私には、人生の目標がある。それは、
“幼少期より背負った自己否定感を払拭し、その過程で得られた知見を、同じような悩みを抱える人々に伝えられる人間になる”
というもの。
現在私は、自身の“行動と認知と思考”を長年支配してきた「自己否定感」と戦っている。自己否定感に関する記事をこれまで何十と書いてきたけれど、20年以上も継続してきた思考パターンを矯正するのは容易でないから、今となっても、内面の根本にある自己否定感は払拭し切れていない。
ただ、自己否定感の払拭に向け、こうして、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤する過程の記録は、いつの日か私が自己否定から立ち直った際に、役立つものと信じている。
「今は自信に溢れている人間も、過去にはこのような自己否定感と戦っていた」という記録は、きっと同じ悩みから立ち直ろうとする人の役に立つ。それを信じて、今日もこうして、書く。
「自分はダメな人間だ」「自分は価値のない人間だ」「自分なんて愛されるわけがない」
――このような「自己否定感」が内面にある限り、人が真の幸福を感じることはできないと考える。もし「自己否定感」に内面を支配されていると感じるならば、それはどうにかして払拭できると良いだろう。
「自分はダメだ」と思うことは何も悪いことではない。物事が上手く行かない時、そのような思考に陥ることもあるだろう。ただ、「自分はダメな人間だ」という絶対的な前提が存在してしまっていて、何をするのでも「どうせ自分はダメな人間だから」という思考に陥ってしまうのは、おかしいことだと思う。まずはそのことに、気付いて欲しい。
「自分はダメな人間だ」
「こんなダメな自分なんて、誰からも愛されない」
――私もそのような思考にしょっちゅう陥っては、心が暗黒になることも多い。
そんな折に思い出すのは、「愛されない理由ではなく、どうやったら愛される人間になれるのか、考えるんだ!」と言ってくれたある人の言葉である。この一言は、私の中でガツンと響いた。そうか。「どうせ自分なんて」とふて腐れることにエネルギーを浪費するのではなく、諦めず、「人から愛され得る、魅力ある人間になること」にエネルギーを費やすことが大切なのか、と。
そこで思うのが、「人から愛される人間」っていうのは、「人を愛することのできる人間だ」ということ。これは私が、周囲の人間を観察した結果、得た解答である。
「自分のことしか考えられない人間」のままでいては、どうしても自分に自信は生まれない。まあ本当のところは
「自分に自信がない→自分のことしか考えられなくなる」
の順番だと思うのだけれど、残念ながら、自分のことにしか意識が向かない状態で他者からの愛情ばかりを欲していても、なかなか思うような愛情は得られない。「自分に自信がないから人を愛せない」のは仕方ないことだと思うけれど、それを言い訳にできるほど、世の中は優しくない。しんどいと感じるかも知れないけれど、愛されたいのであれば、まずは他者を愛し、思い遣り、いたわることが大事だと、今では思う。
「自分のことを大切にする。それと同時に、他者のことも大切にする」
――その姿勢が、自尊心を高めてくれるはずだ。他者を愛せるようになるだけで、人生は輝き出す。他者を愛し、思い遣り、他者との関わりを楽しめるようになれば、人生は素晴らしい要素に溢れかえっていることに気が付けるはず。
人を愛することのできない私は、人を愛する練習の毎日だ。
これまでは、「自分の存在が他者から認められているか」ということしか考えて来なかったので、人付き合いに際しては、常に「受け身」だった。自分が声を掛けないでも、相手の方から優しく声を掛けられれば、「ああ、自分の存在は認められている」と安心する。自分が与えずとも他者から与えられるのを確認することで、自分の存在価値を常時チェックするという「受け身」の行動の繰り返し。そうして、他者の自身に向けられた一挙手一投足を自分勝手な認知で一々解釈しては、一喜一憂を繰り返すということをし続けて来た。
「人を愛する練習」というのは、そういった行動様式を“やめる”ということである。そして自分の方から、積極的に他者に働きかける言動を取るということである。
・仕事で一日大変そうにしていた同僚に、自ら「今日はお疲れ様です。大変でしたね」と声を掛けに行く。
・久々に顔を合わせた人にはこちらから「お久し振りです。元気にしていましたか」と声を掛けに行く。(※久々に会ったような場合は、「お疲れ様です」といった普通の挨拶より「お久し振りです」の方が、気持ちがこもっているように感じます。)
・連絡は気が付き次第すぐレスポンスする。
・会話をする際は、相手が主役になるよう配慮する。尋ねられたことに対し自分が返答するばかりの会話をしない。必ず、相手にバトンを渡すようにする。
・ブログ記事は、「自分本位」でなく「読者目線」で文章を書くようにする。
兎に角、「自分本位」にならないことが大切である。自分の心の傷よりも、他者へ思い遣りや関心の方を、頑張って優先させる。「他者への思い遣り」や「関心」の向け方については、周囲の愛情に溢れている他者の言動をよく観察し、良いところを徹底して自身の言動に取り入れていくことで勉強していく。
こうした「受け身にならず他者へ働きかける」心掛けによって、ゆくゆくは「他者を愛し、思い遣り、他者に関心を示せる人間としての素地」が築かれると考えている。そして、他者を愛し、思い遣り、他者に関心の持てる人間は、恐らく、他者から同様にして愛されるものである。他者から愛されている実感が「他者不信」を払拭し、「他者不信」が払拭される頃には、「自分なんて誰からも愛されない」という感覚も、大方吹き飛んでくるのではないかと、考えている。
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