、当の私は落ち込むことより寧ろ、私より低い点数を叩き出した人間がこの高校の中に何人か存在することに驚き、且つは安堵していたことを今でもはっきり覚えている。この時の私の思考は若く単純で、しかし希望の光に満ち満ちているもので、「今は底辺でも、これから人より多くの努力(=勉強)をして上位に上がっていけば良い」と心の底より考えていたのである。私はこの高校で成績上位に立ち、後に「良い大学に入って自身の可能性を広げる」ため、延いては「客観的に見て、他者から羨ましがられるような人間になる」権利を有するため、やはり私なりに、真面目に日々勉強を継続的に重ねていった。その結果、私の努力は高校二年生最後の模試において、学年上位15%の成績を収めることによって一応、報われたわけである。Viva,努力。人より劣る者は、斯くして時間を掛けた努力で以て、そのビハインドを覆せば良い。努力は、きっと裏切らない。これといった才の無い私は努力で、他者から認められ得る客観的地位を手に入れるのだ――そんな情熱を持つ自身を、当時の私は決して嫌でなかった。
この時が私の人生における謂わば“全盛期”というもので、ここから一転、私の人生は悪化の一途を辿る。
 
 
さて、この時の私もある程度自分に自信を持っていた。その自信とは、「自身が人様から羨ましがられるような人生を送られるだけの可能性を有している」ことに由来する自信・・・いや、もっと具体的に述べるなら、「自身が周囲の人間よりも、試験で良い点を取っている」こと“だけ”が基盤、源となった自信であった。すなわち当時の私の、自身において感じていた価値とは、「周りの皆よりも良い点が取れる」ことのみであり、実際のところその他の事柄では、私という人間のあまりの冴えなさ、不甲斐なさ、くだらなさ、能の無さ故、自身に如何なる価値も付与することが出来ていなかった。私は多分、この頃から「周囲の人間より試験で点を取れること以外に、自身を価値あるものたらしめる事柄は存在しない」ことを内心自覚していた。だからこそ以降の私は“試験で良い成績を取る”ことに対して、過度の執着を覚えることになったのだろうと考えている。私という人間の価値を支える柱は“成績”の一本。しかもその“一本”は他者との比較の上に成り立つ柱であるため、折れやすく、何かの拍子に崩壊したならば、あっという間に無価値の、真っ裸の実存。この「勉強」に対し自身の内に存在する価値観の100%を捧げ、それに全体重をかけて縋ろうとした私は、どんどん転落していく。
 
 
幸か不幸か、私には(恐らく先天的に)“忍耐強さ”なるものが備わっていた。冒頭の記述において、私は自身を「能が無い」と書いている割には順調な人生を送っていたように思われるかも知れないが、先の記述は決して嘘ではない。「能が無い」人間が上述したような「全盛期」を迎えられたのは、この、幸か不幸か生来備わった“忍耐強さ”が大きく影響している。そして、この忍耐強さは、“全盛期”の到来を以て私に夢を与えたのみならず、その“全盛期”以降の「転落」人生の悪化具合をより激しいものにしたと、私は考えている。
はっきりと言う。私は、どちらかと言えば頭の悪い部類に属している。もう少し納得いただける言葉で説明するのであれば、私は相当気の利かぬ、応用力の無い、仕事をすれば「無能」扱いをされるような部類の人間の一人である。私は人様から“10”受けた観念的な説明を、“1”しか理解することが出来ない。残りの“9”は数多の復習、反復、それに伴う様々の失敗経験に基づき蓄積された反省や、その原因の根気強い分析によって会得することとなるわけであり、従って私が人様から何らかの説明、指示を受け、その内容を理解し、その意義に沿った言動が取れるようになるまでには、他人の何倍もの時間と、相当量の集中力、工夫が必要となる。そういった知能の人間なのである。通常であれば、勉強など即座に嫌になる事柄のはずである。嫌になって、本来であれば「好成績を取る事」以外に価値あるものを探し、それを自身の新たな価値観として構築し自己保存を図る生き方にシフトし、勉強に生きるよりもより幸福になれるような人生を模索するはずだったし、そちらの方が、今後の自身にとって、余程賢い選択であったと考えている。しかし、私は生来有した忍耐強さと、幼い頃から培ってきた“勉強が出来る”という価値観に対する妙なプライドと勘違い、そして“勉強”以外の事柄に関する自身の無価値さへの自覚が相まつことで誕生することとなった相当の“粘り強き努力”により、自身の弱点である能の無さをかなりカバーし、その結果、分不相応の成績を叩き出すことのみならず、自身の実力を大いに買い被る、といった失態を、実に長い年月において犯してしまったのである。どういった「失態」であるのか?――ここまで長々と述べてきたが、簡単なことである。努力によって自身のキャパシティを超えた実績を残し、その出来過ぎた実績を自身の真の実力として愚かにも信じ込み、そんな自分を心より好きになってしまったら最後、その一瞬は良くとも、必ず後々、キャパシティを超えた環境に身を置き続けることが苦しくなり、終いには潰れてしまう、といったお話である。さてこの通り、私は盛大に勘違いをした。私は、勉強が出来るのだ。目の前の結果が、それを物語っているではないか――馬鹿野郎。残念ながらお前は、「勉強が出来る」のではない。お前は、ある単元の、膨大な量の問題演習から生まれるミスに基づき、「何故か分からないが、この式変形はOK」「何故か知らないが、この考え方によるアプローチはダメで、こっちの方法ならOK」といった上っ面の経験を積み重ね、そこから、それらのどの経験からも矛盾せぬ、一貫性のある共通点を見つけ出し、そこから意味は分からぬものの点の取れる答案の書き方、ないし思考方法を身に付け、見かけ上の点数を上げていただけなのである。各々の単元の持つ意味を理解していない(理解出来ない)上に成り立つ成績はどこかで頭打ちになるし、それは本当に「勉強が出来る」ことにはならない。現に私は、周囲が本気出して勉強する三年生になった途端、成績は相対的に抜かれに抜かれ、大学受験の方も、当時滑り止めにしていた某私立大学理工学部合格、その他の志望校全落ちという、自身にとっては全く面白くない結果に終わってしまった。否、本当は、この結果は至極当然のもので、もっと言うと、自身の知能を考えれば出来過ぎた方だったのであるが、当時の私は、浅ましい虚栄心ばかりが内面を支配していたため、その結果に全く満足できなかった。自身の行きたい大学へ行って、自身がそれまで描いていた理想の大学生を送ることを、どうしても諦めることが出来なかった。従って私は、両親に無理を言って予備校浪人生活を送ることになる。
 
 
予備校浪人時代は、今思うと、まあまあ充実していたと思っている。朝から晩まで、移動の電車内や入浴時も含めて勉強、勉強の日々で、端から見ればとても味気のない生活に見えただろうが、その奥には「理想を追い求め精進する輝く自身の姿」が確かに存在していたため、やはり私から言わせれば、生活はそこそこ充実していた。成績もかなり上昇し、チューターから「この成績なら大丈夫でしょう」と言われる程になった。冬になり試験の日の迫ってくるのを感じられる時期に入ると、私は多少の不安の中にも、大学入学後の輝く自身の姿が脳内に思い描かれたことによって、希望に溢れた日々を送っていた。
 
 
しかし、その希望が満たされることはなかった。私は志望していた大学はおろか、滑り止めのはずだった大学にも落ち、結局、その滑り止めよりもっと下の大学――それも、自身が現役高校生時代に受かった某私立大学理工学部――へ入学することになったのであった。この時の私の屈辱感は、尋常でなかった。私は当時の日記に、自身の置かれることとなった惨状を「恥辱である」とか、「どうしてこうなった(=意味が分からない)」等と頻繁に表現、自問している。一年間も勉強だけに費やす日々、それも、決してサボることなく真面目に過ごした日々を以てして結果が出ないとは、残酷であるし、あんまりだと感じたし、道理に適っていないと思ったのであった。しかし、今だから言える。私が大学に落ちたことは、自身の先天的に有した知能を考慮すれば、当然のものであった。実力のない者は、落ちる。そこには何の不思議も存在していない。寧ろ、その「某私立大学理工学部」に受かった事実も、相当無理をして出した結果なのである。本当は、この時に「自身には実力が無い」と認めなければならなかったのだが、私は、「勉強で良い成績を取る私」以外の自分に、何ら価値を感じられていなかったし、「勉強」面において誇れるものを失った自分は、空っぽであり、何の魅力も持たぬ、下らぬ人間であると思っていたし、当時自身が将来の夢としていた職業にも就けぬ故、自分に自信も無くなり、プライドも傷だらけ、こんな、“何も持たざる人間”の、どこに「他者から羨ましがられる」要素があるのだろう、ここで自身の長年目標としてきた理想の人物像と決別するとなれば、私が心の底から笑える日はきっとこの先来ないであろう等と、本気で考えていた。従って私は、これに懲りることなく、次のような愚直な決意をするのである――「自身の一本柱である『勉強』を失うわけにはいかない。もうひと頑張りして努力を続け、志望校合格を目指そう。そして自身の納得のいく、自信に満ちた人生を送るのだ。」
 
 
下らぬ見栄・・・と言うか、実に狭い視野であったが、私は至って本気であり、こうして私は、下らぬ見栄と、狭い視野、そして「努力はきっと報われる」などという、どこかで聞いた希望だか無責任だか分からぬ言葉の妄信によって、二十歳になっても尚、「勉強」に縋って生きていく人生を自ら選択したのであった。
 
 
ここでもう一度予備校で浪人をするわけにはいかなかったので、私は最後の手段として、大学に通い進級に必要な単位は取得しつつも、大学受験のための受験勉強も並行し、大学生の身分でありながら密かに真の志望大学合格を目指す浪人――仮面浪人――を敢行した。
 
 
(続きます)




3件のコメント

  1. お疲れさまです。あおです。

    お仕事の方の調子はいかがでしょうか。新環境には慣れてきましたでしょうか。

    私の方は精神状態が良くなく、ここ2ヶ月ほど学校に行けておりません。私は数学が専門なのですが、知人のススメで、自分の意見を発信して、人に見てもらうとすれば、少しはそこ(数学)への意欲が出てくるのではないかという助言のもと、私もワードプレスを用いて、数学に関することの意見を発信していくことにしました。もっとも、内容が内容のため、見てくれる人はほとんどいないかもしれませんが…(笑)

    お互い、頑張っていきましょうね!

    (一応、リンクも貼ってみます。https://suugaku-room.com まだ初期設定や、試験的な段階のものが多いので、今見ても、あまり意味がないかもしれません(笑))
    (今回のふくろうさんの記事も、私にとってはとてもおもしろかったです。続きの更新、楽しみにしています!)

    1. お疲れ様です。
      仕事の方は、ちょうどこの一週間自身にとって面白くないことが続き、この先どのように職場で立ち回っていけば良いか、自問している状況です。事態が落ち着きましたら、記事にでもしようかなと考えています。新環境にはばっちり慣れましたよ!

      そうなんですか・・・。助言をくれた友人さん、ありがたいですね。
      自分の中で何かを創り上げ、それを発信する行為は、人生を何らかの形で変える作用を持っていると私も考えています。同時に、WorsPress仲間が出来て嬉しいです。個人的に数学のことだけでなく、あおさんの人生観みたいなものもたまには混ぜて欲しいな等と考えています(あくまで、個人的にです)。お互い、頑張っていきましょう!

      今回の記事面白かったと言っていただき、嬉しかったです。

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