境界性パーソナリティ障害っぽい人と対峙した9ヶ月




今回は、今年度に入って、仕事において最も苦労したことを書いていきたい。

今年度に入り、私はグループホームに異動となった。この職場で働くということは、自身26年弱積み上げてきた生活リズムを数時間変えることへの適応を迫られると共に、たった一人で施設内の業務を遂行する必要があるということであった。従って、施設内で起こる様々の良いことも悪いことも、概ね自分一人で抱えることになってしまうわけだが、当然、悪いことが起こった際の感情処理に関しては相当骨を折った。特に物事が上手く行っていなかった序盤は死ぬる思いだった。

4月。私の配属されたグループホーム内には、いつも何かに怒っている、一人の入所者がいた。社内でも、
彼は関わるのがとても難しい人
として認識されていた。そのため会社全体で、彼が笑顔で日常を過ごすことのできるよう、彼の要求を可能な限り満たそうとする動きが取られていた。彼は他の施設利用者に比べて、特別な扱いをされていた。事実彼の口から発せられる要求は、他利用者の要求の何倍も満たされていた。しかし彼は常に不満そうにしていた。一応、彼の要求の満たされる瞬間だけは機嫌良くしているのだが、その要求が満たされ終わってしまうと、途端に不機嫌になった。そうして機嫌が悪くなると、その憂さ晴らしなのであろうか、通所施設やグループホーム内で、公共の福祉に反する行動を取ることも多かった。そうして職員から注意を受けると、更に不機嫌になり、問題行動が増えるという悪循環を見せていた。ちなみに彼は、知的障害は抱えているものの、簡単な言葉のやり取りくらいはできる人である。
私が今年度で最も苦労したのは、そんな彼との関わりについてである。私はグループホーム内で勤務をする1日の9時間、一人で彼と対峙しなければならなかった。
彼は毎日のように何かにイライラしていた。たまに笑顔になってご機嫌な様子を見せることもあったが、本人にとって何か不都合があった際にはサッと表情が一変した。彼は基本的に苛ついているので、施設内で何か悪さをすることが多かった。従って私は初め、彼が悪さをしてしまうような原因物質(まぁ“物質”に限らないのだが)を、施設内から徹底的に取り除くよう努めた。これにより、
悪さをする→職員に注意される→ますます不機嫌になる
という流れを断ち切ることができると考えたからである。仕事の能率が著しく下がることも厭わず、私は徹底的に取り除いた。しかし職員から注意を受ける機会が著しく減少したにも関わらず、彼の機嫌は全く直らなかった。いやそれどころか一層悪くなっていた。「どうしてこの人は(悪いことを)やらせてくれないんだ」という怒りだったのであろうか。「職員から注意を受ける」というものは、彼の怒りの根本原因ではなかったようである。
ただ、私も決して完璧でばかりはいられない。たった一人で複数人の入所者の世話をするという環境の下、9時間の間、100%、彼の問題行動を誘発するような原因物質を取り除き続けることは難しく、それができない瞬間もあった。その際、彼は数少ないチャンスを逃さずに「やっちゃダメ」と言われていることをやってのけた。これには無論私も注意せざるを得ないわけだが、それによって尚のこと、私と彼の関係は悪化したのであった。最初の内は笑顔で「亀井さん!亀井さん!」と話し掛けてくることもあった彼だったが、出勤を重ねていくうちにみるみる関係が悪化し、しまいには私の姿が目に入ったり、私が彼に近付いたというだけで不快そうな表情をするようになってしまった。私は異動してから一ヶ月も経たぬ内から、どうしていいか分からなくなってしまった。
また、彼の口から実現不可能の要求が出された際の対応にも閉口させられた。基本的に私は彼の機嫌を損ねぬよう、彼の口から為される対処可能の要求に対しては「いいよ」「いいよ」と前向きな返答をするようにしていた。彼は自身の要求に対し職員から「いいよ」という返答が返って来たときに限り、機嫌を大きく損ねるようなことはなかった。従って会社全体も、彼の要求を極力聞くようにするという方針を取っていたわけである。しかし、いつでも彼の口から実現可能の要求が出されるわけではない。例えば、「10万円が欲しい」という要求。無理な話である。しかしこのような要求に対し、「それはできないよ」と言ったらどうなるか。それまで彼がどんなに機嫌良さそうに過ごしていたとしても、一瞬にして不機嫌に怒り出し、その怒りを悪い方法によって発散しようとしてしまうのである。従って私は、このような場合の返答に窮した。ただ、やはり無理なものは無理だと言わねば彼のためにならないと思ったので、やはり「無理だ」と根気強く応えていた。しかしこれによって更に彼との関係が悪化したのであった。私と交代で入っている先輩社員も同様にして対処していたのだが、その先輩社員も私も、彼との関係性は非常にまずいものになっていた。

5月に入っても、その傾向は変わらなかった。相変わらず彼は毎日のようにイライラしていて、それでも機嫌良さそうに過ごしていることもあるにはあるのだが、ほんの些細なこと(例えば、服が上手く着られなかった、移動の際壁に体をぶつけた等)一つで、一瞬にして機嫌が悪くなってしまう。そうしてそのイライラを、色々なものにぶつける。それはほぼ望ましくない行動として現れていた。このときの私は、彼の見せる諸々の言動が「ワガママ」としか思えなくなっていた。自分の気に入らないことがあったらすぐに機嫌を悪くし、色々なものに当たり散らすなど言語道断、決してあってはならないことであり、とても看過できない問題だと思った。確かに、「障害」によって日常生活において色々と上手く行かないことが多いのは辛いだろう。ただ、いくら生きていくのが辛いからと言って、やっていいこととやってはいけないことがある。イライラしたからと言って、人に罵声を浴びせて良いのか。障害によってそのような表現しかできないのであれば話は別だが、彼に限ってはそうではないだろう。断じて、してはいけないことである。しかしそれを彼にどう分からせたら良いものか、ちっとも分からなかった。4月の時点で、すっかり万策尽きてしまったように思われた。
この件に限ったことではないが、“打つ手がない”という状況は精神的に非常に厳しいものであった。おまけに私は残念なことに、精神未熟者である。自身の認知に歪みが生じている故、とても傷つきやすい人間である。気にする必要がないことを頭で分かっていても、出勤する度毎回大きな声で不快感を示されることは、精神的にかなり堪えた。というのも、認知に歪みのある私にとって、彼の私に向けられる敵意の言葉の数々が、まるで自分自身の存在を否定されているように聞こえてしまうからである。そうでないことは頭では分かっている。けれども心は「自身に対する人格否定」と受け取ってしまう。そんな私の精神の未熟性が、この一件の困難をますます強めているのであった。
私は、頭ごなしに私の人格を否定してくるような人間は早々に見限って、距離を取っていたいと思った(これは何も私に限った話ではないと思う)。本来であれば私の方から彼と距離を取るようにするわけだが、しかしこの時の私は、「真の愛とは何か」「真の優しさとは何か」といった哲学に完全にかぶれており、
「自分にとって都合のいい人だけを愛する(優しくする)、という姿勢は『真の愛(優しさ)』とは呼ばない。自分にとって不都合の人さえ受け入れてこそ初めて『真の愛(優しさ)』を語ることができる」
という信念を持っていただけに、彼を「見限る」ことにはそれなりの抵抗があった。そもそもこれらは“仕事中”に起こっていることであるから、その哲学を全く放擲して、その場から逃れることも難しかった。仕事だから我慢が生ずるのは仕方がない。しかし「仕事だから」ということ以上に、「こういった人ともどうにかして分かり合うことはできないものか」という考えの下、私は彼との関わり方について考えていた。しかし良案は何も浮かばなかった。八方塞がりのように思われる状況の中、早くも私は出勤するのが憂鬱になっていた。ちなみにその「憂鬱になっていた」時期に作成された記事が『グループホームは辛いよ』『出口の見えるトンネル』のような鬱屈したものだったのはそのせいである。

転機が訪れたのは5月頭(確か3日の金曜日)のことであった。その日、彼は比較的機嫌が良いように見受けられた。私に対して笑顔で接する場面も度々見られた。珍しく、特に声を荒げて不快感を露わにすることもなかった。この日は平穏に過ごせるのかなと思っていた矢先、一人の訪問者があった。その訪問者は件の彼のお気に入りの人であった。たまに彼を外出に連れて行き、美味しいものを食べさせてあげることのある人である。良い思い出を与えてくれる訪問者を、彼はとても好きである。彼はその訪問者を一目見るやいなや、これまで機嫌の良さそうだった表情を一変させ、急に、何かを必死に懇願するような表情を見せ始めた。そうしてその訪問客の方に駆け寄っては、「助けて」というようなことを主張し出した。それはまるで、私が彼に意地悪をしているかのような物言いであった。とんでもないことを言い出すものである。私自身、
「『助けて』ほしいのはこっちの方だよ」
と思いながらも彼を観察し続けていると、訪問客に助けを求めていた彼の顔が、くるりとこちらを振り返った。その目を見て、私は驚愕した。私に真っ直ぐ向けられたその眼差しは、凄まじい敵意に満ちていたのである。つい数分前までは私に対し笑顔で接していたにも関わらず、この態度の急変は何事か。私は26年近く生きてきて、人様からあれほどまでの敵意剥き出しの眼差しを向けられたことがなかった。「人様から敵意を向けられないためにはどうするか」ということばかりを気にして生きてきた人間にとって、眼前に展開されている光景には大変な衝撃を受けざるを得なかった。気にする必要がないと分かっていても、人様から敵意を剥き出されることは私にとって非常に辛いことに思われた。
しかしそのとき、私は「妙だな」と感じた。それまで笑顔で接していたはずの人間に対し、よくもこの短時間で、ここまでの敵意を出せるものだ。あまりに感情の波が激し過ぎるのではないかと思った。そして私は、「気分の変動が激しく感情が非常に不安定である」といった特徴を示すパーソナリティについて、幾何かの心当たりを持っていた。それは「境界性パーソナリティ障害」というものであった。境界性パーソナリティ障害の人は、次のような特徴を示すことで知られている。1)

1.見捨てられ不安としがみつき
「自分は価値のない人間だ」という意識を強く持っている境界性パーソナリティの人は、他人から「見捨てられる」ことに対する不安が非常に強い(「見捨てられ不安」という)。そのため、他人から「見捨てられ」ないよう、「他人にとって価値のある人間であろう」として涙ぐましい努力をする(ex.過剰に他人のご機嫌を取ろうとする等)。しかしその努力も虚しく、他人が少しでもその人をないがしろにするような言動を取ったならば、過度に落ち込んだり、逆ギレして非常に攻撃的になったりと、非常に不安定になってしまう。
2.両極端で不安定な対人関係
対人における評価基準が「良いか、悪いか」という両極端な形で表れる。「二分法的認知」「白黒思考」「理想化とこき下ろし」などといった言葉で知っている人も多いかも知れない。境界性パーソナリティの人がそれまで「最高の人」と理想化していた人が、ほんの少し期待外れのことをしただけで一転、「最悪の人」「信用に足りない人」という評価に落ちてしまう。境界性パーソナリティの人にとって、99%が素晴らしくても、残りの1%気に入らない部分があると、全てがダメに見えてしまう。このような両極端な認知が対人関係を不安定なものにしてしまう。
3.めまぐるしい気分の起伏
気分や感情についても両極端な変動を見せる。全てが素晴らしく思えるときと、全てが悪く思えるときの差が大きく、その気分がめまぐるしく変動する。気分が良くなったり、沈んだり、イライラしたり、不安になったり等といった気分の起伏、変動がめまぐるしく変化する上、それが長い時間続くことは稀である。
4.反復する自殺企図や自傷行為
「自分のこの苦しさに気付いて欲しい」という動機でリストカットやOD(drug overdose)等の自傷行為をすることがある。対応を誤ると自傷や自殺未遂に留まらず、本当に自殺を完遂させてしまう恐れさえある。
5.自己を損なう行為への耽溺
境界性パーソナリティ障害の人は、薬物等、確実に自身を蝕む行為に耽ってしまいがちな傾向がある。
6.心にある空虚感
境界性パーソナリティの人は、心の空虚感に悩まされている。幸せを感じている最中でさえ空虚感を感じていることがある。「幸せを感じ続ける」ということが苦手なのである。
7.アイデンティティ障害
「自分が何者か分からない」「自分が何をしたいのか分からない」「何故生きているのかが分からない」といった感覚が非常に強く、衝動的な行動に走ったり、スリルを求めることで、自分の存在を確かめようとすることがある。
8.怒りや感情のブレーキが利かない
境界性パーソナリティ障害の人はその傷付きやすさのため怒りのブレーキが利きにくく、自分にとって気に入らないことが起こると、些細なことでも感情的に激しい怒りにとらわれ、自分でも自制ができなくなってしまうことがある。
9.解離や一過性の精神病状態を起こしやすい

確かに彼は、「できない」とか「ダメ」といった否定的な言葉に激しい怒りで反応する。そしてその怒りのブレーキがなかなか利かない。それまで「良い人」だった人がある一事をきっかけに「最悪な人」に変わる。“強い”叱責を受けた後は、相手の機嫌を取るような行為を見せることもある。ニコニコしていたと思えばすぐに不機嫌になったりと、感情の起伏が激しい。おまけに4月以前は躁うつ病のような病態を示していた時期もあった――。私はひとまず彼を「境界性パーソナリティ障害」と仮定して、今後の対応を検討してみようと考えた。
ちなみに私は、境界性パーソナリティ障害をはじめとする人格障害の原因を「愛着」の観点から分析したがる性癖を持つ人間なので、彼の人格の問題を愛着の問題と勝手に結び付けようとした。すなわち、私は彼の見せる種々の問題行動の原因を「彼の抱いている愛情飢餓感」に帰着させた。彼は何らかの要因によって、大人になった今となっても誰かからの「愛情」を欲しているのだ。それも、「無償の愛」なる深い愛情である。この愛情飢餓感こそ、彼に境界性パーソナリティ障害らしき症状を呈させている主要因であり、従って彼の愛情飢餓感が満たされていけば、自ずと彼の問題行動は減っていくはずだろう。――私はこのような仮説を立てたのであった。
こうして、これらの要素が私の頭の中で初めて一本の線となって了解されたのであった。ここで私は、彼とこれまで通りの方法で接していたのでは、事態はちっとも改善しないことを承知した。傷付きやすい人には、それなりの接し方というものがある。愛情に飢えている人には、それなりの接し方というものがある。私はそれをよく知っているはずだ。思い立ったら吉日。私は早速それを実践することにした。具体的には以下のようなものである。2)

1.極力否定的な言葉を使わない
自己否定感が強く、常に「見捨てられ不安」を抱えている人は自分の評価が下がることに非常に敏感である。従って、否定的な言葉に対し過度に落ち込んだり、逆ギレして攻撃的になったりと、過剰反応する傾向がある(それは認知の歪みを抱えている私も似たようなものなのだが)。従って私は、彼の要求に対し極力「それはできない」とか「無理」といった言葉を使わないよう心掛けることにした。また、出来る限り本人の行動を許容することにする、つまり職員の「こうしてほしい」という意向に反する行動を彼がしても、他人に迷惑を掛けるものでないならば譲歩して受け入れることにして、「ダメ」という機会そのものを減らすことも心掛けた。
2.本人の気持ちに共感する
特に、常に「自分は相手から受け入れられるか」ということをテーマに生きている境界性パーソナリティ障害の人(不安定型愛着障害の人)に言えることだが、共感というものは、その人にとって大きな救いになる。こちらにとってはなかなか同意し難い事柄であっても、敢えて共感の姿勢を示すことで、「自分の気持ちが分かって貰えた」、「自分が受け入れて貰えた」という感覚を彼に持ってもらい、心を開いてもらうことが大切である。従って彼の実現困難な要求に対しても、実現不可能の旨を伝える前に、その話に一度は共感を示すというワンクッションを置いて対応するようにする。
3.本人と積極的にコミュニケーションを取る
彼が何らかの不満を抱きそれを察して欲しいと考えている際に、こちらが無反応でいたのでは「見捨てられた」「自分がないがしろにされた」と思われてしまう可能性がある。積極的にコミュニケーションを図ることで、「ああ、自分は大切にされているのだな」「自分は見捨てられていないのだな」という安心感を持って貰うように努める。
4.本人と接する際は極力明るく振る舞う
「私は貴方の敵ではないですよ」という意思表明である。こちらのほんの些細な表情の変化にも過剰反応して「見捨てられた!」と思われてしまう可能性があるので、こちらが意識的に明るく振る舞うことで、本人に「この人は自分を責めているわけではない」「この人は自分を否定しているわけではない」「この人は自分を見捨てているわけではない」という感覚を持って貰うよう努める。
5.看過できない問題に関しては厳粛に対処する
極力否定をしない、というのは徹底していきたいが、例えば他者に危害を加えてしまう等といった、人道に関わるどうしても看過できない行動を取った際には厳しく「ダメなものはダメ」ということを伝える。何も「愛情飢餓」の問題は、本人の言いなりになることだけが最善策であるわけではないのである。寧ろ、本人が「信頼できそう」と思った人に自分のことを怒って欲しくて、敢えて悪いことをしているということも現実にはあるらしい。そのようなときに逆に受け手側が怖じ気づいて何も怒ることができないと、却って信頼関係が崩れることもある。(“いきものがかり”も「ホントは本気であたしを叱ってくれる大事な人」などと歌っているが、「叱」るというのは時と場合によっては信頼関係構築のためには必要不可欠なのである。ちなみに私は絶対に叱られたくない人なので、そういった人の心理はイマイチ理解できない)
6.条件付きの愛情にならないよう注意する
「お利口にしていたときだけ優しくする」「こちらの言う通りにしなかったら無視をして懲らしめる」といった「条件付きの愛情」を用いた手法で本人を心理的コントロール下に置かない。これをやってしまうとパーソナリティ障害は改善に向かわない。本人が求めているのは、「○○したら愛してあげる」といった条件付きの愛情ではなく、「悪いことをしても、言うことを聞けなくても、それでも貴方を一人の人間として尊重します」、という無条件の愛情である。本人の良いときも悪いときも、一貫して「貴方を見捨てない」という姿勢を取ることを心掛ける。

このようにして私は以上の指針を打ち出し、これに従い彼と徹底的に対峙してみようと考えた。私にとって、これまでの彼は、彼の発言、要求の全てが満たされなければ満足して生きられないワガママ人間のように思われていた。そのため彼との最適な対峙法というものがどうしても見出せずにいたが、実は彼が本当に求めているのは先で述べたような「物欲」では決してなく「愛情欲求」であると仮定すれば、このような対策が見えてくる。もし彼の抱えている人生に対する不満の原因が「物欲」ではなく「愛情飢餓感」なのであれば、どんなに彼の「物欲」が満たされても、どんなに彼の要求が満たされても、真の問題解決には至らないだろう。つまり今のまま、どんなに彼の物欲を満たそうと努めたところで、事態は全く好転に向かうことはないということである。
道が開けてきた気がした。私は、自身がこの指針を頭の中で打ち出してみせたその晩は、興奮のあまりちっとも寝付けなかったのをよく覚えている。

そしてその実際の効果であるが、「あまりに早過ぎやしないか」と訝りたくなる程、早くに表れた。
対応初日のことである。この瞬間のことはよく覚えている。私が洗面所にいる彼に近付いたときのことであった。彼はいつものように、怒りに震える声で、私に実現の到底難しい要求を突きつけてきた(恐らく、「できない」と言われることが分かっていて言っている)。従来の私であれば、「それはできないなぁ」と返すところなのだが、ここは共感のクッションを挟むことが必要だと考えた故、「へぇ、それが欲しいんだ。確かにそれがあったら楽しそうだもんね」等とワンクッション(いやそれどころか実際はツークッションもスリークッションも置いたのだが)置いた後で、「ごめんね」を言うときの口調で「本当は『良いよ』と言ってあげたいのだけれど、申し訳ない、それは難しいんだよなぁ」と返した。すると、彼は何やら肩透かしを食らったような感じで、なんとそれ以上に怒ることなく、会話を終了させたのであった。私はこの一件で確かな手応えを掴んだ。以降も、彼が何かを発言する度、すぐに否定するのではなく、共感の言葉を何度も重ねた後、「それでも実現は困難である」という旨を伝えるようにした。それにより、彼がいつものように荒れてしまうことも勿論あることにはあったのだが、その頻度は格段に落ちていった。
また、私は彼に積極的に話し掛けるようにした。それも明るい調子で。これまでは、彼は基本的に自室に篭もっており、何かの拍子により物理的距離が縮まらない限り、私と進んで会話をすることは稀であった。私も私で、怒られるのが怖いので彼と会話するのを極力避けるようにしていた。しかしそれをやめた。私の方から彼の部屋を積極的に訪れ、彼に「調子はどう?」とか「喉渇いてない?」とか、そんなしょうもないことを頻繁に話し掛けるようにした。ただ、話し掛けに行くと、私は結構な頻度で彼から怒られた。「元気?」と声を掛けただけだが、大きな声で「ムシャクシャする!」と叫ばれたりした。しかしそれでもめげずに彼と会話を続けた。特に「来るな!」とも言われなかったので話し掛けに行く頻度も減らさず、会話が続いた際には、彼が怒りに任せて大きな声を出していても、粘り強く対応した。そこでも共感の言葉を忘れなかった。ただ、彼が自室の戸を閉め切っているようなときには、敢えて何もしなかった。来て欲しくないときには自室の戸を閉めればよいという逃げ道を作った。ただ、そのようなことを続けていたら私がノイローゼになりそうになった。先にも述べたが、私は精神未熟者である。「気にする必要はない」と分かっていても、やはり私に対し否定的な言葉を投げかけられるような場所へと自ら足を運ぶことは、相当のエネルギーを要した。私は人様から否定されることを恐れて生きてきた。人様から否定されないためにはどう振る舞えば良いか――そればかりを考えて生きてきた。そのような人間にとって、人様から大声を出され続けるという経験は、堪えた。非常に堪えた。彼の部屋であったり、彼自身に近付く度に心臓の鼓動が速くなったし、具合も悪くなった。しかし当時の私は、先程も述べた通り、「真の愛とは」「真の優しさとは」などという哲学にかぶれきっていた。そのため、「自分にとって不都合な人も愛せるようにならなければ嘘だ!」などという根性論で自分を奮い立たせて、果敢に彼の部屋へ足を運んだ。そうして怒られた。
しかしその懸命な努力の甲斐あって、彼は次第に声を荒げるようなことがなくなっていった。なんとニコニコと会話をすることが増えてきたのである。この実績により、私は更に手応えを感じたのであった。
そのような対応を続けていくと、1ヶ月(私にとっては3ヶ月くらいに思われた)も経たないうちに、他部署の人から「彼、最近明るくなったよね」と言われるようになるほど、彼は良い方向に変わっていった。現に6月半ばになる頃には、これまで彼が必ず荒れてしまっていたようなシチュエーションでも、全く荒れないということがかなりの頻度で見られるようになっていた上、これまで「ダメだ」と注意されていたことを、彼は殆どすることがなくなっていた。それどころか、私の不注意で、彼が悪いことをしてしまう原因物質を取り除くのを忘れていた際、その原因物質を自ら私のところへ持ってきて、「これ、片付け忘れているよ」と伝えてくれる程になっていたのである。これには感動した。そんなこともできる人だったのか君は!

ただ、勿論全部が上手く行くわけではない。私の献身的な努力が無残にも裏切られるようなことも山ほど経験した。彼にだって虫の居所が悪いときはある。そのときは端から不機嫌そうな調子で、私に無理難題の要求を突きつけてきた。「無理」と言われることを分かっていながら言っているようにさえ見受けられた。そんなときは、いくら共感の言葉を重ねてもダメであった。その要求が実現不可能であることが分かるにつけ、凄い勢いで荒れ狂い、私に襲いかかってくることもあった。また、他の入所者に手を出そうとすることもあった。けれどもその際は徹底的に注意し、行動を改めるよう促した。ダメなものはダメだと言い続けた。こういうときは、決して中途半端な対応をしてはいけない。同じ事をしても、怒られるときとそうでないときがまちまちだったりすると、何が良くて何がいけないことなのか分からず、混乱するからである。そうしてその混乱が、その人に対する不信感に繋がってしまう可能性がある。これは避けなければならない。しかしその一件を材料に、長い時間彼を責めることも同時に避けた。彼の行動を一度厳しく戒めたなら、それ以降はいつもと全く変わらぬ優しい対応をするよう心掛けた。「悪いことをしても、言うことが聞けなくても、貴方を一人の人間として受け入れます」、という姿勢を示すことが必要であるためである。私は、ここだけは絶対にブレてはいけないと思った。「貴方を一人の人間として受け入れます」という姿勢は、無条件の愛情に繋がると考えたからである。ただ、この「ブレてはいけない」指針さえ、9ヶ月の間で一度だけ大きく破ってしまったことがあった。
その日は、酷かった。彼は絶不調の様子で、何かと私に悪態をついてきた。その上、いつもに増して無茶苦茶な要求をしてきた。私は必死にそれに耐えた。言いたいことの100個200個を我慢して飲み込む程の忍耐をしていた。私が、彼の不調に由来する諸々の事柄を受容して、受容して、私のその我慢の受容の姿勢から、彼が何かを感じ取ってくれればいいなと望んだ矢先であった。その期待を嘲笑うように、彼が他入所者に悪事を働いた。私はそのとき、人生において最も感情的になった。挙句、その感情の暴走を止められず、これまで積み重ねてきたものを破壊する勢いで彼を責め立ててしまった。さすがに彼も反省したのか、それからその日は落ち着いて過ごしていた。私は「遂にやってしまったな」と思った。何となく嫌な気分だけが残った。翌日の出勤の際、「昨日のあの一件で、これまで築いてきた関係が台無しになってしまったかもしれない」と懸念されたが、幸運にも、彼との関係はこの一件では壊れなかった。その日彼は、私に相も変わらず笑顔で話し掛けてきたのである。
私も決して完璧な人間ではないから、そのようなことも確かにあった。しかしどうにか関係改善を図り、前に進んでいくことができた。
兎に角そのようにして、ドラマティックではあるが確実に、彼との関係は良好なものになっていったのであった。
7~8月頃には、彼が不調でなければ、彼の口から出された実現困難な要求に対し、私が共感の言葉をすっ飛ばして開口一番「それは難しいね」と言っても、ちっとも荒れなくなった。
9月になると、何も私から話し掛けなくても、彼の方から私を積極的に呼び止める機会が格段に増えた。そのため、私の方から彼の部屋を訪ねる機会はほぼ0になった。
10月になると、少々彼の虫の居所が悪く調子の悪い日でも、こちらが献身的に関わっていくことで、一日の終わりにはとても穏やかな表情で過ごすことができるようになっていた。
そして12月も終わりに差し掛かってきた今や、基本的に自室で過ごすことの大半だった彼が、共有スペース等の「部屋の外」で過ごす時間が増えるようになっていった。
適切と思われるアプローチを施すようになってから、笑顔が本当に増えた。毎日のように怒っていた彼の姿はもうない。多少悪事を咎められることがあっても、それをきっかけに荒れ狂うことも殆どなくなった。これも信頼関係が構築されているからこそ為せることなのかなと思っている。今日となってもまだ沢山の課題はあるものの、現状、とてもにこやかに過ごしている彼を見ると、「ああ、自分はよく頑張ったな」と感慨深い気持ちになる。彼の「愛情飢餓」にコミットした対応も、「実は間違っていたのではないか」と思わされるような上手く行かない日も沢山あったが、それでもその理論を信じて突き進んで良かった。そう感じている。

一般的に、パーソナリティ障害の改善には数年単位の年月が掛かるとされている。そう考えると、この彼の場合僅か8ヶ月弱という短期間であまりに順調に事が運んでいる故、果たして彼が境界性パーソナリティ障害だったのかどうかは分からない。ただ、彼の人生に対する不満の原因に「物欲」ではなく「愛情飢餓感」を仮定し、それを満たすよう懸命に努めた自身に、私は自分の事ながら「よく頑張ったね」と言ってあげたいなと思っている。

参考文献
1)岡田尊司「パーソナリティ障害がわかる本」(2014) ちくま文庫 pp.103-123
2)岡田尊司「愛着障害の克服」(2016) 光文社新書 pp.223-230




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9件のコメント

  1. すごいです。ここまで分析して実行できる人はそういないと思います。あなたは能力のある人間ですよ。素晴らしい❗

    1. 有難うございます。この一件に関しては我ながら「よくやっているなぁ」と思うところがあるので、嬉しいです。

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