「嫌われたくない気持ち」が強い中で人の役に立とうとしても上手く行かない

今回は、対人援助職をしている私が、「人から嫌われたくない気持ちが強すぎるあまり仕事で苦労していること」をもとに書いていきます。

「人から嫌われたくない気持ち」が強すぎる中で人の役に立とうとしても、結局は上手く行かないことが多いです。

どうして「嫌われたくない」のか

そもそも“過度に”人から嫌われるのが怖くなるのは、自尊心をあまり高く持てていないからです。自尊心が低いと、「自分が傷付きたくない」という気持ちが先行するあまり、人から嫌われることや、対人関係で失敗をすることに対し非常に過敏になってしまいます。

ここでポイントとなるのは、「“自分が傷付きたくない”という気持ちが先行していること」です。「人から嫌われないように」「失敗しないように」といった気持ちが強い中で人の役に立とうとすることは、一見、「他者思い」になっているように感じますが、実は全然そんなことはありません。
自分に大半の意識が向いている状態で人の役に立つことは難しいです。次項ではその理由について簡単に記述していきます。

 

ダメなことをダメと言えない

いきなり超個人的なことを書いてしまいますが、私はなかなか「ダメなことをダメと言えない」人間です。なぜなら相手に嫌われてしまうのが怖いからです。

障害福祉分野で対人援助をしていると、やはり「やってはいけないこと」をやる利用者というのは出てきます。そういった人達に対してハッキリと「ダメなものはダメ」と注意できないのですね。それを言うことによって、私に敵意を向けられてしまう恐れがあるからです。私は人様から敵意を向けられることが、怖い。非常に、怖い。

しかし、ダメなことにダメと言えない関係は、長期スパンで見れば上手く行かないです。何かの意図があって、敢えて注意しないということであれば話はまた別ですが、「自分が傷付きたくないから」という理由で注意を怠ると、ゆくゆく行為がエスカレートしていき、収拾がつかなくなってしまいます。
 

積極的に関われない

特に関わる相手が、認知の歪み(事実に対する解釈を過度に悪いように捉えてしまう認知プロセス)を抱えているような人だったりすると、「自分が関わることで何か事態が悪くなってしまうのではないか」と恐れるあまり、自分の方から積極的に関わっていくことができません。それがたとえ、相手がコミュニケーションを求めていると分かっていたとしても。

「自分が傷付かないこと」に意識が向きすぎていると、相手の心を満たしたり癒したりすることよりも、自分を守ることに必死になってしまいます。結果、相手のニーズに応えられない。
他者と信頼関係を結ぶためには、時にこちらから積極的に関わっていくことも重要になります。それができて初めて、深い絆は生まれてくるのです。

 

自分の意思で動けず、マニュアル人間になってしまう

自尊心の低い私は、「自分の責任で物事を行っていく」ということが大の苦手です。なぜなら失敗したとき、ただでさえ傷付いている自尊心が更に傷付くことになるからです。そのようなリスクを負うくらいなら、支援マニュアルや上司の指示を忠実に守っている方が良い。
なぜならそのやり方で上手く行かなかったとき、その責任をマニュアルや上司に負わせることができるからです。このようにすることによって、自尊心が傷付くことを防げます。

そのため、「今回のケースでは臨機応変に行くべきだろう」と判断できるようなことでも、杓子定規に既存のマニュアルに沿った対応をしてしまったりします。相手のニーズに応えることよりも、マニュアル通りに関わることを優先させてしまう。このような対応では、人様の役に立つのも難しくなります。

 

アセスメントができない

「失敗することが怖い意識」が強いあまり、他者との関わりにおいて“その人を知ろうとするための新しい取り組み”を積極的に行っていくことができません。そのため、
「この人は本当は何を欲しているのだろう」
「この人は実際のところどういった人なのだろう」
といった、相手へのアセスメントができません。相手が本当に欲しているものが何なのか、こちらが主体的に探っていけないことには、真の意味で人の役に立つということが難しくなってしまいます。

 

周囲の人達に良いところを見せようとし過ぎてしまう

低い自尊心を一時的に癒す手段として、「他者からの承認を得ること」があります。自らの存在にさほど価値を見出せぬ空虚感を、他者からの承認によって埋めようとするわけです。
これが行き過ぎると、周囲の同僚や上司から「この人は上手く人と関われている」という評価を貰いたい気持ちが暴走して、結果を焦ってしまうということが起ります。

対人援助というものは、ある程度の時間を掛けて相手との信頼関係を築くことが重要になってきます。結果を焦りすぎるあまり、その過程をすっ飛ばし小手先だけのテクニックだけに頼っていると、本当の相手のニーズを汲み取ることができません。また、眼前の相手の役に立つことよりも、周囲から認められること(よく思われること、よく見られること)を優先してしまうので、こうした理由でも、真の相手のニーズを汲み取ることに意識が向かないのです。私もこれをやって何度失敗したか、何度自己嫌悪に陥ったか、分かりません。
 

感謝を要求しすぎてしまう

これに関しては私には無いのですが、自尊心の低い人が何らかの奉仕活動をした際、「相手に過度に感謝を要求してしまう」という特徴が現れることがあります。これは自尊心の低さを相手からの感謝によって癒して貰おうとする魂胆から生じるものですが、こうした姿勢も、「人の役に立つ目的」から外れた行為であると言えるでしょう。

確かに、「してもらったのだから感謝をするのが礼儀だ」という考えも分かりますが、それを過度に押し付けるのはやはり良くないかなと思います。
“自分が相手のために何かをした”
“それによって相手が満足した”
本来は、こうした事実一つあれば、奉仕した側も幾分満たされているはずなのです。過剰な感謝を求めてしまうのは、その気持ちは分かるのですが、やはり過度に相手に求めてしまうのは、違うかなと思います。
 

自分のしたこと対しポジティヴな応答を求めすぎてしまう

自尊心の低い人は、相手を自分の思い通りにコントロールすることによって、低下した自尊心の回復を図ることがあります。取り分け心理的に未成熟な親が、自身の子供を心理的にコントロールし自分の思い通りの言動を取らせることによって、親自身の自尊心の回復を試みようとする例は枚挙にいとまがありません。

奉仕する側-奉仕される側
の関係にもこうしたことは起りやすいのではないかと考えています。奉仕する側の人間が、される側の人間を自分の思い通りにコントロールしようとする。例えば、
自分の言うことに“NO”を言わせない関係
を築いていってしまうということですね。親が子供に言う「あなたのために言っているのに」というやつはその典型ですね。子供の望まぬことをやって、子供がそれに抵抗しようものなら、
「何だその態度は」
「あなたのためを思ってやっているの」
と、子供を責め立てる。こうして子供はどんどん“NO”の言えない人間になっていきます。もはやこれは支配-被支配の関係になっています。

当然、このような“支配-被支配”の関係において、健全に「相手の役に立つ行為」が取れません。
 

本当の意味で「人の役に立つ」ためには

それでは、どのようにすれば本当の意味で「人の役に立つ」ことができるようになるのでしょうか。「嫌われることを恐れないようにしましょう」という言葉ひとつでは、到底解決しない問題です。
一番大切なのは自分自身の自尊心を高めることなのですが、そのためには比較的長期間に渡り自己改善を図る必要があり、なかなか一筋縄でいかないというのが実情です。明日から効力を発揮するような、具体的な改善策はないのでしょうか。

ここで私は、「自分の考えを持つこと」「自分に意識を向けないこと」の二つを、明日から実践できる効果的な改善策として提案したいです。

「自分の考えを持つこと」とは、人の役に立つ上で自分自身が一体、何をするべきなのかを自分の頭で考え、具体的にしておくことです。これは“役に立ちたい相手”によって、回答は色々と異なってくるでしょう。

・こちらから積極的に関わっていくことが大切だと思うのか
・多少厳しく注意し続けることが大事だと思うのか
・自分がかなり我慢してでも、相手の甘えに寄り添っていくことが適切だと思うのか
・○○のケースでは、どのような対応をしていけば良いのかetc.

ここは自分の頭でしっかりと考えることが大切です。同僚からの見られ方とか、自分の見栄とか、そういったものは無視です。自分の頭で、その人の役に立つために最適と思われる行動は何かを考えます。

「自分の立場をはっきりさせる」ことによって、自分の中に一本の芯が通るようになります。その芯が、人の役に立とうとする上での、自身の心の拠り所になります。心の拠り所がなければ、いざと言うときに何を基準に行動すればいいかが分からなくなり、右往左往してしまうことになります。この右往左往のリスクを減らすだけでも、対人の世界がかなり変わってくるのを感じると思います。

そして自分の立場をはっきりさせたら、その行動を自分の意思と責任で実行していくようにしましょう。ただ、やってみると分かりますが、そう簡単に、「自分の立場に従って眼前の相手と関わる」ことは難しく感じると思います。それはやはり「自分が傷付きたくない」という思考が、自分が傷付くことから守るのに必死になっているからです。

・注意した方が良いと分かっているのに、相手から敵意を向けられるのが嫌で注意できない
またはその逆に、
・見逃してやって良いと思う言動なのに、つい感情的に怒ってしまう

このような状況に陥ると思います。そこで大事になるのが、「自分に意識を向けないこと」なのです。

“自分の立場”と“自分の行動”が一致しないのは、自分の意識の矢印が、自分の感情だったり、心の傷だったりというものに向かってしまっているからだと思います。しかし「人の役に立つ」ことを目的としているのなら、意識の矢印は自分ではなく相手に向かっていなければなりません。

意識の矢印が、「この人の役に立つ行動は何だろう」といったように相手に向かわず、「自分の腹が立った」とか「自分が傷付くのが怖い」といった自意識の方に向いてしまっていては、適切な行動を選択することができません。そこで、この意識の矢印を、意識的に“相手の方向”へと持って行く努力が重要になります。相手に意識の矢印を持って行くことによって、
「現実的な問題対処」
ができるようになります。目の前で問題が起っている。そんなとき、“感情ベース”に自分が深く傷付いたり、過度の怒りに囚われたり、といったことで消耗するのではなく、目の前で起っている“事実ベース”で、感情に囚われることなく、“自分が今すべき行動を素早く取る”ということができるようになります。
今目の前でこんなことが起っている。「腹が立つ」
ではなく、
今目の前でこんなことが起っている。自分が今すべきなのは○○の行動だ
といった具合に思考することができるようになります。

これは一度経験して頂けると分かるのですが、過度に感情に囚われることなく“事実ベース”に行動できるようになると、人と関わる際の世界というものがまったく変わってきます。この感覚を体感したら、後は先程の「自分の考えを持つこと」と併せて、自身の行動を修正していけばいいのです。仮に自分の立場が間違ったものであったとしても、過度に自身が傷付くようなことなく、「ああ、この人にこのやり方は合わないのだな。別の関わり方をしなければならないな」と冷静に分析し、それに応じ自分の立場を最適なものに近づけることができるようになります。

こうした意識改革を日々繰り返すことによって、段々と、人と関わっていく際の適切なマインドというものが分かってくるようになると思います。そしてその意識改革が、ゆくゆくは自尊心の回復にも繋がるものと、私は考えています。

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