底から生まれるもの2

私は幼少期から、「他者から羨望されるような人間になること」を望みながら生きており、また、その実現のために、大した取り柄なき有象無象の自身に出来ることは、「試験で良い点数を取れるよう勉強を頑張り、結果を出すこと」“のみ”であると考えていたため、私は「勉強で結果を出すこと」に対し、相当の執着を示していた。

だからこそ私なりに苦手な勉強を長期間に渡り頑張り続け、その結果として勉強において、自分にとって良い意味で実力不相応の成績を残すことが出来たわけだが、その結果を以てしても志望校合格が適わなかった暁には、発狂寸前の苦しみを味わい、「金輪際、人生を心より楽しむことは出来ない」とか、「もう二度と、心から笑うことはない」とか、「生きる意味を無くした」とすら思う程の絶望感に打ちひしがれ、そして、その残念な結果が自身の実力不足故(ゆえ)とは結論付けることなく、愚かにも自身の真の実力を見誤ったまま、よせば良いのに、試験に落ちても落ちても、大学受験で結果を出すことに拘り続けたのであった。私が受験生であった当時は、自身が勉強に費やした時間の割に結果を出せないでいることに対し “今回は「非常に運が悪かった」ためのものである”と結論づけ、それどころか未だに“自分には実力がある”などと本気で考えていたし、まして先天的に人様より勉強に関連する知能面で大きく劣っている箇所のあることなど自覚出来ていなかったし、そして何より、これまでの自分を価値あるものにしてくれていた“唯一”の武器である(否、武器であったと信じていた)「勉強」に縋れなくなることなど、自身にとって到底有り得なかったのである。従って私は、一年浪人しても適わなかった自身の望みを、もう一年浪人――それも、大学に通い進級に必要な単位を取得しながら志望校合格を目指し受験勉強も続ける仮面浪人という行為――を敢行することによって、適えようとしたわけである。
 
 
仮面浪人。
それは、“己に克ち続ける行為”である。講義や実験の授業にはしっかりと出席し課題も勿論こなし、その空き時間には大学の講義の予習復習、ないし受験勉強、講義が終われば図書館へ直行し受験勉強、帰りの電車の中も、土日も、夏休みも、冬休みも、来(きた)る春休みも、周囲に存在する数多の誘惑と自身とを断絶し、休むことなく受験勉強。サークルにも入らぬ、友達とも遊ばず、一人でも殆ど享楽に走らず、たまに設ける数十分程度の読書の時間が至福の時。時たま受ける模擬試験の会場で、真の受験生の、休み時間も熱心に単語帳を開くその姿に、普段受験を終えた大学生ばかりを目にしている私は改めて身が引き締められ、「こんなものではいけない!」と定期的に自身を奮い立たせる――そんな、一見つまらぬ生活を支えた原動力となったものは、「自分の実力はこんなものではない」とする自惚れ、それから、「このまま勉強で結果が出せないまま終わってたまるか」という下らぬプライド、気概、意地、もっと言うと、“焦燥”なのであった。結局のところ、ここまで忍耐を続けて勉強に執着することは、同時に、勉強の他に何の取り柄の無い、脆き自分自身を守る苦しき術だったのである。
仮面浪人時の私は、斯くの如く結構苦しいはずの生活を続けていたはずであったが、私にとって仮面浪人をしていた一年間というものは、実際のところ、苦しい思い出ばかりだったというよりも、苦しさの中にも未だ夢を見られていたという点では寧ろ、今後に対する期待に心を弾ませ、輝いていたと表現した方が適切な時期だったと考えている。確かに私は、つまらないはずの仮面浪人生として送る大学生活の中に、ある程度の充実感を覚えており、決して楽しくはないものの、どちらかと言うと生き生きとした心持ちでいられていたのである。その根拠となるものは、「こんなに頑張って勉強をし続けたのだから、今回ばかりはこの努力は報われてくれるだろう。そして報われた暁には、これまで自身が喉から手の出るほど欲しかった理想の生活を送られるのだから、もう少しの辛抱ではないか。」という、まあ、「甘ったれた思考」と言ってしまえば少々気の毒な、けれども、この思考を何らかの言葉で以て表現するのであればやはり、そのように形容されるべき軽率な思考が基であったわけである。私は、今度こそ自身のこれまでの忍耐は報われ、自身がこれまで描いてきた理想像へ大きな一歩を踏み出せるものと、信じて疑わなかった。
 
 
しかし
 
 
現実というものは、正直者である。引っぱたいてやりたくなるほどの、正直者である。その様は正(まさ)しく痛快とも言えるものであり、私は以後、現実の見せる慈悲無き正直さに触れるにつれ、徐々に厭世的な人生観を持つに至るのである。
 
 
その“仮面浪人”の試みは、残念ながら失敗に終わった。私は、また試験に落ちたのである。
大学一年生であったが故に享受出来るはずだった娯楽をほぼ完全に放擲したその引換えの、一年間に渡る、それなりの苦しみを伴った努力と忍耐は全く実を結ぶことなく、実にあっさりとした終わりを迎えたわけである。今まで掛けた時間と労力は何だったのだろう。これを以て、これまで理想の実現のために続けてきた忍耐の、全てが無駄になったわけであり、それをつべこべ言わず受け入れて、これから心機一転、前を向いてニコニコと生きていけというのでしょうか。ふざけてはいけない。人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。そんなこと出来るわけないでしょう、否、出来たとしても、意地でもしてたまるものか。今回の一件に限っては、そうそう簡単に気持ちを切り替えられるほどの小さな失敗ではない。私という人間にとってこの賭けは、絶対に勝って進まねばならない勝負であったのに・・・
と、幾ら嘆けども、長期間にわたる忍耐の末に残ったものは、幾度もの受験失敗に伴い表出した大きな虚無感と、残ることとなった大学を卒業するために必要な、周りの同級生に比べると少し多めの三年分の単位数のみ
 
 
 
 
・・・であったらまだ救いようがあったのだが、現実の見せてくれたその正直さは、これだけでは終わらない。
 
 
私はあまりに高過ぎる理想の下、受験勉強を継続し頑張ってきた。結果、私の望みは適わなかった。その理由は“理想が高過ぎたため”といった至極単純なものであった。しかしながら、高過ぎる理想を設定し努力を続けていたが故に、気が付けば既に私は、自身の真の実力を斟酌すると、本来であれば到達できなかったであろう水準の環境に身を置いていたわけである。すなわち、私は仮面浪人に失敗した結果不本意入学した大学に通い続けることに決まったわけだが、その「不本意入学」だったはずの大学ですら、実は私にとっては、これ程の努力をしなければ決して到達することの出来なかった、そしてその場に身を置き続けることすら非常な労力を要する「実力不相応の鶴の世界」であり、この環境下においてさえ、私は自身の能の無さをまざまざと思い知らされることになるわけである。私はこの認めたくない現実を、二年もの月日を掛けて、ゆっくりと受け入れることになる。この受難とその過程こそ、現実の見せてくれた最高級の慈悲無き正直さである。その過程は自身の精神的な幼さも相まって、非常な苦痛を伴うものであった。以下、順を追って記述してゆく。
 
 
仮面浪人失敗直後の私は、相当いじけていた。何か悪いことをしたわけでなく、寧ろ多くの忍耐や時間をかけて「勉強」という、世間一般では感心される事柄を頑張り続けた人間に対しこのような仕打ちを与えた天を呪っていた。おまけに、以降この現実を受け入れ前を向いていこうといった気力は更々湧いてこない有様だった。それどころか私は、形としては何も得られなかったこれまでの受験勉強に費やした日々を自分の中だけでは無駄にするまいと、今現在自身が置かれている状況、環境を徹底的に否定するようにさえ努めていた。この自身置かれることとなった現状に対する“否定行為”は、自身をこのような姿にせしめた悪しき天に対する一つの抵抗の姿勢を示したものであり、同時にまた、勉強を一生懸命頑張ってきた過去の自分を肯定するという意味合いも含んでいた。様々なことを犠牲にし勉強を頑張った結果、何も得るものがなかった。そんな自分を早々に受け入れ、前を向こうとする行為は、がむしゃらに努力をしていた過去の自分に対する冒涜である。望みが叶わなかったならば、その現状を徹底的に悲観し、憂え、嘆く――その行為こそ、過去の自分に対する慰めや、救済になると思っていた。昔からそうなのだが、私は、思い通りに行かない事柄に対しこのような非合理的な感情的手法を用いて、内面における理想の自分と現実世界における自分との間隙を埋めようとする悪癖がある。その目的は、望みが叶わぬ結果として現状に満足せず下を向き歩く「自分」は、同じ条件でも、現実をしっかりと受け入れ、時折、心底からの笑みを浮かべながらも歩みを前へ前へと進める「自分」よりも、その心意気において、理想を追い続けていた過去の「自分」に比較的近いという実に馬鹿げた論理、思考回路から生じる歪んだ自己肯定を行うためであった。いや、「非合理的」や「実に馬鹿げた」といった表現で今の私は上のような思考を形容したけれども、その“今の”私とて、この思考回路に基づく謂わば“捨鉢の行動”を取ってしまった動機、真意、心意気に関しては自分自身、痛いほど理解が出来るつもりである。その内容を説明するならば、以下のようになる。当時の私は単純に、ただ、皆からの同情が欲しかったのである。理想が叶わず悶える自身の姿を見た周囲の人々や、または私の人生をこのような運命にせしめた天といった形而上学的存在から、自身の示す”捨鉢の行動“で以て同情を引きたかったのである。その上で、周囲の人々や形而上学的存在の同情心から湧き上がる計らいによって、私のこの悲惨な現状を変えてくれるような何かが与えられることを期待したかったのである。その「何か」が何であるかは具体的な見当が付かないが、多分、「貴方の置かれている状況は貴方の真の実力を反映しておらず、理想の自分とはほど遠いものなのでしょうね」といった、他者の私に対する共通認識の類を期待していた、というのが一番近いと思う。私は、今ある私が長年追い求めた理想の自分ではなく、決して現状に満足して日々を送っているわけではないことを示すため、四六時中、時に意図的にでも苦痛に表情を歪めている必要があったのである。
 
 
だから私は、なるたけ残りの大学生活を充実させないよう努めた。
 
 
そもそも当時の私の精神状態やそれから置かれることとなる不運な状況を考慮するならば、果たして私が仮面浪人失敗以降の心掛けの一つや二つで、その後の大学生活を充実させることが出来たかどうかは分からない。しかし、これだけは言える――もしここで選択を誤らなければ、私はもう少しマトモな大学生活を送れたかも知れない。けれども当時の私は、自身の内面に渦巻く言語に絶する不本意の情を抑えきれず、“意図的に”、“自らの積極的な意思で以て”、大学生活を充実させようとする精神そのものすら放擲し、それどころか、寧ろ大学生活が充実しないことに対し自分の中で価値を置き、それが達成されえる度に幾らかの悦に浸る歪んだ思考を持つ自分自身の存在を肯定してしまったのである。恐らく現実は、どのような手段を講じても充実させることは難しかったと思われる大学生活であっただろうが、それに加えて、私は自身の内面においてさえ、その定めに抗うどころか、結果的に自らその定めに加担するよう努めてしまったわけである。
「現実世界における運命」と「内面の願望」が見事に一致した上記の事柄は、「必然」となって、想像していたよりもずっと重たく、我が身に降りかかった。
 
 
私にとって、残された三年間(正確には四年間)の大学生活は、人生の筋書き――すなわち定め――の通りに、そして同時に自身のお望みの通りに、私のこれまでの人生で最悪の時間となった。
 
 
意気消沈したまま迎えた二年目の大学生活は、一年次とは比べものにならない程の忙しさとなった。一週間の時間割に二種類の化学実験が組み込まれ、膨大な量の課題が出るようになったのである。おまけに私は、仮面浪人の影響から一年次に取得することが好ましいとされていた単位を二年次に取得する必要があり、講義の絶対数も増え、前期は土曜日にも大学へ足を運んだ。おまけに自身の置かれた現状に何の面白みも感じられなかった私の、学習に対する気力は殆ど霧消しており、その中で膨大な量の課題に着手することは非常に困難であった。重い腰が、なかなか上がらない日々。腰が重すぎて、どうにも上げられない日々が続いた。唯一の休日である日曜日を大事に使って課題に着手しなければならず、相当量の焦燥感に伴うストレスがかかっているわけだが、どうしても手に着かない。現実逃避の手段としてネットサーフィンにほぼ一日を費やし、日付が変わった頃になって日中抱いていた焦燥感の何倍ものそれに襲われ、どうにか鉛の腰を上げ、泣く泣く課題に着手する。何時間も実験ノート、テキスト、パソコンを睨み続ける。空が白み始め、徹夜が現実味を帯びてくると、レポート作成をそそくさと中断し30分~1時間程度の睡眠を取り、大学へ行く。講義の空き時間に仮眠を取り、夜に帰宅し再度パソコンに向かい、真夜中に作成完了、2~4時間睡眠で大学へ向かい、課題を提出。そのまま実験の授業を受け、その日は疲労困憊、しかし翌日も1限に講義が入っており、翌朝も早朝から目覚ましの音に叩き起こされ、這うように大学へ足を運ぶ。その翌日には二つ目の化学実験がある。あ、また課題に着手しなければならぬ。気力は無い。とっくに枯渇している。眠気もピークに達している。しかし、私は何とかパソコンに齧り付く。齧り付いた後、最後の力を振り絞って課題を完了させる。私は、怖いのである。たとえ現状が自身の望むものでなく不満ばかりだとしても、留年や退学といった形で大多数の人間の歩むレールの上から外れてしまうのが、怖かったのである。私は、私という人間は、自身を魅力ある者たらしめる武器を今や何一つ持っていない。持っていないことを自分自身が知っている。そんな私が社会で健全に生きていくためには、「大卒」の肩書きが何が何でも必要だ。それを失うことは、許されない。この恐怖心は絶大であり、完全に燃え尽きていた私がレールから外れることを、すんでの所で思い留まらせた。こうして私は満身創痍の二年生前期を、これまた忍耐の積み重ねを以て何とかフル単で乗り切り、どうにか夏季長期休暇まで漕ぎ着けたわけである。既に、大学へ行くことを考えるだけでも、もっと言うと大学のホームページを見るだけでも、凄まじい心的エネルギーを消費するようになっていた。もう、こんな思いは二度と御免だ。この夏季長期休暇で以て生活リズム、悪化した精神状態を整え、後期は余裕のある生活を送ってやる。そしてこの時の私は、実に愚かしいことに、自由時間の沢山あるこの夏季休暇と後期の空いた時間を利用して、大学受験に再度挑戦する戦略を画策していた。私は、このような状況に立たされても尚、どうしても勉強に縋ることをやめられなかったのである。ただ、この時の大学受験に対する動機や心意気は、これまでのものとは大きく異なった点があった。今回の大学受験続行の決定は、「自身にその大学に行けるような器はないが、どうしてもここまで勉強を頑張ってきた自分に報いたい。そして今持っている劣等感を何とかして払拭したい」とする、単なる意地“のみ”が第一に来た動機であり、実際のところ自分は志望校合格に見合った実力を有しておらず、引き際を完全に誤っていることを薄々自覚していた点が、大きく異なっていた。現に私は、当時の日記に、こう記している。(※この日の私は、後期に余裕のある生活を送るため、後期の実験課題に向けた事前準備に一日中着手していた)
 
 
2014年9月3日(水)
大学の課題をやっていて、今の知識では到底答えられないような問題に何度も何度も直面していると、自身の無能さが実感せられて、「仮面浪人なんてやっている場合じゃないだろ」という心の声が聞こえてくる。この声を振り払って、自身の信じる道をひたすら突き進むのは、かなりのエネルギーを要する。
 
 
この文章からも示唆されているように、この時既に私は、前期の実験の授業や、講義時における自分と周囲の人間との挙動や飲み込みの早さの大きく異なることが、幾分気になっていた。はっきり言って、二年前期の実験時における私の挙動は、無能を極めていた。実験の始めに教授から実験の概要を聴き、手順に関する説明を受けた後実験がスタートすることが多いのだが、それを理解出来るできないに関わらず、「では、始めてください」の合図があっても、私は毎回のように、何一つ身動きが取れていなかったのである。まず始めに、何から手を付ければ良いのか、さっぱり分からなかった。テキストの手順の項を熟読し、「なるほどこういう操作をするのだな」と意味が理解出来ても、そのために何を準備すべきか、器具装置をどの様に組み合わせてどの様な要領で行えば良いのか、全く分からなかったのである。与えられる情報は皆同じであるため、周りも似たようなものだろうと辺りを見渡すと、周囲の人はテキパキと動き回り、必要な器具を取捨選択し、適確にセッティングし、黙々と、確実に作業を前へ進めている。「どうしてこれだけの情報からここまで出来るのかな」と訝りながらも、私も皆を模倣し、ワンテンポ、ツーテンポ遅れて実験を遂行するというのが常だった。実験操作を盛大に誤ったり、実験操作の遅さから教授に苦言を呈されたり、時には呆れられることも一度や二度ではなかった。また実験以外の一般的な講義であっても、ただ聴いているだけならば何の差も感じない(寧ろ私は真面目に講義を受けていた方だと思う)のであるが、例えば授業内に演習のある講義であったりすると、演習開始と同時に周囲が黙々と問題を解き進めているのに対し、私は、講義をしっかり聴いていたにも関わらず、なかなかペンを動かすことが出来ていなかった。こちらも一度や二度の話では決してなく、この時から常日頃「何かおかしいな」と感じてはいたのだが、「あまり考えられないけれど、ここにいる大勢の人は実はかなり真面目に予習をしているから出来ているのかな」などと自身に無理矢理言い聞かせ、「自分はこの大学にいる人達よりも知能面で劣る」という疑惑(いや、事実そうだったのである)に蓋をしていた。
 
 
しかし、蓋はすれども、「もしかしたら自身はこの大学にいる平均的な人よりも能が無いのかも知れない」という疑念は一応不安材料として持っていたため、前期の反省を活かし、後期に時間的ないし精神的余裕を持たせるためという動機の他に、先の疑念を打ち消すことも動機の一つとして、私は夏季休業期間中に、二年後期の実験の予習を事前に行ってしまうことにしたのである。さすがに、夏季休業まで使って実験の準備に取りかかったならば、事前準備に掛けた時間が周囲の人々のそれと段違いになるため、後期は無能を極めることにはならないであろうと考えたわけである。
強制されぬ課題に対しては、幾分腰が軽くなる。夏季休暇初日から一定期間せっせと大学へ赴き、閑散とした図書館に籠もり、テキストを読み込み実験の趣旨を理解し、必要箇所は図書館の文献を当たって調べ、インターネットも駆使し、分からない箇所は教授のところへ質問に行った。結構な時間は掛かったが、各々の実験に対しある程度の知識を付けた状態で二年後期を迎えることが出来た。長期休暇を終えた今、幾ら空き時間を活用すれども実験に関し私より時間を掛けて予習の出来る人間はいないはずである。これで私は、周りの人と比べ、実験の時間はかなり優れた挙動を取ることが出来るであろう。
 
 
この予想は、半分は当たり半分は外れた。時間を掛けた事前準備で身を武装した私は、実験前の予習の質に関しては良い意味で目立ったものの、実験開始の合図と同時にどん底へ突き落とされることとなる。
 
 
(続きます)




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