底から生まれるもの3

私は、プライドだけは一丁前の、格好付けである。
 
 
己の実力が、自身の脳内における「斯くあるべき」とする自己像と、まるで合致していないことを決して認めず、それどころか、他者の弱点と自身の強み――それも、その“強み”なるものは自身の脳内で派手に、みっともないほどに美化、装飾され、第三者による客観的評価を遙かに上回る自己評価を与えられている――を比較しては、“自分も未だ、捨てたものではない”等と、自身の存在意義を必要以上に高めては、優越感に興じ、且つは安堵しているような、情けなきナルシストなのである。

そのナルシストは、幼少期より、「人様より羨ましがられるような人生を送りたい」、「人様から一目置かれるような存在でいたい」等、人様から特別視されるような人間になることばかりを考え、いや考えるのみならず、その実現に向け確かに努めて歩みを進めていたはずであったのだが、その歩み、それすなわち学問で好成績を収め、その実績で以て良い会社に入り良い賃金を得ることは、残念ながら、自身の知能の不足を含んだ諸々の要素が絡まった「実力不足」により、大学生の段階で夢想と相成り果てたわけであった。この事実は、非常にリアリスティックで、実に嘆かわしいものであった。これは、園児がプロ野球選手を、または小学生が歌手を夢見るも、どうにもその才及ばず、ゆくゆくはその夢破れ、平々凡々なサラリーマンと相成り各月の25日をささやかな楽しみに日々、己が身を削り果ては老いてゆくことと、骨組みは変わらないが、そのロマンスという点で、大きく異なっている、そこに、先述した「嘆かわし」さがある。“世の大多数の有象無象より、ちょっと上を目指す”という、一見すると誰もが手の届きそうな夢ですら、必死こいても届かぬ人種が存在するということ、しかも自分が、その人種の一人であることなど、それまで、考えもしなかったことであった。当時の私は、この現実を受け入ることなど到底出来ず、「いやだ、嫌だ」とジタバタ駄々を捏ね、暴れ回り、しかしそうすればするほど自身の置かれる状況は悪化の一途を辿り、遂に戦意喪失、諦観を得たナルシストは、更なる自己卑下、自己否定の化け物となっていくわけである。
 
 
素直に白状する。私は大学一年生の頃、自身はこの大学構内において、勉強のかなり出来る方だと信じて疑わなかった。恐らく、入学当初に同学年一斉に大学入試のような試験をやらせたなら、私は上位に来る点数を叩き出したはずである。実際に私は、この大学に入学するだけの十分な学力は持っていたはずであった。
ところが私は、この大学に入学後、人並みのパフォーマンスを発揮できるほどの知能は、まるで持ち合わせていなかったのである。受験において、「勉強が出来る(=試験で高偏差値を叩き出せる)からといってその人の頭が良いとは限らない」という言葉を聞いたことのある方も多いだろうが、まさに私が典型的な“それ”であって、「大学受験」という出題範囲の非常に限定された試験では、私のような者でも、時間さえ掛けて粘り強く勉強を行えば、ある程度の偏差値を出すことが出来るのである。また、私の通っていたレベルの大学であれば、基本的な、所謂(いわゆる)“典型問題”さえ押さえていればまず落ちない大学であるため、私のような平凡以下の知能を以てしても、やはり時間を掛けて適切な方法で勉強をやり込みさえすれば、どうにか試験はパスしてしまうのである。
 
 
何度でも言う。私は、頭が良いのでは決してなく、大学受験で頻出の「型」を多くの時間掛けて習得し、平凡な受験生よりも“丸”を多く貰えていたというだけの話なのである。私の試験における得点は、決して、各単元の正確な理解に基づく得点ではない。数多の経験、ないし反復訓練に基づいた、頭よりも手の動きによる、機械的な、脊椎反射の、ベルが「リン」と鳴れば涎を垂らす犬の如き得点である。嘘だと思うならば私に、「logって何ですか」、「浸透圧って何ですか」、「運動量保存の法則って何ですか」と、あらゆる単元の明確な定義を問いただしてみれば良い。殆ど、しどろもどろの、答えになっていない答えしか返って来ないであろう。しかし眼前にあるその単元の問題は、何故か解いてしまう。こんなもの、知識ではなくただの経験だ。刷り込みだ。私は、教科書よりも問題集から、多くを得る人間である。問題集を長いこと睨み付け、けれどもさっぱり解けず、解いたとしてもまるで頓珍漢な立式、またはその変形で以て見当違いの解を導き、問題集付属の解答を見ては「なるほど、このように解けば“丸”が来るのか」と、まるでその単元を理解した気になっては更に問題を解くことを繰り返し、知識の殆ど付かぬまま、その単元を習得したと思い込む、いやそればかりか、「この問題を解ける自身は他の受験生よりも勝っているに違いない」、延いては「自身は優秀な人間であるに違いない」と勘違いし、それによってプライドがもくもくと、バブルのように全身隈無く覆い、立派な、ナルシストが出来上がったというわけである。実際は、いくら教科書を読み込み諸々の定義・原理を学んだとしても、その内容の1/10も理解出来ない、否、仮に出来たとしても、それを問題を適切に解くためのツールにすることまるで能(あた)わぬ、平凡未満の知能しか持ち合わせていない凡庸なのである。
今よりずっと若かりし自分は、自身のそんな実態には気付いていなかった。厳密に言うと、自身が周囲の人間より、ここまで大きく知能の面でハンディキャップを負っているとは、考えていなかったと言う方が適切である。私は高校生の時分より、自身が周囲の人間よりも「物事における飲み込みの遅さ」が目立っていることは少々気になっていたのだが、多少の努力(すなわち他人より時間を掛けること)によって十分補える、それどころか、それによって他者よりも良い結果をも残せるものと思っていた。だからこそ私は、二年生前期の間散々惨めな思いをした化学実験の予習を、後期で巻き返しを図るため、夏季長期休業期間を利用して行ったわけである。「自身の不足は、時間で補え」というのが、当時の私の信念であった。大学の図書館に籠り、テキストを読み込み、実験の目的を理解し、それに伴い理解する必要のあった単元の勉強もし、予習課題も事前にこなし、インターネットと文献で理解の追いつかぬ箇所は教授の元へ質問に行き、その間、同級生で実験課題をやっている者殆ど見かけぬ故(ゆえ)、もうこれで、「やることはやった。努力不足とはもう言わせない」と勇んで後期の実験に望んだわけである。が、その結果は、無残なものであった。事前に課された予習課題には、きちんと正解をしていた。実験前の、実験に関する質問を教授からされても、正しく答えられた。しかし、「それでは、実験を始めてください」の合図と共に、私の頭は真っ白になり、何をどうして良いか分からず、チラチラと周りの同級生の挙動を見回し、その挙動を恐る恐る模倣し、その人達より一手、二手後(おく)れて実験を遂行する無能人間に成り下がったのである。今も尚私は、この理由を上手く説明することが出来ない。兎に角、周囲は実験手順が記載されたテキストの指示内容から、私よりも多くの情報を得ることが出来ているようであった。「目的物は油層にあるか、水層にあるか」といった単純な、これが分からなければ正しく実験を行えないではないかという問いに答えることの出来ていなかった人でも、何故か実験が始まると、見違えるように、正確な作業工程で以て私より遙かにテキパキ実験を遂行するのである。意味が分からなかった。さすがに上記の例で言えば、その(油層か、水層か、という)工程で一旦立ち止まり、周囲にどちらを残せば良いか確認を取っていたようであったが、そんなものは全体からすれば一瞬の静止であり、始終挙動不審の私はずんずん置いて行かれた。これが、ほぼ毎回の実験で起こった。集団実験の際、私は、班員から自身がお荷物扱いされてはいないかと、気が気でなかった。いつ怒られるか、いつ呆れられるか、戦々恐々たる心持ちであった。幸い、教授以外の人間からは表立って怒られたり、呆れられたりすることが無かったが、それでも毎回、実験前には相当具合が悪くなり、また、実験後には精神的にぐったりとしていたのであった。あまりに納得がいかないので、何回か、班員に「何故、この操作が出来たのか、この操作をしようと思ったのか」と尋ねたことがあったが、その返答は毎度決まって、「だってここに書いてあるじゃん」というものであった。確かに、書いてある。しかし、その一つの僅かな指示内容から、それ程の質の操作遂行の指示を読み取ることは難しいのではないかというのが、正直なところであった。インスタントラーメンの作り方で例えると、作業マニュアルは「封を点線位置まで開け→スープの素と加薬を入れ→お湯を入れ→3分静置→完成」となっており、一見難しいことは何もなく、自身もつい油断して「これなら出来る」と早々に断定を下しそうになるわけだが、いざ蓋を開けてみると、思わぬ難関が待ち構えている。この例ならば、「お湯を入れ」の部分である。「お湯を入れ」の指示内容には、以下の指示が含有されている。「ポットでお湯を沸かし→それを入れる」。この「ポットでお湯を沸か」す工程を“当たり前”にこなせるのが、周囲の人達。「お湯って何だよ・・・どうすればいいのだろう」と狼狽、逡巡するのが、私である。この例えではまるで笑い話だが、この指示内容がもっと高度な化学実験の場となれば、もう、笑えない。私は毎日、苦しかった。これまでの人生を振り返ると、とても自身が、周囲から大きく劣る程の頭を有しているとは思えなかったため尚更苦しかった。確かに実験開始時点では、実験原理を平均的な人達よりは理解していたはずであるし、これが実験ではなく筆記試験ならば、ここまで悲惨なことにはならないだろう。それなのにどうして、実験開始と同時にこれ程までの無能に成り下がってしまうのか。おかしい。有り得ない。そもそも今通っている大学が、ぎりぎりの点数で合格を貰った高偏差値の名門大学ならば話は別である。その大学の底辺たる者、雑草の如く食らいついていかねばならぬ。しかし実際は違うではないか。学力にかなりの余裕を持って合格した大学のはずである。何故だろう。度重なる受験失敗に伴う、過度の自信喪失の為す仕業だろうか。いや、それだけでは説明が付かない。やはり、私はこの大学内という狭い世界でさえ優秀な人間でいられぬ、凡人以下の知能しか持っていなかったのだろうか。いやでもしかし、過去の受験生活を顧みる限り、とても自身が全くの能無しであると認めることには無理がある・・・と、毎日、四六時中、このような自問自答を繰り返していた。尚私は先天性のネガティブ思考の持ち主であるから、こういった自問自答は、悪い方へ悪い方へと、懸念事項に対する所感が流れてゆく。次の実験こそ、皆の前で大恥を掻いてしまうかも知れない。次の実験では、教授から叱責されるかも知れない。班員に迷惑を掛けてしまったらどうしよう。どうせ次回も皆と同じような挙動は取れないのだろうな。頑張りが足りないのだろうか、実は皆陰で必死の努力をしていて、自分はそれすらしていないから後れを取っているのかも知れない。授業においても、周囲から随分後れを取っている気がする。こんな知能で、仮面浪人をしていたなんて滑稽だ、等々。何より、自身が今まで縋ってきた「勉強の出来る自己像」の崩壊したことが、とても堪えた。長年、自分の自信、自身の生きる根拠としてきた精神的支柱が、実は、そのように自信を持てるような代物ではなかったのだと気付かされた時の絶望感といったら、言語に絶するものであった。プライドは傷付き、おまけにその傷を修復するための、他の自身の精神的支柱となるものは全く無く、唯一の誇りであった「勉強の出来る自己像」を失った私は、自分という人間の中身が、まるで空洞の如く感ぜられ、あまりの虚しさ、苦しさ、やりきれなさに、展転とした。斯くの如く、二年後期は、これまでとは違った憂鬱を抱えながら時を過ごした。この時は完全に、頭脳で以て人様と勝負していく気力が無くなっていた。脳に何かの障害があるのかも知れぬと近所の精神科に足を運んだが、「一般受験で合格しているのだから知能が低いわけないよ」と一蹴された。それを聴いた両親は心底安堵したようであった。私は、それでもずっとモヤモヤしたままであった。
 
 
学年が三年に上がると、この憂鬱は、ますます酷いものとなる。
 
 
三年前期が始まる前も同様にして、春期長期休暇を利用し、今度は友人二人を含めた三人で、三年前期の実験テキストを眺め、予習課題に取り組み、実験原理を学び、実験を脳内でシミュレートした。こんなことをしても恐らく私は実験で周囲から取り残されるであろうことが分かりきっていたが、その度合いを出来るだけ小さいものにするために、何らかの抵抗の姿勢は見せておかねばなるまいとの思いから取り組んだ。結果、想定通り、化学実験の授業では二年生の頃と同じような絶望の日々が続いた。それどころか、周囲の皆が口を揃えて「楽勝」と言う授業――これは、化学実験の授業時間に行うものであるが、その内容は実験ではなく、講義と問題演習のみである――でさえ、周りの理解力、理解スピードに全く着いて行けず、酷く惨めな思いをした。演習が解けた者から退出する仕組みであったが、私は、いつまでも退出することは出来なかった。実験時における挙動のみならず、知識の習得についても、周囲より劣っていることが明瞭に証明された一日であった。この日ある一人の友人が、「今日は足取りが軽い軽い」と笑顔を見せていたが、私にとってこの日は、通常よりもずっと苦しい一日であり、普段よりずっと重い足取りで帰路に着いたことを鮮明に記憶している。
 
 
このような日々が、続いた。これからも、ずっと続くように思われた。
 
 
既に私は、完全に戦意喪失していた。周りの人と対等に渡り合う自信が、微塵も無かった。皆が超人のように思われた。これは私の通っていた大学に在籍する者に限らず、道行く人々ほぼ全員に対してさえ抱くようになった。電車の中にいる、疲れた顔したサラリーマンも、隣で音楽を聴いている髪の明るい若者も、目の前の席に座り何かの教科書を眺めている恐らく私立小学校の学生であろう少年も、皆私よりも優秀な頭を持っているのだ。その他、例えば私より偏差値の低い大学に通う者だって、一度(ひとたび)本気を出せば、私を優に越す実績を残すのだ。仕事も然りであろう。私はただ、受験で必要とされる、極めて限定的な「型」を平均的な人よりも多く覚えていた、ただそれだけのことである。こんなもの、今となっては何の使い物にもならぬ。今は学生だから良いものの、社会に出たら一体どうなってしまうのだろう。「無能、無能」と、人様から嘲弄され、蔑まれ、しかしそれでも忍耐し何とか食い扶持を繋げるのか。随分つまらない人生だな。何の為に生きているのだろう。こんな私の生きている理由は無さそうだな。心臓が鼓動して生命活動を維持せんと試みるものだから、仕方なく生きているのだ。こんなことを言うと、「生きたくても生きられない人に失礼ではないか」等という説教をくれられるのが常なのだが、申し訳ない、心に全く響いてこない。不遇の者に対し、「もっと不遇の者も頑張って生きているのだから、お前も頑張れよ」と激励したところで、何の解決にもならぬ。それはその人が主体となって心得ないことには、意味を為さぬ言葉であるように思われる。話が逸れた。私は兎に角、生き甲斐というものを無くしていた。更にこれからこんなにも辛い思いをしながら生きていかねばならぬ事を思うと、げっそりした。積極的に死のうとは思わないが、何かの拍子に、フッと車が我が身体に突っ込み、その打撃で以て自身の息の根を止めてくれたのなら、随分楽になるだろうと、そんなことばかりを考えるようになった。あんまり辛い思いをしてまで、生きていたくはなかった。ただ、私の遺伝子に刻まれた生存本能が、「自殺」のカードを切ることの大きな枷となり、私を思い留まらせた。
 
 
そんなことを考えるようになった折、自身の周りで、ちょっとした事件が起こった。この場でその詳細について語ることはかなり憚られ出来ないのだが、兎に角私は、それによってこっぴどく叱責された。最近の私の生き方を不甲斐ないと思った方による、謂わば荒療治のつもりであったらしい。これまで声を荒げたところを見せなかった人が、私に向かい、大声で「いい加減にしろ」と怒鳴ったわけである。更に、「大学が辛いんだ」という私の切実な訴えを「そんなのみんな辛いんだよ、貴方だけではない。はっきり言って貴方の言っていることは“甘え”だと思う」と退けられた。これは最悪の返答であった。言われた私の方も大きな心的打撃を受け、いよいよ、心を閉ざすこととなった。苦しいときに頼れる人の少ないことは、非常に辛いことをまざまざと思い知らされた。余談になるが、この時、他者の悩みに対し「皆そうなのだから忍耐しろ、甘えるな」と返すことの無意味さ、残酷さ、救われなさを身に染みて思い知らされた経験は、後々自分にとって良い形で活きることになる。
 
 
色々の事柄が重なり、私も自身が精神的に参っていることを自覚した。遂に学生相談室のドアを叩き、そこで精神科医に、日頃自身の抱いていた苦しみの内容を伝えた。口頭では満足な説明が出来ないと考えられたため、予(あらかじ)め話したい内容の文章を作成し、それを見せる形式で伝えた。苦しみの内容を言葉にすればするほど、まるで自身の努力不足故に起こった惨事であるような錯覚を受け非常に困惑し、泣きたくすらなったのだが、構わず伝えた。精神科医は文章に一通り目を通し、文章に対する補足を促し、且つはそれを聴いた後、以下のワードを私に伝えた。そのワードは「ADD」と「ディスレクシア」であった。それぞれ、発達障害、学習障害の一つである。私は、このいずれかの可能性があるらしい。その後、医師は「取り敢えず本当に発達障害なのかどうか検査しようか」と言った。私は二つ返事で頷き、実際にその医師の居る病院へ足を運び、知能検査を受けることにした。この時、藁にも縋るような思いで受けるこの検査は、自身にとっての、最後の希望のように思われた。
 
 
(ここで力尽きる。次回に続きます。)




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