非行少年の更生を目的とする様々なアプローチをまとめてみた【更生の方法】

先日、
『人が非行に走る原因と非行少年の心理をまとめてみた』
という記事を書いた。

人が非行に走る原因と非行少年の心理をまとめてみた


軽くおさらいをすると、

一、原因
非行少年は、なにも悪いことをしたくて非行に走ったわけではない。
幼少期に育った家庭環境が何らかの問題を抱えており、それによって心に歪みが生じ、その歪みが様々な社会的不適合を引き起こす。自身の直面している厳しい現実から逃れようと、あらゆる問題行動(非行)に走ってしまう――そのようなメカニズムを理解することが大切である。

二、非行少年の心の闇
非行に走る少年の心理には、以下のような心理的問題が潜んでいる。
ⅰ)自尊心が低い/自己否定感が強い
ⅱ)現実逃避がしたい
ⅲ)非行するのが当たり前の環境に染まっている
ⅳ)養育者への憎悪が激しい
ⅴ)発達障害×虐待/知的障害×虐待による心の歪みと社会的孤立
ⅵ)虐待による脳の萎縮
ⅶ)共感性の欠如
ⅷ)感情が未分化である
ⅸ)命の重さを理解していない
ⅹ)親元へ返されたくないため少年院に入ろうとする

三、非行少年の更生のために
非行に走った少年に法的な罰を与えるだけでは、問題は解決しない。少年が非行に走ってしまった経緯をきちんと理解し、一人ひとりに合った矯正教育を施すことが、再犯防止、問題解決のため非常に重要になってくる。

ということであった。
今回は、前回の記事で詳しく述べられなかった、

「非行少年の更生には、どのような取り組みが有効になってくるのか」

に焦点を当てて、紹介していきたい。

ちなみに前々回の記事(『人が非行に走る原因と非行少年の心理をまとめてみた』)、今回の記事はいずれも、ノンフィクション作家である石井光太著『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』を参照し、その内容についてまとめたものであることをご承知頂きたい。

1. 自尊心を回復させる取り組み

非行少年を更生させる上で、少年の自尊心を回復させることは非常に重要になってくる。自尊心が低いまま社会に出ても、対人関係や認知といった面で様々な課題を抱えていては、社会に上手く馴染めず、再度非行を犯してしまうことになりかねない。

また、自尊心の低い人は、
「自分なんてどうだっていい」
「自分なんていらない」
「自分なんて愛される価値がない」
のような、ネガティヴな考えに囚われている。自分のことさえ「どうでもいい」と感じている人間が、人の立場に立ったり、人の気持ちを考えたり、人を思い遣ったりすることは難しい。

そこで、非行を行った者の自尊心を回復させることは、更生のための重要なステップになってくる。

それでは、低下した自尊心を回復させるため、少年院ではどのような取り組みが為されているのだろうか。

少年院では、国によって決められた指導が複数用意されており、寮生活も含めすべてに共通して行われているのが、「自己肯定感を育てること」だそうだ。例えば、
少年のちょっとした努力を認めてあげる、
ボランティア活動を通して感謝される喜びを教える、
スポーツやアートで達成感を味わわせる
等の取り組みによって、自己肯定感を育てていく。

少年院では多くのプログラムが用意されており、生け花、茶道、書道、演劇、ラグビー、映像コンクール等の体験を通じて、少年に成功体験を味わってもらおうとしている。劣悪な家庭環境で育った少年は愛情成功体験に飢えているため、ちょっとした経験によって「花開く」ということが見られることもあるそうである。本書の中では以下のような成功例が挙げられている。

ある少年は、物心ついた時から毎日二、三時間は両親から虐待を受けていた。その後、祖父母の家に引き取られたが、そこでも同じように虐待が行われた。
十六歳になって、彼は暴走族に入って傷害事件を起こした。少年院に入って出会ったのが陶芸だった。つくった作品が賞をもらったのだ。彼にとって他人から認められた初めての経験だった。教官ばかりでなく、講師の先生からも「君は才能がある」と褒められ、真っ暗な世界に一筋の光が差した気がした。
――俺には才能があるんだ。陶芸で生きていきたい。
日課である内省ノートにそう書いたところ、教官から窯元で修行して職人になる道があることを教えてもらった。
以来、彼は陶芸だけでなく、学科の学習にも励んだ。そして在院中に高卒認定資格を取り、出院した後は東北にある有名な窯で修行をつみ、賞を取って独立した。

低下し切った自尊心、自己肯定感を回復させるプロセスが更生のため、いかに重要かが分かる。

自尊心が高まって初めて、自分を大切にすることができ、そうして、他人を思い遣ることができるようになるのである。

 

2. 人との関わり方を学ぶ取り組み

人は生まれて以降、家庭における養育者との情緒的な関わりを通じて、人との関わり方を学習する。もし、“生まれてから初めて関わる他者”でもある「養育者」との関わりにおいて健全な対人関係の築き方を学べないと、その赤ん坊は成長してから、上手に他者と関わっていくことができない。

対人関係を上手く築けないと、社会的な孤立を生む。そうした孤立が、少年を非行へと駆り立ててしまう要因の一つとなっている。適切な対人関係を築く方法を学ぶことは、少年の更生の上で重要になってくる。

本書では、少年院における座学やグループワークを通じた、人付き合いの指導内容について述べられている。座学やグループワークでは、各種指導を行い、暴力を回避する方法、友人関係を改善するやり方等を教えている。その大半は心理学的に確立された手法であり、場合によっては外部の専門家を招いて行われるそうである。代表的なものは、

アサーション
→コミュニケーションを円滑にするため、自分の気持ちを上手に伝える方法を身に付けること。(例:何かムカつくことがあった際に、「おまえ(you)ムカつく」と言うのではなく、「私(I)悲しい」のように、「私」を主語にして気持ちを表現するようにする。これを「Iメッセージ」と言う。)

SST(Social Skills Training)
→社会で上手く生きていくための対人行動を学ぶもの。嫌なことをどう嫌と伝えるか、その時の顔つきや言い方はどうすればいいか、万が一ぶつかってしまったときにどのような対応を取るのが適切なのか、身に付けていく。

アンガーマネジメント
→自分の怒りの感情をコントロールすること。感情が昂ったときの自分の特徴を学び、それを鎮める術を習得する。(例:その場を離れる、深呼吸する、言葉で解決する等。)

マインドフルネス
→瞑想を使った感情のコントロール法。これは実際にやってみると分かるが、外界の情報や自身の内面の思考をシャットアウト(厳密には、それらに“囚われないようにする”と言うべきか)する時間を設けることで、自身の感情をコントロールしやすくなる。怒りや悔しさといった感情が湧き起こっても、それをどこか客観的に見つめている、冷静な自我を保てるようになるからである。

といったものがある。

本書でも、少年院で初めてマインドフルネス瞑想を行った少女の、次のような言葉が紹介されている。

「これまで自分の感情を抑えるってことを考えたこともありませんでした。親が感情のままに暴力をふるう人だったので、自分もそんな感じになっていたんだと思います。ここに来て初めてマインドフルネスを通して自分を見つめて、なぜここにいるのかとか、何かあった時にどうすればいいのか、ということを一歩離れたところから考えられるようになりました。また、初めて心が落ち着いた状態というのを感じたように思います。こんなに心が安まるんだという驚きがありました」

3. 共感性を学ぶ取り組み

他人の気持ちを想像することができないと、他人の都合を考えず、自分の欲求のままに行動をしてしまう。それが結果として、他人を傷付けてしまうこともある。

怒りの衝動に任せて相手に暴行を加えれば傷害罪、時に殺人罪となり、性的欲求の赴くまま相手に性的暴行を加えれば強制性交や強制わいせつ罪となる。このため“他人の気持ちを想像する”「共感性」を学ぶことは、更生の上で重要になってくる。

少年院で行われるプログラムの一つに「被害者心情理解指導」があるが、そこでは被害者の心の傷がどの程度のものであったのか、それを引きずってこの先、生きていくのはどれほど困難なのか、そういったことを一つひとつ考え、理解させていく。

しかし、共感性が著しく欠如している少年や、罪悪感に乏しい少年には指導内容がなかなか理解できないこともあるそうだ。

そうした少年にもきちんと被害者の心情について理解させるために重要なのは、

抽象的な言葉で説教をする

のではなく、

具体的なところから感覚的に理解できる話

をすることだと、本書では述べられている。
指導を行う法務教官は、周囲にいる被害者の実際の事例から、被害者がどれだけ大きな心の傷を負って、その先何十年も過去に苦しみながら生きていくのか、といったことを話したりする。

「私の知っている人の体験だけど」

という言い方をするだけで、少年の受け止め方は断然、違ってくるそうである。

また、人と人とが思い遣りを持って接したり、信頼関係を築いていくことの重要さを学ばずに成長してしまった人には、その大切さも同時に教えなければならない。

そもそも共感性というものは、赤ん坊の頃の養育者との情緒的な関わりを基礎として育まれる。そのため、養育者との間で人を思い遣ることや、信頼関係を築くことの大切さを学べないと、

「自分の欲求だけを満たしていても他者と関係を構築できるものだ」

等と考えるようになってしまうことがある。そうした少年には、

人と人とが上手く関わっていくためには、信頼関係を築く必要のあること

を、一から理解させなければならない。そうした教育も、プログラムには組まれているそうである。

そして、他人の心情を考えるには、「1」の項で述べたように、自尊心の回復を図る必要もある。更に、この先の項で解説する「命の重さを理解する」こともまた、重要になってくる。

 

4. 感情のバリエーションを増やす取り組み

人は生まれながらに、様々な感情を有しているわけではない。赤ん坊の時点で持っているのは

「快」or「不快」

という二つの感情のみである。
赤ん坊は「快」を感じれば笑い、「不快」を感じれば泣く。
初めはこうした原始的な感情しか持たない赤ん坊だが、家庭において養育者と情緒的な関わりを経験することによって、多様な感情を獲得していく。

例えば、「不快」という感情の中にも
「悲しい」
「悔しい」
「自分にも悪いところはあった」
「次は頑張ろう」等の、より細かな感情が芽生えてくる。これを「感情の分化」という。家庭内で養育者と情緒的な関わりを持てなかった人は、こうした「感情の分化」が十分に為されない。
そのため、不快を覚える出来事の殆どを「不快だ」「ムカつく」といった原始的な感情で対処してしまい、状況に不相応の、過剰な攻撃性を発揮してしまうことがある。

それが、「文句を言われた」という些細なきっかけが「殺人」のような度の過ぎた、凄惨な事件にまで発展してしまうメカニズムの一つである。「快」「不快」といった単純な感情しか持たないと、思い通りに行かないことがあったとき、たとえそれが些細なことであっても、感情を爆発させ、他者を過度に攻撃することに繋がってしまうのである。

ここで分かるのは、感情を分化させ、「ムカつく」以外の感情のバリエーションを増やすことは、暴力性の抑制に繋がるということである。

本書には、少年のバリエーションに乏しい感情を分化させるための興味深い取り組みとして、

「表情カード」

を導入した指導が紹介されている。

表情カードには、表情のイラストと共に、
「イライラ、怒っている」
「べー、反抗したい」
「ひどいよ…傷ついた」
「ふぅ~安心した」等、それぞれの感情を表す言葉が書かれている。これを使って、少年にその時々の自分の感情をビジュアルで理解させたり、他人の感情がどれだか考えさせたりする。

また、ある女子少年院で行われている取り組みについても興味を引く記述があった。それは

「ヴァーチューズ・カード」を用いた「美徳教育」

というものである。
トランプを一回り大きくしたようなカードが52枚あり、それぞれに「美徳」に関する言葉と、その意味が記載されている。その美徳は、
いたわり、寛容、尊厳、愛、感謝、希望、共鳴、謙虚、受容、辛抱強さ
といったものであるが、例えば、「いたわり」には次のような説明があると述べられている。

いたわりとはあなたにとって大切な人やものに愛情を注ぎ、注意を払うことです。人のことをいたわるとき、あなたはその人に援助の手を差しのべます。注意をはらいながら最善の努力をします。人びとや物事にやさしさと尊敬の気持ちを込めて接します。いたわりによって、この世界は、より安全な世界になります。

教官はこうしたカードを指導の中において女子たちに示し、自らの中の美徳を視覚的に認識させるのである。

人に何かをしてもらったら「感謝」という美徳を示したり、体育の時間に反則をされたら「辛抱強さ」という美徳を示す。そして法務教官は適時、「あなたのやったのは『感謝』という美徳だね」と認め、褒める。そうした繰り返しの中で、美徳を言語化して身に付けさせる。

ちなみに、こうした取り組みを「カード」を用いて視覚的に行うのは、少年達は人の言葉を信じたり、理解しようとする習慣がなく、口で言われるだけでは聞き流してしまうためだそうである。

絵や文字といった視覚的に訴えるものを提示して一つ一つ形として分からせないと、固まった感情を解きほぐしていくことはできない、といった事実が述べられていた。

 

5. 命の重さを理解させる取り組み

人の命が粗末に扱われるような環境に育った人の中には、命の重さについて理解できずに成長してしまう人もいる。

またこれは「自尊心の低さ」とも繋がるが、加害者本人が

「自分の命なんてどうだっていい」

と考えていては、他人の命の重みに気付くことさえできない。
命の重さを理解していない人は、相手に対して怒りが湧いた際、自己制御が利かなって人を死に至らしめてしまうことがある。命の重さを理解させる取り組みも大事な更生教育なのである。

幼少期より、養育者から命の重さ、大切さを教わらず、それどころか、虐待等によって命を軽視するような環境に置かれ続けた少年の中には、人の命の重さを理解することが難しくなる人もでてくる。こういった少年達に命の重さを口頭で教えても、なかなか理解して貰えない現状があるそうであるが、本書では「口頭で伝える」以上に、命の重さを理解させるのに有効な指導として

「人形指導」

を紹介している。

これは、少年達に新生児と同じ体重の3 kgの人形を抱かせながら、どうやって生まれ、いかに育ってきたかを実感させる取り組みである。

まず、少年達に人形を抱かせ、新しい命の重みを体験させる。

次に、3 kgの赤ん坊が次第に成長していく過程を示していく。言葉を覚え、スポーツをするようになり、小学生から中学生へ上がる。数多の困難を乗り越えながら、3 kgの赤ん坊が60~70 kgの少年に成長していったことを振り返らせ、自分の命の重さについて理解させる。

その上で、指導教官は少年達にこう訪ねる。

「君達が奪った命も同じように尊いんだぞ。それについてどう思う?」

少年達はここで初めて、自分が奪った命の重さを想像できるようになるということであった。中には涙を流す者もいるという。

別の少年院では、介護サービスを学ぶ中で使用する「妊婦体験」を導入していると言う。
妊婦のお腹と同じくらいの重さのジャケットを着て、屈んだり、階段の上り下りをしたり、家事をしたりすることで、命の重さについて学ばせようとしているのである。

こうした取り組みが功を奏すケースもあるそうだが、現実、それでも命の重さを理解できない少年は少なからずいるということであった。

そうした少年についても、いずれこの少年は理解してくれる時がきっと来るはずだと信じて、これからも接し続けるしかないという教官の言葉が述べられていた。が、私は、その現実を真に厳しいものと思わざるを得なかった。

6. 発達障害に関する取り組み

幼少期の虐待による心の歪みに加え、発達障害の特性が相俟つことで、攻撃性を剥き出しにして怒り狂ったり、落ち着きがなく騒ぎ回ってしまうような状態にあるときは、まずは更生教育を落ち着いて受けられるよう、薬を投与して興奮を落ち着け、落ち着いている間に更生を図るという取り組みが為されるそうである。

これは、落ち着きがない状態で更生教育を受けても、指導に耳を傾けたり、実践する余裕がなくなってしまうためである。

発達障害者が比較的養育者からの虐待を受けてしまいやすいのは、養育者側の発達障害への無理解や、養育者自身が発達障害の特性によって上手に社会生活を送れないということが挙げられる。そこで加害者の親に発達障害の子の育て方を学ぶペアトレーニングを受けて貰うことによって、親子の関係改善を図るといった取り組みも行われている。

 

7. 元当事者、当事者の集まる施設での共同生活

これは個人的に、大変奥深い更生プロセスだと考える。

元当事者が、非行少年達と生活を共にしながら更生を目指す施設がある。
元当事者である施設スタッフが、自身が非行に走っていた過去から立ち直った経験を活かし、当事者である少年の更生をサポートするのである。

そうした施設において、施設のスタッフは少年にとっての理解者である。元当事者だからこそ、当事者である少年の気持ちが分かるのである。更にスタッフは、過去に不良らの組織を率いた経験から、非行少年との関わり方を熟知している。そのため、少年がスタッフに尊敬をもって着いていこうとするそうである。
施設にいる少年は、
自らが尊敬し、
自らの理解者であり、
自らのことを信じてくれ、
自らに良い影響を与えてくれる「兄」のような存在と共に、他の少年達と更生を目指し、共同生活を送るのである。
そうした共同生活の中で、自己否定感や人間不信を克服し、グループのメンバーとの信頼関係も築いていくのである。そうした関係の構築による「安心感」や「自身の居場所」が見出されることで、外の世界と上手に関わっていくことができるようになるのである。

こうした施設での共同生活によって更生する少年の割合は、かなり高いそうである。その理由と、少年と関わる上で重要となることについて、施設スタッフはこう語っている。

「とことん向き合うことですね。ここの子たちは誰からもそれをしてもらったことがなかった。もちろん、学校や少年院でいい大人に出会った経験もあるでしょう。でも、学校や少年院の大人たちはあくまで仕事の一環として子供たちに触れ合っているだけで、自分の家族を犠牲にしてまでやっているわけじゃないですよね。でも、僕はちがう。私生活も含めて人生を丸ごとかけて更生保護に取り組んでいるんです。失敗すれば僕がやってきたことが間違いだったということになるからこそ、情熱をもって彼らを何とかしなければならない。子供たちはそういう感覚にはすごく敏感なんです。今まで裏切られてばかりだったから、裏切らない大人を見抜く力はずば抜けている。僕と彼らの信頼関係は、そういうところで成り立っているんだと思います。」

ただ、「仕事として」少年と向き合うのではない。人生をかけて、全力で少年と向き合おうとする姿勢――それが少年の心を動かしていく、ということである。

元不良という過去に加え、スタッフが自分の人生を丸ごと更生保護にかけ、稼いだお金も、時間も、経験も、あらゆるすべてのことを少年たちに費やしている。24時間365日、家族も後輩もすべてを巻き込んで更生保護にかけている姿勢を見れば、少年たちはいやが上にも熱意を感じ、スタッフを信頼し、更生への道を歩めるようになる、ということであった。

 

 

8. 親子関係の見直し、自分の心の問題の自覚

そもそも家庭内において虐待が起こっていたり、子供にとって、「家庭」という場所や「親」という最も重要な他者が安心できる存在でないとき、子供は愛着障害というものを抱えやすくなる。
愛着障害の特徴に、
心に愛情の飢餓感がある、
自尊心が低い、
人間不信である、
ストレスを感じやすい、
心から喜んだり楽しんだりできない、
他人の感情を理解できない、
漠然とした孤独感・疎外感を覚える
等がある。
こうした特徴が社会生活を送る上で様々な障害となり、社会不適合性を増していってしまう。愛着障害のこうした特徴は、「親から愛されなかったことによる心の傷」によって引き起こされているので、子供は、仮に成長して大人になっていたとしても、自身の親に対して

「自分の存在を認めて欲しい」
とか
「自分の気持ちを分かって欲しい」

といった切実な感情、はたまた「自分を蔑ろに扱ったことを許せない」といった怒りや憎しみの感情を抱いている。
しかし、こうした感情は各々の事情によって無意識に抑圧されているので、自覚されていないことが多い。あらゆる生きづらさの元凶となっている親への感情が抑圧されていては、愛着障害を抱える本人はいつまでも上述した困難を背負っていなければならない。

このような問題の解決において重要となるのが、少年に自身の生い立ちと、そこから負った心の傷について理解させること、そして、親子関係を健全なものに作り直していく作業なのである。

少年院では、教育プログラムの中で、少年自身の生い立ちや、なぜ非行に走ってしまったのかを理解させる指導がある。自分の心にどんな傷があるのか。その傷がどのように影響し、自身を非行に走らせてしまったのか。(更に、自身が親に対し、どのような感情を抱いているのかを考えさせることもある(※))。それを一つひとつ理解し、吐き出していくことは、非行に走る元凶となった心の問題を解決するための非常に重要なプロセスとなる。
ちなみに、こうしたプロセスについて詳述されているのが岡本茂樹著の『反省させると犯罪者になります』(※)である。非行少年の抱える心の問題とその解消について、著者自身の経験とノウハウの詰まった良書である。

そして何より大事になるのは、親子関係の改善である。これは別の著書になるが、
「愛着障害」
に詳しい精神科医である岡田尊司著『愛着障害の克服』『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』といった本には、親子関係の改善がいかに愛着障害の克服にとって大事なプロセスとなるか、が書かれている。

親が子供に対し、幼少期に与えられなかった「安心感」や「愛情」を、現在の関係の中で与えようとすることで親子関係の修復や、信頼関係の構築を図る。それによって子供の精神が安定してくるといったものである。

ただ、そもそも親自身が愛着障害を抱えており、そのため子供を心理的に支えるだけの心的基盤がしっかりしていないことがある。その場合は、親が子供に安心感や愛情を与えられるような人間になるようトレーニングを受け、その上で親子関係の改善を図るといった取り組みも行う必要があると、上記の著書では紹介されている。親子関係の修復がいかに大切であるかを説く一冊(二冊)である。

以上が、非行少年の更生を目指す様々なアプローチの紹介である。本記事の作成においては、ほぼすべての項目で
石井光太著『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』
を参照しているが、本著は「あとがき」を含め全388頁もの作品であるため、本記事でその内容のすべてを紹介することはできなかった。もし非行少年の心理や更生教育なるものに興味のある方は、是非読んで頂きたい一冊である。きっとこれまで理解できなかった、非行少年たちの抱える心の闇に関する多くの知見を、得ることができるだろう。

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